文政期の大関四賀峰東吉と、おなじく文政期の小結
鳴滝文右エ門(←棧シ)両力士の「詳細星取表」を一応
作成した━丁度、折込み1面に収めることができた。
一応…というのは、括弧内の相手地位を未記入の箇
所があるからだ。
四賀峰━
文政四年二月場所
初 日○武藏泻
文政七年一月場所
五日目○大 空
鳴滝は、未記入のところがなかった━文政十一年なんか
未だ「江戸大相撲熱戦譜」でとりあげていないが……。
両者の個人別星取表を眺めて感ずることがある。四賀峰は
文政五年閏一月場所初日○外ヶ濱が幕下10枚目で“最低位”
であり、鳴滝は幕下“二桁”力士とは全然対戦していない。
所謂“看板力士”が減少してきた証左であろう。
鳴滝文右エ門(←棧シ)両力士の「詳細星取表」を一応
作成した━丁度、折込み1面に収めることができた。
一応…というのは、括弧内の相手地位を未記入の箇
所があるからだ。
四賀峰━
文政四年二月場所
初 日○武藏泻
文政七年一月場所
五日目○大 空
鳴滝は、未記入のところがなかった━文政十一年なんか
未だ「江戸大相撲熱戦譜」でとりあげていないが……。
両者の個人別星取表を眺めて感ずることがある。四賀峰は
文政五年閏一月場所初日○外ヶ濱が幕下10枚目で“最低位”
であり、鳴滝は幕下“二桁”力士とは全然対戦していない。
所謂“看板力士”が減少してきた証左であろう。