kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

うごいて、がんばれ。

2013-02-18 20:56:00 | どこまで続くかこのブログ

 ベットの脇を清掃している時、床に落ちていた一枚の紙。

 そこに書かれていたのは「中学生になるのだね、うごいて がんばれ」でした。

 以前、このブロブで紹介した子どものお父さんなのでしょう。

 お父さんもあの習字に大きな力を感じられたに違いありません。

 そして、次のスッテップへ進むことを期待しての言葉です。

 

 明日その場が仕事の身であるkaeruは、今夜はここで寝て風邪気味を治して

おかなければなりません、お休みなさい。

 なお、以前の「つぶやき」は下の日付をクリックしていただければ見られます。

  012-08-10


人は一日にどの位歩けるのか?

2013-02-17 23:52:53 | kaeruの「おくのほそ道」

 14日にご報告したことですが「甦った」kaeruの「おくのほそ道」行はその

後中尊寺から尿前に向けて歩いています。アプリによる今日の表示では、

尿前まで64.3km93,725歩とありました。今日の表示でびっくりしている

のは自分のことではなく人の歩いた距離です。

 このアプリには「ご利用コースの歩行距離ランキング」という欄があり、前

日のTOP5として第1位から5位までが表示されます。今日表示の第1位

が92.6kmです、第2位が44.7、5位は35.1ですから第1位がとびぬけ

て多いかが分かります。以前100kmを越えた日があったので、?!と感

じた記憶があり記録していおこうと思っていて仕忘れていました。

 

 92.6kmという数字はkaeruの歩幅で計算すると、13万6千歩を越えま

す。普段の歩行距離の10日分になります。かなりの歩幅で相当の時間を

歩き通さなけれがこれだけの距離にはならないでしょう。

 芭蕉と曽良は当時この道(一関から岩出山)を途中に廻った所(小黒崎)

への往復距離を加えて15.5里半(62kn)歩いたとして「二人とも超人的

な脚力である」と『芭蕉「おくのほそ道」の旅』の筆者・金森敦子さんが書い

ています。 芭蕉が幕府の隠密であったとか忍者だった、という話の根拠

にその脚力がからんでくるのですが、これには当時の時刻の表わし方への

理解不足が一因になっているようです。

 kaeruの記憶しているところでは記録された歩行数では4万余歩が最高

で、約27kmでした。100kmはその4倍になり、いささかため息のでる数字

ですが、体力のあるうちに挑戦してみたいものです。


夢はピアノ曲とともに。

2013-02-16 23:07:33 | どこまで続くかこのブログ

 夢を語るのは難しいことです。 この場合の夢は昨夜の続きですので寝て

いる時みる夢のことです。 漱石の小説 『夢十夜』 ではかなり具体的にその

内容が書かれています、創作だということもあるでしょうが、こんなに印象に

残るものでしょうか。 また、フロイドの 『夢判断』 に紹介されている夢も不明

なところの少ない例です。

 今朝の夢ばかりでなく、私の見る夢は鮮明さにまったく欠けているのです。

思い出してみると子どもの頃の夢は、鮮明だったような気がします。 夢の覚

めたあとの印象も脳の機能の強弱と関係するのでしょうか。 だとすれば最近

の夢印象の弱まりは脳機能の弱まりの反映だということになり、要注意!とい

うことになります。

 

 それはそれとして、現実世界での「夢」を育むことがより重要なことではな

いでしょうか。 そういう意味で今朝の夢は良い夢でした。 内容はまったく覚

えていません。 覚めたばかりでもこういう夢をみた、とは言えなかったでしょ

う。 それならば反対に今日がどういう日であったかの経緯から、朝の夢がど

ういう意味を持っていたか推定しましょう。 夢占いの逆をいきます、逆もまた

真なりです。

 

 午後、妻と連れだってピアノコンサートに出かけました。結婚してン十年で

二回目のことです。 これだけでも夢のような話、この企画に携わり成功に責

任の一端を負う立場でしたので大入り満員の盛会は「夢実る」という場でし

た。 コンサートのあと、演奏者を囲んでの夕食会はウィーンの話、日本の演

奏者の課題、日本の音楽教育の現場での体罰とか日ごろの私の知見の中

には入ってこないことばかりでした。それだけでも今朝の夢見の良さを示し

ているといえます。 さらに次の企画へ、手がかりも出来そうだという「夢」もつ

いてきました。

 こうなると、今朝の夢はかなり質のたかい良夢だったといえるでしょう。

 

