怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

7月18日 娘を亡くして

2019-07-18 20:29:38 | 学校に対して
私は寝る前にいつでも思っている。

花菜ちゃん、ボートの中で閉じ込められて悲しかったね。

息ができずに苦しかったね。

でもそれは、S中学が悪いんだよ。



私は娘を亡くしてから、娘が生きた証を残そうと必死だった。

S中に花菜文庫を残したり、S中の庭に、ハナミズキを同級生に終えてもらったり。

一番大きいのは、当時の教育長に6月18日を「学校命の日」として、全豊橋の小中学校に広めたこと。



私のPTSDは、お弁当用に卵焼きを作れないことだった。

娘の最後の日に、甘い卵焼きを作ったことだった。

そして私のPTSDは、電話で話すことができないことだった。

毎日泣いていた私が、泣かずに電話すると、二人に電話すると泣かれてしまった。

その上、主人の鹿児島の父に私が落ち込んでいるかどうかを、話したいと言われた。

しかし私は、義父に向かって、大丈夫だと言うことができなかった。



あと私は二度と、浜名湖は見れなかった。

涙してしまうと言う優しい義父ではなく、浜名湖を見たら怒りで自分がわからなくなると思ったから。

どうして、学校の課外授業に出席した娘は戻ってこないのだろう。



私はどうしてもS中学が許せない。