T県のK氏より頂戴していた文政二(1819)年春~
同十三(1830)年春の計23場所における、大関以下
序ノ口まで全力士━番附不掲載のものでも出場者
は網羅━しかも下の名前まで記入してある━対戦
相手つき星取表は、長期間放置していたが、現在
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」執筆の際、貴重な参考
資料となっている。
文政二年冬場所、西幕下17枚目の小柳清藏(後
横綱阿武松緑之助)の星は━
○○○○○○●○△○
━8勝1敗1預りの好成績で、七日目は東幕下18
外ヶ濱浪五郎(後幕内Ⅴ柏戸宗五郎)に惜しい相撲。
翌三年春場所、幕下15枚目で二日目みごと外ヶ濱
に“雪辱”している。
それから両者が対戦したのは7年半=15場所経る
文政十年冬場所四日目━なんで…その間取組まな
かったか━要因は小柳が西から東へ移動したため。
間隔対戦が実現したのは外ヶ濱が西へ異動したから。
尚、『日本相撲史』上巻星取表では上記幕下戦は
全然わからない。
同十三(1830)年春の計23場所における、大関以下
序ノ口まで全力士━番附不掲載のものでも出場者
は網羅━しかも下の名前まで記入してある━対戦
相手つき星取表は、長期間放置していたが、現在
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」執筆の際、貴重な参考
資料となっている。
文政二年冬場所、西幕下17枚目の小柳清藏(後
横綱阿武松緑之助)の星は━
○○○○○○●○△○
━8勝1敗1預りの好成績で、七日目は東幕下18
外ヶ濱浪五郎(後幕内Ⅴ柏戸宗五郎)に惜しい相撲。
翌三年春場所、幕下15枚目で二日目みごと外ヶ濱
に“雪辱”している。
それから両者が対戦したのは7年半=15場所経る
文政十年冬場所四日目━なんで…その間取組まな
かったか━要因は小柳が西から東へ移動したため。
間隔対戦が実現したのは外ヶ濱が西へ異動したから。
尚、『日本相撲史』上巻星取表では上記幕下戦は
全然わからない。