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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

『認知症になった私が伝えたいこと』

2014-12-26 21:18:26 | 本のひと言

 この本の出版社大月書店のこの本の 「紹介」 です。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b185350.html 

 今、拾い読みをしています、読みやすい本ですから最初から読み出したの

ですが、バラバラめくっていてこんな所に目が止りました。

 それは「認知症介護研究 ・ 研修東京センター」 の永田久美子さんの 「解

説」 の部分です。

≪ I T機器を自身の分身として 

 佐藤さんは、発症のかなり早い時期から文字を手書きすることに苦労するよ

うになりました。 書けなくなっていくなかで、発症前からなじんでいたパソコン

に加えて、発症後に携帯電話のメールやタブレット端末の操作に新たに挑戦し

ました。(略)

 I T機器を利用して日々の 「暮らしの記憶」 を記録し、保存することが佐藤さ

んの新しい暮らしの習慣となり、I T 機器が佐藤さんの外付けの頭脳として威

力を発揮しています。

 佐藤さんは、パソコン等にとにかく保存することで、当初つきまと って離れな

かった 「忘れる不安」 から解放され、ずいぶんと安定し、のびのび暮らす自信

を得たように思います。

 そして、それらに保存された記録を見ることで、佐藤さんはその時々(人生

の大切な場面 ) 何が起こっていたのか、その詳細を確認し、時系列の変化を

いまでも追うことが可能になっています。≫

 

 この 「I T機器を自身の分身として」 の部分だけでも3頁ほどですから極一

部の引用ですが、I T 機器と認知症患者との有機的関係を示していると思いま

す。

 そしてこうしてブログで 「つぶやき」 コメントをいただき、昨日と今日を結び、明

日への己の存在を受け止めることが出来るのも、この有機的関係のすそ野の一

部ではないかと思うのです。

 

 ブログの縁も他生の縁、ひとりの認知症患者 ・ 佐藤雅彦さんへの縁でもあり

ますので、書店での立ち読みの際お役にたちますように「I T機器を自身の分

身として」 の頁を記しておきます、P191


1935年11月2日。

2014-11-03 22:53:52 | 本のひと言

 この日付そのものには月日の一日という意味しかありません。前日の一日

とか翌日の三日とかと区別するための印でしょう。それぞれがそれぞれの意

味を受け取って感じることがあればそれがその人にとってのその日です。

 

 電子書籍の一種だと思いますが、タブレットに堀辰雄の 『風立ちぬ』 を入れ

読みだして、この日付のある頁に至りました、そこには年は書かれていません

が、こう書かれています。

「十一月二日

 夜、一つの明りが私達を近づけ合っている。 その明りの下で、ものを言い合

わないことにも馴れて、私がせっせっと私達の生の幸福を主題にした物語を書

き続けていると、その笠の陰になった、薄暗いベッドの中に、節子はどこにいる

のだかいないのだか分からないほど、物静かに寝ている。ときどき私がそっち

へ顔を上げると、さっきからじっと私を見つめつづけていたかのように私を見つ

めていることがある。 「こうやってあなたのお側に居さえすれば、私はそれで好

いの」 と私にさえ言いたくってたまらないでいるような、愛情を籠めた目つきで

ある。 ああ、それがどんに今の私に自分達の所有している幸福を信じさせ、そし

てこうやってそれをはっきりした形を与えることに努力している私を助けていて

呉れることか!」

 この日付の部分はこれだけ。

 

 この部分の前は、十月二十七日で、

「 私はきょうもまた山や森で午後を過ごした。

 一つの主題が、終日、私の考えを離れない。真の婚約ーー二人の人間がそ

の余りにも短い一生の間をどれだけお互いに幸福にさせ合えるか? ~」

ではじまるある程度長い文章です。

 二日の次の日付は、十一月十日。

「 冬になる。 空が拡がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲

らしいのがいつまでもじっとしているようなことがある。~」。

 この日の部分も二日と比べると長い文章です。

 

