今日6月18日は、老若男女の人が弔問に来て忙しかった。
9年前 娘のカッターボート事故の話。
M校長が、自己保身のように毎日我が家に弔問にくる。そして、最後に必ず「わたしの人生で取り返しのつかないことをしてしまった」
それを娘の遺影の前で言って欲しくなくて、うちに弔問にくることを断った。決して自分のためじゃなくて、娘のことを言ってくれない。
わたしは毎日、校長に事故の状況を教えて欲しいと言った。校長は警察の捜査の時に喋った小さなメモを持って言い出した。
「これで、どのように娘が殺されたかわかりました」とわたしは言ってしまった。
校長の帰った後、おいおいと泣いてしまったわたし。そもまま一晩ねれずに考え、わたしの心のケアーのために、細江署の刑事部長が電話してくれた。
その時わたしは、「事故の状況を教えて欲しいい」と言った。刑事部長は事故の担当のN刑事をよこした。
刑事という職業の人が家にくるのは初めてだった。N刑事は、事故のことを明確に喋ってくれた。それでわたしは泣きながら、彼に聞いた。
「花菜はひどく苦しんだんでしょいうか」N刑事は司法解剖の部署にいたこともあるらしくて、司法解剖の書類を見ながら、明確に答えた。
「内臓が綺麗なので、ひどくは苦しんでないと思います」その言葉にちょっと安心した。
溺死だから苦しくないわけはないだろうけど、刑事の言葉にホッとした。
それがわたしの一番聞きたいことだった。
N刑事はそのあとも、わたしの無理を聞いて、毎月来て頂いた。
書類送検の日に初めて、N刑事に来てもらわずに済んだ。悲しくて辛い話だった。
事故当日、ビジネスホテルに泊まっている時、溺死とわかっているのに、司法解剖が終わるのを待っていた。
まさかこういう形で、苦しんでないことがわかるとは思わなかった。
死んだのに、苦しくないわけがない。司法解剖でN刑事から聞いて、泣きながら安心した。
9年前 娘のカッターボート事故の話。
M校長が、自己保身のように毎日我が家に弔問にくる。そして、最後に必ず「わたしの人生で取り返しのつかないことをしてしまった」
それを娘の遺影の前で言って欲しくなくて、うちに弔問にくることを断った。決して自分のためじゃなくて、娘のことを言ってくれない。
わたしは毎日、校長に事故の状況を教えて欲しいと言った。校長は警察の捜査の時に喋った小さなメモを持って言い出した。
「これで、どのように娘が殺されたかわかりました」とわたしは言ってしまった。
校長の帰った後、おいおいと泣いてしまったわたし。そもまま一晩ねれずに考え、わたしの心のケアーのために、細江署の刑事部長が電話してくれた。
その時わたしは、「事故の状況を教えて欲しいい」と言った。刑事部長は事故の担当のN刑事をよこした。
刑事という職業の人が家にくるのは初めてだった。N刑事は、事故のことを明確に喋ってくれた。それでわたしは泣きながら、彼に聞いた。
「花菜はひどく苦しんだんでしょいうか」N刑事は司法解剖の部署にいたこともあるらしくて、司法解剖の書類を見ながら、明確に答えた。
「内臓が綺麗なので、ひどくは苦しんでないと思います」その言葉にちょっと安心した。
溺死だから苦しくないわけはないだろうけど、刑事の言葉にホッとした。
それがわたしの一番聞きたいことだった。
N刑事はそのあとも、わたしの無理を聞いて、毎月来て頂いた。
書類送検の日に初めて、N刑事に来てもらわずに済んだ。悲しくて辛い話だった。
事故当日、ビジネスホテルに泊まっている時、溺死とわかっているのに、司法解剖が終わるのを待っていた。
まさかこういう形で、苦しんでないことがわかるとは思わなかった。
死んだのに、苦しくないわけがない。司法解剖でN刑事から聞いて、泣きながら安心した。