 演奏者のポール七子さんについては、下記のページを見て下さい。 

  (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます) 

http://engelsfluegeln.web.fc2.com/nanako.pohl.jp.html


万に一つの良きこと。

2013-02-15 22:30:59 | どこまで続くかこのブログ

 このPC画面は今日の「kaeruのつぶやき」です。「アクセス状況」を見て

いただきたくてUPしました。今日でブログ開設212日ですが、トータルで

閲覧15,000、訪問者7,500ときれいに並びました。

 偶然なのですが、単純なkaeru脳は「なにか良きことの予兆だ!」と胸

踊らせているのです。 今夜、いや朝方見る夢は正夢といいますから、明

朝夢のような夢を見て、こんなことが現実に起きたら死んでもいいとばか

りの幸福感に浸ることになるでしょう。

 多分内容は?なのです。 とにかく良い夢だったなーという感じで、ただ

その幸福感が一日を輝かせ良いことを引き寄せるかもしれません。 ご報

告は明日のこの時間で……。


甦る! 「おくの星道」

2013-02-14 20:41:28 | kaeruの「おくのほそ道」

 昨日の今日のことで、分からないながらもご報告。

 あの「kaeruのおくのほそ道」が戻ってきていました。 登米から中尊寺に

向けてあと7.3km、10,623歩という数値もそのままで、今までの行程は

パーのなると言われ、そう思っていましたのでよかった!というところです。

 それにしても、ソフトバンクの店の人のいう 「電話帳とGメール以外は消

えます」との説明は何だったのだろう。どういうアプリが継承され、どれが

消えるのかまで掴まれていないのだろうか。 これは継承されますと言って

消えた場合、責任がどうだああだとなるのを避けているのだろうか。

 アンドロイド対応のアプリだから、継承されたのではないか、と思います。

そしてクラウド、こんなところがキーワードになるのでしょうか。

 

  今夜は奥さんと妹から頂いたチョコを口にしながら、Googleの遊びを紹介し

ます。

  (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます) 

   https://www.google.co.jp/

ハートをクリックしてみて下さい。

Googleを常時お使いの方には余計なことですみませんが……。


虚空の彼方か?「おくのほそ道」。

2013-02-13 22:19:19 | kaeruの「おくのほそ道」

 修理に出していたマイアイフォが返ってきました。 

 kaeruの「おくのほそ道」アプリも出直しから始めようと思っていましたか

ら消えていても構わなかったのですが、さてもう一度ダウンロードしようと

しましたが、アプリが見つかりません。

 もともと、ウォーキングを記録しその日の消費カロリーなどを表示するア

プリに付随していたものなので、そのアプリをインストールしてそれらしき

記事がありましたが、接続方法が分かりません。

 

 最初はアプリ内をイタズラにクリックしていて接続され、面白いと思い使

い始めたのですが、意識して探し始めると分からなくなるのです。その辺

は本を探すのと似ています。 何かの折に手にした本の内容が頭に残っ

ていて、ある時それが必要になり本屋に向かう。この辺にあった筈だと本

棚を右往左往しても無いのです。 新刊本あるいは売れ行きのいい本に棚

は変えられていきます、「何時までもあると思うな、親と本」というところです。

 

 本の話は別にして、kaeruの「おくのそほ道」は、東北・登米から平泉に向

かう途中で虚空に伸び「おくの星道」となっているのでしょう。


今夜も寒い、が……。

2013-02-12 23:43:17 | 中間詩的つぶやき

 一昨日は膝が冷えると、つぶやきました。 今夜はキーボードに置く手が冷

えます。 こんな夜に思いだすのはひとつの言葉と一人の女性です。

 言葉は「地球は青かった」、女性はM大学生。

 この言葉を読んで「あーそうだ」と思う人も少なくなっているかも知れません。

「人類名言集」とでもいうものがあったとしたら入れられていてもいいものなの

ですが、どうやら実際に言われた言葉ではなさそうです。

 言ったとされている人はユーリイ・ガガーリン、1961年に人類最初の宇宙

飛行に成功した旧ソ連邦の空軍兵士、言ったという時期は彼が地球を一周し

帰還した後のインタビューのようです。

 下のURLで、

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2006/03/post_741b.html

(このブログはガガーリン記事を追っています、あとで時間をとって読んでみ

たいと思います、みなさんも参考にしてみて下さい。ガガーリンについての概

要はWikiなどで当ってみて下さい。)

 

