人生にロマンスとミステリを

小説を読むのも書くのも大好きな実務翻訳者です。ミステリと恋愛小説が特に好き。仕事のこと、日々のことを綴ります。

『長い春にさよならを』

2016-04-23 12:00:21 | オリジナル短編小説
「関西作家志望者集う会」さん(https://www.facebook.com/kansai.kanitama/)が
熊本(九州地方)の地震に対する支援企画として、電子書籍を作成し、利益を全額寄付する
という企画をされています。

プロアマ・居住地を問わず、1000文字前後の作品を募集されています。5月1日締め切りだそうです。


微力ながらお役に立ちたいと、作品を書かせていただきました。
実は先に別タイトルで書いたものがあったのですが、2000字超と長すぎたため、
ベリカさんで普通に公開することにしました
(チャリティ企画用には九州にちなんだ別のを書きました)。


『長い春にさよならを』

「貴幸(たかゆき)、今日も遅いなぁ……」
 美晴(みはる)はリビング・ダイニングの掛け時計を見上げて、何度目かのため息をついた。針は午後十一時三十五分を指している。
(大学時代から付き合い始めて八年、同棲してから五年にもなれば、クリスマスイブだからって早く帰ってきたりはしないかぁ)
 美晴はダイニングテーブルの椅子から立ち上がった。
(私、来月の誕生日が来たら三十歳になるのに……。お互いまさに空気みたいな存在になっちゃったし、長すぎた春、決定かな)
美晴はテーブルの上から、紺色のリボンのかかった長方形の箱を取り上げた。お互い三十歳になる今年、もう一度恋人らしい気持ちを思い出せたらなにか変わるかもしれない。そう期待して用意したものだったが、今日は渡せそうにない。
 箱をベッドルームのクローゼットにしまい、バスルームに向かった。服を脱いで中に入り、シャワーを浴びながら肩を落とす。
(このままずるずる同棲してても……先は見えないよね)
 数日前、母から電話で『あなたたち、いつまで同棲を続けるつもりなの? 夫婦としてやっていけそうにないなら、手遅れになる前に別れたら?』と言われてしまった。
「手遅れ、か」
 美晴はつぶやいた。
「でも、やっぱり好き……なんだもん」
 一緒にいて空気のように思えるということは、一緒にいるのが自然だということ。見栄を張ったり繕ったりせず、自分らしくいられるということ。
(だから、貴幸とは一生一緒にいられると思ったんだけど……彼はどう考えているんだろ)
 忙しくて考える余裕なんてないのかもしれない。だからこそ、二人の気持ちを前に進めたくて、同棲する前のようにプレゼントを用意したのだ。でも、肝心の彼が帰ってこない。
 シャワーを終え、バスルームから出て体を拭いていたら、玄関ドアが開く音がした。
(帰ってきた!)
 美晴は体にバスタオルを巻きつけ、緊張してドキドキしながら廊下を覗いて声をかける。
「おかえりなさい」
 靴を脱いでネクタイを緩めていた貴幸が、美晴を見て、疲れた顔に驚きの色を浮かべた。
「ただいま。まだ起きてたんだ」
「うん。お疲れさま。今日も遅かったんだね」
「ああ。年末が近いからな」
「そうだよね。ごはん、温めようか? チキンのソテーとスープもあるよ」
 美晴はフェイスタオルで髪を拭きながら言った。
「あー、自分でやるよ。美晴だって仕事で疲れてるだろ? 先に寝てていいよ」
 貴幸が美晴の前を素通りしてダイニングに向かった。
「温めるくらいだから、いいよ、起きてるよ」
 美晴が声かけると、貴幸が首を振った。
「いいって。温めるくらいなら俺でもできる。ほら、もうすぐ日付も変わるし、美晴はおやすみ」
 貴幸が言った。そう言われたら仕方がない。一人になりたいのかな、と思ったとたん、美晴の心に寂しさが込み上げてきた。その気持ちを気取られないよう、低い声で「わかった」とつぶやき、パジャマを着た。歯磨きをして髪を乾かし、ベッドルームに入る。用意したプレゼントのことを思い出すと、涙が浮かびそうになった。
(クリスマスプレゼントなんて、そんな習慣、私たちの間ではとっくになくなってたのに。バカみたい)
 ベッドに潜り込んで、悲しみを追い出そうとギュッと目を閉じた。幸いにも、勤務先のアパレルショップで忙しく働いたからか、疲れた体はすぐに眠りに落ちた。

***

 翌朝、美晴はいつもの習慣で、目覚ましアラームが鳴る前に目を覚ました。
「ふ……あぁ」
 暖かな毛布から両手を出して大きく伸びをした。左側のサイドテーブルでは、デジタル時計の緑の文字が六時二十分を表示している。アラームが鳴るまであと十分ある。
(眠た……)
 両手で目をこすろうとして、何か硬いものが左目の下に触れ、ハッと手を止めた。目を凝らして左手に焦点を合わせ、薬指にある見慣れないものを見る。
(え!?)
 一瞬にして眠気が吹き飛び、右手を伸ばしてサイドテーブルの上のライトをつけた。淡いオレンジ色の光を浴びて、左手の薬指でプラチナの指輪に抱かれた大粒の石がキラキラと輝いている。
 美晴はベッドに起き上がり、右隣で穏やかな寝息を立てている貴幸を見た。
(まさかこれ、私が寝てる間に、貴幸がはめてくれたの……?)
 どうしようもなく胸が震えて、涙が込み上げてくる。
(貴幸も私と同じこと、考えてくれてたの!?)
 美晴はベッドから下りてクローゼットを開け、長方形の箱を持ってベッドに戻った。
(ねえ、新しい財布がほしいって言ってたよね? 好きなブランドのだし、喜んでくれるかな?)
 美晴は貴幸の枕元に静かにプレゼントを置いた。
 ベッドにそっと膝を載せたとき、スプリングが弾んで貴幸がなにかつぶやくような声を漏らし、ゆっくりと目を開けた。
「美晴」
 ぼんやりと瞬きを繰り返した彼は、美晴が正座して泣いているのを見て、ガバッとベッドに起き上がった。
「どうした? 何かあったのか?」
「あったよ」
 美晴は左手を彼の方に差し出し、指輪を見せた。
「気に入らなかった……?」
 貴幸に訊かれて、美晴は首を振る。
「すごく……嬉しくて……涙が止まらないの」
 貴幸が安堵の息を吐き、美晴の両手を握った。
「絶対に受け取ってほしかったんだ。だから、断られないよう寝ている間にはめた」
 いたずらを咎められた子どものように、貴幸が小さく笑った。だが、すぐに真顔になって、涙に潤んだ美晴の目を見つめる。
「今まで美晴と一緒にいて、これからも一緒にいたいと思ったんだ。美晴がいてくれたから、卒論だって就活だって仕事だってがんばれた。美晴がいてくれたら、これからもなんだって乗り越えられる。美晴のいない人生なんて考えられない。結婚してほしいんだ」
 彼の言葉も表情も真剣だった。でも、髪には寝癖がついたままだし、頬にはひげも伸び始めている。ロマンチックにはほど遠いけど、それが私たちらしいのかも、と美晴は思った。
「はい」
 そう答えたら、胸の中で幸せが大きく膨らんで、自然と暖かな笑みがこぼれた。

【END】
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