goo blog サービス終了のお知らせ 

葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「井上ひさしの遺言」。

2013-05-04 20:26:19 | 本のひと言

 21時からNHKスペシァル「井上ひさしの遺言」がありますので、一言だけ。

 

 鎌倉駅西口に小さな本屋さんがあります、7、8年前かと思いますがそこで

井上さんに会いました。

 例の「10分間の本屋立ち寄り」で本棚を眺めながら奥に入って行ったら一

番奥の隅に座り込んでいるおっさん風のおっさん、積み上げた本の表紙を

開きながら何か書き込みをしています。

 本にサインをしているので、?と顔を見ましたら「井上さん」でした。

 時々この本屋さんでは「著者サイン入り」本が並べられるのですが、その舞

台裏でした。

 井上さんのサイン入り本がどういう本か忘れましたが、その時もあとで店に

出された時も懐に必要な物が無く買いそびれてしまいました。

 

 今夜も見そびれないように、これでお・し・ま・い。


『ビブリア古書堂の事件手帖』 購入由来。

2013-03-30 21:12:22 | 本のひと言

 所用があって衣笠駅まで出かけ、帰りに何時も寄る古本屋に寄っていこう

としたが、無いのです。確かこの辺と思いながら行って戻って、無い、 閉店

していたのです。 そういえば、この大通りに面したかなり間口の広い本屋

(新刊本)も無くなってかなりになる、いま駅界隈では小さな新刊本の店が

一軒あるだけになっています。

 古本屋も書店も消えていく商店街が多いのではないでしょうか。本好きな

者にとってはさびしいかぎりですが、書籍の流通をめぐっては大型店とか

net販売とか様変りしていることの地域での表れでしょう。

 

 駅周辺ばかりでなく、すこし離れた所も見てみようと20分ほど歩いて、「本」

という看板に出会いました。ガラス戸を開けて入ると誰もいません、すると奥の

戸が開かれて男の人が出てきました。 普段は客もほとんでいないせいでしょう、

店番はいないのか? という感じ。山道にある茶屋で、「頼みまーす」と声をかけ

ると 「はーい」 といって出てくる感じ。

  そんなことで、ついその店で買ったのが 『ビブリア古書堂の事件手帖』 です。


「さくら色の脳細胞」に敬意。

2013-03-24 22:25:51 | 本のひと言

 山中一光氏の 『昭和史の知的人』 を三分の一ほど読み終わりました。

 期待した以上に興味ある内容で、一読したあと再読をしたいと思いながら

この内容を中心にしてKさんから話を聞きたいものだと思っています。

 

 知識人と知的人との違いは、知識人=マン・ノブ・ナレッジ(既存の知識を

もっている人)で、知的人=インテレクチュアルは未知のXに知的に働きかけ

る人である、と山中氏は区別され論をすすめています。

 「日本におけるインテリゲンツィアの形成」は幕末の1860年代、開国によっ

て直接近代ヨーロッパの現実に触れ、それをお手本とし持ち込み自ら実践す

ることで日本の近代をきずいてきた人々を一番手としています。1860年から

維新までの8年間に約400人が欧米の社会に直接接したと述べています。

 これらの人々は昭和初頭に80歳前後になっている、といいます。 その一団

の最後にあたる西園寺公望は昭和年代の手前1925年で76歳、昭和の初頭

には一番手がつくりあげた近代日本を受け継ぐ二番手が問題になってくるの

です。

 「本」は二番手、三番手……と語り、この「つぶやき」でも過日書いた野呂栄

太郎を「20世紀の七番手最初の世代」として登場させ 「ほとんで初めて、日

本の近代化そのものが、総合的、科学的に研究された」と位置付けています。

 

 いずれにしても、かなり理論的で日本をめぐる諸国の情勢も踏まえ、知的人

がどう対応すべきであったか、それに成功したか失敗したかを論じているこの

内容を97歳(7月で98)の頭脳が咀嚼し、自分の生涯と照応させながら認識

を深め得る知的作業に感銘を受けています。

 

