昨日寝る前、思いついて短編を書きました。ホントは仕事しようと思ってたのに、
現実逃避の悪魔のささやきが……(笑)。
『好きって言ったらどうする?』
午後八時。オフィスの総務課フロアにはもう誰もいない。一緒に入力を担当している先輩社員が忌引きで休んでしまい、私一人でずっとパソコンのキーボードを打っていた。でも、そろそろ限界。コーヒーでも飲んで一休みしよう。
総務課を出てエレベーターの前を通り、自動販売機コーナーに向かった。お金を入れてブラックコーヒーを買い、壁を背にしたソファに座る。
はぁ……。
ため息をついて壁にもたれたとき、廊下を歩いてくる足音がした。
「あれ、梅(うめ)ちゃん」
ひょいと自動販売機コーナーを覗いてそう言ったのは、一年前の四月一日に一緒に入社した同期の竹本(たけもと)純平(じゅんぺい)だ。同期にはほかに松井(まつい)孝弘(たかひろ)って男子もいて、私、梅谷(うめたに)莉乃(りの)と併せて“松竹梅トリオ”なんて呼ばれてる。そのせいでなんとなく仲良くなっちゃって、入社直後は三人で一緒に飲みに行ったりカラオケに行ったりした。寡黙な松(しょう)ちゃんとは違って、竹ちゃんはおしゃべりで明るい。仕事でミスして落ち込んでも、竹ちゃんに愚痴って笑い飛ばしてもらえたら、不思議とすっきりするんだ。
でも、竹ちゃんは営業一課、松ちゃんはシステム課で、それぞれ仕事が忙しくなり、最近は三人どころかどちらか一人と会うこともあまりなくなった。だから、こうして竹ちゃんと二人きりになるのはすごく久しぶりで、嬉しくなる。
「あれ、竹ちゃん」
竹ちゃんの口調をまねて言ったら、竹ちゃんが二カッと笑った。
「残業?」
「うん。竹ちゃんも?」
「おう。今営業先から帰ってきたとこ。これから報告書を作成せにゃ~」
竹ちゃんがだるそうに言いながら、自動販売機に硬貨を入れた。ガコンと音がして、取り出し口から同じブラックコーヒーを取り出した。
「入社してからもう一年も経つんだね~」
私は言って、缶コーヒーのプルタブを引いた。竹ちゃんが私の隣に座って言う。
「あー。そういや今日は四月一日だもんな」
「うん、エイプリルフール」
私が缶コーヒーに口をつけたとき、竹ちゃんが私に流し目を送った。黙っていれば色気すら感じる切れ長の二重の目が、じっと私を見つめている。
「あのさ」
「うん」
「俺がおまえのこと……好きって言ったらどうする?」
「ぶっ」
竹ちゃんの突然の言葉に、私はあやうくコーヒーを吹き出しそうになった。竹ちゃんはコーヒーの缶を両手で握って、真剣な目で私を見ている。その眼差しに、鼓動がトクトクと高くなり始める。
いや、待て。『竹の方が梅よりも上なんだから、俺を敬えよな』『梅は竹と松のためにパシられろ』なんて憎たらしい口をきく竹ちゃんのことだ。絶対にこれは嘘だ。嘘に決まってる。だって、『そういや今日は四月一日だもんな』って前振りでしょ?
私も同じようにまじめな顔を作って言う。
「じゃあ、私も好きって答えるかな」
竹ちゃんが缶コーヒーをソファの横に置いた。そうしておもむろに私を見た。
「じゃあさ」
ゴクリとつばを飲み込んで、びっくりするほどまっすぐな眼差しだ。
「俺がおまえに……キスしたいって言ったらどうする?」
「えっ」
心臓がドキンと跳ねた。
いや、待て。待て待て。今日はエイプリルフール。竹ちゃんの盛大な嘘なんだろう。
「いいよって答えるかな」
私が言ったとき、竹ちゃんが私の方に身を乗り出したかと思うと、私を囲うように顔の両側に両手をついた。竹ちゃんに両手で壁ドンされて、彼がまつげを伏せて顔を傾けてきて、鼓動がどんどん大きくなる。
なんで? なによ! いつ「嘘だよ、バァカ」って言うの!? このままじゃホントにキスしちゃう……!
