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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「戦前」 にしないために 「戦後」 を知る。

2023-05-11 22:37:47 | 逗子 鎌倉 それぞれ

(昨日「つぶやき」ましたが投稿されていませんでしたので……)

 昨日は「逗子の歴史を学ぶ会」の月例会、先月は選挙で先々月は体調を崩して休んでいたので3ヶ月ぶりでした。話の中心は引き続き「砲台に消えた子供たち」で、事件の現場になった小坪地域の市議会議員が参席し、遺族の関係者として慰霊碑問題を中心に話されました。

慰霊碑問題は行政の関わり合いもあることで、これからも会の運動を通じて語られていくでしょう。それとの関連で今日新しい視点で「砲台」問題を見ることを気が付かせてもらったにはこの一文です。

全体で12ページをこえるので、肝心なところだけアップしておきますがいずれ全文に渡って紹介すことになるでしょう。

野村昇司さんは『砲台に消えた子どもたち』を著した

逗子市の教育委員長を務めた方です、野村さんの書かれた最後の部分、

「この砲台に消えた子どもたちの事実を小坪小学校の沿革史に書き込むことを成し得なかったことが今でも無念のひとつであります」

この無念さは共感できるものです。

野村さんはすでに亡くなられています、遺された者としてまた短い期間でしたが逗子の歴史に対しする思いを共有した者として、無念の思いに応えねばと考えます。同時にそれは単に一人の先輩の思いに応えるにとどまらず、戦後の実態を通じ戦争というものの実態を明らかにすることにもなります。

「戦前」の次は「戦争=戦中」でありその後に迎えるであろう「戦後」、それがどう想像出来るのか? 

新しい時代を生み出す機能を創造と呼びますがそれを真に創造するためには、想像力が豊かでなければなりません。確かな想像力を得るために求められますのが歴史への観察力です。

野村昇司さんそしてより先輩の黒田康子(しずこ)さんの歴史観察力に学びつつ「戦前にしないために戦後を知る」学びをすすめたいと思います。 


小坪と古壺(その4)

2022-12-28 22:54:09 | 逗子 鎌倉 それぞれ

慰霊碑から須賀神社へ移る前に、紹介させて頂いたブログの……

 

砲台に消えた子どもたち - かばぶ

●逗子の小坪と新宿の間の山、披露山は、鎌倉時代に将軍への献上品を披露する場所だっ...

かばぶ

 

……コメント、今日28日のやり取りです、

こうして「慰霊碑のこと」が静かに広がっていくことは、やはりネット時代だということでしょう、ジュワりという感じが心に滲みます。

「小坪 慰霊碑」で検索してみましたら、葉山町の役場前の慰霊塔も含まれていました…

…が「14少年」は入っていません。やはり「かばぶブログ」さんも触れていますように「案内板」とか「説明板」類が設置されて、地図上でも表示して欲しいところです。

 

今日は娘の誕生日に当たる日でした、朝ブログのコメントにこう書きました、

そしてやはり孫娘から、届きました。

改めて今朝の妻とのやり取りの時の「53歳」と答えた時、「生きていれば」という添え言葉が浮かんでこなかったこと、「53歳」が実感として言葉になったこと……。

慰霊碑の14人、あるいはもう一人二人、彼らと同年代の85歳の男性として私が思うのは、彼らも私も昭和20年8月15日までは戦地に兵隊として行くことが決められていたのでした。

敗戦ということによってそこから解放された少年期、これからの人生を目前に命が絶たれたのです。50歳の娘でさえ生きてる者のなかに生き、歳を共に重ねていくのです、少年もまたこの地で生き続けてそれを迎え入れる人と共に生きるのだと思います。

 


小坪と古壺 (その2)

2022-12-22 21:38:58 | 逗子 鎌倉 それぞれ

その2は一昨日の続きで、まずこの地図です、下の方に「集合場所」とあるのは逗子小坪の飯島公園プール前です。

そこからプール脇を回って裏手から正覚寺の駐車場を抜けて「入り口フェンス」です。入り口から慰霊碑まで登り坂ですが歩きやすい道でした。

慰霊碑の周りの草取りなどして、碑に花を供え各自が焼香して思いを伝えました。

これは碑の裏面を見ている会員、

裏面には昭和二四年と彫られていました。

昭和20年10月20日の「事件」ですから、碑が建てられるまで四年の歳月が経っていました。

そして建立されたのはここではなく砲台跡の入り口でした、このことについては後日に、明日にと言いたいのですが明日は一日手を取られることがありますので……。 

最後に案内していただいた地元の市議会議員の丸山さんからの会長宛のメールのなかの一部を紹介させてもらいます。

「慰霊碑を見るだけでなく周りをきれいにして頂いて、線香まであげて霊を慰めて頂いて、心から感謝申し上げます。こんなに手厚くたくさんの方に慰霊して頂いたことは最近では全くありませんでした。有難くて涙が出そうになりました。」

