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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

今夜はこれです。

2023-03-06 15:24:45 | 「がん」を読む

今夜のテレビ時間は我が家はこれです、(「しんぶん赤旗」3/6)

 夫のがんをきっかけにお互い本音で向き合う、関係を再構築していく夫婦の物語——と書くと穏やかで和やかな印象になりますが、 実際のところ相当に切ないドラマです。 個人的にも父をがんで亡くしたのでひどく身につまされます。作・吉澤智子。 演出・一木正恵。

 中学の体育教師・松本拓哉(生田斗真)は箱根駅伝にも出場した地元の人気者。一方、音楽事務所でマネジャ—をしている妻・咲良(多部未華子)は30代半ば、子どもが欲しいと願っています。 

    ある日、拓哉は肺がんと診断されます。肝臓にも転移し、治療しなければ余命半年。治療しても完治は見込めないと医師(山中崇)は告げます...…。


 「俺の命より子どもづくりのリミットの方が気になっているんじゃないか」など、余裕の無いセリフが痛い。医師の「一番大切なものは何ですか」の問いかけが響きます。患者会の会話はドキュメンタリーと思われ、ひと味違う説得力。また、がんの痛みに苦しむ場面がほぼ無いのが救いで、全編に流れる音楽も癒やしの手助けに。タイトルの「幸運」の意味とは何か、心が揺さぶられる90分です。(和田肇)

これが終わっても、23時までは引き続き「幸運なひと」で、


もう一つの 「2月20日」

2023-02-23 21:59:08 | 「がん」を読む

昨日の「つぶやき」に、

と、2月20日のことを書きました。そのあと、あるいは? と思って開いたのが、奥付です。

矢張り発行日が翌年2019年の2月20日でした。

私はこの新書を読み通していません、何回か手にしてめくって何行か、何ページか読んでは閉じていたのだと思います。この本だけでなく、そういう食いちらかしの本はいくらでも本棚にあります。しかし、今回少し読み続け出してみて、途中で読むのをやめてきたわけが分かったようです。

読めなくなってきたいたのです、そんな深刻な感じはないのですが。これを書いている人が亡くなっている、という実感の方が強まって……。

昨日の「つぶやき」に「——あとがきにかえて」の最終ページ(p228)を張っておきました。2018年11月4日の日付けと坂井律子名が記されています。

次はその前々ページからです、

ここに書かれている友人の浅井靖子さんと編集者の坂本純子さんが、2月20日発行に尽力されただろうと思います。


言霊として……。

2023-02-17 17:07:57 | 「がん」を読む

 昨日の「つぶやき」で紹介した山本勝哉さんの一文です。

 白川先生の『字訓』から、

 私は30才11か月で胆管がんを告知れた。医師は余命3か月と言った。現在85才3か月である。この間抗がん剤を投与し、最初の半年間は便秘やむかつきなどの副作用があったが、その後はなくなった。昨年7月尿路感染症となり、4か月入院した。

 退院後、逗子市桜山にある往診専門のクリニックの医師が毎週1回、自宅に来ている。そのほか、看護ステーションから週3回、看護師が来ている。さらに歩行のリハビリと足のマッサージに専門スタッフが来ている。私は4か月入院していたため、歩行が困難である。外出には介護タクシー「くるまやさん」を依頼。1月27日の逗子名曲鑑賞会をはじめ、2月11日に東神奈川で行われる増本一彦氏の追悼会には介護タクシーで行く予定だ。

 入院前、身体がずいぶんと弱っていた頃、逗子葉山に住む人は優しく接してくれ、ヨタヨタと歩いていると多くの人に「大丈夫ですか」と声をかけられた。雨に降られて濡れながら病院に向かっていると、傘をさして病院に送ってくれた人もいた。車に乗せてくれた人もいた。コミュニティーが崩壊し、殺伐としたと言われている世の中にあって気持ちがとても微笑ましくなる出来事であった。

 今、がんは増殖していると言われている。現在、ステロイドを投与しているが、このステロイドもやがて効かなくなると言う。私の現在の病気はがんのほかに尿路感染症(DIBキャップ使用)、廃用性症候群(身体を使わないと衰えていく)とのことである。医師は妻に「長いことはない」と言っているそうだが、私はあきらめていない。90才95才と生きるつもりである。

 朝晩、野菜ジュース1リットルずつ飲んでいる。さらに椎茸の汁も飲もうと思っているが、大事なことは医師も長生きは「気力である」といっている。気力は生きる希望から生まれる。

