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デザインフェスタVol.38セーラー服おじさんスペシャル

2013年11月25日 | イベントルポ


デザインフェスタVOL.38に現れたセーラー服おじさん!
コミケやデザフェスなどの創作イベントや都内のいろんな場所に出現すると
たちまちカメラでおじさんを撮る人だかりができる、すっかり人気者の
セーラー服おじさん。タコは数年前から彼の動向が気になっており、
イベントのときは声をかけてきた。

セーラー服おじさん、彼はいったいなぜ毎回、異装で人々の前に現れるのだろう。



セーラー服に白ひげという摩訶不思議な風貌ながら見るものを癒す
不思議なパワーをもつセーラー服おじさん。

セーラー服おじさんはアイドルなのだけど、活動圏は主に
関東だ。より多くのみんなに見られてもらいたい。

タコも「いいのが撮れたら、たくさん写真をブログやツイッターに
載せてね!」と言われているので、自分はツイッターをやっていないが、
日頃のサービスにお答えして今回はまるまる
記事で紹介。もちろんセーラー服おじさんの相棒となる
ネットアイドル、豊田冴香タソもお供に登場するぜ!





いつも元気なセーラー服おじさん。このときは少し落ち着いた雰囲気の
写真も欲しいとお願いしてじっくりカメラを向けてみるタコ。

セーラー服おじさんはいつものように紳士然とした落ち着いた口調で
笑顔をたたえながら話してくれる。



イベント会場では、「あっセーラー服おじさんだ!」と人々に声をかけられ、
コミケでいうと甘栗さんレベルのかなりな撮影の
囲みができるセーラー服おじさん。彼がここまでいろんな場所で写真を撮られる
理由はなにか?






そういえば、今年セーラー服おじさんは、おじさんの存在を知らない通行人に
勝手に警察に通報される事態まで起きた。もちろん通報されるいわれはなく
事なきを得たのは周知の通りであるが、セーラー服おじさんを知らない人間も
それはいるにしても、ツイッターで気軽に画像等を拡散できるツール時代の
悪弊とでもいうのか誤解をもってその無知な人間は
感性の情弱とでもいうべき律動からただ明確な悪意と面白半分の気持ちから
通報してしまった。そして職質されるおじさんの画像を撮影してネットに
拡散した。

まあ、あさはか、幼稚というしかない話だ。






セーラー服おじさんは警察に通報されてかけつけた警官から職質を受け
人だかりができた当時のことを振り返ってくれた。
本人も「気にしてない」といいながら、おおらかな
おじさんもその時はさすがに「驚いた」という。

思うに、「サブカル的な興味等ない場所だと自分の存在を知らない人には
通報の対象となるという事態に驚いた。
自分を知らない人間だっているのはわかるにしても」。
ネット社会といえ、セーラー服おじさんがブレイクして以来、
まったく目に付いてない人間だってそれはいることだろう。しかし、である。

セーラー服おじさんが語ってくれた言葉のあいだを自分なりに埋めるとしたら
こうだろう。

コスプレなど、なにか見る人を喜ばせる異装のパフォーマンスとしての
「リアルタイム現場的価値」というもの、見せる側と見られる側の共同幻想の記号性が
瞬時にわからないまま、ただ日常から異質なものとして
通報の対象にして排除してしまうような
人間がいるという事実に驚いた、ということだろう。

そこには世の一定の人のココロの中に根ざす
一見変わった人を排除して自分の普通さに逃げ込むような行動に出る
「正常性バイアス」のようなチカラが働きかけていたようだ。

職質されるおじさんを撮影して得意げにツイッターに写真をアップした
通報者の青年のアカウントはどうなったか。
セーラー服おじさんを知るたくさんのヒト達から
たちまち非難され、炎上し、自分の身元をさらされ
結局彼は通学している高校を通じて謝罪することになったという。
「みんなのセーラー服おじさんになんてことを!!許さない!」ということである。
セーラー服おじさんの存在はリアル社会では完全に認知が
行き届いてなかったが、ネット上ではカリスマなことがわかる一幕となった。

しかしセーラー服おじさんはその場での誤解を解かれても、
「現在の情報化時代にあって情報格差ならぬ、情報知覚の格差があるという
事実につきあたり、自分自身も考えさせられるものがあった」という。

この発言でも逆説的に浮かび上がってくるのは、セーラー服おじさんの表現活動は
日常の風景に
「観る者を楽しませる」ための異化作用を引き起こすことが
目的として存在するーーことがうかがえそうだ。