丸山さんはこの碑に眠る草柳喬少年(当時小学五年生)の弟さん(草柳博氏)の女婿でもあります。


人生100歳時代と郷土史

2022-12-21 23:57:43 | 逗子 鎌倉 それぞれ

「小坪と古壺」の続きではなくてすみません。今日は地元の「のぞみ会」のクリスマス会で、誠に賑やかに1年の締めくくりになりました。

来年も笑顔の多い集まりにしましょうと、〆ましたのがこの写真です。

集まりに顔を出した社保協の「たより」です。

「100歳まであと何年??」〜人生100歳時代の設計図〜

 葉山町長が、9月に町内在住の100歳以上の方、26人 (男性3人、女性23人)を表敬訪問したそうです。神奈川県でも、健康寿命が延びる中で、県民の皆様一人ひとりが100歳をひとつのゴールとして、そこから逆算して人生の設計図を描いていくことが大事になると考え、「人生100歳時代の設計図」というテーマを問題提起しています。

神奈川の 「未病を改善する」 取組み
 現在100歳以上の人口は、全国で6万5千人を超え、2050年には約70万人に達すると推計されています。 また、神奈川県は全国一、二を争うスピードで高齢化が進むとされており、医療や介護を要する人が急増するおそれがあります。
 こうした中、神奈川県では、 「未病を改善する」 取組みを進め、心身の状態を「健康か病気か」といった明確に二つに分けられるものとしてとらえるのではなく、 健康と病気の間で常に連続的に変化するものとしてとらえながら、「食」「運動」 「社会参加」の見直しによって、 人々の健康を維持し、 より良い状態にして、健康寿命を延ばそうとする取組みを進めています。 その結果として、元気な高齢者が増え、若者や現役世代にとっても、元気に生活できる期間が延びることにつながる仕組みづくりをすすめています。

「人生100歳時代の設計図」 80歳、90歳、 その時、 何をしていますか?
 健康寿命が延び、 人生100歳時代を迎える中、一人ひとりがそのことを念頭において、 人生の設計図を描くとともに、それを支える働き方や学び方など、社会のあり方を見直していくことが必要です。 また、高齢者に留まらず、若い世代の方々も 「人生100歳時代」 のライフプランを考え、「生きがい」を持って社会に参加する地域づくりを進めていくことが大切です。 葉山町社会福祉協議会では、 葉山町の皆様と一緒に 「人生100歳時代」にふさわしい、誰もが安心して暮らせる地域社会の実現に向けて、 これからも共に考えて推進していきたいと思います。 「人生100歳時代の設計図」 あなたならどう描きますか?
                     引用: 神奈川県ホームページ

 クリスマス会のなかでも、人生100歳時代に向けどう向かっていくのかが話されました。仲間のなかでも96歳を最高齢に90歳代が3人、元気に例会の毎回出席そのうちの2人が35年前の会創立者であることは嬉しいことです。それだけにこの「センターだより」を手掛かりに、会員一人一人の100歳に向けてどう向かっていくか、会員共通の問題として話し合い、事をすすめていきたいと思います。その際「人生100歳時代の設計図をどう描くか」よりも「〜どうデザインしますか」という方が良いでしょう、この笑顔の一人ひとりにあっているでしょう。

さて、今日のタイトル「人生100歳時代と郷土史」について。

自分の100歳へのアプローチをデザインする時、「どう生きてきたか」は住んでいた町や市と深い関係があります。これから高齢あるいは超高齢の時期を暮らしていくうえでは、更に重要な関わりがあります。

それはその町や市の歴史のなかで作られてきた事です。主に「現代」に属する事ですが、それを遡れば戦中戦前はもとより明治から江戸時代ヘ、さらにその先に元があるという事を今回の小坪巡りが教えてくれたことでした。外部の人にとっては観光名所であっても、そこに暮らす人には日常の生活条件です。

小坪の急な坂道や狭い石段も神社や邸跡等を見に行く人にとっては「これが大変だ」という思いで過ぎますが、住んでいる人にとっては子供の頃からの歩き慣れた道です、しかし老いてからの状況は異なって来ます。以前横須賀市内の山地を福祉事業の視点で歩いたことがありましたが、この地形も鎌倉時代の武将にとっては走り慣れたものであったでしょうが、21世紀の高齢者にとっては暮らしにくさの一要因になっていました。

郷土史がそこに住み終焉の地である人の歴史であれば、生活の有り様の歴史であり、それを受けてどう生きていくか、どう人生をデザインするかということへの解答に役立つものであらねば、と考えます。


小坪と古壺 (その1)

2022-12-20 23:07:11 | 逗子 鎌倉 それぞれ

この一枚が今日のタイトルの小坪海岸からの「晴天の富士」です、

遠景の富士山の見事さを知ってもらうにはこれでは小さ過ぎるのですが、人が見ての「見事さ」でしょうから、この人達についてひと言。

 11月8日の「つぶやき」で触れている「逗子の歴史を学ぶ会」のメンバーです。今日こうして集まって晴天の富士を喜んでいるのは、先週予定されながら雨等で延期された「砲台に消えた子どもたち」の慰霊碑を訪れることができるからです。

 その碑に関連することでもありますので、こちらも目を通していただくと有難いです。

 

戦争と戦争後の記憶 ・ 記録。 - kaeruのつぶやき

外出から戻って家の前でカミさんが立ち話をしていました。道を掃いていた箒を上げたり下げたりしているのは、かなり気の入った話なのでしょう。相手の御婦人から「お元気そ...

