当ブログ訪問者の方から次のような照会をメールで…。
宝暦7年10月場所、西前頭7枚目にある山姿音右衛門
ですが、宝暦13年4月から明和4年10月にかけて四段目
に見られる同名の山姿音右衛門は同一人物ですか?
回答を送信できないので、ここで━。
『江戸時代 相撲名鑑』は同一人として記載していますが
『大相撲人物大事典』では「判別できない」とあります。
尚、前者は脱落や誤謬が少なくありません。
以下、私見・愚考を列記。
①当時は“同名”力士が現代よりも多い。しかも“先代”との
間隔が短いケースも珍しくない。
②一時的に番附から姿を消して再び登場することも多い。
③当該、山姿の場合、幕内から四段目へ一挙陥落は鳥渡
想定外なので、別人の可能性の方が……。
念頭におくべきこと。現代同様の「五段番附」は明和七年
から連綿と…。明和六年以前は大抵「六段…」だった。
したがって、序ノ口は兎も角、序二段・三段目…の呼称は
矢張り穏当ではない。
宝暦7年10月場所、西前頭7枚目にある山姿音右衛門
ですが、宝暦13年4月から明和4年10月にかけて四段目
に見られる同名の山姿音右衛門は同一人物ですか?
回答を送信できないので、ここで━。
『江戸時代 相撲名鑑』は同一人として記載していますが
『大相撲人物大事典』では「判別できない」とあります。
尚、前者は脱落や誤謬が少なくありません。
以下、私見・愚考を列記。
①当時は“同名”力士が現代よりも多い。しかも“先代”との
間隔が短いケースも珍しくない。
②一時的に番附から姿を消して再び登場することも多い。
③当該、山姿の場合、幕内から四段目へ一挙陥落は鳥渡
想定外なので、別人の可能性の方が……。
念頭におくべきこと。現代同様の「五段番附」は明和七年
から連綿と…。明和六年以前は大抵「六段…」だった。
したがって、序ノ口は兎も角、序二段・三段目…の呼称は
矢張り穏当ではない。