 2028年はシューベルト没後200年である。それを記念してウィーンで冬の旅・音楽散歩を行い、初日はシューベルティアーデを聞き、次の日にはシューベルトの生家と亡くなった家、お墓を訪れ、夜、ウィーン楽友協会ホールでウィーンフィルによるシューベルト 「未完成」を聴きたいと思う。3泊4日の旅である。


一人のがん患者の死

2023-01-24 23:04:05 | 「がん」を読む

 

 

「逗子葉山がん患者会」のこと - kaeruのつぶやき

葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのがこの「偶感」です。昨日もこの「偶感」が話しの中心...

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ここに「3人のがん患者」と記したのは、去年の12月26日、ですからまだ1ヶ月になっていません、が、2人目が今日午後亡くなりました、山本勝哉氏、85歳。

二人が向いていた同じ方向への歩みを強めねば、と思います。クリックして山本さんの「思い」目を通して貰えればありがたいです。


健康診断 癌 資本論

2023-01-17 21:56:05 | 「がん」を読む

このタイトルについてこちらから、

三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。

ただこの三題で落語を演ずるのは ?でしょう。でも現世は思いもよらないことが起きかねない、例えば「隣は何をする人ぞ」なぞと思い込んでいた隣人と暮らしを共にしなければならない日常がやってくることが「あり得る」のですから、この28年前の今日が起点になって、そういうことが起きていたのですから。

我身にとってみれば、その現地・兵庫県神戸市長田区を中心に1週間ほど救援という体験をしてみたことが、28年後こうして「あり得る」という思いをもって言い切れるのです。

そこで今日の「三題つぶやき」です。

健康診断に行った時肩下げカバンにこの本、「kaeruのつぶやき」でも2回ほどアップされていますが、

その本のこのページ、

この発言は柏木博さんです。

(柏木さんについては、 柏木博 - Wikipedia )

『資本論』が触れられている部分を文字にしておきます。

それから、かって読んだ本をもう一度丁寧に読み返します。20代の頃に読んだマルクスの『資本論』3巻本を再読しようとか、つまり時間を食うことをしよう、と思うようになるのです。

この本を読むまで柏木博さんとは縁もゆかりも無かったのですが、がんを通じてこの本に繋がり、このページを通じて『資本論』を読む時間の有り様を示してくれる柏木博さんと縁が繋がりました。


昨日の「つぶやき」に関連して……。

2022-12-27 09:52:31 | 「がん」を読む

今日の「しんぶん赤旗」の紙面から、

冒頭の『無人島のふたり 120日以上いきなくちゃ日記』に触れている部分を文字起こししておきます。

 この秋、非常に体調が悪く、年齢的にも一時はがんを疑った。それは杞憂に過ぎなかったが、昨年急逝した山本文緒の闘病記『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』がすごいという噂を聞いた時、これはぜひとも読まねばと急ぎ手に取った。 筆者と山本さんは一つ違いの同世代で、決して人ごとではないのだ。
 山本さんが軽い胃の不調を感じたのは一昨年の年末。 ところが昨年4月、精密検査の結果、担当医から申し渡されたのは「ステージ4の膵臓がん、余命4カ月」の宣告だった。もはや苦しい抗がん剤治療を行ってもかいがないと知った山本さんは、治療行為を断念するとともに、日一日と短くなっていく自らの余命の記録を、日記として書き残すことを決意する。
 この日記書くのもつらかったろうが読むのもつらい。例えば昨年6月6日の項にはこう書いてある。
 寝ても寝ても眠い。/お昼前に一度起きたが、倦怠感半端なく午後もまた寝る。夜になって少しマシになり、起き上がって夕食。/食後、夫と録画してあった『アメトーーク!』 を見る。/アッハッハと笑って全部見終わった
ら気持ちが無防備になったのか『あー、体だるい。 これいつ治るんだろう』と思ってしまい、『あ、そういえばもう治らないんだった。悪くなる
一方で終わるんだった』と気が付いてだーっと泣いてしまった」
 「そういえばもう治らないんだった」という気づきに日々耐えることのつらさ。 そして山本さんは本書を書き上げることで、がん患者のリアリティーを見事言語化したのである。作家の仕事であると言っていいだろう。

 

