ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 12/11 「国教会」と「国民教会」

2013-12-12 06:21:31 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、英国史における「寛容令」について調べる。ジョン・ロックの『寛容書簡』。「国家と宗教との関係」。『聖公会物語』続読。1689年の寛容令によって「国民教会が国教会になった」(83頁)の意味。どうも「国教会」という概念が違うようだ。国教会とは「国営教会」という意味か?午後、ジムに行く。夜「ミス・パイロット」を見て10時に就寝。4時半起床。体調快調、チュン、チュン。

金井 由嗣さん、金丸 勝彦さん、大野 泰男さん、他31人が「いいね!」と言っています。
posted at 04:36:17

文屋 善明
今日の名言:RT @wisesaw:
神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。 (ウィリアム・シェイクスピア)
<一言>と言うことは、私の欠点は(それは秘密だが)、私が人間になるために神が与えてくださった贈り物か。成る程、そうか。だからその欠点を取り除いてしまうと私は人間でなくなるのか。

金井 由嗣さん、金丸 勝彦さん、大野 泰男さん、他27人が「いいね!」と言っています。
posted at 05:58:54

「昨日のツイート 12/10」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/435f014c7f72f096b0ae646944f32be…
posted at 06:41:13

文屋 善明
こころ旅、二子多摩川から、稲城市(いなぎし)大村大丸、引き揚げ寮(都営住宅)。白バイの練習場。熊本ラーメンの店。
稲城第1小学校前、都営住宅到着。天国のテレビで見ているかな。

金丸 勝彦さん、松井 守さん、柳沢 有紀夫さん、他7人が「いいね!」と言っています。
posted at 08:00:23

文屋 善明
日々の聖句2013 12月11日(水)
御旨のままにシオンを恵みをくださるように。(詩51:20)
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。(1ヨハネ3:1)
私の黙想:
詩51はダビデ王が罪を犯した時の懺悔の祈り。ただし20~21節は時代背景も状況がも異なる。そのような文献上の時代錯誤を一応括弧に入れて黙想する。一国の長たる者が国民の信頼を失うような深刻な犯罪を犯したとき、その罪をどのように告白し、神の前に祈るのか。今日の聖句はそういう文脈で読むと、国王は自分の個人的な罪によって国家が重大な損失を招くことを心配し、そうならないように神に願っている。一国の長の犯罪の結果は個人に留まらず、国を滅ぼすことになる。その意味では「御旨のままに」という言葉が光っている。私の罪の結果が国の運命を決するのではなく、「みこころが天に行われるとおり、このシオンにも行われますように」。

金丸 勝彦さん、柳沢 有紀夫さん、堀 俊子さん、他17人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんがChoice and Truthさんの写真をシェアしました。
これが本当の宗教の姿である。イスラム教徒が祈っている間彼らを守るキリスト者、エジプトのキリスト教会を守るイスラム教徒。
Source Articles:

1) http://www.dailymail.co.uk/news/article-1353330/Egypt-protests-Christians-join-hands-protect-Muslims-pray-Cairo-protests.html

2) http://www.christianpost.com/news/viral-photo-shows-muslims-protecting-church-in-egypt-as-congregants-attend-mass-amid-threat-of-attack-102592/

濱 和弘さん、Yutaka Tanabeさん、矢野 寛子さん、他37人が「いいね!」と言っています。

玉城 豊 シェアさせてください。

小栗 龍男 イラクや北アフリカに仕事で滞在していた80年代。宗教対立を避けていた。アルカイーターがそれを駄目にして様な気がする。

柳沢 有紀夫 異質と共存できるかが、懐の深さですよね。

竹花 京子 コメントごとシェアします。

亀山 宏 イスタンブールの正教徒のRim Papa Haneでも警備するのは現地のイスラム教徒の皆さん.トルコ午後を喋らないといれてもらえない.

文屋 善明
お目覚めの花。「神秘的ですね」「神による造形の神秘」。
写真: お目覚めの花。「神秘的ですね」「神による造形の神秘」。

金丸 勝彦さん、佐藤 静代さん、菊池 光徳さん、他43人が「いいね!」と言っています。

町田 勝彦 いい形! 色もいい!

町田 勝彦 おはようございます。ღ♪¸.•

村田 多鶴子 目を瞠る美しさです~(^^♪

文屋 善明 いろいろ調べましたが、降参します。「瞠る」というのはどう読むのでしょう。瞠目、瞠然、は分かりましたが。

町田 勝彦 みはる 瞠る o(^▽^)o

文屋 善明 広辞苑には出てきませんね。

Akira Ueda 手元の第四版(古い)には「見張る」の別表記として出てきます。

糸原 由美子 PCのIMEパッドで部首引きをしてみてください。たいていのややこしい漢字はこれで調べられます。辞書より早いかも。

文屋 善明さんが小早川 智さんの写真をシェアしました。
次は「共謀罪」ですか。なり振り構わず、恥ずかしいとも思わず、露骨に、戦争体制を整えてきますね。よほど国民が怖いのですかね。

政府、共謀罪創設を検討 組織犯罪処罰法改正で
http://www.47news.jp/CN/201312/CN2013121001003057.html

 政府は10日、殺人など重要犯罪で実行行為がなくても謀議に加われば処罰対象となる「共謀罪」創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った。政府関係者が明らかにした。

