ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 12/22

2017-12-23 07:52:40 | ツイッター
お早うございます。主の平和。12月22日、金曜日。宗像市は気温4度、最高11度。今日は日差しが届くものの、にわか雨が心配。今朝の気温4度は昨日の朝プラス5度。10時半就寝、5時起床、夜中にトイレで5回程起きたが、その他は熟睡。体温:36.8、血圧(121:81、80)。病院内でインフルエンザが流行り、かなり厳しい規制が敷かれている。体調:快調。チュンチュン

43 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他41人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

小貫 ツマ お早うございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
浜松は晴れ、最高気温は13度、乾燥注意報が出ています。
不覚にも風邪を引いてしまい、今日は大人しくしていようと思います。
先生の上にお守りとお支えをお祈り致しておりますm(__)m

Mabune Tatsuo おはようございます。
週末の今日も主の前にかたくたって歩めますように!
アーメン。

藤木 冨士子 こんにちは。

糸原 由美子 感染にくれぐれもご用心!

東山 富昭 こんばんは🌆。今日は、河内長野のハローワークで、履歴書と職務経歴書の書き方を教えてもらいました。職務経歴書は、具体的に書かれていないと、応募先には、読んでもらえないようですが、日曜日は、教会のクリスマスがありますが、バタついています。先生のことを、祈っています。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。

文屋 善明
昨日 6:09 ·
昨日の日誌:
PCを立ち上げると真っ先に「バックアップ未完成、27日」と出てくる。そうか入院してから27日過ぎたのか、ということが分かる。
降臨節第4主日(24日)と降誕日の「断想」が完成した。
午後から家内が来たが、病室に入るのに、かなり面倒な書類を書かされたらしい。昼間は寝たり、起きたり、そういやぁ夜も寝たり起きたりだな。
よる、「ふろぞい刑事」、波長が合わないのであまり好きになれない村上弘明と真矢ミキが好演、面白かった。報ステを見て10時半就寝。今日は朝食前に採血、この結果で、一時帰宅が許される。

27 瀧本 直子さん、岩城 真紀子さん、他25人

文屋 善明
昨日 6:13 ·
お目覚めの花。「黄色が今日は金曜日だということを主張している。明日は天皇誕生日、明後日はクリスマス・イヴ、その次が降誕日。私が現役なら、教会暦通りの日程にするだろう。教会員の半数以上が定年退職者だから平日のクリスマスも平気だろう」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

28 瀧本 直子さん、文屋惠さん、他26人
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若月 新一 おはようございます。

文屋 善明
昨日 6:19 ·
今日の名言:@wit_bot
「人間は、ほんらい百歳まで生きる」(ショーペンハウアー)
「もちろん、そうに違いない」。まるで創造主の意図がわかったようなセリフ。システムを理解したというわけだ。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)
<一言>2人の哲学者がこんなことを言っている。「もちろん、そうなんだろう」。しかし、それもしんどいなぁ。

21 丹羽 一二さん、岩城 真紀子さん、他19人
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水草 修治 120歳までですよ。ずくだせー、と信州ではいいます。

文屋 善明
昨日 6:22 ·
2017 日々の聖句 12月22日(金)
私たちは、今日、主に逆らい、主に背く(主の幕屋の前にあるわたしたちの神、主の祭壇とは別に祭壇を築き、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげる)つもりなど、全くありません。(ヨシュア22:29)
エマオの若者の言葉:道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(と語り合った。そして)、時を移さず出発して、エルサレムに戻った。(ルカ24:32~33)
私の黙想:
ヨシュア記21章で、カナンの土地の配分が決定し、イスラエルの12部族はそれぞれ自分たちに割り当てられた土地に分かれて行き、そこでヤハウェとの約束を守って生活した。ところが、12部族の内のルベン族とガド族とマナセ族の半分は、多分自分たちに割り当てられた領土に不満があったのか、あるいはそこには強力な異民族が住んでいたのか、何らかの理由で、その土地の原住民の宗教とも上手くやっていくために、ヤハウェの祭壇の他にもその土地の神々の祭壇を築いた(10節)。その知らせを聞いて、ヨシュアは他の10部族の代表者を集め、この2部族に警告を与えた。「主の共同体全体はこう言う。お前たちが今日、イスラエルの神、主に背いたこの背信の行為は何事か。お前たちは、今日、自分たちのために祭壇を築いて、主に逆らっている」(16節)。
ここで12部族全体を「主の共同体全体」と表現しているのは面白い。しかも、この2部族と半部族がヤハウェに逆らい、背くならば、その災いは「主の共同体全体」に及ぶのだという(18節)。もし、自分たちに与えられた土地が穢れているというなら、そこを捨てて、主の共同体全体で、もう一度分配し直そうではないかとまでいう。実はこの土地の分配には大きな問題があった。それがヨルダン川をによって分断されていたからであったようだ。ともかく、ここで彼らは踏みとどまることが出来たのであるが、これは後々まで尾を引く問題となる。
今日の聖句で私の注意を惹くのは「つもりなど、まったくありません」問い言葉である。この言葉は口語訳には見られないが、文章全体においてその意志、決断が込められているのであろう。太平洋戦争が敗戦で終わり、新しい憲法によって国を再建しようとしたとき、日本人は国民全体の意志として、今後は戦争など決して行わない「つもり」であったが、その意志には偽りはなかった。斜視今も、その「つもり」は生きているのだろうか。人間の「つもり」とはそういうものであろう。

