葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのがこの「偶感」です。
昨日もこの「偶感」が話しの中心のひとつになり、がんに対する姿勢は「どう生きるか」だということが共通の理解となり、患者会の基本になったかと思います。
「偶感」の全文を記しておきます。
偶感 末期がんを告知されて一年 山本勝哉
がんを告知された。胆管がん。ステージ4で、リンパに達しており、切除手術は出来ないし部位から考えて放射線も不可能という。私はステージは10まであると思っていたが、4が最高だという。つまり末期がんなのだ。治療は、抗がん剤又は、緩和ケアーだとのこと。緩和ケアーとは、結局は死ぬのだが、死ぬまでの痛みや苦しみを和らげるというもの。抗がん剤も、がんを消すことは出来ない。まさにがんは不治の病。余命について医師は云わなかったし、私も問わなかった。私ががんを告知され3ケ月後、弟が死んだ。私と同じ胆管がんであった。
生が有限であり死は必然だと云う冷厳な真実が突き付けられた。この冷厳な事実を冷静に考えなければならない。そして、受け身としてではなく、積極的に立ち向かわなくてはならない。死の受容などという暖味な態度であってはならない。
死の苦しみは肉体的と精神的なものである。肉体的苦しみの多くは痛みであり、それは麻酔などの発達で緩和できる。では、精神的苦しみはどうか、それは、自己の存在が無になるという云う喪失感である。無宗教者である私は、その喪失感から脱却する道を、自己の存在の歴史化に求める。それは、人類史であれ、世界史であれ、日本史であれ、地域史であれ、家族史であれ、さらに特定のジャンル史であれ、何でも構わない。
がんを告知されて、がんで亡くなった方、がんを治癒された方、治療中の方などの話を聞くことが多くなった。そうした中で「もういい」と、がんの治療を諦め、亡くなった方々が意外と多いのに驚く。そうした方々は、「もう充分に生きたから」とか、「やり残したことはない」という幸せな方々もいれば、抗がん剤の副作用の苦しさに耐えかねた方々もいる。
がんは不治の病とも言われる。実際、手術や放射線による切除も、再発の脅威が残る。まして、私のように手術や放射線が出来ない場合、抗がん剤に頼るしかない、抗がんではがんは消滅しない。担医師は、「私たちの理想は、山本さんが死ぬまで抗がん剤を打ち続けることです」という。抗がん剤をやめる時は死ぬ時である。治療とは、治癒までの事と考えていた私にはこれも衝撃であった。
さらに、抗がん剤に対してやがて、がんの方に耐性が出来てしまい、抗がん剤が効かなくなると云う。そうしたら、今の医学では打つ手がないという。
がんの治療は闘いである。毎週通院し、採血をし、長時間待って、医師の診察を受け、血液に抗がん剤を投与する。三ヶ月毎のCT検査では、造影注射がある。痛い。闘病とはうまく言ったものだ。コロナは、葉山ではいまのところ、四人だが、がんは二人に一人がなるという、がんこそ、早く特効薬が出来て欲しい。