 共謀罪が広く適用されれば、国による監視が強化される恐れがある。機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法に続く国権強化の動きといえる。秘密法成立で言論・情報統制が強まる不安が広がっているだけに、論議を呼ぶのは確実だ。
写真: 政府、共謀罪創設を検討 組織犯罪処罰法改正で
http://www.47news.jp/CN/201312/CN2013121001003057.html

 政府は10日、殺人など重要犯罪で実行行為がなくても謀議に加われば処罰対象となる「共謀罪」創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った。政府関係者が明らかにした。

 共謀罪が広く適用されれば、国による監視が強化される恐れがある。機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法に続く国権強化の動きといえる。秘密法成立で言論・情報統制が強まる不安が広がっているだけに、論議を呼ぶのは確実だ。

大野 泰男さん、加藤 佑三さん、木下 海龍さん、他19人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 東京五輪を口実に使うと言う例によって姑息な手段ですね。それならば、東京五輪を止めれば良いではないですか。そんな危険があるのであれば。

北村 良輔 冗談のようですが、本当に進んでいるので、怖いです。

文屋 善明
現在の英国における英国教会(Church of England)とその他の諸教会との関係は、国営放送(NHK)と民間放送局との関係のようなものなのですかね。どうも「国教会」と「国民教会」という言葉の遣い分けが分からない。

佐藤 清一さん、金丸 勝彦さん、山口光さん、他17人が「いいね!」と言っています。

溝田 悟士 国民教会は東方教会のように民族ごとの教会の自立権を認めてカトリックのような完全ヒエラルキーではないということで、国教会は国家儀礼をなす時のその国の宗教として憲法や勅令、慣習などで決められている場合では?。

溝田 悟士 チャーチ・オブ・ウェールズとの関係とか。

Akira Ueda ドイツ語では国民教会は神学・信仰概念ですね。

溝田 悟士 専門でないのでなんですが、聖公会の概念の体系としては、カンタベリ大主教の霊的な地位を担保した上で各国聖公会の自治権をみとめる点(大主教制を取るかどうかなど、日本は首座主教をおくだけ)、各国が自由に国教を決める中で別個に宣教がされる点、さらには東方正教会と英国教会のあいだで相互に独自の伝統的自治権を認め合うとの合意がある点、などの整合性があるのではないかと。

文屋 善明 「国民教会」が神学概念だとすると、どのように定義されるのでしょうか。この場合の「国民」とは何でしょう。国家ではないでしょうし、人民でもなさそうですし、住民ではないでしょう。

Akira Ueda 神の民の礼拝共同体ということです。

文屋 善明 ということは、ここで問題になっている、国家とか民族との関係における教会ということではないのですね。

溝田 悟士 神の民の共同礼拝というように解することがプロテスタント的に一歩を進んでおり、聖公会たるべき用件としての職制の使徒継承と衝突するかもしれませんね。まあ、ルター派の中にも使徒継承を主張する教会もありますが、その場合はやはり国教会という形を取って国の教会を自認する傾向があると思います。

文屋 善明 私がここで問題にしているのは1689年の寛容令によって、英国教会以外のいわゆる非国教会の存在が承認されて以後の英国教会は、「国教会」なのか「国民教会」なのかというただ一点です。その場合に、英国教会とそれ以外の諸教会との関係は国営放送局と民間放送局との関係のようなものなのか。それとも、もっと違う概念規定があるのか、どうか。チャップマン教授によると、(あるいは八代崇主教によると?)、英国教会は宗教改革以来「国民教会」であったが、1689年の寛容令以後は「国教会」になり、それは「他の教派の中の一つの教派」になったという。それは私が今まで抱いていた「国教会」理解とかなり違う。おそらく私の理解の方が間違っていたに違いないが、他教派の人々はどう思うのかという問いです。

溝田 悟士 確かに従来の理解と違いますね。正統派が国教会であり、あとは「容認」されたに過ぎない。おまけに主要な闘争相手であったローマ・カトリックは相変わらず19世紀まで非公認であり続けたわけですから。

溝田 悟士 但し、祭儀の上での国教会というならば、他の容認されたプロテスタント信者と国教会の王族が結婚したとしても、結婚式がアングリカン式であることに変わりなく、子々孫々国教会の長たるべきであるとなると思うわけです。また、アングリカン自体が清教徒崩れから、カトリックのシンパに至るまで広く包括する国家政治上の「教会」として誕生し、かつ、歴史的経緯からスコットランドの長老派の長も王が兼ねた、ということになるならば、「国教会」の概念を、「政治」のがわからもっと広くとる必要があると思いますね。

文屋 善明 成る程、それは分かる。

溝田 悟士 スコットランドの国教会は形式的に王の使節を象徴的に迎えることで王も長老派の会員であるとなっている。ウェールズも国家として別ですが、別の国教会であり、その長(管理者)もかねている。システムとしては王の支配が支配国家の「国教」の管理者であると認識されるかどうか、ということであり、大英帝国の成立とともに、その植民地独自の、ないしは友好国のための「アングリカン式国教会」を「自治教会」を名目に誕生させた。なぜなら、同時に市民革命の思想も進展したから、支配の側としても植民地の信教の完全管理を放棄するのは致し方なかった。しかし、植民地独立とともにコモンウェルス体制の崩壊が進むなかで、さらに自治化が進んでいる、そんなかんじに捉えています。

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