 アガサ・クリスティの名探偵ポアロの脳細胞は灰色、Kさんの額の裏側に息づ

いている脳細胞は桜色かと想像しています。


「記録し、記憶し、反省し前進する」

2013-03-21 20:50:34 | 本のひと言

 Kさんから電話で「読ませたい本があるから、いらっしゃい」とは、一週間

ほど前。Kさんについては、以前ここで「つぶやいた」こともあるが、この7月

で98歳になる御婦人。

 今日伺うと、『昭和史の知的人』という本、山中光一という著者の名前はあ

まり聞いたことがない。なぜこれを私に読ませたいのか、Kさんの分かりにく

い話を聞きながらページをめくって分かったのは、この聞きなれない著者が

山中郁子さんの夫であるということでした。

 山中郁子さんについて本では「1974年から1992年までの時期に、日本共

産党の参議院議員として働いた妻郁子が、共産党員としてあゆんだ昭和時

代を通じて(云々)」とあります。 また、著者の叔父に当る人が慶応大学など

で野坂参三と一緒に学んだことなどもあり、日本共産党と直接的な関係があ

る著者であることから「あなた、読んでみたら」ということになったのでしょう。

 

 Kさんは本を片付け重いものをもって階段を上り下りし腰を痛めていて、痛

みを気にしながらの話でしたが、熱が入り「私の昭和史」的な内容に発展。

こちらも熱が入り「記録されないことは記憶されない」という知ったばかりの言

葉を強調し、それに加えて自製の「記憶されないことは反省しない、反省しな

いところに前進はない」などと先輩を前に「熱弁」を奮ってしまいました。

 「記録されない云々」は岩波新書の最近本『震災日録 記憶を記録する』に

紹介されている民俗学者の宮本常一さんの言葉です。Kさんとの話を話だけ

でなく、記録にし共通の記憶にしていくことが、「改憲」の企みを前に重要なこ

とです、次にはその具体化を相談しようと思います。


忘却力賛歌。

2013-03-09 21:18:04 | 本のひと言

♪♪  忘れることは困るけど

    それでもいいんだ 次のため

    新たに星数の多くをつかもう    

   困るだけじゃないんだよ

       困るだけじゃないんだよ

      今でも好きだ 知ることが ♪♪

 

 昨日は忘れることを嘆きました。 今日は一転して、忘却力賛歌。

 千昌夫の ♪ 星影のワルツ ♪ で口にしてみて下さい。

 忘れることができるから、覚えることができるのだそうです。

 

 昨日のタイムレコーダーのことも目の前のタイムよりも、600年ほど前

の応永二十五年六月一日という日付が気になっていたためだったかも

知れません。

 『風姿花伝』の終わりの日付です、1418年7月13日になるそうです。

わずか600年弱ですからそんなに古い時代でもないなーという気がし

ます。 古いどころか、七歳からの能の教育論など、これと比べたら現在

の「体罰論議」の「古さ」は目を覆うばかりです。

 そして「老人論」、 世阿弥の父のこと。

 「亡父にて候ひし者は、五十二と五月に死去せしが、その月の四日(略)

の申楽、殊に花やかにて、~花はいや増しに見えしなり、これ、誠に得たり

し花なるが故に、能は枝葉も、老木になるまで、花は散らで残りしなり、これ、

目のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」、と。

 

 芸術は長く人生も共にあれば長し、と言い替えましょう。 


古本の間から

2013-03-04 22:57:37 | 本のひと言

 野呂栄太郎のことに触れたおかげで、以前に手に入れておいた 『日本資

本主義発達史』 を開くことになり、「緒言」の頁の間に新聞の切り抜きが挟

まっていました。

 「純益増加 鉱業が第一位 十三年末の会社統計」という見出しです。

13年とは昭和13年・1938年のことです。 記事は「商工省では昭和十三

年十二月末に於ける会社統計速報を発表したがそれによると」 ではじまっ

ています、1939年の1月か2月の新聞でしょう。

 これを切り抜いた人でしょう、この本にをめくってみると、何ヵ所かの書き

込みと鉛筆及び赤鉛筆で線が引かれた頁がかなりあります。

 

