去る平成七年十月の拙作&私家版『相撲史発掘』第20号
に掲げた「横綱谷風梶之助 詳細星取表」の対手括弧内の
“地位”に誤りがあった。
天明六(1786)年十一月場所二日目で、「○鎌倉」の地位が
幕下〔番附外〕となっていたのは、三段目格の間違い。
但し、当場所の番附に鎌倉は載っていないので、何枚目格
と推定するのは非常に難しい。翌天明七年五月場所〔興行
中止〕番附では東三段目3に鎌倉鉄之助の名がみえる。
この鎌倉は同六年冬、大関谷風のほか幕内力士と…━。
初 日 前一 柏 戸
三日目 前五 出羽海
六日目 関脇 宮城野
七日目 前三 関ノ戸
━いずれも歯が立たず黒星を頂戴している。
天明七年冬かぎり江戸を去って、京阪の土俵へ…。
誠に赤面・汗顔の至りだが、天明六年三月の初日、
●関ノ戸(西前二)─片男浪(東三段目2)が脱落していた。
に掲げた「横綱谷風梶之助 詳細星取表」の対手括弧内の
“地位”に誤りがあった。
天明六(1786)年十一月場所二日目で、「○鎌倉」の地位が
幕下〔番附外〕となっていたのは、三段目格の間違い。
但し、当場所の番附に鎌倉は載っていないので、何枚目格
と推定するのは非常に難しい。翌天明七年五月場所〔興行
中止〕番附では東三段目3に鎌倉鉄之助の名がみえる。
この鎌倉は同六年冬、大関谷風のほか幕内力士と…━。
初 日 前一 柏 戸
三日目 前五 出羽海
六日目 関脇 宮城野
七日目 前三 関ノ戸
━いずれも歯が立たず黒星を頂戴している。
天明七年冬かぎり江戸を去って、京阪の土俵へ…。
誠に赤面・汗顔の至りだが、天明六年三月の初日、
●関ノ戸(西前二)─片男浪(東三段目2)が脱落していた。