平成十三年に刊行された『大相撲人物大事典』
は、最早相撲史調査・研究に欠かせないもの…。
痛みがひどくなっており、“予備”を購入済で
よかった…。
でも、鳥渡ばかり遺憾な点もあり、故意に曲解
したのではと疑いたくなる箇所もありそうだ。
逆に、旧諸々の本に“改訂”を施した面もある。
例えば、544頁「文政10年……11月」番付末尾に
「7枚目の東西が入れ替わった番付もある…」云々。
当場所、東方幕尻に越ノ戸、西方のそれに待乳山
が「正しい」番附であることは、星取表が証明して
いる。即ち、東の越ノ戸は初日のみ出場し、西方の
関脇源氏山と対戦、一方、西幕尻の待乳山は大関
阿武松ら東方力士と取組んでいる。
でも、東・西が逆の番附も発行されたことは事実。
『相撲起顯』の番附は東方が待乳山、西が越ノ戸だ。
そればかりじゃぁなかった。西尾…岩瀬文庫所蔵
のものもミスされた番附だったのである。
は、最早相撲史調査・研究に欠かせないもの…。
痛みがひどくなっており、“予備”を購入済で
よかった…。
でも、鳥渡ばかり遺憾な点もあり、故意に曲解
したのではと疑いたくなる箇所もありそうだ。
逆に、旧諸々の本に“改訂”を施した面もある。
例えば、544頁「文政10年……11月」番付末尾に
「7枚目の東西が入れ替わった番付もある…」云々。
当場所、東方幕尻に越ノ戸、西方のそれに待乳山
が「正しい」番附であることは、星取表が証明して
いる。即ち、東の越ノ戸は初日のみ出場し、西方の
関脇源氏山と対戦、一方、西幕尻の待乳山は大関
阿武松ら東方力士と取組んでいる。
でも、東・西が逆の番附も発行されたことは事実。
『相撲起顯』の番附は東方が待乳山、西が越ノ戸だ。
そればかりじゃぁなかった。西尾…岩瀬文庫所蔵
のものもミスされた番附だったのである。