 これらの日々を記してある章は 「冬」 で、十二月五日で終わっています。

そして、つぎの 「死のかげの谷」 に記されるのは、

「一九三六年十二月一日 K・・村にて」 です。


続 椋鳩十の描こうとしたもの。

2014-09-10 23:13:31 | 本のひと言

 ポプラ社刊 「椋鳩十全集」の第1巻の表紙です。ぼんやりしていますが、

この方が内容を知るのにはいいでしょう。

    話の内容を一行で紹介しようと、次のような紹介文があります。

「子グマを助けようとして滝つぼめがけて飛びこむ母グマの愛情のきびしさを描いた」

「小グマを守ろうとする、母グマは30メートルもある滝つぼに身を投げる・・・・・」

「子グマをつかまえようとした人間に、 いかり心頭した母グマが子グマをたすけるために、 滝のてっぺんの岩から、滝つぼめがけてとびこんだ。」

 その姿が、昨日のこの絵の母熊の部分です。

私はこの顔を見て、狼かと思いました、森の獣で怒りの表情を思い浮かべると狼の姿が浮かぶのです。

母熊の怒りの元になっているのが、二人の人間の少年で、昨日の絵にあります。

 この絵については椋さんの文章で、

≪わたしたちは、子ぐまを生けどりにするために、そのくるみの木に、二人で登りはじめました。≫

 わたしとは椋少年です。二人は森のなかで親から離れた小熊を見つけたのです。

 その様子を滝の上の岩から母熊が見て、滝のなかへ!

 母熊は≪あんな高いところから飛びこんだのでは、いくら強いくまでも、たすかりっこありません。

 かわいそうに、死んでしまったにちがいありません。わたしも荒木君も、むねがつぶれる思いでし

た。 ひと声も発することができませでした。≫

  母熊は生きていました。子くまを連れて、歩き去っていく姿をふたりは見送ります。

 

 『地獄島とロシア水兵』 を読んで。

 まず、この作品は73歳のお爺さんが中学1年生の孫と旅をするという点で、大変面白い内容で

す。 爺の感動を孫にも伝えるという爺婆世代むけの作品でもあります。その点は作品から読みとっ

ていただくとして、二つの作品に共通するものについての感想を書きたいと思います。

 全集の第1巻の 『月の輪グマ』 は椋文学の初期、『地獄島とロシア水兵』 は全集のために書き

下ろされた作品だそうで、全集刊行時期(1979年・74歳)では最終の作品です。偶々読むことに

なった椋文学の初期と最終期の作品を通じて、この著者の「生活」にたいする真摯さ、生活の根底

にある自然と正面から向き合う姿勢ということの大切さを感じます。

 『地獄島とロシア水兵』のなかの中学一年生同士の会話です。

 一彦(島の少年)は、アワビを刺し身にして、

≪「こいつを、海の水で洗って食うと、日本一にうまいぞ。」

 というと一彦は、沖の方に船をこぎ出すのです。

 「沖の水の方が、うまいのかね。」

 と、正彦(お爺さんの孫)はたずねました。

 「海の水は、どこでも同じさ、だけど、あのあたりはウニとアワビの漁場で、見島(地獄島のこと)

の者ばかりでなく、本土の人間もやってきて、海にもぐるからいけないのだ。」

 「本土の人間が海にもぐったら、なぜいけないのだい。」

 「海に生きる人間は、海を、とても大切にする。海がなければ生きられないからだ。ところが本土

からウニをとりにくる人間は、遊びにくるのだ。海に生きる人間ほど、海を大切に思わない。だから、

海にもぐったままで、小便するやつがいるんだ、ほんとうに、そういうやつがたくさんいるだ。~」≫

 それは気持ちの問題だと、二人は沖に出てウニを食べます。

 

 この部分の少年の会話をつうじて、自然と生活についてのあり方、生活思想の根底というような

ものを感じました。 「3・11」を通じて、生活の見直しが言われました。その問題を考えるとき、

椋文学が示唆を与えてくれるのではないか、という思いがします。

 生活の糧を自然に依拠している人間にとって、自然は自分の生命と一体のものです。しかしそ

こから離れた人間には遊びの場になります。子熊をとらえようとする少年の行為は遊びです、しか

し母熊という自然の前では許されない行為です。

 

