春泥(しゅんでい)、季語としてというよりも信州・上田育ちの者には、この
時期の足元の感覚として残っています。完全舗装の道を歩く生活のなかで
も、この季語の俳句にそれを感じられるのは嬉しいことです。
春泥のそのごちやごちやを恋と呼ぶ 櫂 未知子
(『美しい日本の季語』 三月十四日の句)
都会育ちでかなりの年齢になって、俳句に関心を持つようになった人が
この 「ごちゃごちゃ」 をどう受けとめられるでしょうか。春泥を歩く感じから
ではなく、「恋」の「ごちゃごちゃ感」から春泥を感じとるかも知れません。
恋なのか春泥の道まわり来て 清蛙
少年であった頃、舗装された道路から土の道へと入り込み、リンゴ畑を
歩いてみたものです、藤村を気取るほどの度胸はありませんでしたが。
明日はその「春泥の里」上田に出かけることになりました。
三人兄弟の末が、私と兄嫁の喜寿を祝って甥っ子と共同で席をもうけて
くれることになり、夫婦で出かけます。
そこで、三月十五日の句も、こちらは 『癒しの一句』(ふらんす堂)より。
昼蛙どの畦のどこ曲らうか 石川桂郎