 先日紹介しました 『日本資本主義発達史講座』 に挟まっていた切符も新聞

の切り抜き・書き込み・引かれた線も当時の人の姿を思わせ、「科学的要求」

から学びつつ運動をすすめていたであろう人の、伝言に思われます。


「発展史」にあらず、「発達史」です。

2013-03-02 22:38:03 | 本のひと言

 『日本資本主義発展史講座』と書き続けてきていました。不破さんの本か

らの引用でもご丁寧に「発達史」を「発展史」に変えていたので、頭のなか

はまったく「発展史」で疑うこともなくいました。 

 昔、半世紀くらい前といってもいいでしょう、「社会発展史入門」という風な

名前のテキストがあって、日本社会がどのように「発展してきた」か、これか

らどのように「発展していく」かということが「やさしく」書かれていました。

 このことが脳内にインプットされていて、「発達史」⇒「発展史」に自動転換

されたのかも知れませんが、よく考えれば「発達=発展」ではありません。

 

 野呂栄太郎は『講座』の編纂に携わる前・1930年に 『日本資本主義発

達史』 を刊行し、以下の言葉がはじめに書かれています。

 「1924-5年、日本労働学校その他における「資本論」の論述中、労働者

の質疑が常に日本歴史の現実問題に向けられていることを知り、私は、日

本社会史及び経済史に関する予ての分析を、一応、覚え書式に纏めた。

(略)、労働者の科学的要求は、私をして、進んで明治維新を契機とする日

本の政治的、経済的、社会的変革及び発展過程の分析に没頭せしめた。」

 その分析結果が『日本資本主義発達史』でした。

 

 ここに読みとれることは、「諸変革と発展過程」を規定するものは何かの

問題意識=労働者の科学的要求⇒「日本資本主義の分析」によって、明

治維新以降の「日本社会発展史」をその規定的要因である「日本資本主

義の発達史」として解明した、ということです。

 野呂栄太郎の、そして労働者の科学的要求に即して書けば、「資本主

義発達史」を「資本主義発展史」と書いては誤りなのです。

 

 「kaeruのつぶやき」とは言え、「kaeruの寝言」ではないのですこし拘り

ました、ここにこれまでの『日本資本主義発展史』を『日本資本主義発達史』

に訂正します。


ある日の野呂栄太郎と岩波茂雄。

2013-03-01 21:37:37 | 本のひと言

 まず、『日本資本主義発展史講座』とは、何かについて昨日の野呂栄太郎

と不破さんの言葉に加え、これも不破さんの説明を引用します。

  「 『日本資本主義発展史講座』 とは何か。それは、日本帝国主義の中国

侵略戦争開始の前夜に、日本共産党の理論家・野呂栄太郎が、大きな意味

で日本の民主的な改革という志を共通にするマルクス主義の研究者たちを結

集して、日本資本主義の過去・現在・前途を分析し、日本革命の展望の科学的

な基礎を明らかにする」仕事でした。

 

 この刊行計画は、1931年春ごろに始まり、同年夏(7月頃)岩波書店との交

渉になります。 ですから「ある日」というのは1931年7月の「ある日」です。もし

それが15日でしたら党創立9年目ということになるのですが。

 当然真夏の暑さ、それを上回る「講座の目的を語る野呂とそれを受ける岩波

の二人の決意の厚さ」が想像されます。 その時の話し合いを野呂から聞いた人

の記録を不破さんが紹介しています。

 「(略) 『講座』 を引き受けてもらう話をしたときに、岩波さんにこういったというの

です。 『われわれは「講座」の理論的内容について全幅の自信をもっている。それ

はただ執筆者が学者としてえらいだけではない。われわれは敵階級をもっている

のだ、われわれの理論は敵をたたきつけるための理論的武器なのだから、われわ

れの理論活動の成果の「講座」は内容としても敵に勝つだけ十分自信のあるもの

なのだといった。 岩波さんもこれに承服された』。(略)」

 

