ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/25 水俣と福島、海を汚す人々

2013-09-26 06:03:12 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『聖書の中の自然と科学技術』続読。聖書を読む2つの方法:(1) 現代の科学技術の知識を離れて、古代の心で当時の人々が描いた感覚を持って読むこと、(2) 現代の科学技術、考古学などの知識を利用してその客観的な事実を把握し、聖書では省かれているその状況を知り、より深く理解すること。著者は(2)の視点で聖書を読む。例えば、「鉄」の製錬技術の開発、伝播など。非常に新鮮な視点を与えてくれる。10時過ぎ就寝、4時半起床。体調快調、チュン、チュン。

万代 麻奈さん、Yutaka Tanabeさん、松井 貴志さん、他27人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます。お守りの内に、穏やかな佳き時間をお過ごしくださいませ~m(__)m

萩野 秀子 おはようございます。暑いですが水分補給してください。良き日となりますように。御祈りいたします。

Yutaka Tanabe 私も同じ視点で読みます。

加藤 治 鉄の精錬技術の話ですか、読んでみたいです。
posted at 04:49:23

今日の名言:RT @wisesaw:
若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である。(三島由紀夫)
<一言>この言葉に付け加えるべき一言は思いつかない。それ程この言葉は重く且つ完璧である。三島の思想には無縁の私でも、この言葉を繰り返し読むと、あの日(1970.11.25.)のことが蘇り、背筋がピントなる。今の若者にはこれが欠けている。

Daniel Corlさん、松井 貴志さん、安部 勉さん、他20人が「いいね!」と言っています。
posted at 05:54:47

「昨日のツイート 09/23 英彦山ドライブ (写真50枚)」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a64a5cf59cea0f9c790c3bcf5a0d238…
posted at 06:28:12

文屋 善明
こころ旅、昨日は台風のため中止になってしまいました。その分を早朝から補い、改めて今日のプログラム。士別駅から滝川駅迄輪行、可愛い駅員さん、今日の目的地は砂川町石狩川のほとり。空が青い。小さな飛行場、砂川市に入り長い橋を渡り、砂川駅前に至る。砂川オアシスパーク。今日はここ迄。

Yutaka Tanabeさん、村田 多鶴子さん、Su Suさん、他19人が「いいね!」と言っています。
posted at 08:00:10

「昨日のツイート 09/24 豹変した盲導犬」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/4123225294e96cc27ccf872ffd677ff…
posted at 08:13:54

文屋 善明
日々の聖句2013 09月25日(水)
主はモーセに言われた。あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(出エジプト33:20)
わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。(ヨハネ12:45)
私の黙想:
結局、モーセは神の顔を見ることが出来なかったが、後ろ姿だけを見た。(33:23)しかしモーセが山から下って来た時、「自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかった」(34:29-30)と言う。その情景は、福音書における「山上の変貌事件」(マタイ17)へとつながる。
神の顕現を体験するということ、日本語では「権現」という。その体験は「畏怖」を伴う。不思議なことに、イスラエル民族においても、また大和民族においても、この経験と「山」とが密接に関連している。吉野にも権現伝承があり、英彦山にも権現伝承がある。それらの多くの権現伝承の中で、イエスにおける神の顕現は、巷で、貧しい人々の間で、起こった。それが本日の新約聖書の聖句である。私たちはイエスにおいて「神を見る」。神はイエスにおいて私たちに「顕われる」。

橘 智さん、丸山 順子さん、Yutaka Tanabeさん、他28人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 様々な宗教的事象(?)を把握しやすいです・・・。

文屋 善明
奈良に住んでいる孫娘が昨夜、深夜バスで「夢の国」へ出発しました。今日一日、楽しんで、今晩遅くに向こうを出発して、明日の朝、奈良に戻って来るらしいです。足掛け3日の弾丸ツアー。ははは。まぁ、若いっていいことですね。

万代 麻奈さん、大津 博子さん、Yutaka Tanabeさん、他23人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 「ドリームランド」って、確か奈良にあったはずだけど・・・

文屋 善明 奈良のドリームランドは、ホンモノのドリームランドの拙いイミテーションのようなもの。

清水 晴好 でした。行ったのは、何十年前のことか・・・

文屋 善明 奈良の幼稚園の園長をしていた頃、何回か「お泊まり保育」で行きました。あの頃は園内に園児が泊まる施設もありました。

門叶 国泰 奈良のドリームランド、昭和39年新婚旅行、法隆寺の帰路に立ち寄りました。当時は斬新的な施設でした。あの施設とは違うのでしょうか?