 当時1961年4月頃、私は民主青年同盟の専従でした。 生活費は同盟費に

よって賄われていたので食うだけでギリギリという状況でした。メガネが必要と

なりその費用をどう工面しようかと悩んでいた時、同盟のM大学班からカンパ

が寄せられたのです。「専従者にメガネを!」という訴えが出されて、必要な金

額が寄せられました。

 それを届けてくれたのが、Mという班長、ありがたく頂きながら彼女と語り合っ

たのがガガーリンのことでした。 彼が宇宙飛行を続けながら「詩」を詠ったとい

う報道があり、宇宙飛行士という高度の知識と技術を体得し、なお詩的センス

も発揮し得る人間像が「共産主義社会」で生れているのだ、ということを。

 

 そのソ連観はいまから見ればあまりにも楽天的ですが、そのソ連共産党の苛

烈な日本共産党への干渉と闘いながら勝ちえた科学的社会主義の未来社会

論での人間観は彼女と語り合った人間像と一致しています。

 仲間の暖かい思いと科学性に裏付けられた熱い展望は、こういう夜のなによ

りの暖かさで、寒い夜が教えるのは春が間近だという予感です。


「建国記念の日」

2013-02-11 22:29:28 | 中間詩的つぶやき

 今日の休日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」です。 なぜ「建国

記念日」ではなく、「の」が挿入されているか、それについては下記を。

  (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-11/2013021101_06_0.html

 

 この一文のなかにある 「紀元節」 では1940年の「神武天皇即位2600年」

に全国で祝いの行事が行われましたが、そのころ2歳半位の私の記憶のな

かにも祝賀の歌「紀元二千六百年」が残っています。 もちろん、その時だけ

でなくそれ以降ラジオなどで折りに触れ耳に入った結果でしょうが、小学校に

上がる前の幼児の記憶にのこるほどの思想啓蒙であったわけです。

 

 暦に「神武天皇即位紀元二千〇百〇十〇年」と記されはじめたのは、明治

五年の十二月三日を明治六年一月一日にする、という明治改暦からのよう

です。 明治新政府の最初の暦=明治二年=にはそれは記されていません。

最後の太陰太陽暦の明治五年の暦にも見られず、最初の太陽暦の明治六年

から記されています。 明治六年は「神武天皇即位紀元二千五百三十三年」と

なっています。(『日本の暦』渡邊敏夫著・雄山閣・昭和51年刊による)

 

 江戸時代の人口二千八百万、そのなかで500万部の発行部数だったとい

われ、当時の一家にひとつの普及を見せていた暦に「紀元」を記すことは、

明治政府の国家づくり=天皇制絶対主義国家の国民啓蒙に大きな影響を

与えたに違いありません。


和暦・睦月・元日

2013-02-10 23:37:31 | 中間詩的つぶやき

 今日は元日です。 

 ?でしょう。

 ちょっと見難くて申し訳ありませんが、うちのカレンダーでは正月・睦月・

一日になっているのです(上右の文字)。 下の方の2月10日は西暦2013

年・昭和二十五年=現行暦の「今日」です。

 今日が月の始めであることは何よりも、月齢29.3のまっ黒な月=見えな

い月が示しています。 巷ではこの暦を旧暦と呼んでいます。 ここでは和暦

と名付けましょう。

 以前、月暦とも名付けたのですが、洋に対する和であり、平和の和で、調和

にも和があり、「和をもって貴しとなす……」にもある和で大和の和、やはり和暦

という名が似合うようです。


寒い夜には……。

2013-02-09 22:36:19 | 中間詩的つぶやき

 寒い、膝が冷えます、かなり厚い股引を穿きこれも厚いズボンでいる

のですが冷えが伝わってきます。こんな夜は早く寝床にもぐりこむべきで、

つぶやきも早口でいきます。

 こんな夜に思いだす歌と女性がいます、歌は「みちづれ」、女性はかって

同じ仕事を共にしていた同志ともいうべき人。

 ♪ 水にただよう浮草に  おなじさだめと指をさす

   言葉少なに目をうるませて  俺をみつめてうなづくおまえ ♪

 は一番、二番に  ♪ 寒い夜更けはお酒を買って ♪ があります。

 

 彼女は酔うと、すこししゃがれた声でこれを歌うのでした。

 私はここを「寒い夜には」と覚えていて、いま念のために歌詞をみたら

「寒い夜更けは」でした。 心臓を病み故郷にもどっていましたが、一年ほ

ど前亡くなりました、生涯独身でした。

 旧職場の仲間と昨年墓参りをしました、60代をわずか越えた歳でした。

  そんなことを、この「つぶやき」でもたしか触れたと思います。

 

  ♪ 夢になかでもこの手をもとめ ♪

 こんな夜は、身も心も温め合える「みちづれ」を夢に求めていたかと思

います、合掌。