 その時、岩波茂雄・1881年生50歳、野呂栄太郎・1900年4月生31歳、でした。

『講座』の最終配本・第7回を見届けて三ヵ月後の1933年11月、党中央にもぐりこ

んでいたスパイの手引きで検挙され翌年2月獄中で33歳の生涯を終えます。

 岩波茂雄が亡くなったのは終戦の翌年・46年4月、墓は鎌倉・東慶寺にあります。


昭和15年5月25日、日本資本主義発展史講座を読む人。

2013-02-28 21:33:11 | 本のひと言

(写真をクリックすると拡大されます)

 不破さんの『歴史から学ぶ 日本共産党史を中心に』の「野呂栄太郎と『日本

資本主義発展史講座』刊行80年」を飛ばし読みして、本棚にあった『講座』をめ

くっていましたら、切符が落ちてきました。

 「15,-5,25」の数字が読めます、昭和15年5月25日でしょう。「横濱 東神奈川

↔櫻木町 3等 5銭。裏に櫻木町驛発行」とあります。挟んであったのは、『講座』

の第3回配本(昭和七年八月六日発行)の物です、上の写真です。


 昨日『講座』の第6回配本が昭和8年6月と書きました、全体としては7回配本まで

です。この『講座』がどのような意図で発行されたか、野呂の「趣意書」です

「本講座は、(略)、日本資本主義の最も包括的な科学的研究であり、その本質的矛

盾の最も根本的な分析である。しかも、われわれが当面せる諸問題の根本的解決の

ためには、本講座はわずかに解決の鍵を提供するにすぎない。われわれは、日本資

本主義の危機からの革命的活路を身をもって切り開かんとする多数読者の積極的努

力によって、始めてさらに完成せらるべきことを期待する」。

 不破さんは、「要するに、『講座』が明らかにするのは客観的分析であって、これを実

らせるのは、あなた方読者の革命的努力だという趣意書です。岩波書店もこのことを承

知してのりだしたわけで、これは大決断でした。」と書き加えています。

 岩波書店=岩波茂雄の信念、思い知るべし! ということですが、この岩波の信念を

伝えてくれる話が不破さんの本で紹介されています、明日それを……。


『風姿花伝』 4。

2013-02-27 23:24:04 | 本のひと言

 確かに、『風姿花伝』 が世に紹介され刊行され広められてきたことに、岩

波書店の創立者岩波茂雄の思い=思想を見ることができますが、だからと

いって岩波文庫「日本思想」の第一番目に、この本がすわる理由としては弱

いのです。

 

 能という芸術が武家階級に後援されていたにもかかわらず、戦勝を謳歌する

曲をつくらなかった点を注目してよい、とは「ブリタニカ百科」での言です。 武人

の魂が、救いを求めて現われる修羅能の『八島』『清経』『実盛』などに当時の

武士たちは心惹かれたに違いありません。 演ずる方も「衆人愛敬(しゅうにん

あいぎょう)=みんなから愛されること」という目的を掲げ、貴族、僧侶、農民な

ど観客に感銘を与える美学を「花」として追い求めていきます。

 

 また、和歌の本歌取りにも模せられる、古典を題材とした能作づくりでは、『古

事記』から『曾我物語』までにわたっているそうです。 さらに、新作能にはキリス

ト教に題材を求めた『使徒パウロ』のようなものや、『智恵子抄』では口語の能、

洋服の能など実験的な試みもされています。

 こうみると、『風姿花伝』にこめられた芸術精神は、日本民衆の本質的に開か

れた進取の気風を擁する精神土壌に根をはっていることに気付かされます。

 

 岩波書店は文庫を発足させた1927年から5年後、『日本資本主義発展史講

座』の刊行計画を発表し、この講座は同年・1932年5月に第1回配本を発行し、

翌年8月に第6回配本を行なっています。

 この講座と岩波書店、そして中心になった日本共産党の理論家・野呂栄太郎

について、不破哲三さんの 『歴史から学ぶ 日本共産党史を中心に』 にもとづ

いてすこし触れてみます、明日……。