文屋 善明 私が園長をしていた幼稚園は法隆寺の近くにありました。

門叶 国泰 もうないのでしょうね、当たり前!

萩野 秀子 ドリームランド小学校の遠足、家族で行った事あります。30年以上前の話です。

門叶 国泰 昭和39年2月、50年前、新幹線もまだなかった。海外旅行などは夢のまた夢、否、夢にも出てこなかった。

文屋 善明 私は昭和38年4月、大阪のクリスチャンセンターで結婚式、その足で近鉄電車に乗り込んで四日市へ、湯ノ山温泉に行きました。

文屋 善明
お目覚めの花。「花の味わい方もいろいろあるみたい」「ただ見てるだけで満足している人」「写真を撮るのに必死なっている人」「そうそう、私たちの蜜を吸いに来ている蜂」「皆さん、どうぞそれぞれの仕方で私たちを楽しんでください」。 (写真4枚)

後藤 喜美江さん、塩澤 紀子さん、加藤 治さん、他34人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 文屋先生、Selamat pagi ! 蜂とのコンビネーションいいアングルですねぇ~(^_-)v Bagus! Every day is a new day. Peace cannot be kept by force; it can only be achieved by understanding.

細野 洋子 文屋先生、おはようございます。コスモス大好きです。今日から、また、学校です。頑張ります。

文屋 善明 行ってらっしゃーい。

文屋 善明
先ほど孫娘から電話あり。東京ディズニーランドは現在、大雨とのこと。可哀想に、せっかく汗水流してアルバイトして貯めた貯金をはたいて行ったのに雨だって。それでも「雨にも負けず、風にも負けず」、青春大爆発らしい。

増野 真美さん、後藤 喜美江さん、塩澤 紀子さん、他27人が「いいね!」と言っています。

こーる のりこ 。o@(^-^)@o。ニコッ♪゜+o。。o+゜♡゜+o。。o+゜♡゜+o。。o+゜♡゜+o。。o+゜

塩澤 紀子 忘れられない思い出になりますね。

文屋 善明さんが有田 芳生さんの近況をシェアしました。
泉田知事が狙われている。嫌らしいマスコミ(「サンデー毎日」)の手法。地検上層部から「泉田知事を徹底的に洗え」という指示が出ているとか、しかし「現段階ではめぼしいネタがない」とか。もうこれだけで「噂のたね」にはなる。明らかに情報操作である。本当に悪質きわまりない。

 9月25日(水)徳州会による選挙違反問題の焦点は徳田議員や父親の徳田虎雄理事長がどこまで関与していたかである。新聞やテレビは東京地検特捜部の動向を報じているが、週刊誌はさらに周辺政治家へと視点を広げている。「サンデー毎日」は〈徳州会事件のウラで特捜が狙う「大本命」〉という記事を掲載した。徳田虎雄理事長と石原慎太郎議員や亀井静香議員の親密さはよく知られていることだ。金銭授受の疑惑が書かれているが、決定打はない。驚いたのは「特捜関係者」が「地検上層部からの指示で泉田裕彦新潟県知事を徹底的に洗っています」とコメントしていることである。ただし「泉田氏の身辺は思いのほかクリーンで、現段階で目ぼしいネタが上がっているわけではない」と弁明する。「関係者」とは週刊誌がよく使うコメント手法だ。検察担当の記者が「検察関係者」となることもある。ときにはまったく関係ない記者が噂話を語っても「関係者」で処理することもある。「……なんじゃないの」と語ったことが伝言ゲームで「……らしい」となり、さらに断言となっていく。「サンデー毎日」の記事では、中見出しで「新潟県知事を徹底して洗え」になっている。泉田知事にさも疑惑があるかのような情報を流し、それを否定する。原発再稼働に反対する泉田知事への情報操作である。「サンデー毎日」に意図がなくても実際にネット上で一方的な噂話が拡散している。昨夕の夕刊紙も「疑惑の政治家5人」と書いたが、さしたる根拠もないことが広がっていくのが永田町周辺の世界である。