『無人島のふたり 120日以上いきなくちゃ日記』

無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―

無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―

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3人のがん患者、 「頑張らねば」……。

2022-12-26 23:06:35 | 「がん」を読む

 一昨夜知人からのメールに身内が膀胱癌になり入院することになったが、其方は如何ですかとあり、「当方の膀胱癌は今年で4年目を迎えています、3年前・2019年の7月検査手術時抗がん剤の服用がありましたが、翌月の切除手術の結果〝今後は3ヶ月おきに膀胱鏡(カメラ)でチェック〟でいいことになり、今年に入ってチェックも半年ごとに、6月に無事済み次は年末です」と返しました。

うえの一節は、今年の7月31日の「kaeruのつぶやき」からです。それを引用したのは「〜次は年末」のチェックを今日済ませてきたからです。

 

『がんから始まる生き方』 - kaeruのつぶやき

『がんから始まる生き方』というこの本は読み応えのある本ですが、かなりの部分が未読のままになっていました。一昨夜知人からのメールに身内が膀胱癌になり入院することに...

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そして今日の「タイトル」の3人とは、増本一彦氏、山本勝哉氏に私です。増本さんについては、亡くなったあとの「つぶやき」で……、

「死後の世界」としてのこの世。 - kaeruのつぶやき

「死後の世界」としてのこの世。 - kaeruのつぶやき

コロナ禍のニュースそれも世界的な広がりのなかで、ウクライナを巡る戦争か?の動きが加わる、すると健康診断の結果ですと「大腸がん」と「前立腺」の要検査が加わります。...

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山本さんについてはこちらを、

「逗子葉山がん患者会」のこと - kaeruのつぶやき

「逗子葉山がん患者会」のこと - kaeruのつぶやき

葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのがこの「偶感」です。昨日もこの「偶感」が話しの中心...

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その山本さんから声がかかり、奥さんの手料理を囲みながら気の合った5人ほどでひと時を過ごしたのは23日、と言っても夕方6時から気がついたら10時だったというひと時でした。世界情勢を話し合いたいという山本さんからのテーマで、確かに2022年末に語りあうには相応しかったです。

結果としては葉山町を世界情勢のなかに位置づける、とか葉山町を通じて世界情勢を見るとかになったのでしょう、酔うほどに論じる程に……。

何をなすべきか、ということでは増本一彦同志の遺志をどう受け止めて動くかというところに落ち着いたということです。

—————————

今日の膀胱がんのチェックでは、前立腺に関する値が要注意ということでしたが、次は来年6月ということでした。今年も身体の方は無事通過ですね、そしてあらためて23日の山本さんの元気さが思い出されました。奥さんが冒頭に「全快」と口にしましたが、そんな感じで数日前に会って話した時の顔つきとまったく違い、数年前の顔、いやよりスッキリして声もよく聴けたのです。

さて、「頑張らねば」とは娘を看取った2019年8月8日の「つぶやき」のコメントです、

昨日の「つぶやき」を見てメールで “1945年10月20 日は「赤旗」の再刊の日” だ教えてくれた人がいて「頑張らねば」の幅が広がった思いがしました。こういう仲間と共に新しい年へ向かえることは「頑張」の幅と同時に深みも加えてくれます。

 


100年一区切り。

2022-08-01 21:54:57 | 「がん」を読む

「100年一区切り」とは1世紀ということになりますが、ここでは昨日の本の話の続きで中川医師の書かれたことで、こう書かれています。'

このページは2018年12月9日の前、自分の膀胱にがんを発見する前に記した部分です。それでは12月9日以降ではどうかかれているか、

(以下p 134・135から)

もっと生きて世の中を見てみたい
 前述したように私は、酒のリスクが高いことは重々承知しながら、酒をやめようとは思いません。 人生を豊かにするため、私には酒が大事 (笑)だからです。 膀胱がんの危険因子である水溶性の化学物質(略)やその他の毒物は、膀胱に集まります。そうは知りつつ、やはり酒をやめる気にはならず、実際、退院してからもすぐに飲んでいます。(略)
コーヒーも好きなのでやめません。「美味しいもの」は口にしたいのです。
 それと同じく、人生を豊かにしたいという理由で、私は体を大切にしていくつもりです。前に述べたように、「体はせいぜい100歳までもつように使い切ればいい」という前提ではありますし、(略)体の調子が維持されればあらゆることを楽しめる……。

