島原半島出身力士、最近は「鳴かず・飛ばず」だが、
江戸時代に遡れば、名力士が輩出していた。雲仙登
山口附近に墓や記念碑が在る玉垣額之助(←越ノ海
勇藏)の活躍ぶりで、この度 気づいたこと━。
文政三(1820)年春場所、六日目〔当場所最終日〕に
初日から5連勝していた小結源氏山と対戦した大関
玉垣は見事初黒星をつけて、全勝力士が消えた。
同年冬場所、初日から5連勝の前頭筆頭 荒馬と
六日目に対戦した大関玉垣は勝利を博して、前日まで
全勝ふたりとも黒星で全勝がいなくなった。
更に、翌四年春場所七日目、6連勝の関脇源氏山と
対戦した大関玉垣は難しい相撲になって「無勝負」と
判定され、全勝が消えてしまった。
玉垣の相撲で、3場所つづけて「全勝」を阻んだ結果
幕内全勝が皆無となったのである。
江戸時代に遡れば、名力士が輩出していた。雲仙登
山口附近に墓や記念碑が在る玉垣額之助(←越ノ海
勇藏)の活躍ぶりで、この度 気づいたこと━。
文政三(1820)年春場所、六日目〔当場所最終日〕に
初日から5連勝していた小結源氏山と対戦した大関
玉垣は見事初黒星をつけて、全勝力士が消えた。
同年冬場所、初日から5連勝の前頭筆頭 荒馬と
六日目に対戦した大関玉垣は勝利を博して、前日まで
全勝ふたりとも黒星で全勝がいなくなった。
更に、翌四年春場所七日目、6連勝の関脇源氏山と
対戦した大関玉垣は難しい相撲になって「無勝負」と
判定され、全勝が消えてしまった。
玉垣の相撲で、3場所つづけて「全勝」を阻んだ結果
幕内全勝が皆無となったのである。