村山 茂樹さん、入口 紀男さん、Yasuo Hiroseさん、他10人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんがNagi Windさんの写真をシェアしました。
水俣と福島、海を汚す人々。

毒死列島身もだえしつつ野辺の花~~石牟礼道子さん(84)
日本よ!悲しみを越えて
 作家・石牟礼道子さん/毎日新聞・特集ワイド
2011-10-08 14:24:58

◇合理性よりも「生命」を--石牟礼道子さん(84)

 「台風、とても変な動きをしましたねえ。大丈夫でしたか」。ゆっくりとした、柔らかい声。作家、石牟礼道子さんは、東京から来た記者をそうねぎらってくれた。

 熊本市の住宅街、内科医院の4階。暴風一過の空気はきりりと冷たく、乾いていた。

 水俣病に侵された人々の苦しみを克明に描いた「苦海浄土」出版から42年。現在は難病のパーキンソン病を患い、療養生活を送る。「ペンを持って書くのは重労働。速度が10倍も遅くなりました」

 そんな石牟礼さんは九州の地から、東日本大震災をどう見ているのか。

 「こんな句を詠んだんです」と、記者のノートにボールペンで書いてくれた。ペンを握る手が震え、文字も波立っている。2分以上かけて、書き上げた。

 毒死列島身もだえしつつ野辺の花

 「毒死」という言葉に、はっとさせられた。石牟礼さんの温和な表情と、あまりにかけ離れていたからだ。

 「毒」とは、福島第1原発事故で大気や海に放出された放射性物質のことか。

 「それだけではありません。水俣の海にまかれた毒もそう。農薬も、添加物も。そして、物質の毒だけでなく、毒を作り出す人間がいる。そのすべてが毒です」

 「毒」に染まった列島はあの日、文字通り「身もだえ」した。

 「毒だけじゃない。都会はコンクリートで固められ、息ができずにいた。そこへ大地が動いて大地震が起きた。この列島は今も『まだ何か起きるのではないか』と、悪寒に震えています」

 この夏、石牟礼さんのもとに、乳児を抱えた若い母親が相談に訪れた。福島県からではない。京都府在住だった。

「『子どもへの放射能の影響が心配。どうすればいいか』というお話でした。でも、どうにもお答えしようがない。お気の毒だったけれど、正直にそう申し上げたんです」

 放射性物質は広範囲に拡散した。環境汚染で真っ先に害を受けるのは体が未完成で影響を受けやすい子どもだ。福島からいくら離れていても不安になるのは当然だろう。

 「将来、子どもたちに何かが起きた時、国は『病気の原因は原発事故』と認めてくれるのか。わかりません。水俣病患者と認定されたのは、3万人の申請者のうち、わずか3000人ほどでした」

    ■

 明治維新後、富国強兵、重工業重視の近代化を突き進んだ日本。敗戦で軍事面の影が薄くなった代わりに、経済成長を最優先する風潮が強まった。そのひずみが水俣病を生んだ。

 まず逆立ちしたり、足がふらついて倒れる猫が現れ、人にも手足のしびれや歩行障害などが出るようになり、初めて「患者」が確認されたのが1956年。だが、その原因が、化学大手のチッソが流した工場排水中の「メチル水銀」と特定されるまで、さらに年月を要した。政府が公害と認定したのは68年。補償対象から外された患者らは不合理を裁判所に訴えざるを得なかった。

 記者は、取材当日の朝刊を石牟礼さんに見せた。東京電力の賠償方針の詳細が掲載されていた。「へえ、こんなに細かいの」と少し驚き、眼鏡を傾けた。そして、患者たちと一緒にチッソと交渉した日のことを語り始めた。

 「社長さんに会いたい」。患者側は何度も申し入れた。「社長さんは『偉い人』。偉い人とは、人情がわかる人という意味です。患者さんたちは、病状は進むし、他の市民からは『町をつぶすつもりか』と言われ、孤立していた。そんな苦しみを聞いてもらいたかったんです」と石牟礼さんは振り返る。

 だが、チッソの担当者からは、心をえぐられるような言葉が返ってきた。「社長は毎日あちこちで働いており、暇がない」「ここは話を聞く場ではない。交渉の場だ」と。「絶句しました。ああ、言葉が通じないんだ、と」

 そのチッソも、「近代化」の一翼を担ったのは事実だ。原発事故の「加害者」となった東電が高度経済成長を支えるエネルギーを供給し続けたのと同じように。その東電はチッソと同じ道をたどろうとしているのか。