 豊かな信州の自然のなかで育ち、その自然に鹿児島の海という自然をも得て育まれた椋文学に

近づく機会が与えられたことを喜びとします。


椋鳩十の描こうとしたもの。

2014-09-09 20:14:10 | 本のひと言

町の図書館で児童図書を借りるという経験ははじめてでした。

開架棚は一般書と同じ床にあるのですから、眺めてはいましたが、

借りるを本探しながら見て回るとなかなか楽しいものです。

椋鳩十の『月の輪ぐま』と『地獄島とロシア水兵』を借りました。

      

椋 鳩十全集(ポプラ社)は全26巻、第1巻が「月の輪ぐま」で26巻が

「地獄島とロシア水兵」です。上の写真の「月の輪ぐま」は別の出版社

のものです。

 下の二枚は、「月の輪ぐま」の物語のなかものですが、説明と感想は明日

にします。

  

   


コンピュータ棋士の実力。

2014-07-22 21:30:45 | 本のひと言

 2014-05-26 この「つぶやき」でコンピュータ将棋のことにふれました。

このテキストにそれに関連することが書かれていましたので、メモしておきます。

 ≪2014年3月から4月にかけて開催された、コンピュータ ・ プログラムと人間のプロ

棋士が対戦する第3回将棋電王戦は、ロボットがコマを操作することでも話題になりまし

たが、コンピュータの4勝1敗で決着がつきました。

 12年1月に開催された第1回将棋電王戦は当時の日本将棋連盟会長の米長邦雄永

世棋聖が対戦しましたが、コンピュータの勝利でした。永世棋聖は現役を引退しておら

れたとはいえ、これがプロ棋士にとって最初の敗戦でした。

 翌年には現役の実力棋士が相手した第2回将棋電王戦が開催され、プロ棋士も事前

に相当の準備をしましたが、結果はコンピュータの3勝1敗1分となり、年ごとにコンピュ

ータの実力が向上していることを証明しました。≫

 

 

 コンピュータ 対 人間の歴史では、最初にチェスでコンピュータの勝利そして将棋でも、

しかし囲碁ではまだまだ人間の方が優位という段階だそうです。

 それは推定すべき手数の差異に原因があります。

 チェスでは最初に計算すべき指手が10の120乗、将棋は220乗であるのに対して、

囲碁は360乗になり、現在のコンピュータの計算速度では不足しているとのことです。

 2013年にプロ棋士を破ったプログラム「GPS将棋」は1秒で2億7000万手を判断

するために680台のコンピュータを連動させているとのことです。

 参考までに、ということで、

≪8枡×8枡のオセロは競技の内容が単純ということもあり、手数は10の60乗しかな

いため、コンピュータは最終局面まで読切ることができ、もはや人間は勝利することが

できません。≫ だそうです。


ブログ、老いてますます……。

2014-07-20 22:02:01 | 本のひと言

 立ち寄った本屋にNHKの雑誌 「ラジオ深夜便」8月号の表紙の、

今日も元気! 87歳の人気ブロガー という文字が目にはいりました。 

開いてみると、

 82歳からはじめたブログが人気を呼び、3月にそれが本になったという内容

です、その本は、これです。

 (かなりPCの調子が悪いので、そのブログのURLを記してあとは明日に。)

