ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/16 奥野誠亮氏の証言

2015-10-18 08:14:07 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。整形外科。「三木清」続読。「時局と政治」「輿論の本質とその実力」。昼寝1時間。知久が来る。釣川堤防散策。夜、「科捜研の女」(新番組)を見る。10時半に就寝。熟睡。5時起床、体調・快調。チュン、チュン。
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吉岡 卓さん、東山 富昭さん、松井 貴志さん、他19人が「いいね!」と言っています。
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村田 多鶴子 おはようございます~♪ 先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配り、母の病院の付き添いにいきます。良き日となりますように。お祈りします。

藤木 冨士子 またも、今晩は~。
posted at 05:34:09


文屋 善明
10月16日 6:18 ·
今日の名言:@tw005gt
人生は楽しむためにあります。楽しいことは、出来事の中にあるのではなく、あらゆることが楽しいと思える心にあります。(本田健、『ユダヤ人大富豪の教え』の著者)
<一言>面白いことをいう人だ。お金と幸せについての著書が多いとのこと。まぁ、いいや。これはこれで。
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西堀 俊和さん、東山 富昭さん、岡 輝美さん、他25人が「いいね!」と言っています。
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播 稔 大富豪だからなー。

二上 英朗 パウロさんこそ
posted at 06:18:24

「昨日のツイート 10/14 安倍首相の報道禁止命令!」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/c30cb60faa8eea4054f4a2939a2bf49…
posted at 06:47:47


文屋 善明
10月16日 7:59 ·
NHKこころ旅。広島市内、平和記念公園にて。呉市蒲刈町大浦港から見た、3組の島、みかん畑の思い出。広駅に到着。上蒲刈までバスで輪行。大きな巻き寿司、4切れで1人前分。厳しい登り坂。どんどん急坂になる。来週は山口県。
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東山 富昭さん、藤木 冨士子さん、竹本 耕造さん、他12人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:39


文屋 善明さんが新しい写真2枚を追加しました
10月16日 6:09 ·
お目覚めの花。「物陰にひっそりと咲く花」「檻に閉じ込められている花」「しかし、どっこい、ちゃんと咲いていますよ」。
文屋 善明さんの写真

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堀 俊明さん、東山 富昭さん、Fumiko Mamuraさん、他42人が「いいね!」と言っています。
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村田 多鶴子 ツワブキですね。
じっと見ていると、「困難に傷つけられない」「先を見通す能力」「謙遜」等の花言葉があるのが分るような気がしてきます。

杉浦 紀明 石蕗の花が咲き始めたのですね。こちらも楽しみです。


文屋 善明
10月16日 5:59 ·
2015日々の聖句 10月16日(金)
エルサレムよ、あなたの城壁の上にわたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。(イザヤ62:6)
絶えず祈りなさい。(1テサロニケ5:17)
私の黙想:
「見張り」とは黙って見張るものである。見張りが喋っていたら見張りの役目を果たせない。今日の聖句は一体どういう意味なんだろう。と思いながら、この章を読むと、1節から「私は黙さない」という主の言葉に出会う。どうやら、ここではエルサレムの復興のことを語ってるらしい。それも実に喜ばしい復興、ヤハウェとエルサレムとの結婚にたとえられる喜び、新郎新婦の祝宴から初夜へと続く興奮の時の経過、一瞬の時も無駄に過ごしたくない、だから「眠ってはならない」。この見張りは、若い夫婦を眠らせない為に「黙してはならない」。何か、朝からロマンティック(エロティック)な情景である。と、これは私の勝手な妄想。
これに続く後半の言葉、「主に思い起こしていただく役目の者よ決して沈黙してはならない」を口語訳では、「主に思い出されることを求める者よ、みずから休んではならない」とあり、私の妄想もまんざらではなさそうである。今朝の「妄想」はそれぐらいにしておく。
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大野 泰男さん、東山 富昭さん、藤木 冨士子さん、他20人が「いいね!」と言っています。
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清水 行雄 おはようございます。口語訳では、「昼も夜もたえず、もだすことのないようにしよう。」となっていますね(^_^)

