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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

『風姿花伝』 3。

2013-02-26 23:21:55 | 本のひと言

 「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む」

に はじまる一文は以下の通りです。

 

 真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量 生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。
 吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果 たさしめることを期する。 芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。

【原文は縦書き】

 お手元に岩波文庫の一冊がありましたら、ご覧ください。奥付の裏頁に記されています、

日付は昭和二年七月です。 

 『風姿花伝』は、kaeruの日常生活ではおよそ縁のない能芸術論ではありますが、「秘す

れば花、秘せねば花なるべからず」とか「人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり」

など、こころして読めば興味つきぬ所も多々あります。

 1958年10月に第1刷、2012年6月75刷。 かなりの売れ行きの数字でしょう、ある岩波文

庫に「この文庫は40刷に達した。40万冊以上は売れた」と書かれています。本によって1刷

の部数はかなり差があるのでしょうが、話半分で5千冊としても60年余に30万以上は売れて

いると言ってもいいでしょう。

 門外不出であった秘伝の書が街頭に出、民衆のなかに引きつづき広がりいく様は日本人の

精神生活の豊かさを示すものと言えます。


『風姿花伝』 その2。

2013-02-25 22:13:43 | 本のひと言

 岩波文庫青1-1『風姿花伝』、と昨日紹介しましたが、どういう本か何も触

れませんでした。それで結論だけ、『風姿花伝』が岩波文庫目録の一番はじ

めに出てくることと同文庫の信頼性とが関係しているということを述べても、

なんのことやら分からないでしょう。 「kaeruのつぶやき」の信頼性が薄らぐ

ことになります。

 

 『風姿花伝』、文庫のカバーより。

  表紙に能の女面があります。 (上の女面はWikiから転写)。

 世阿弥著 野上豊一郎・西尾実 校訂。

 「一般に「花伝書」として知られている 『風姿花伝』 は、亡父観阿弥の遺訓に

もとづく世阿弥(1364?~1443)最初の能芸論書で、能楽の聖典として連綿と

読みつがれてきたもの。室町時代以後日本文学の根本精神を成していた「幽玄」

「物真似」の本義を徹底的に論じている点で、堂々たる芸術表現論として今日も

なお価値を失わぬものである」

 

 「すでに五百五十余年前の書かれた、この世界的な芸術論」 とは昭和33(19

58)年に西尾実氏が「校訂者のことば」として書かれたものです。そして、「(これ

は)一子相伝の書として遺されたために、明治42年……まで深く観世家・金春家な

どに秘蔵されていて、同じ国に生れ、同じ方面に関与する専門家でも、この古今東

西にわたる、すぐれた芸術論に接することができなかった。」

 「(明治42年に学界に紹介されたあとも)読者は一部の研究家に限られていたが、

昭和二年十一月、岩波文庫に収められ、「万人の書」として刊行されて以来、国民

必読の古典のひとつとなり、」。 私はここに、岩波文庫の精神をみる思いがします。


岩波文庫青1-1 『風姿花伝』

2013-02-24 22:16:30 | 本のひと言

 本の整理を文庫からはじめました。

 岩波書店が昨年の2月現在の販売部に在庫している文庫本を解説目録に

して出しています。 その第1頁の「青1-1」が 『風姿花伝』 です。手元にあ

る2005年からの目録はその順番ではじまっています。 そのことは知ってい

たので昨日本屋の棚の前でその本を見たので買い求め、早速わが本棚と

電子本棚におさめました。

 

 2007年2月に発行された 『岩波文庫の80年』 には1927年7月創刊から

2006年12月までの約5400冊が解説付きリストになっています。 そのP4

1927年11.5に 『花伝書』 として発行され1935年には改訂版がだされまし

た。 『風姿花伝』 として発行されたのは1958年(s33)です。手元の本にも

1958年10月25日 第1刷発行 2012年6月5日 第75刷発行とあります。

 

 この100頁余の薄い本がなぜ、岩波文庫目録の一番はじめに座っているの

でしょうか。目録だけを見ていた時にはまったく気付かなかったことなのですが、

本を手にしてみると、そんな疑問が起きてきました。 その解答は同時になぜ

岩波文庫が信頼できるのか、の解答でもありそうです。


電子書籍?