「気がつけば82歳」 http://thoughts.asablo.jp/blog/


ある俳句人の「言葉」。

2014-07-06 21:52:42 | 本のひと言

 この本の 「はじめに」 からの引用です。

≪弊社が皆様のお蔭で無事創業七十周年を迎えるにあたり、何か意義のある

記念事業はないかと考えていた折、天啓のごとく閃いたのが、今次の大戦を俳

句で詠んで残そうというアイデアでした。私事で恐縮ですが、私は男ばかり五人

兄弟で全員が出征し、兄と弟は戦死、私は辛くも生き残りました。両親は昭和の

初めから松瀬青々に師事して俳句に親しんでおりましたが、その悲しみを直接

詠った俳句が一句もなく、僅かに母の回想句が数句あるだけでした。

   あきらめて居れど萩咲き月見れば   米子

 父浪華は主宰する俳誌 「青門」 に昭和27年 「跡をたずねて」 を六回のわたり

連載しました。この三男の墜落した地への慰霊の紀行文や母の句を読み、この

悲嘆を二度と繰り返してはならない、戦争体験者が存命の内に何とか俳句という

表現形式でこの戦争を記録しておかねばならない、という思いにつき動かされまし

た。これは生き残った私の義務のようにさえ思えたのでした。≫

 そしてこの人(マルホ株式会社名誉会長 高木二郎・俳号 青二郎)は、全国紙

に「昭和20年8月15日をどこでどのように迎えたか、前書きをつけて俳句を送って

ください」と募集広告を出して呼びかます。10941名が応募、昭和60年12月 『昭

和20年8月15日を詠う 昭和万葉俳句集』 を刊行し、さらに三年後 『同 前書集』

を世に送り出しました。

 この引用した言葉のあと、この本のついて語られているのですが、本の内容は

季語に関してかなり専門的になるもので、ここではその部分は略します。

  マルホ株式会社については、http://ja.wikipedia.org/wiki/マルホ


ボケないための、〇 ・ 〇 ・ 〇

2014-06-10 20:49:10 | 本のひと言

 先ほど本屋に立ち寄りましたら 『ボケないための、~』 という書名が目に

つき手にしてバラバラめくり1400+税を払い今机の上にあります。

 さて、〇〇〇にはどういう言葉を入れますか。

例えば、ボケないための健康法とか?

答えはこれです。

 

 最初のところにこんなことが書かれたいます。

≪次の俳句を記憶してみて下さい(所要時間30秒)。

   春風や麦の中ゆく水の音

 憶えたらそれを隠して、数を15数え、紙に書いてみてください。

 うまく書けましたか?

 では次に、下の俳句を二句とも記憶してみてください(所要時間1分)。

   春雨や木の間に見ゆる海の道

   雛の家ほつほつ見えて海の町

 憶えたら隠して、二句とも紙に書いてください。≫」

 

 実際にやってみた方は気がつくと思いますが、

≪ どうでしょう? 一句ではうまくいった方も、二句になると。

「あれっ? 変だな」と≫ なりますね。

 

 そこからはじまって、

理論編は 「今からでも遅くはない! 脳を鍛える五・七・五」 と

実践編が 「憶えて! 憶えて! 極めつけの名句150選」 と

続いています。

 いま、このブログを読んでいる貴方の脳のなかの「動く仕組み」

をうまく使ってボケない頭をつくろうという嬉しい話です。

 目指すは「100歳でもボケない脳を持とう!」 です。


昨夜も「赤毛のアン」のことだった筈でした。

2014-05-21 12:38:19 | 本のひと言

 赤ん坊は寝ることが「仕事」だとか言われていますが、年寄りもそうなり

つつあります。よく寝る子は育つ、よく寝る老人は?

 こんな書き出しはなにか言い訳じみたことを言う場合で、昨夜、書き込

みを抜いたブロガーの言い訳です。夕食をとったら眠くなりひと寝入りした

らブログをの積りがつもりだけに終りました。

 

 今日の本題は、これです。

 横浜(ばかりではありませんが)の有隣堂書店の広報紙「有鄰」の2000年

2月号「本とインターネット」という座談会での松本侑子さんの発言です。

 