文屋 善明 妄想も黙想のうち。


文屋 善明さんが9GAGさんの写真をシェアしました。
10月16日 6:22 ·
ざまぁ見ろ!やったね。
9GAGさんの写真

https://www.facebook.com/9gag/photos/a.109041001839.105995.21785951839/10154107656356840/?type=3&theater

9GAG
10月15日 10:30 ·
When someone keeps saying you will fail, bear this proverb in mind.
http://9gag.com/gag/aWORvQ4?ref=fbp


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糸原 由美子さん、藤木 冨士子さん、松下 光雄さん、他11人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
10月16日 8:48 ·
今日の「折々のことば」。短歌絶叫の歌人、仏教の住職でもある。「60年反安保闘争」の挫折を歌う。あの挫折感が70年反安保闘争に引き継がれ、さらに15年反安保闘争に至っている。「抗う側」は繰り返し敗北を経験するが、そこからまた新しいエネルギーを得て立ち上がる。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=910538032356992&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

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岡 輝美さん、北村 良輔さん、Yoshinobu Toboさん、他21人が「いいね!」と言っています。
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吉岡 卓 福島さんとはときどきお会いする機会があります。
とても気さくでユーモアのあるおかたです。

文屋 善明 そうですか。私はこの言葉の中で「ぼくのためもっと電車よ、真面目に走れ」という言葉に、内にあって絶対消えない「怒り」を感じ、ドキッとします。鷲田先生は「何ごともないかのように定時に運行する電車」と体制の頑固さを表現しておられますが、それに対する「まじめ」との間の深いギャップが「詩的」ですね。
植村 光郎 同感です。1960年6月16日早暁、国会議事堂の前、夜が白々明けてゆく様を思いだします。

文屋 善明 私は60年安保の時は、修道院みたいな所に入っていましたので、全く無関係に過ごしていました。70年安保の時には、遠くの方から小さな声で叫んでいましたが、その時、私の隣には、60年安保の時、機動隊から警棒で頭を殴られた友人が、その当時のことを話して聞かせてくれました。


文屋 善明さんが新しい写真12枚を追加しました
10月16日 17:32 ·
今日は雲一つない青空に誘われて、おにぎりを持って海の中道公園に出かけ、コスモスに囲まれて弁当を開きました。珍しい緑色のコスモス、天国につながるベルトのように伸びていました。

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北村 良輔さん、豊田 滋さん、大垣 收ピーターさん、他50人が「いいね!」と言っています。
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村田 多鶴子 見事なコスモスたちですこと!

有澤 慎一 わぁー!キレイなコスモスですね。

細谷 民子 ほんとに素敵な、青空とコスモス。きれいですねー。

播 稔 広いコスモスの花園ですねー。

Kenji Sakahara · 共通の友達: 田中 恵子さん、他3人
空とのコントラストが素晴らしいです!


文屋 善明さんがBarkBoxさんの動画をシェアしました。
10月16日 17:35 ·
hahaha!

再生23,697,491回
BarkBoxさんが新しい動画をアップロードしました
8月8日 ·
"Oh Mickey, you're so fine. You're so fine, you blow my mind!"

via Crusoe the Celebrity Dachshund

翻訳を見る
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角本 尚彦さん、糸原 由美子さん、矢野 寛子さん、他24人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 お疲れさま~(^〇^)


文屋 善明さんが新しい写真14枚を追加しました
10月16日 17:52 ·
海の中道公園、今日のコキア。コキアとコスモスとの共演。
文屋 善明さんの写真

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中野 芳夫さん、松井 理直さん、北村 良輔さん、他47人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 可愛らしいですね。

村田 多鶴子 わぁ~、見事に紅葉しましたね~♪(^^♪

文屋 善明 今年は台風のため育ちがあまりよくないですが、とにかく良い紅葉です。

小貫 ツマ 素敵な紅葉ですね。写真も素晴らしいです。


文屋 善明さんが新しい写真12枚を追加しました
10月16日 19:13 ·
海の中道のシンボル、観覧車の撤去工事が進んでいます。大きな車輪の中をくぐり抜ける、飛行機。こういう場面も、もう撮れません。昔、あそこには大きな観覧車があったんだよ、と話しても、果たして通じるだろうか。
文屋 善明さんの写真

