お早ようございます。主の平和。『死海のほとり』を続読。日本の巡礼団の随行牧師との議論が面白い。現在のエルサレムは観光用。イエスの時代のエルサレムは地下深くに埋められているとのこと。午後からIKEAでLEDのライトを購入。蓄電型はまだいいのがない。大阪王将で餃子を持ち帰り。ビールとよく合う。韓国大統領が竹島上陸しても何も手を出せない日本政府。犬の遠吠え。メディアの取り扱いも小さい。10時半に就寝。今朝は5時起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:14:11
#losungenj 08.11(sat) 神はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。(Job31:4)
posted at 05:26:37
#losungenj わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。(2Cor5:10)
posted at 05:27:08
#losungenj 私の黙想:
ヨブは、神に対して人に対して無罪を主張する。ヨブの無罪を最もよく知っているのはヨブ自身であり、神だという。この主張の中に「原罪」という観念は全くない。「原罪」などという後の時代のキリスト教が生み出した観念が、神と人間との関係を歪めている。誤解を避けるために一言付け加えておくと、ヨブの問題は「罪」の問題ではなく、人間が置かれている「場」の認識の問題である。ヨブは神とサタンとが設定した「場」を知らない。そこにヨブの問いがある。人間は自己が置かれている「場」を知らない。ハイデガーの「投企(投げ出された存在)」であることを認識できない。
posted at 05:32:04
今日の名言:RT @meigennavi:
うまくいかない場合に備えて、必ず「補足説明」という逃げ道を用意せよ。(「マーフィーの法則」)
<一言>FBの「コメント」という機能はとても便利です。いい足りなかったこと、後で思いついたこと、間違いを訂正したい場合に「補足説明」できる。Twにはこの機能がない。
posted at 05:49:10
お目覚めの花。つい声を掛けたくなる人。でも「名も知らず」ただジーッと眺める。こんな経験したことありませんか。
上野 博志 教会員の兄弟と外で出会った時、顔を覚えているのに、名前が思い出さない。だから、お互いの共通の話題から入りながら、思いだそうとするが思いだせない。「じゃあ、また」と後味の悪いまま別れる。名前ほど大切なものはありません。
文屋 善明 名前は大切です。でも、花の場合、全ての花の名前を知っているわけではなく、また地方によって異なった呼び方をすることも結構あります。一番の問題は「雑草」という言い方です。それで私はあえて花の名前はできるだけ口にしないようにしています。「美しい花」それで十分です。
文屋 善明 それに、花ぐらい「名前」ではなく「表情」を読み取りたいと思っています。それが私の「お目覚めの花」との対話です。
「昨日のツイート 08/10」をブログにアップしました。 http://t.co/afBCGU41
posted at 06:25:25
遠藤周作『死海のほとり』読了。前に読んだとき見落としていた場面が心を揺さぶる。特に十字架の場面は、アルパヨの視点と百卒長の視点とを交錯させ、生々しく描かれている。何と言ってもこの作品に深さを与えているのはイエスの十字架をナチのユダヤ人収容所と二重写しで描かれている点であろう。
posted at 15:48:55
ということで、やっと『寅さんとイエス』に戻れます。第3章「つらさ」についてからです。著者は第1章の「人間の色気」を起、第2章の「フーテン」を承、第3章の「つらさ」を転、第4章の「ユーモア」を結として全体を構成しているとのこと。面白い。
posted at 15:58:42
「<講釈>湖上を歩く マルコ6:45-52」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/910925e54e4ac450c99bbde3aa8f50ae
<FBより>
加藤佑三 あと2時間ぐらいで、三重県の小1の初孫が帰省してくる。一昨日から準備して万端。気を使うし、体力も消耗する。家も汚される。お金も無くなる。な-んにも良い事が無いのに、凄く嬉しく、楽しみだ!!。
文屋 善明 何でだろう~、何でだろう♪♪ こちらには13日月曜日から20日まで奈良一族(4人組)が来襲します。
<補遺>明日から我が家には台風が近づいているので、今日は体力を整えておかねば。
posted at 05:14:11
#losungenj 08.11(sat) 神はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。(Job31:4)
posted at 05:26:37
#losungenj わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。(2Cor5:10)
posted at 05:27:08
#losungenj 私の黙想:
ヨブは、神に対して人に対して無罪を主張する。ヨブの無罪を最もよく知っているのはヨブ自身であり、神だという。この主張の中に「原罪」という観念は全くない。「原罪」などという後の時代のキリスト教が生み出した観念が、神と人間との関係を歪めている。誤解を避けるために一言付け加えておくと、ヨブの問題は「罪」の問題ではなく、人間が置かれている「場」の認識の問題である。ヨブは神とサタンとが設定した「場」を知らない。そこにヨブの問いがある。人間は自己が置かれている「場」を知らない。ハイデガーの「投企(投げ出された存在)」であることを認識できない。
posted at 05:32:04
今日の名言:RT @meigennavi:
うまくいかない場合に備えて、必ず「補足説明」という逃げ道を用意せよ。(「マーフィーの法則」)
<一言>FBの「コメント」という機能はとても便利です。いい足りなかったこと、後で思いついたこと、間違いを訂正したい場合に「補足説明」できる。Twにはこの機能がない。
posted at 05:49:10
お目覚めの花。つい声を掛けたくなる人。でも「名も知らず」ただジーッと眺める。こんな経験したことありませんか。
上野 博志 教会員の兄弟と外で出会った時、顔を覚えているのに、名前が思い出さない。だから、お互いの共通の話題から入りながら、思いだそうとするが思いだせない。「じゃあ、また」と後味の悪いまま別れる。名前ほど大切なものはありません。
文屋 善明 名前は大切です。でも、花の場合、全ての花の名前を知っているわけではなく、また地方によって異なった呼び方をすることも結構あります。一番の問題は「雑草」という言い方です。それで私はあえて花の名前はできるだけ口にしないようにしています。「美しい花」それで十分です。
文屋 善明 それに、花ぐらい「名前」ではなく「表情」を読み取りたいと思っています。それが私の「お目覚めの花」との対話です。
「昨日のツイート 08/10」をブログにアップしました。 http://t.co/afBCGU41
posted at 06:25:25
遠藤周作『死海のほとり』読了。前に読んだとき見落としていた場面が心を揺さぶる。特に十字架の場面は、アルパヨの視点と百卒長の視点とを交錯させ、生々しく描かれている。何と言ってもこの作品に深さを与えているのはイエスの十字架をナチのユダヤ人収容所と二重写しで描かれている点であろう。
posted at 15:48:55
ということで、やっと『寅さんとイエス』に戻れます。第3章「つらさ」についてからです。著者は第1章の「人間の色気」を起、第2章の「フーテン」を承、第3章の「つらさ」を転、第4章の「ユーモア」を結として全体を構成しているとのこと。面白い。
posted at 15:58:42
「<講釈>湖上を歩く マルコ6:45-52」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/910925e54e4ac450c99bbde3aa8f50ae
<FBより>
加藤佑三 あと2時間ぐらいで、三重県の小1の初孫が帰省してくる。一昨日から準備して万端。気を使うし、体力も消耗する。家も汚される。お金も無くなる。な-んにも良い事が無いのに、凄く嬉しく、楽しみだ!!。
文屋 善明 何でだろう~、何でだろう♪♪ こちらには13日月曜日から20日まで奈良一族(4人組)が来襲します。
<補遺>明日から我が家には台風が近づいているので、今日は体力を整えておかねば。