セーラー服おじさんに「なぜセーラー服のコスプレで人前に出るのか?」
ということを自分は聞いてみたことは実はない。

しかし、それはセーラー服おじさんを撮った写真を観ているとおぼろげに判明する
気がする。元気よくおじさんお得意の猫まねき、片足上げのお茶目なポーズをとって
女子高生の記号ともいえるセーラー服をまとっていることで、世の中で
「かわいらしく」「萌えである」ことを観る者のココロに「萌え」たらしめているのは
じつはセーラー服を着ているのが本物の女子高生であっても、どこまでも
記号的な事象に過ぎないのではないか、ということに逆説的に
気づかされるように思える。

「カワイイ」と思えるのは実は人間でなく、その人の表情や身振りの
持つ幸福の様相である。

彼はおじさんの姿のまま、自己を表現物として
「萌え」をギリギリのラインで演出することで
人々の萌えのガイドラインを越境する。男でありながら
異化作用の線引きを乗り越える術を知っているのだ。
それは何度にもわたって街中やイベント会場で自己プロデュースした
ことで体得した本能的な「萌え表現」のスキルともいえる。

つまり、誰でも自分自身を他人が見たときに、
楽しそうで「萌える」人間としてプロデュースできる
可能性があるということをセーラー服おじさんは提示しているということだ。





「セーラー服おじさんは妙に足が綺麗」という評価を現場で見ていると
特にギャラリーの女性たちからよく聞かれる。

セーラー服おじさんも、その異化作用に必要な部分の萌え要素面のディティール強化は
しっかり心得ているということなのだろう。







気がつくとセーラー服おじさんの猫まねきポーズを真似して横で
撮られる側に回ってしまう通行人のヒト達。
人をカメラの前にたたせて萌えの被写体仲間に引き込んでしまう。。。

これぞセーラー服おじさんのかける魔法、不思議な魔力のひとつ。





いつも笑顔の「セーラー服おじさん」はその場で見た人がネットで有名な
レアな存在のヒトを観ることができたという「当たり」感を演出しヒトの気持ちを
楽しくすると同時に、
見た人がうきうきするか、楽しくなれるかという
その時の各人のココロのありようを映す、リトマス試験紙のような
存在なのかもしれない。

本人が意識しているのかどうかはわからないが、場を楽しませることが
彼の目的といっていいだろう。

セーラー服おじさんの存在をイベントや街角で笑顔で楽しめる人間は
きっとココロが豊かで萌えられる精神状態にある、
幸せな状態にあるのだろうと思う。

















豊田冴香タソとのツーショット撮影。
今夏のコミケ頃から冴香タソとセーラー服おじさんのコンビがスタートして、
セーラー服のコスプレにより記号性が高いコスプレ演技が可能になった。

デザフェス当日、セーラー服おじさんは冴香タソと現地の待ち合わせではぐれて
お互いの居場所を探していたのだった。そんなちょっと天然なところも
演出ではないかと思える感じだ。冴香タソを捜索する間もおじさんを目にした
人たちはいっぱい集まってきて、写真を撮り始める。
おじさんも人を探しているのに、思わす笑顔でそれに答えてしまう。
そしてようやく西中央ホールで2人は合流して夏コミ以来の鉄板コンビで
ダブルライダーならぬダブルセーラー服の強力パフォーマンスがスタート・






















写真を見返すと、控えめなポーズの冴香タソとハイテンションのセーラー服おじさんの
ポーズどりが妙に対をなして萌えの妙味を出している感じ。
名コンビではないでしょうか。

他人から見て「萌える」人間に皆がなれたら、夫婦でも、兄弟でも、仕事仲間でも
お互いに萌えることができて、毎日幸せな気持ちになれるかもしれない。
ヨノナカから騒乱も憎み合うことも諍いもなくなり、人類は永遠の
平和を手に入れることができるかもしれない。
TWITTERでヒトがヒトをセカイに晒したりし合って
嘲笑したり陥れたり、または他人を恐れたり
することだって、なくなるかもしれない。セーラー服おじさんは
日常の風景のなかで自らが特異点となりながら、我が身をもって、
人類に試練をもたらしているのではないか。今は笑顔をたたえているだけで、
ただ寡黙に萌えのもつ無限の可能性を福音しているのかもしれない。

そう、「萌え」を導入することで皆、ヒトは幸せになれる。

といってもすべての人間が他者から「萌えられる」人間になるのは並大抵の道ではない。

しかしセーラー服おじさんは身近なところから
それは可能であると自ら定義して改革しようとしているのではないか。

セーラー服おじさんは「萌え」の伝道者〈エヴァンジェリスト〉だ。

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