拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保六年春
場所━は、起・承・転・結のうち「起」に相当
する部分を書き終えて、現在「承」の箇所
を執筆中。
凡そ2年ぶりに本場所の土俵へ姿を
みせた横綱稲妻〔番附は大関〕だったが、
二日目の勝負づけに名がなく星取表に「や」
印が記入。翌三日目には出場しているので、
誰か対戦相手に休まれたと思える。
東方の幕下十枚目以内で二日目から欠場
しているのは新進気鋭の鰐石(後大関劔山)
だけである。
ところが、当場所六日目に稲妻VS鰐石が
顔を合せている。
果して、当時の「内規」として、序盤戦に
一旦取組が決って、何等かの支障が生じて
両力士とも「や」と記録されたものを、中盤
戦乃至後半戦に“割返す”なんて措置を採る
ことがあり得るであろうか…。
それとも、一旦休止された取組を後日に
再度決定して対戦させることはしない“慣習”
になっていたのであろうか…?
場所━は、起・承・転・結のうち「起」に相当
する部分を書き終えて、現在「承」の箇所
を執筆中。
凡そ2年ぶりに本場所の土俵へ姿を
みせた横綱稲妻〔番附は大関〕だったが、
二日目の勝負づけに名がなく星取表に「や」
印が記入。翌三日目には出場しているので、
誰か対戦相手に休まれたと思える。
東方の幕下十枚目以内で二日目から欠場
しているのは新進気鋭の鰐石(後大関劔山)
だけである。
ところが、当場所六日目に稲妻VS鰐石が
顔を合せている。
果して、当時の「内規」として、序盤戦に
一旦取組が決って、何等かの支障が生じて
両力士とも「や」と記録されたものを、中盤
戦乃至後半戦に“割返す”なんて措置を採る
ことがあり得るであろうか…。
それとも、一旦休止された取組を後日に
再度決定して対戦させることはしない“慣習”
になっていたのであろうか…?