2013-02-21 20:05:45 | 本のひと言

 昨日の茶千さんのコメントにはピアノコンサートについての返信しかしてい

ないのでここで他のことも触れさせていただきます。

 風邪は全快とはいえませんがかなり快調です。

 PCというよりスマフォンのほうですが、この便利性に惚れ込んでいます。

内の奥さんが話しかけてもこれに気を取られていると、「嫉妬」します。別に

美人像を見ているわけではないのですが。

 

 便利性では電子書籍に関心があります。青空文庫など名作等が何時でも

どこでもタダで読める魅力は捨てられません。といって毎日見ているわけで

もなく、青空文庫にある本を自分の本棚から外そうとも思いません。

 本というものにくっ付いている自分の思いというものが、蔵書にはあります。

その思いとは、知識だけではないでしょう。その時期の自分の迷いとか疑問

に対して解答めいたものを求めていた自分を見いだすのは、自分が読んで

いた記憶と一緒にあるものです。

 

 話はとびますが、昨日の2月20日は小林多喜二が築地警察署で虐殺され

た日です、1933年のことです。彼の思想が彼が身につけた知識と深い繋が

りを持っていることは当然です。同時に知識の量があるいは質が思想を決定

づけるものでしょうか。彼の生れや育ちの日々の生活と親族や周りの人びと

への関心や愛情とのかかわりなしに思想は形成されなかったでしょう。

 多喜二も生活と知識のインプット&アウトプットの繰り返しのなかで、自分の

命そのものである自分の思想を己の身体と一体のものにしていたに違いあり

ません。

 

 電子書籍か紙の本か、ということより自分がどういう解答を得るために本を

手にしているのか、そこに自分(達)の生活のどのような問題を持ちこもうと意

識しているのか、そこが大事なことなのでしょう。


寝床のなかの本棚

2013-02-20 22:24:22 | 本のひと言

 明日の仕事場に穴を空けるわけにはいきません。 年度かわりで普段や

らないことも入ってきて、人が足りなくなり今週から三月一杯土曜日も出な

くてはならない位でとても休んでいるわけにはいかない、というわけで今日

は御身大事で、床に伏していました。 

 

 調子は悪くないので、先日からはじめた蔵書管理アプリをスマホで整理

してみました。 かなり以前に蔵書管理を思い立ち、エクセルに打ち込み出

したのですが、途中で止めていたのです。 管理の目的はその都度その都

度何らかの必要や関心に添って本を購入してきたわけですから、その必要

関心を意識的に組織していきたいと思ったこと、また偶にある同じ本の二度

買いを防ぐことなどでした。

 古本屋に入って文庫の棚などみるとこれは持っていたか?無ければ買って

おきたいが、ということが度々あり、是非携帯できるリストをつくりたいと思って

いました。 今回使い始めたアプリは、かなり優れ物だと思います。

 アイホのカメラから本のバーコードを読取り登録できるのは当然として気に

入ったのはエバノートと同期できることです。 それによってPCでも対応でき

るので作業がかなり楽になります。もちろんどこの古本屋でも書店でも二度

買いは防げます、ただし蔵書全部を入力した上での話ですが。 それまで

かなり時間がかかりそうです、その間はあまり古本屋に立ち寄らないように

しましょう。


過去のなかにある未来、「赤旗」85周年。

2013-02-01 23:55:26 | 本のひと言

 今日の「しんぶん赤旗」の主張は、

「日本共産党は…今日はじめて、この『赤旗』を通じて大衆の前に公然現れ(た)」(「赤旗」創刊の辞)―「しんぶん赤旗」(当時は「せっき」)が日本共産党の機関紙として1928年2月1日に創刊されて、85周年を迎えました。日本共産党創立の6年後です。

 と書き出しています、以下を読んでいただければ……。

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-01/2013020101_05_1.html

 

 この「つぶやき」では、当時の「赤旗」の紙面から、「編集後記」を紹介します。

1928・2・1 第一号

「1、長く待たれた中央機関紙がここに発刊されるに至ったことは全党員の喜びである。(略) 2、今日の政治情勢の下においては、本誌は非合法的にならざるを得ない。(略) 3、本誌の発行部数は極めて少ない。従ってこの一部一部を最大限に利用して手から手へこれを渡し、(略) 4、本誌は当分月二回、一日、十五日発行とする。」

1928・2・15 第二号

「1、巻頭論文は総選挙後の闘争に関する我党の中心方向を示した極めて重要なものである。(略) 2、創刊号で希望したにも拘わらず、党員諸君からの寄稿乃至投稿は少ない。ただ婦人の一同志が真先に進んで寄稿された…(略)。 3、創刊号には実価をつけることを忘れたが、本紙は絶対にただではない。(略)」

1928・3・1 第三号

「1、わがプロレタリアートの最初の国会選挙戦も終え、(略)。この多端不安定なる政局のただ中に、わが党の旗は赤く、高く、進んで行く。 2、新政局に対して党は、いかに戦うべきか、(略)――狭い紙面ではハリサケルばかりだ。 3、本紙も三号でどうやら「赤旗」の名にハヅカシクないものになれたようだ。 闘争の発展は、本紙の発展だ。(略)」