 「東電の社長さんって、あまり見かけませんね。『偉い人』なら、もっと出てきてもよいのではないでしょうか」

 石牟礼さんは言い、こう続ける。「日本が、かつて中国から取り入れた思想に『徳』がありますね。徳の高い人って、信義に厚い人でしょ」

    ■

 石牟礼さんは幼いころの話をしてくれた。「ミミズを『めめんちょろ』と呼ぶんです。かわいかでしょ。道を歩けば生き物を踏む。めめんちょろも踏む。だから用心して歩けよ、と親から言われました。生命が地面の下にいるのを忘れないように、という教えでした。でも今はもう、日本人の暮らしはお金中心。まず便利さと合理性。日本人は自然の中の『生類(生きとし生けるもの)』と共存してきた。その意識が薄れつつある」

 「便利さ、合理性」の追求自体は悪いことではない。だが「この100年間は、ただひたすらに、お金があれば幸せになれる、便利な方がよいという考えが広がり過ぎてしまった」と嘆くのだ。

 では、どうすればよいのか。「それは難しいですね」と前置きしつつ言った。

 「昔はセーターを編むのも、人形を作るのも手作業でした。子どもの仕事も多かった。ランプ掃除、麦踏み、それから水くみ。皆で助け合って仕事をしたものです。そこをもう一度、思い起こしてみることでしょうか」

    ■

 3月11日--実は、84回目の誕生日だった。「これまでは意識したことがなかったんですが、忘れられない日になってしまいました」

 その日午後、医院の看護師たちがお祝いに来てくれて、誕生日と気付いた。テレビを何気なくつけると、真っ黒い津波が家々を押し流す映像に目を奪われた。「大津波、放射能……経験のない事態だから研究の蓄積が少ない。これからも未知の出来事がどんどん出てくるに違いありません」

 だが、石牟礼さんは希望を捨てない。ノートに書いた句にある「野辺の花」。それは震災にも負けず被災地に咲いた花。希望の象徴だ。

 「東北の方たちの、ずっしりとした存在感。これ以上、何があっても動かないぞという無言の表情に、力強さを感じます。私も何か書かねばなりませんね」【江畑佳明】

銀座ニコンで石川武志「水俣」展、40年後の今
http://ginzanews.net/?page_id=2798

【銀座新聞ニュース=2012年10月20日】ニコン(千代田区丸の内3-2-3、富士ビル、03-3214-5311)が運営する銀座ニコンサロン(中央区銀座7-10-1、03-5537-1434)は10月24日から11月6日まで石川武志さんによる写真展「水俣ノート 1971-2012」を開催する。

ニコン 石川武志
銀座ニコンサロンで10月24日から11月6日まで開催される石川武志さんの写真展「水俣ノート 1971-2012」に展示される作品。水俣病患者をはじめて撮影してから40年経た現在を撮影した作品集を刊行する記念だ。

写真家の石川武志(いしかわ・たけし)さんはユージン・スミス(William Eugene Smith、1918-1978)のアシスタントとして1971年から3年間「水俣病(みなまたびょう)」に関わり、2008年にユージン・スミス没後30周年慰霊祭を機に、「水俣」プロジェクトを検証してみたいと考え、再び水俣病の撮影をはじめ、10月25日に「水俣ノート(MINAMATA NOTE)1971-2012 私とユージン・スミスと水俣」(千倉書房、4725円)として刊行されるのを記念して、掲載された作品モノクロ50点を展示する。

石川武志さんは1974年からフリーの写真家として自ら水俣病を自分の問題として撮影するようになったが、これまでは発表を考えていなかった。2008年にユージン・スミス没後30周年慰霊祭を機に、「水俣」プロジェクトを検証してみたいと考え、再び水俣病の撮影をはじめた。当初のプロジェクトで水俣に滞在して40年が経て、当時撮影した人たちを、可能なかぎり以前と同じ場所で撮り、ユージン・スミスの「水俣」というプロジェクトで体験したことなどを1冊の写真集という形でまとめた。

ウイキペディアによると、「水俣病」は日本の化学工業会社「チッソ」が海に流した廃液により引き起こされた公害病で、メチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、四肢末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄(きゅうしんせいしやきょうさく)、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、手足の震えなどがある。

