拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第53回は、通常より多い
4ページのところを3ページまで書き終えた━と、云っ
ても全4ページのうち、実質1ページは「略歴」表なの
だから……。それはさておき、執筆中に意外な事実を
発見〔と云うのはオーバーだが…。〕したのである。
第45回の文政六(1823)年春場所星取表において、
西前頭六枚目 玉川の初日に「○温海嶽(下)」━括弧
は幕下力士であることを示しているが、これは両者の
生涯的=正真正銘の初顔合せと思われる。
いま概況を検証している文政十年冬場所の二日目、
新小結岩戸山─前頭五枚目春日山は当初、初顔だろ
うと察したら真実はちがう。前記の玉川は春日山の…、
温海嶽は岩戸山のそれぞれ“前名”なのであり、両者
の地位が逆転していたり・同じ片屋にいたりで、鳥渡
複雑な様相を呈していたのだった━。
数場所、東西の不均衡が続いていた感じなので、番
附編成で入替えを実施━すると、大抵意外な初対戦
が記録される場合もある。
4ページのところを3ページまで書き終えた━と、云っ
ても全4ページのうち、実質1ページは「略歴」表なの
だから……。それはさておき、執筆中に意外な事実を
発見〔と云うのはオーバーだが…。〕したのである。
第45回の文政六(1823)年春場所星取表において、
西前頭六枚目 玉川の初日に「○温海嶽(下)」━括弧
は幕下力士であることを示しているが、これは両者の
生涯的=正真正銘の初顔合せと思われる。
いま概況を検証している文政十年冬場所の二日目、
新小結岩戸山─前頭五枚目春日山は当初、初顔だろ
うと察したら真実はちがう。前記の玉川は春日山の…、
温海嶽は岩戸山のそれぞれ“前名”なのであり、両者
の地位が逆転していたり・同じ片屋にいたりで、鳥渡
複雑な様相を呈していたのだった━。
数場所、東西の不均衡が続いていた感じなので、番
附編成で入替えを実施━すると、大抵意外な初対戦
が記録される場合もある。