1928・3・15 第四号

「我が中央機関紙『赤旗』も、今号を以つてはや四号を重ねるに至った。 労農大衆が政治的自由獲得のために、議会に八人の代議士を送り、労働者と農民の政府を作れ!と絶叫している現在……(略)。」

1928・3・22 第五号

「支配階級の暴圧は全国に亘つて我々同志を或は投獄し、或は拘留し、拷問、暴行の限りをなしている。我が『赤旗』も亦彼らの魔手によつて第五号の定期的発行を阻害せられた。(略)現在の如き彼らの死者狂いの暴圧下にあって、『赤旗』第五号が堂々発行せられることは支配階級の心胆を寒からしむることとともに全国の同志の力強き熱烈なる支持をえるであろうことを確信する」

 手元の『復刻版 赤旗』(1983年発行 新日本出版社)の第1巻には6、7号は欠号となっています。

 30年前にこの復刻版を購入したとき「過去のなかに未来を知る」という気持ちが強かったと思います。 自分が、自分たちが、家族が、地域の人々が、町の人が、日本人が、世界の人々がどういう道を通り過ぎてきたのか、それは今日の現実のなにを解決することを示しているか、それによって将来に向けて私はどうすすめばいいのか、そのためにやはり 「過去のなかに未来を知る」作業を大事にしたいと思います。


「どっこい」と全日自労。

2013-01-31 18:25:28 | 本のひと言

 映画「どっこい生きてる」について、以下のWikiの説明をそのまま借用し

ます。誰かから「手抜きをするな」のメールが入るかもしれません、確かに

こういうやり方は手抜きです。今夜これから会議ですので、御容赦下さい。

なお、映画の題名は「どっこい生きている」ではなく「どっこい生きてる」です、

訂正します。

Wikiの説明文より

人情紙風船』、『戦國群盗傳(総集篇)』などの映画作品をつくってきた前進座の戦後の映画作品。日雇い労働者の一家の食うや食わずの生活と絶望から再起に向けた格闘を描いた。ホームドラマでありながら、中流層の穏やかな生活の営みはなく、貧困との闘いや一家に降り掛かる災いを中心にドラマが展開されていく。ヴィットリオ・デ・シーカ監督『自転車泥棒』など、イタリアンネオレアリズモの作品の影響が色濃く反映したものとなっている。フランスの俳優ジェラール・フィリップもこの作品を見て、高く評価した[1]

美術監督の久保一雄が「わかれ雲」(五所平之助監督)と本作の美術で、毎日映画コンクール美術賞受賞。脚本には、記録映画出身の岩佐氏寿前進座の座付作家・演出家平田兼三。監督は、戦後の左翼映画の旗手、今井正。出演者は前進座以外に飯田蝶子岸旗江木村功が協力した。一口50円の出資者を募集して、400万円の製作費で作られた[2]

 
 全日自労について、は 『じかたびの詩』 のカバーにある説明文をそのまま書
き写します、これも手抜き、かな。
 
 戦後、失業対策事業に働く日雇労働者や失業者を中心に組織され、戦争と失業と貧乏に反対して闘い続けてきた労働組合です。
 昭和55年8月、全国建設などと組織統合し「全日自労建設一般労働組合」と改称し、建設産業を軸に下請、パート、臨時の労働者なども広く結集することをめざしています。組合員は10万人。
 機関紙 “じかたび” は、労働組合機関紙としてはただ一つ、ジャーナリスト会議賞をいけています。週一回発行、有料個人購読制で組合の内外に10万人の読者がいます。
 
 (注:この説明文は1980年8月発行の『じかたびの詩』に掲載されているものです)
 
 この二つの「説明文」についての私のコメントは別の機会に、会議へ急ぎますので……ではまた。 
 
 
 

どっこい生きている。

2013-01-30 19:50:32 | 本のひと言

 昨日の「詩・みち」には21歳になった育子さんの「言葉」が添えられていま

す、詩が「じかたび」に発表されたのが1971年4月で次の「言葉」はその10

年後のものです。

 

 「十年前の “じかたび” に詩 『みち』 が掲載されたとき、全国のおじさん、お

ばさんたちに、はげましのお手紙をいただきました。私は今、田川郡糸田宮床

団地の町立保育所に保母として勤めています。私がまだ中学生のときに、みん

なの運動でできた保育園です。母は、いま、夜おそくまで研究委員の先生に手

紙を書いています。全国のおじさん、おばさんが安心して働いていける “道” が

できるようにと。みなさん、いつまでも元気でがんばってください。私も炭鉱の落

盤で死んだ父の分までがんばります。      育子 ・ 21歳。」

 