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あわせてこちらも、 

http://komonjokai.jimdofree.com/

小坪というと「鎌倉殿の13人」で頼朝の愛妾・亀の前の隠れ家を政子が打ち壊す一幕があった場所ですが、それがどのへんだったか、を推定しているのがこちらです、

http://tsubo.orange-shoes.biz/

自分のものもも含め「つぶやき」本文より「目を通して頂きたい」ものが多くなりました。なぜ小坪とあわせ古壺と記したのか、今日歩いた思いの結果ですが、それを述べるにはもう少し考えをまとめる必要があるようです。明日ということで今日は(その1)としました。

では、明日……。


小坪海岸(絵の作品名)

2022-11-03 21:31:31 | 逗子 鎌倉 それぞれ

今日は「文化の日」ということで、それらしく夫婦連れで絵画展に行ってきました。絵画展といってもどこかの誰か名のある画家の展示会などというものとは縁の遠い私です、行って来たのはこちら、

私たち夫婦が出かける絵画展と言えば、年に一回弟が出品している毎年5月の「アンデパンダン展」ですが、今日のこの美術展も「市民と美術協会会員との公募による無審査・無償のアンデパンダン展」です。

絵心などとは遠い存在ですが、それでも観て刺激を受けます。

タイトルに記しました作品名をこの「目録」で探しましたら、そのものズバリが無い、これなのでしょう。「小坪」と「久木」が並んでいましたから、「小坪海岸」というのは私の記憶違いだったかも知れません。

絵の印象は「霧」です、海の色も空の色もなく、船が置かれています。置かれているというより、浮かんでいるという印象でした。小坪という地名は逗子市のなかで特に心の向く地名で、まさに霧の中から一隻の木の舟が浮かび上がり、近づいて来る……、そんな風景に見えてくるのです。


二日続きの鎌倉通いーお盆用のお線香を買いに行って来ました。

2020-08-10 21:12:53 | 逗子 鎌倉 それぞれ

昨日は鎌倉駅前での鎌倉原水協の署名に知人と共に署名した話でしたが、今日も鎌倉行き。ただし、今日の用事は奥さんにお供してお盆を前にしてのお線香買い、その足で小町通りで仏壇に飾る鬼灯を買いました。

毎年のことですが、私がお供をしたのははじめてのこと。お線香はこの店ということになっているのだそうです。鬼灯はこの時期扱っている店ならどこでも、というようで夕食にそば屋に入りそのあとまことに久し振りに段葛を歩きました。

我が家の桜はもう黄色になりかかっているのですが、雪洞に連なっている葉桜にはその様子が見られません。うちのは老木と言うべきですが段葛の両側の木々は若い、葉も勢いが違うわけです。

写真は、温古堂(線香を買った店ー大町1丁目)から駅方面に向かう途中の本覚寺、

こちらは蕾と塔、   

上空を飛ぶ翼影が入っていると思ったのですが、百日紅に手がすべった?

   


「鎌倉異変」関連、(カナコロより)

2020-03-05 12:16:00 | 逗子 鎌倉 それぞれ



全文はこちらからをクリックして……、





鎌倉異変……、市議会は⁉

2020-03-04 20:15:00 | 逗子 鎌倉 それぞれ
タイトルの「異変」についてはこちらで、
 
 
これについての鎌倉市長の会見、
 
 
その職員について今日、
 


ということですが、この間のことについて鎌倉市議会議員の高野さんのFacebookから、
高野議員は市長のFacebookをシェアしたうえで、次のように述べています。
 


この高野議員の一文を読み、「地方自治は民主主義の小学校である」という言葉を思いだしました。これは「地方団体のなかにこそ自由な人民の力がやどる。地方自治制が自由に対してもつ関係は小学校が学問に対してもつ関係と同じである」という言葉からきています。この言葉はフランスの政治学者A・トックヴィルが19世紀前半のアメリカについて言ったことです。

さて、鎌倉市でも小学校も中学校も緊急時だということで休校に、それにつられて市議会も「機能縮小⁉️」ーーこれは「異変です」。

鎌倉には多くの友人がいます、今日は句会の定例会でしたがメール句会になりました会場が「利用の自粛」ということです。住民の生命、生活、権利を守り改善していく拠り所である自治体は、鎌倉でいえばそこを訪れる観光客などにとっても安心安全の街で、私も我が事として鎌倉市・市議会の動きを注目していきます。

二年後のNHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」、合議制から北条義時が最高権力者になるというストーリーだそうです。さて、21世紀に〝権力を我が手に〟などというのは800年遅れの時代錯誤脳です、それに追随する姿勢も同水準と言わざるを得ません。