19 岩城 真紀子さん、辻本 昌弘さん、他17人

文屋 善明
昨日 6:29 ·
「断想:降臨節第4主日 (2017.12.24) 」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10 文屋惠さん、安井 郁夫さん、他8人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
昨日 7:25 ·
去年の今日の投稿です。
1年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明さんが近況アップデートを投稿しました。
2016年12月22日 ·
今日の名言:@B_Pascal_jp
晩祷を聞くのと同じ態度で、説教を聞く人が多い。(パスカル『パンセ』§8)
<一言>晩祷のことを「夕べの歌」と言う。要するに晩祷では説教はなされない。ヨーロッパの教会の聖歌隊の主要な役割は晩祷で歌うことで、毎日の信仰生活の中で晩祷の果たす役割が大きい、ということを背景にしている言葉である。この伝統があってこそ、クリスマス・イヴなのだ。スエーデンの田舎の教会での晩祷が忘れられない。言葉はほとんど通じなかったが。

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25 丹羽 一二さん、福澤浩子さん、他23人

11 丹羽 一二さん、安井 郁夫さん、他9人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
昨日 7:28 ·
これも去年の今日の投稿。忘れてしまうのはもったいないので、もう一度アップします。
1年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明さんが近況アップデートを投稿しました。
2016年12月22日 ·
2016 日々の聖句 12月22日(木)
武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。(ゼカリヤ4:6)

信仰によって、エリコの城壁は、(人々が周りを七日間回った後、)崩れ落ちました。(ヘブル11:30)

私の黙想:
謎の金の燭台、7つの枝が付いた燭台は、主ご自身を象徴しているのか。かなり仰々しいが、これがユダヤの一般家庭において用いられている燭台である。ゼルバベルとは、捕囚後の帰還組の政治的指導者。
今日の聖句は、預言者ゼカリヤと天使との会話で、天使は問う。何が見えるか。預言者は答える。燭台とそれを挟んで立っている2本のオリーブの木。天使はさらに問う。これが何を意味するのか分かるか。わかる筈がない。預言者にしたら、要するに日常的に見ている風景である。預言者答える、「分かりません」。そこで天使が語った言葉が今日の聖句であり、それがゼルバベルに対する国家再建という大事業についてのヤハウェの指導である。私も何のことか判らない。そこで天使はその謎を解く。「これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである」(4:14)。二人の「油注がれた者」とは誰か。「武力と権力」とに代わる二つの理念、ここでは恐らくゼルバベル(政治的指導者)と大祭司ヨシュアであろうとされる。要するに、新しいユダヤ人共同体は、通常の国家形態を取らず、あくまでも「宗教共同体」として生きよという預言であろう。

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28 中尾香鶴子さん、辻本 昌弘さん、他26人

12 宮田 真也さん、安井 郁夫さん、他10人

文屋 善明
22時間前 ·
「昨日のFB 12/21」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8 宮田 真也さん、文屋惠さん、他6人

文屋 善明
21時間前 ·
今日の「折々のことば」は○を描いて、その内と外とを論じている。その際に、自分が何処に立っているのかによって、内と外とがハッキリする。まるで相撲の話のようである。相撲はあくまでも○の中(土俵の中)での勝負であって、土俵の外での勝負があってはならない。
日本の相撲界は、○(部屋)の集団であり、○の外は相撲界の外である。その○の中に親方と弟子とが生きており、親方は生涯の師匠である。その○がいくつか集まって「同門」を形成し、日本相撲協会の理事会は形成されている。ところが、最近、日本の相撲界に○の他に人間集団が形成され、それが一つの勢力となっている。モンゴル力士会とか称するらしい。そこには「親方」はいないがボスがいる。ボスの権限は絶対で、ボスに逆らうと制裁を受ける。立場の弱い部屋は、力の強いモンゴル人横綱の言いなりになっているように見える。
と、まぁ、そこで止めておこう。
画像に含まれている可能性があるもの:テキスト
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1555309407879848&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