 この「言葉」にある「研究委員」について。

 『じかたびの詩』 は1980年8月の発行で、その第3部を「拝啓 失対制度調

査研究委員様」として、そのはじめに次の文章は付されています。

 「第三部は、全日自労が1980年6月からとりくんでいる「失対制度調査研究委

員への手紙」運動のなかから、一部の手紙を収録した。労働省は、失対事業制

度をどうすべきかを五年ごとに検討してきているが、1980年(昭和55年)が、そ

の年にあたり、調査研究会(代表委員・大河内一男東大名誉教授ら7人)を発足

させた。この委員に、一人ひとりの体験をふまえた訴えをしようという運動。みんな

集まり黒板にわからない字を書いてもらい、三日も四日もかけて書いた手紙、昔を

想いだして涙にむせび鎮静剤をうって書きあげた手紙、カナばかりの手紙もある。」

 

 今朝、昨日の約束の育子さんの「言葉」と全日自労について、書くことを考えはじ

めたら、「どっこい生きている」のフレーズが浮かびあがってきました。タイトルにした

ので、映画「どっこい生きている」についても触れたいのですが、全日自労について

ももう少し書かなければなりません、併せて明日にします。


ヨイトマケの唄、「じかたびの詩 みち」

2013-01-29 23:28:33 | 本のひと言

 暮れの紅白歌合戦で美輪明宏の「ヨイトマケの唄」が大変反響をよび、

一日で2万件の書き込み、「白組で最も印象に残ったアーティストは?」

の問いに「美輪明宏が42%」と、という圧倒的な数字を示しました。

 私は当日視聴できませんでしたので、昨夜ITで見聴き、なるほど分か

る!の感想です。よろしければ下記で、見聴きして下さい。

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.youtube.com/watch?v=j7ncJpQj8Hg

 

 次の詩は 『じかたびの詩』 から (1971年4月小学校6年生の女子)

 

        み   ち              奥田 育子 (福岡・田川市)

 

  お母さんの仕事は 道をきれいにする仕事だ でこぼこの道をけずったり

  じゃりをまいたり 道の横の草をかったりする ほそうをし、みぞを作り

  町や村の人によろこんでもらう仕事だ

 

  わたしの家にも “みち” がある お父さんが死んで、悲しかった道

  小さな子どもを育てた、苦しかった道

  兄ちゃんは就職、わたしは六年生 やっときた、なだらかな道

  でも、兄ちゃんが およめさんをもらい

  わたしがおよめさんにいったりする坂道が待っている

 

  お母さんにも、失対うちきりという、怒りの道がきた

  お母さんは政府に要請ハガキを書いて

  どこまでもつづく、正しい道を きりひらくといっている

  

  お母さん、がんばれ! 

  わたしの家に明るく  しあわせな “みち” ができるまで  

 

  (今夜は詩の紹介だけで、育子さんの「言葉」と全日自労については

   明日に、なお詩の行分けは変えてあります)


「過去の中にある未来」

2013-01-28 21:52:54 | 本のひと言

 今日のタイトルは「しんぶん赤旗」の文化欄の「古書店の窓から」から

頂きました。永井荷風の『墨東綺譚』(昭和15年版)を読んでの思いが綴

られています。「本の世界に引き込まれる。荷風が生き、歩いた帝都東京

に、連れて行かれる。(略)/荷風はこの本のなかで明治維新、関東大震

災後の、江戸の風情が失われていく帝都東京のさまを嘆く。」

 

 書き手は荷風が嘆いたこの街も大空襲によって焼き払われ、この古本

が戦火からの生き残りかと愛おしく感じ、撫でながら次のように考えていく。

「古本は単に過去のかけらなのではない。あったかもしれない無数の未来

をはらんでいるものなのだ。わたしたちは、動かしがたい必然の、今、ここ、

に生きているのではなく、さまざまな偶然が重なった、今であり、ここ、に生

きているだけでなのだと、古本は教えてくれる。

 過去を手にし、過去の中にある未来を考え、わたしたちの未来を考え、わ

たしたちの今から未来を創造する。古本はそんな営みを手助けしてくれるも

のなのである。」

 

 昨日買った古本『手記 じかたびの詩 ー失業と貧乏をのりこえて』は全日

自労一般労働組合・早船ちよ 編(1980年)、「じかたび=地下足袋」はニコヨ

ンと呼ばれた時代の父の詩でもあり、私のこれからを示すものでもあります。