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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

御加護あり、内に神さん、外に神様。

2013-09-16 22:11:28 | 本州縦断

 本州縦断の「テクテク」が1000kmを超えました、1003.3km。

  先日(2013-09-05 もうひとつのテクテク。 )は静岡市内でしたが、

 今日は磐田市内、こんな所です。すこし見にくいですが浜名湖・浜松市の手前

をテクテクという感じです。

先日にならって拡大してみます。

  ここでも神社、この「テクテク」には神の御加護があるようで、家では

神さんの御加護、旅に出れば神様に見守られているわけで、葉山一色

森山神社の全国ネットも行き届いているということでしょう。

 それでは、神社に寄ってまいります。 

 磐田市富丘415 というのがここの住所のようです。 ストリートビューの

位置の関係か、鳥居の姿も社も見れません。 木立を残した場所ですが磐

田バイバスによってかなりの部分が失われたのではないでしょうか。

 この前の静岡市内の神明神社は街中に残された空間という感じで、木陰

がつくれる樹木が何本かある感じでした。かってはこんもりした鎮守の森で

あったのでしょう。

 街中の神社も一定の木立の防風林の役割とか、災害時の避難場所として

の機能とかいう側面を見直していく必要もあるでしょう。


生涯に一句あった、という話。

2013-09-16 16:46:17 | 詩的なつぶやき

 これは「遺すべき一句」の続編です。

高野素十という俳人に

 生涯にまはり燈籠の句一つ  

があり、前書きが 「須賀田平吉君に弔ふ」 とあります。

山本健吉の 『俳句鑑賞歳時記』 に、

≪さて、これはしみじみとした情懐のこもった挨拶句である。句が人々の記

憶の中に残るということはたいへんなことである。思い出されない名句という

ものが何の意味があろう。この俳句の下手な故人は、下手の横好きで熱心で

もあったが、 「まはり燈籠」 の句によってたった一度人々を三嘆させたことが

あった。 故人と言えば、思い出すのは「まはり燈籠」の句一つである。もって瞑

すべし。それが「花」の句とか「月」の句とかでなく、「まはり燈籠」の句であること

がおもしろい。軽いユーモアを含んだ明るい弔句である。≫とあります。

 

 この句についてこれ以上の「鑑賞」は必要ないでしょう。

 そうなると、「俳人・須賀田平吉」の「まはり燈籠」の句がどんな五七五であるの

か、下手な横好きの一人として知りたくなります。しかし、手元には何の手がかり

がありませんが、ITのなかに手がかりがありました。

 須賀田平吉=素十の母親の弟の夫人の弟、という関係、42歳で亡くなったそう

で、その句とは

   軍艦も人も急げり走馬燈

 その句に関係して、以下のようなことも記されていました。

≪日本医史学会会長清(蒲)原宏医博(新潟大学名誉教授)が、高野輿巳医博(俳号素十、 新潟大学名誉教授、元奈良県立医科大学学長)の遺した弔句をめぐり、私の義父須賀田平吉との関係を調べるうちに、須賀田家と高野・加藤・市川家が縁つづきであることが判明し、内容を群しく 蒲原先生が俳誌「雪」に、平成3年の6、7、9、10、11月号の5回にわたり「一弔句の背景」と題して連載された。≫ (この文は「西田博」名の一文の最終部分です)。


遺すべき一句。

2013-09-16 14:56:00 | 詩的なつぶやき

 遺すべき 一句の欲しや 敬老日    加藤康人  91歳 

コメント「六十年の俳句生活の中で遺したき句の貧しさを思う」

 

 今日敬老の日、本州の多くが大型台風に襲われた下での祝日となってしま

いました。この様な状況下で多くの高齢者が災害難民になりやすく、避難指示

26万人などというニュースのなかに、とまどう姿が想像されます。被災による

犠牲者の年齢をみれば高齢者で、それも独り暮らしあるいは高齢者世帯。

 地震・台風・大雨などの厳しい自然環境にある日本列島のうえに成り立ってい

る日本社会は4人に1人が65歳以上という高齢者社会になっています。それ

だけに高齢者の福祉増進に焦点をあてた施策が求められ、政治の方向転換

が必要です、今日の 「赤旗」 の 「主張」 に目を通していただければ、と思います。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-16/2013091602_01_1.html

 

 さて、この俳句は 『1億人のための 辞世の句』 という本の中の一句です。

編者(荒木清氏)による鑑賞文

≪作者の俳句生活はもはや六十年。

それでも後世に遺る俳句の一句があるのかと自分に問いかける。

俳人として、後世に遺る句が一句、二句あれば本望と俳人、皆が思う。

俳句とはそういうもの。作者の謙虚さと素直な思いに拍手。

九十過ぎてこのような思いをいだけるなんて、俳句生活は素晴らしい。

老いてなお、このような俳句を作る日本人の伝統文化の深さをあらためて実感さ

せられる。この一句は「遺すべき一句」への執念ともみることができる。≫

 

 一番下の孫から敬老の日だということでお祝いの電話。 小学校2年生で自分

専用の電話を持っているのが当たり前の時代・社会に、高齢者が孤立し被災者

として犠牲になっているというのも現実。 この現実に変革の兆しを記せる一句が

遺る句になるのでしょう。