そう思ったときには、私の唇に竹ちゃんの唇が触れていた。
「たけちゃ……」
名前を呼ぼうとしたら、唇を強く押し当てられた。仰け反ろうとしても後頭部が壁に当たっていて、身動き一つ取れない。
やだ。エイプリルフールのキスなんてやだよ。私、竹ちゃんのこと、同期以上に想ってるのに……!
もう一度名前を呼ぼうと唇を開いたら、竹ちゃんの舌が滑り込んできた。歯列をなぞられ……口の中をまさぐられて……まるで本気みたいなキス。体が熱くなって……本気で溺れてしまいそう。
でも、竹ちゃんのことだから、いつもみたいに私をからかってるんだ。梅だってたまには竹に反撃するんだぞ!
竹ちゃんの唇が離れた。少し潤んだような目をしている竹ちゃん。その彼に言ってやる。
「ここには防犯カメラがあるんだよ!」
「えっ」
竹ちゃんがぎょっとして振り向いた。その隙に私は彼の腕の間から抜け出し、ソファから立ち上がって竹ちゃんを見下ろす。
「嘘だよ、バァカ」
「なっ!」
竹ちゃんが勢いよく立ち上がった。私より二十センチくらい高い位置から私をキッと見下ろす。
「バカはないだろ、バカは」
竹ちゃんの顔が怒って赤くなった。
知らない。私だって怒ってるんだから。あんなキス、嘘でしないでよ。
「バカはそっちだよ」
私はつんと横を向いた。目の端に映る竹ちゃんの拳が震えている。
「俺の……」
「え?」
竹ちゃんの方を見たら、彼の目がさっきよりも潤んでいた。
「俺の本気のキスを返しやがれ、このやろう!」
「え?」
竹ちゃんの言葉に私は瞬きをした。
いや、待て待て。あくまでも私をだますつもりなんだよ、このおちゃらけた男は。
「いくらでも返してあげますよ~、どうぞ~、エイプリルフールですから遠慮なく~」
私の言葉を聞いて、竹ちゃんが右手で顔を覆った。そうして頬を真っ赤にして言う。
「違うんだよ。エイプリルフールのつもりじゃ……」
竹ちゃんは前髪をかき上げて「くそっ」とつぶやいた。
「私、まだ仕事あるから、もう行くね。これ以上四月馬鹿に付き合ってらんない」
そう言って歩き出そうとしたら、右手を竹ちゃんに掴まれた。振り返ったら、竹ちゃんが必死の形相をしている。
「明日。明日仕事が終わったらここに来い」
「なんで?」
意味がわからず見返す私に、竹ちゃんがふてくされた顔で言う。
「明日だったら信じるんだろ?」
「なにを?」
「俺が本気で言ってるって!」
竹ちゃんが真っ赤な顔で怒鳴った。
それって……もしかして……?
嬉しくなって頬が緩みそうになる。ホントにホントなの?
「じゃあ……あと四時間したら、またキスしてくれる?」
私が言ったら、竹ちゃんが一度瞬きをした。
「それって明日になるまで一緒に過ごそうってこと?」
「え? あ!」
そんな意味に取る?と思ったときには、竹ちゃんに手を強く引かれ、彼の腕の中にとらわれていた。
「ちゃちゃっと報告書を仕上げるよ。だから一緒にメシ食いに行って、それから明日の朝まで一緒に過ごそう」
「それ、本気?」
私の問いかけに、耳元で彼が答える。
「本気。俺は嘘でキスしたり抱いたりしない」
竹ちゃんの言葉がやけに甘く耳に響く。
「私も、だよ」
背中に回された竹ちゃんの手にギュッと力がこもった。
嘘のつもりで本音を伝えられたのは、エイプリルフールだから、かな。