新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場が、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)から発生したとされるのがメチル水銀だ。アセトアルデヒドは、アセチレンを希硫酸溶液に吹き込み、触媒下で水と反応させることにより生産される。

1950年代から1960年代にかけて、工場では触媒の反応過程で副生されたアルキル水銀化合物(主として塩化メチル水銀)を水俣湾(八代海)にほぼ未処理のまま多量に廃棄し、魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に摂取した沿岸部住民などへの被害が発生した。

1949年頃から水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなり、1952年に熊本県水俣でもっとも早期の認定胎児性患者が出生し(認定は20年後)、1953年には熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次いだ。1956年に新日本窒素肥料水俣工場付属病院長の細川一(ほそかわ・はじめ、1901-1970)が新奇な疾患が多発していることに気付き、1956年5月1日に「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告し、この日が「水俣病公式発見の日」とされている。

舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。また、2012年7月末に「水俣病患者の救済」のために2009年に成立した特別措置法に基づく救済認定の申請が締め切られた。

石川武志さんは1950年生まれ、1971年に東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)を卒業、1971年から1974年までユージン・スミスの水俣プロジェクトでアシスタントを務め、1975年にフリーとして活動をはじめる。

1980年にインドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材をはじめ、1982年に写真展「ヒジュラ」、2008年に「インド第三の性-ヒジュラ」、2011年に「ガンガー巡礼」などがある。1995年に写真集「インド第三の性-ヒジュラ」(青弓社)を刊行している。

玉城 豊さん、佐藤 清一さん、望月 克仁さん、他20人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが萩野 秀子 さんのリンクをシェアしました。
NHKのニュースを聞いてショックでした。

NHK NEWS WEB 学徒出陣 大学の実態把握進まず
www3.nhk.or.jp
太平洋戦争での学徒出陣からこの秋で70年となり、NHKが、全国の大学などを対象にアンケート調査を行ったところ、半数が、徴兵された学生の数を把握できていないことが分かりました。回答を集計した結果、約4万人が徴兵され、犠牲者は約4000人に上っていますが、実際にはこれを上回るとみられ、70年たった今も実態把握が進んでいない現状が浮かび上がりました。社会部の松本成至記者と関根尚哉記者、首都圏放送センターの中本史記者が解説します。

玉城 豊さん、佐藤 清一さん、浅井 荘子さん、他26人が「いいね!」と言っています。

塩澤 紀子 そんなずさんなことだったんですか?ひどい。

浅井 荘子 私もとても、ショックでした。そして、もっと、実態の分からない戦死者がいると察しました。南方には、人骨がまだ、たくさんあるのでしょうね。

文屋 善明さんが市原 信太郎さんの近況をシェアしました。
パキスタンの平和のために祈りましょう。

植松首座主教より、以下のメッセージが送られましたのでシェアします。

2013年9月25日
日本聖公会各教会・伝道所・礼拝堂 御中
日本聖公会 首座主教 ナタナエル 植松 誠

パキスタンの教会襲撃犠牲者のための代祷のお願い

 主の平和がありますように。
 既にニュースなどでご存知のことと思いますが、9月22日(日)、パキスタン北部のペシャワールで、主日礼拝中の教会が、イスラム過激派の自爆テロの襲撃にあい、現在のところ80名を超える死者、また200名を超える重軽傷者が出ているということです。
 この教会は、アングリカン・コミュニオンの管区であるパキスタン合同教会ペシャワール教区の諸聖徒教会(パシャワール市内)で、主日聖餐式に集まっていた会衆の中で、二人の犯人が爆弾を破裂させたとのことで、死者はまだ増える見込みです。また、犠牲者(死者)の中には、子どもたちや警備にあたっていた警察官も含まれているとのことです。
 この襲撃事件に対して、世界中から祈りが寄せられています。昨日、世界聖公会中央協議会(ACO)のケネス・キアロン総主事から、来主日、9月29日(日)の礼拝の中で、犠牲者のため、傷ついた人々のため、ペシャワール教区のハンフリー・ピーターズ主教、ペシャワール諸聖徒教会の聖職・信徒のため、また、パキスタンにおける平和のために、世界中の聖公会の教会で祈ってほしいとの要請がきています。
 どうぞ、9月29日(日)、皆様の主日礼拝で、このことを覚えてお祈りください。
   在 主

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