23 宮田 真也さん、Motoyama Youkoさん、他21人

文屋 善明
16時間前 ·
貴重な資料です。保存
自動代替テキストはありません。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10215111952853700&set=a.2355788495636.138181.1277935117&type=3&theater

田中 隆夫
16時間前 ·
米田佐代子の「森のやまんば日記」 の新規投稿 ブログより
公開された「湯川秀樹日記」と「平塚らいてう日記」の接点 

今朝(22日)の朝日新聞を読んで「目が点」になりました。「湯川秀樹の戦後の日記公開」の報道です。日記があることは知っていましたが、戦後の内容は初めて知りました。
湯川秀樹が戦後ノーベル物理学賞を受賞、その後冷戦体制のもとで大国の核実験競争に反対して終生核廃絶の運動に奔走したことは知られていますが、その彼が日本の原爆開発要員の一人であったことをもって「戦争加担者」という意見があることも事実です。しかし今回公開された敗戦直後の日記から、彼が戦後すぐには原爆について「公的発言を拒んで」「沈思と反省の日々」を送った時の思いの一端が紹介されています。1945年11月にはじめて「戦争は人類の幸福の破壊者」と発言、「科学飲みが異常に発達し、人間の道義心がこれに伴わぬ場合には、化学はかえって人類を破滅に導く原動力とさえなり得る」と断言したとあります(京都新聞デジタル版12月22日付より)。

わたしがすぐに思ったのは、戦後平塚らいてうが、湯川秀樹とともに核廃絶を求めて運動し、彼のパートナーであった湯川スミさんとも深い交流があったという事実です。らいてうが1971年に亡くなったときの葬儀に京都から湯川秀樹が駆けつけたのはその結びつきでした。そして奇しくもらいてうが残した1冊の日記帳が、らいてうと湯川秀樹のかかわりを語っているという事実を思い起こしたからです。

それは、古ぼけた小型の大学ノートです。らいてうの家オープン前に亡くなった前会長の小林登美枝さんが保管していた資料のなかから出てきました。この資料については断片的なもの判読困難なものも多く、資料的価値についての検討はこれからですが、少なくともらいてうの肉筆原稿や日記(断片が多い)、書簡等、これまで知られていかったらいてう像探求の手掛かりになると考え、数年がかりでカード作成を試みてきました。可能なものは公開したいと思うのですが、著作権やご遺族のご意向もあり、判読にも手間がかかって研究集団でないらいてうの会の手には余る仕事です。それでも、比較的判読可能でしかも戦後のらいてうの行動を知るうえで重要と思われた資料がこの日記帳でした。

それは、不思議な出会いでした。ダンボールに詰め込んだままになっていた資料の置き場所もなく、しばらくは倉庫に預けておいたのですがそれでは内容をみることもできない。しかたないのでわたしが真田町にアパートを借り、その1室に運び込んで有志で整理を始めました。わたしがらいてうの家に行ったときは泊まり込み、夜中に箱を開けてみたことも。ある夜、それは「天の啓示」のようにわたしの目の前に現れたのです。「日記とは思ていませんでした。気になって開けてみたら、日記をキチンと書かないらいてうにしては珍しくびっしりと書かれ、書きき直しも加筆もほとんどない日記帳でした。以下はわたしが『平塚らいてう紀要』10号(2017年6月)に書いた解説の引用です。

<A5判大学ノートの表紙に「1953~1957-58」と書かれた日記帳があり、新聞の切り抜きが多数貼り付けてあるほかは殆ど修正がなく、びっしりと書かれている点で1950年代にらいてうが国際民婦連や世界平和アピール7人委員会などに参加していく時期の記録として貴重である。特にこの時期は「ビキニ水爆実験」(1954)を受けて日本の原水爆禁止運動が高まり、ノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹らによる国際的活動が注目された時期であり、それらを報じた新聞記事の切り抜きが多数貼り付けられていて、らいてうの関心の深さを示している>