 人には病気や死を見たくないという本能があります。 今回の膀胱がんを通して私自身も身をもって経験しました。 人はやはり「弱い」と。その一方で、人はそうした志向を言語や論理で乗り越えていける立場にある、つまり「がんの練習」はできるのだとも、依然として思っています。 人それぞれの立場でできることはたくさんあるのですから。病気や死を避けるのは生き物として自然なことだけれど、同時に、人間はそれを乗り越えることができる、ということです。

 ここの部分で「がんの練習」と言われています。中川さんはこの本で第二章を書かれていますが、その章の冒頭で〝「死の練習」をしない日本人〟という節を設け、「死の練習」には〝がんは一番「いい病気」です〟と、〝がんは「死の練習」を可能にし、生を完成させるのに最も適した病気だと〟言うのです。要するにがんは「最も生を完成させやすい病気」だということです。


『がんから始まる生き方』

2022-07-31 03:13:40 | 「がん」を読む

 『がんから始まる生き方』というこの本は読み応えのある本ですが、

かなりの部分が未読のままになっていました。

一昨夜知人からのメールに身内が膀胱癌になり入院することになったが、其方は如何ですかとあり、「当方の膀胱癌は今年で4年目を迎えています、3年前・2019年の7月検査手術時抗がん剤の服用がありましたが、翌月の切除手術の結果〝今後は3ヶ月おきに膀胱鏡(カメラ)でチェック〟でいいことになり、今年に入ってチェックも半年ごとに、6月に無事済み次は年末です」と返しました。

こう「つぶやき」ながら3年前の「つぶやき」に目を通してみるとこの経過がどれほど有難いことであったか、その時期末期がんで逝った娘のことと重なり思いは深まります、その経過を通じて「がんから始まる生き方」の意味を見つめ直さねばと思いました。

この本の半分も読んでいないのに「読み応えのある」というのは、このなかの中川医師の書かれた部分がそう感じさせたのです。養老孟司、柏木博、中川恵一の諸氏によって成った本ですが、私の関心は中川さんに集中しました。年齢の若さもあります、養老さん1937年生まれ、柏木さん1946年、中川さんは1960年です。医師でそれも放射線治療専門医としてがん治療に当たっていた方です、その人が2人に呼びかけこの本の出版を図りました。そして執筆の途中で自らが膀胱癌に罹ったことを知ったのです。

この本の「はじめに」は中川さんが書かれていますが、その部分は、

〝さらに、原稿が出来上がろうとする頃、私自身が膀胱がんに罹患していることがわかりました。晴天の霹靂でした。こんどは私ががんの当事者になったわけです。このことは第2章に追加する形で詳しく述べてあります。なお第3章の鼎談の時点では、私は自分が抱えたがんに気づいていません。がん判明の前と後で、「がん専門医」の私の考えが変わったのか、変わっていないのかを見ていただく好機と考え、そのままにしてあります〟

「はじめに」は2019年6月と記されています。私がこの本を買ったのは2021年3月ですが、本屋でがん関連のものを探していて手にとり、この年と月を見て自分が「(膀胱癌に)やられた!」と感じた時期に出版された本だ、という思いもありました。

私は中川さんの執筆部分を読み終わってから全体に目を通そうと思っていた筈です。いまページをめくってみるとほぼ中川さん部分から全体へという頃他の本に紛れ込んだままになっていました。これを機に読み直しをしようと思います。執筆者の一人・柏木博さんが昨年12月に逝去されています、そして迎える八月は娘・直美の三周年忌でもあります。

娘が全身転移のがんを抱えながら我が家に身を委ねに来たのが、2018年12月中旬でした、

ちょうどその頃中川医師が、(本のp109)

「(この本の第2章の)原稿をまとめたあと、そろそろ見直そうかとしていた2018年12月9日のことでした。〜自分の肝臓を超音波(エコー)で定期チェックしていたところ––––。

 膀胱にがんを発見したのです。それだけではありません。告白しますが、私は自分の検査結果から、がんを見落としていたのです」

と書かれています。

 

娘の子たち、石垣島の孫の2人もそれぞれの夏休みでのひとときをジジババに会いに行くと言って来てます。ひと晩ふた晩でもゆっくりさせたいと部屋の片付けをしているなかで、この本が出てきました。

「生き方」などと正面から問いかけられるのも「がん患者」だからかも知れませんし、養老さんが「がんをタブーから外す、ほかの病気と同じ」と言っているし、何より85歳になっている身です。「生き方めいた」つぶやきを、孫にとも言わず誰彼を頭に置いてとも言わずに呟いていこうかと思います。