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北村 良輔さん、Yoshinobu Toboさん、播 稔さん、他22人が「いいね!」と言っています。
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萩野 秀子 寂しくなりますね


文屋 善明
10月16日 19:37 ·
これは日本の敗戦前後の状況を語る第一級の歴史資料です。
田中 隆夫さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10207878914792269&set=pcb.10207878918632365&type=3&theater


10月16日 13:05 ·
先の文書焼却記事の全文です。
★占領前文書焼却を指示…元法相 奥野誠亮さん 102才 読売新聞
2015年08月11日 05時20分
おくの・せいすけ 1913年、奈良県生まれ。東大法卒。38年、内務省入省。自治事務次官を経て63年衆院選に自民党公認で初当選し、13回連続当選。文相、法相、国土庁長官などを歴任し、2003年に政界を引退した。現在、アジア福祉教育財団名誉会長。
 「総理(鈴木貫太郎首相)は戦争の終結を固く決意している。ついては内務省で戦争終結処理方針をまとめてもらいたい」。1945年8月10日朝、迫水久常・内閣書記官長から、内務省に極秘の要請があった。

 そこで、灘尾弘吉内務次官の命を受け、内務省地方局戦時業務課の事務官(現在の課長補佐クラス)だった私が各省の官房長を内務省に集め、終戦に向けた会議をひそかに開いた。

 ポツダム宣言受諾について、9日深夜から御前会議をやったが、内閣としては閣議で決定できていなかった。内務大臣(内相)の安倍源基さんは「日本の国体はどうなるのか」と執拗に迫り、受諾を承知しなかった。「国体護持」の考えが皆にしみこんでいたからね。内相が頑張っている中、我々は作業を進めた。

 官房長たちとの会議の主な議題は、軍の物資の処理だった。「軍が持っている物資は膨大だが、このままでは没収される恐れがある。だが国民に行き渡っていれば、その恐れはないだろう」と判断し、占領前に、軍が保有する食糧や衣料品などの物資を困窮する国民に早く分けようという方針を決めた。

 もう一つ決めたことは、公文書の焼却だ。ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。

 会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた。ポツダム宣言受諾のラジオ放送が15日にあることも聞いていたので、その前に指令書を発するわけにはいかないが、準備は整っていた。

 問題は、軍隊をどう収めるか。下手な収め方をしたら軍が決起するからね。大変な状況だった。


役所一転「上司」はGHQ

 1945年3月、東京大空襲を経験した。翌日、私は霞が関から内務省の職員50人を連れ、下谷(現・台東区)の区役所の応援に行った。広場にたくさんの人が荷物をリヤカーに積んで逃げてきて、焼夷しょうい弾で焼け死んでいた。どぶ川をさらうたびに死体が上がった。

 あんな場所にリヤカーで集まったら、焼夷弾に焼かれるのは当たり前だよ。住民への避難指導が十分に行われていなかった。「こんなことでは戦争にならない」という感じを強く持った。

 5月の「山の手大空襲」では、今の渋谷区にあった自宅がやられかけた。近くまで焼夷弾が落ちてきたので雨戸を閉め、家内は荷物を防空壕ごうへ放り込み、子どもを背負ってどこにでも逃げられるようにした。

 焼夷弾がどこに落ちるか見定めようと空を見上げていると風向きが変わり、焼けずにすんだ。運だよ。

 翌朝は歩いて内務省に向かった。表参道まで来ると、熱風を避けようとしたのか、鉄筋の建物の脇で人が重なり合って死んでいた。赤坂の辺りでも人間が燃え、黒い小さな塊になっていた。

 4月初めだったか、陸軍省から内務省に、「沖縄は放棄せざるをえないが、降伏はしない。敵を本土に迎え撃って必ず最後の勝利を収めるから、敵が上陸してきても各行政組織が統一的に運営されるようにしてほしい」と連絡してきた。もう一つ、「国民も軍に協力してほしい」とも言ってきた。この時、次官の灘尾さんが私の耳元でささやいた言葉を今でも覚えている。