戦後の「らいてう日記」1953~58
湯川とらいてうの接点は、らいてうが戦後平和運動に関心を持った時出会った「世界連邦運動」でした。このいきさつは省略しますが、らいてうはすべての国が軍備を持たず、「一国主権を制限して<いかなる国も戦争する権利はない>という原理」に立った世界連邦に共鳴したのです。その源流はカントの「世界国家」思想にも連なるとされ、らいてうも第一次世界大戦のときカントを読んで「世界民思想」に共鳴したことが知られていますが、同じとき湯川も世界連邦こそ核兵器廃絶の途であると信じて運動に参加、1955年二本で世界連邦運動を主導していた下中弥三郎が中立的な立場から「世界平和アピール7人委員会」を結成したとき、ここに参加します。平塚らいてうもメンバーになり、そこで湯川との交流が生まれたのでした。らいてう日記帳には湯川が世界各国で訴えた記事が貼り付けられています。「物理学者は核兵器を生み出した。それをなくすのも物理学者の使命である」と訴え続けた湯川にらいてうは深い信頼を寄せ、その後女性の手で反核運動が始まったときに「女性の科学者の活動を」と強く主張したことは有名です。

らいてうの戦後の平和活動について、「戦時中は市川房枝らとともに国策協力した戦争加担者」という見方があり、「戦後そのことを反省していない」途いう意見も少なくありません。しかし、らいてうは1941年12月の日米開戦以前にすでに「このままでは自分にはもう戦争に抵抗できる力がない」ことを悟り、市川のように「女性が何もしなければ権利は得られない」と「涙を呑んで国策協力」に至るのとは違う道―東京をはなれて「疎開」する道を選びます。それは「逃亡」にすぎなかったかもしれません。そしてらいてうは戦後しばらく疎開地にとどまったまま「沈黙」します。それも「過去の人」として相手にされなかったのかもしれない。物書きで食べていたはずのらいてうがほとんどメディアに登場することもなく、「沈思」した末にたどり着いたのが「世界のどの国も敵としない」「すべての軍備を亡くす」という「非武装・非交戦」の理念でした。日本国憲法九条に出会ったとき、これこそ自分にピッタリと思ったそうです。日本の世界連邦運動については複雑な動きがあり、今回の報道でも触れられていませんが、これについてのらいてうの肉筆メモも発見されていて、戦後の平和思想の一端を示しています(これは『紀要』8号の拙稿「平塚らいてうにおける戦後平和思想とその実践―自筆メモ『世界連邦運動』を読み解く―」を読んでください)。

らいてうは戦争に反対できなかった自分を「愧じて」いました。自分で考え、自分の意志で行動することをモットーとしてきたらいてうが、戦争の巨大な波に抵抗できなかったことを愧じ、「戦時中の女性は無権利で、戦争に反対できなかった。戦後女性は主権者になったのだから、今戦争になれば女性に責任がある」として平和運動ひとすじの道を歩いたことは、湯川が沈黙ののちに核兵器廃絶のために立ちあがる過程とつながっているように思われます。

この日記に、今らいてうの家が建つあずまや高原にらいてうが土地を求めたいきさつや奥村博史が上海で『魯迅臨終の図』を描いたいきさつももわかる貴重な資料です。今、これだけでもデジタル化して公開できないか模索中です。湯川日記には戦中瀬後の分のほかに1954年の分もあるそうですが、これはらいてう日記とも重なる時期です。両方を突き合せると戦後平和運動の構図が見えてくるかもしれない?

なお、この資料の研究にについては昨年日本女子大学の第12回平塚らいてう賞「特別」を受賞、『紀要』10号(2017年6月刊)に「平塚らいてう資料」の概要―第12回平塚らいてう賞「特別」受賞に寄せて―」(米田)という報告を出してあります。来年3月には記念講演をすることに。それまでに懸案のブックレット「らいてう小伝」を書かねばならないのですが年内締め切りのはずがまだ3分の一もかけていません。そこへ湯川日記の出現です。カミサマ(こういうときだけ)、わたしに時間をください・・・。

2 東山 富昭さん、清水 晴好さん

文屋 善明
15時間前 ·
この辺り(九州北部玄海灘沿岸)では、これが今年最後の快晴だとか。今朝の採血の結果と、午後からの輸血と現在の体調とを考慮して、家庭での休養中は、輸血の必要なしということでした。来週には一時、退院が出来るようになりました。
画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、屋外

47 瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他45人
コメント

鎌野 健一 クリスマスから新年はご家族と一緒に過ごせるとは幸いですね。全くの癒しを祈ります。

Izumi Nara よかった。ゆっくりとご自宅でお過ごしくださるように願います

徳善 義和 我が家でのクリスマスに主の祝福!

文屋 善明
3時間前 ·
今年を代表するクリスマスツリーです。
画像に含まれている可能性があるもの:空、テキスト、屋外
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1657306657662759&set=a.186899218036851.46834.100001503213599&type=3&theater

高倉 章弘
12月21日 13:28 ·
日本国を代表する嘘吐きは1日にしてならず☝️😲

10 あなた、文屋惠さん、櫻井吉田啓子さん、他7人

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