 写真の<「赤毛のアン」の引用出典を電子図書館で検索>とあるところです。

ここの部分を引用してみます。

≪『赤毛のアン』の翻訳がこの春に集英社から文庫化されてます。『赤毛のアン』

は児童文学というイメージが強く、実際、今までのは子供むけに要約して訳され

たものでしたが、私は全文訳をやったんですよ。すると、原文に「汝、何とかしたま

え」みたいな古い文章や詩的なせりふがたくさんある。でも、アンは十一歳だから、

そんな古風な英語をしゃべるのはおかしいと思った。それはシェイクスピア劇のハ

ムレットやマクベス、バイロンやテニスンなどからの引用だったんです。≫

 その引用文の検索に威力を発揮したのがインターネットであることはこの座談会

の「題」から言っても当然です。その一例として、

≪「薔薇」「名前」「香る」という単語三つで検索すると、『赤毛のアン』 の中の一節は、

時制は違っているけれど、『ロミオとジュリエット』のジュリエットのせりふだったとか≫

と述べておられます。

 その部分は集英社版の文庫の「訳者あとがき」のなかで、

≪文中に、古い言葉づかいの、詩のような芝居の台詞のような劇的な文章やしゃれ

た言いまわしがたくさん出てくることに気がついた。たとえば≫として

「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」という一節が紹介されています。

 これを読んで、このコメントの意味が分かりかけてきました。

 名前に何があるの (赤い風車)2014-05-20 07:08:13

私のブログでも、「名前になにがあるの」をなんどか引用、、っていうか、ほとんどちゃ

しているのですけど、、そして、そのうちの半分くらいには、花子とアンにも使われた、

「「何がなるの」って書いてある本があるけど、バラがヘクソカズラなんて名前だったら、

決してあんなにかぐわしくはない」って(翻訳は私の勝手な訳ですから)セリフを使ったり、、

(略)

 多分、芦塚(赤い風車)さんは、この文庫で62頁の

≪「人は名前よりも、行いが肝心ですよ」 マリラは、ためになる教訓を垂れるべきだと、ここ

ぞとばかりに言った。

 「そうかしら」アンは思いに耽った顔をした。 「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く

香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。 薔薇が薊(あざみ)とか座

禅草(スカンク・キャベツ)とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ。」≫

に関して述べておられるのでしょう。

 座禅草(スカンク・キャベツ)より「ヘクソカズラ」の方が分かります。


今夜はこれ=『赤毛のアン』

2014-05-19 23:28:04 | 本のひと言

  まず今日の「赤旗」の「潮流」です。(太字はkaeru)

 NHKの朝のドラマ「花子とアン」のタイトルバックに出てくるアンと緑の美しい風景は、モンゴメリの小説『赤毛のアン』の舞台、カナダの東海岸の湾に浮かぶ平和な島です▼カナダは100年前の1914年、第1次世界大戦が始まると、自動的に参戦しました。イギリスから戦争の遂行について相談がなく、首相ですら新聞記事以上のことをほとんど知らなかったという、大英帝国の自治植民地でした▼人口800万人の国で、18歳以上の男性63万人を遠くヨーロッパの西部戦線に送り、塹壕(ざんごう)の中で6万人余を戦死させました。4年3カ月続いた戦争に巻き込まれるのが、村岡花子が訳した『アンの娘リラ』(新潮文庫)の青年たちです▼小説は、アンの娘リラの視線で描かれ、ドイツ軍とたたかう連合軍の勝利を祈り、赤十字少女団の活動に参加し、戦場の兄たちや友人、恋人を思い、大きく揺れ動きます。母のアンは、詩人の心をもつ次男を亡くし、悲しみにくれます▼戦争が終わり、自ら志願しながら負傷して帰ってきたアンの長男に「僕は戦争というものを十分見てきたから、戦争など起こり得ない世界をつくらなければ」と、著者は語らせています▼村岡花子は本の「解説」で、「著者モンゴメリ夫人の戦争に対する憤りや平和愛好の熱情を、私たちは読みとりたいのです」と書いています。1000万人超の戦死者を出した第1次大戦の直後に出版された作品に、第2次大戦を経験した自身の思いを大きく重ね合わせているようです。


 今年は著者 = L・M・モンゴメリの生誕140年にあたるそうです。新訳の 『赤毛のアン』 がでました。村岡花子訳

は省略本だったので、日本初の全訳文を手がけてと訳者の松本侑子(ゆうこ)さんは述べています。

 私の本棚に文庫の「アン」が何冊かありますが、自分で買った記憶はないし読んだおぼえもないので妻のものか

娘が置いて行ったものでしょう。 なにか子ども向きの本という思いもありました。

  ところが訳者の松本さんは、≪ 『赤毛のアン』 は児童書ではなく、英文学と聖書から百カ所の引用、複雑な伏線

が張りめぐらされた奥行き深く知的な文学である≫ と述べています。