小さな身に大きな望
「お椀の船に箸の櫂、京の都にのぽりゆく」と続けば、子どもたちが歌う一寸法師の歌となる。
過去11年間の関西セミナーハウスの活動をふり返って見ると、卒直に言って「寸足らずの一寸法師」のように思われて来る。
2、3年前、ある自動車会社が「複眼の思想」という言葉を使ってさかんに宣伝していた。この「複眼の思想」という言葉こそ、まさにアカデミーがしようとしている「大きな望」を言いあらわしているように思う。一つの問題を色々な立場から考え、話し合い、単なる問題の解決ではなく、その問題を跳躍板としてより高次の解決を求めていくということ。一つの仕事をするのに出来る限り固定観念にとらわれずに色々な立場に立って見ること、これらのことのためには話し合いは決定的に重要である。一つの組織の頂点に立つ者からは見えない組織の諸問題が底辺からは非常によく見える、というようなことはわたしたちが日常経験することである。
はじめの頃にはその用語法に多少の躊躇を感じていたが、実際のアカデミ-の働きの中で、アカデミ-とは社会教育機関、ないし成人教育機関である、との自覚が明らかになって釆たように思う。それは決して文部省やその他のところで枠づけされている、いわゆる「社会教育」という概念に自らを枠づけしているのではなく、むしろ活動の中から社会教育という概念の内容が明確になってきた、というべきであろう。それは教える者と教えられる者との間で成り立つ社会教育ではなく、社会生活を営む者が話し合いの中で自らの社会的責任を自覚するということに他ならない。社会的責任の内容については本誌第187号(1978年9月号)の「倫理について」で論じたのでご参照いただければ幸いである。
現代のように高度に産業化し複雑化してしまった社会においてはそこに住む個々の人間の見る範囲、聞く範囲での社会像ではどうしようもなくなっている。そこに不安があり、方向感覚の喪失がある。それは孤独と言ったような文学的事柄ではない。まさにそこにアカデミーのような社会教育機関のはたすべき課題があり、必然性がある。
ところで、アカデミーはこのように大きな望を残念ながら「小さな身」の中に持っている。実際独自で出来る仕事という面から見ると言うに足りないものであるかも知れない。本誌第186号(1978年8月号)で、十余年の高校数貞クーグングを反省して述べたことは、全ての活動にあてはまることでもある。
しかし、「大きな望」は「小さな身」の申に窒息しているのではない。すぐれた指導者たちの社会の将来に対する洞察力はますます冴え、多く協力者たちはその労を惜しまない。打ち出の小槌がひと振りされると、これらのパワーが動き出す。10年間続いている西日本労働リーダーシップコースがそのよい例であろう。関西セミナーハウスが出来ることは知れている。しかし、組織人貝二百万をこす1MF・JCが打ち出の小槌を振るとこの一寸法師は驚ろくべきパワーを発拝する。
わたしにとつて、この11年間の関西セミナーハウスは「職場」であるより「学舎(まなびや)」であった。ここに来るまでに身につけていたものがすべて無と感じる程、ここで学んだことは豊かであった。ここから出て行くことに不安がないはずがない。しかし、人はいつまでも「学舎」にとどまるべきではない。
わたしはこのたび「変貌の山」(マタイ第16章)にとどまろうとする弟子たちをうながして下山されたイエスに従って、山を下りる決意をいたしました。
幸い、後任としてこれ以上の人物は望めないという最適任者、大津健一氏が仕事をひきついで下さいますし、関西セミナーハウスの活動は平田所長を中心にますます活発になっております。これからは地方教会に仕える者として、アカデミー運動のよき協力者となりたいと願っています。みなさまに心から感謝しつつ。(1979.3.31)
「お椀の船に箸の櫂、京の都にのぽりゆく」と続けば、子どもたちが歌う一寸法師の歌となる。
過去11年間の関西セミナーハウスの活動をふり返って見ると、卒直に言って「寸足らずの一寸法師」のように思われて来る。
2、3年前、ある自動車会社が「複眼の思想」という言葉を使ってさかんに宣伝していた。この「複眼の思想」という言葉こそ、まさにアカデミーがしようとしている「大きな望」を言いあらわしているように思う。一つの問題を色々な立場から考え、話し合い、単なる問題の解決ではなく、その問題を跳躍板としてより高次の解決を求めていくということ。一つの仕事をするのに出来る限り固定観念にとらわれずに色々な立場に立って見ること、これらのことのためには話し合いは決定的に重要である。一つの組織の頂点に立つ者からは見えない組織の諸問題が底辺からは非常によく見える、というようなことはわたしたちが日常経験することである。
はじめの頃にはその用語法に多少の躊躇を感じていたが、実際のアカデミ-の働きの中で、アカデミ-とは社会教育機関、ないし成人教育機関である、との自覚が明らかになって釆たように思う。それは決して文部省やその他のところで枠づけされている、いわゆる「社会教育」という概念に自らを枠づけしているのではなく、むしろ活動の中から社会教育という概念の内容が明確になってきた、というべきであろう。それは教える者と教えられる者との間で成り立つ社会教育ではなく、社会生活を営む者が話し合いの中で自らの社会的責任を自覚するということに他ならない。社会的責任の内容については本誌第187号(1978年9月号)の「倫理について」で論じたのでご参照いただければ幸いである。
現代のように高度に産業化し複雑化してしまった社会においてはそこに住む個々の人間の見る範囲、聞く範囲での社会像ではどうしようもなくなっている。そこに不安があり、方向感覚の喪失がある。それは孤独と言ったような文学的事柄ではない。まさにそこにアカデミーのような社会教育機関のはたすべき課題があり、必然性がある。
ところで、アカデミーはこのように大きな望を残念ながら「小さな身」の中に持っている。実際独自で出来る仕事という面から見ると言うに足りないものであるかも知れない。本誌第186号(1978年8月号)で、十余年の高校数貞クーグングを反省して述べたことは、全ての活動にあてはまることでもある。
しかし、「大きな望」は「小さな身」の申に窒息しているのではない。すぐれた指導者たちの社会の将来に対する洞察力はますます冴え、多く協力者たちはその労を惜しまない。打ち出の小槌がひと振りされると、これらのパワーが動き出す。10年間続いている西日本労働リーダーシップコースがそのよい例であろう。関西セミナーハウスが出来ることは知れている。しかし、組織人貝二百万をこす1MF・JCが打ち出の小槌を振るとこの一寸法師は驚ろくべきパワーを発拝する。
わたしにとつて、この11年間の関西セミナーハウスは「職場」であるより「学舎(まなびや)」であった。ここに来るまでに身につけていたものがすべて無と感じる程、ここで学んだことは豊かであった。ここから出て行くことに不安がないはずがない。しかし、人はいつまでも「学舎」にとどまるべきではない。
わたしはこのたび「変貌の山」(マタイ第16章)にとどまろうとする弟子たちをうながして下山されたイエスに従って、山を下りる決意をいたしました。
幸い、後任としてこれ以上の人物は望めないという最適任者、大津健一氏が仕事をひきついで下さいますし、関西セミナーハウスの活動は平田所長を中心にますます活発になっております。これからは地方教会に仕える者として、アカデミー運動のよき協力者となりたいと願っています。みなさまに心から感謝しつつ。(1979.3.31)