 「軍は国民を道連れにしようとしている。けしからん」「国民に協力を、と言われても、竹やりぐらいしかないじゃないか」

 それが灘尾さんの気持ちだったが、内務省に戦争を終わらせる力はなかった。私は軍の要請を受け、敵の本土上陸後も行政を維持できるよう、地方総監府(※)の官制原案を書いた。

 6、7月に灘尾さんと一緒に九州を一回りした。国民に全く戦意がないことがよくわかった。とにかく受け身だった。

 7月26日、日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表されたが、陸軍は最後まで強硬だった。8月10日には受諾の聖断が下るが、陸軍は徹底抗戦を訴えていて内情は大変だった。

 15日未明には、天皇陛下が事前収録した玉音ぎょくおん放送の録音盤を奪おうと、反乱軍が探し回るんだよ。見つからなかったのは幸いだった。そして最後は阿南惟幾これちか陸相が腹をかききって……。天皇陛下に謝って自殺することで、軍は収まったんだと思うなあ。

 15日は、正午の玉音放送の直後、私を含む内務省の4人で分担し、全国の地方総監府に公文書焼却の指令書を持って行った。

占領下の日本 改めて実感

 玉音放送の内容は聞き取りにくかったな。でも事前に大体分かっていたからね。みんな宮城きゅうじょうの前に行って頭を下げ、泣いたもんだよ。

 軍隊を収めるのは大変だったと思うな。最後はやっぱり、天皇陛下の力だな。天皇の力なくしては戦争を終結できなかったね。それは事実だと思うよ。

 玉音放送の後、私は愛知県庁に置かれていた地方総監府を訪れ、古井喜実知事(戦後、厚相など歴任)に、指令書と灘尾さんの「後は頼む」と書いた手紙を渡した。古井さんは私の媒酌人で、灘尾さんが辞めた後の内務次官になった。

 名古屋からは15日夜のうちに帰京した。ところが翌日だったか、高熱が出た。パラチフスだった。それから長く仕事を休んだ。

 出勤は約3か月後。連合国軍総司令部(GHQ)から最初に命じられたのは、「内務省が地方に対して持っている権限を洗いざらい書いて出せ」という仕事だった。

 日本が占領下にあることを改めて実感したな。

(聞き手 編集委員 福元竜哉 撮影 鈴木竜三)
 ※地方総監府 連合国軍の本土上陸で国土が分断される事態に備え、1945年6月、内務省が全国8区域(北海、東北、関東信越、東海北陸、近畿、中国、四国、九州)に設置した地方行政機関。地方総監には、管内の知事への指揮権など強力な権限が与えられた。同年11月に廃止された。


「日本再起のきっかけに」…天皇の地方巡幸

 内務官僚だった奥野さんは、静岡、山梨両県に続く3か所目の地方赴任として、1941年4月、鹿児島県庁に配属された。その8か月後、太平洋戦争に突入し、奥野さんは戦時下で役人生活を送った。

 この年、鹿児島県庁を視察に訪れた東条英機首相(当時)と県職員たちとの記念写真に納まっている。東条首相に対しては、「家々のゴミ箱をのぞいて回り、国民に食料が行き渡っているかどうか調べた、と言われたが、あれはパフォーマンスだった」と冷ややかだ。

 奥野さんは鹿児島で特別高等警察(特高)課長などを務め、内務省に戻ると、公文書焼却の極秘作業に深くかかわるなどして終戦を迎えた。32歳だった。

 強く印象に残っているのは、自身が時折敬愛の念を込めて「天皇さん」と呼ぶ、昭和天皇の姿だという。

 「天皇さんはマッカーサー(連合国軍最高司令官)に対し、飢えた国民を救ってくれと求めた。そして、全国を歩き回り、我慢してくれと国民に呼びかけた。あの行動が、日本が再起する機会の一つになった」

 戦後は保守政治家になり、1世紀余を生きてきた奥野さん。「二度と戦争をしないのは大事なことだ」と平和の尊さを訴えている。

(福元)
2015年08月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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北村 良輔さん、三田 清次さん、佐藤 元紀さん、他14人が「いいね!」と言っています。

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