お早うございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。今日はほとんど一日中「宛名職人」のデーター入力。使い方がまだ分からない。日本シリーズはホークスが1点に泣いた。11時過ぎに就寝。今朝は5時半に起床。今日は久留米聖公教会での礼拝奉仕だ。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:46:02
#losungenj 今日のローズンゲン 11月20日(日): 主はわたしたちの神、主の裁きは全地に及ぶ。(詩105:7) 従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。(ロマ14:13)
posted at 05:50:55
#losungenj 私の黙想:
ここで「裁き」という言葉に拘ってはならない。それは単に「支配」ということを意味している。ここで重要な点は、私たちのヤハウェが全世界の神であるという点にある。もしヤハウェが全世界の神、普遍的な神だとすると、ヤハウェと私たちとの特別な関係(契約)は解消されてしまうではないか。私たちがヤハウェなる神を信じるということにどんな意味があるのだろうか。イスラエルの民はこの根源的な問いの前に立たされている。ユダヤ教の民族主義を克服するまで後一歩。ここを打ち破ったとき、キリスト教が生まれる。
posted at 06:02:18
今日の名言: RT @wisesaw:
結婚は夫、または妻によって創り出されるものではなく、 逆に夫と妻とが結婚によって創られるのだ。 (マックス・ピカート)
<一言>そうなんだ。確かにそうなんだ。親子関係も同じだ。親になり、子になることによって親子関係が成立するのだ。
posted at 06:13:18
「昨日のツイート 11/19」をブログにアップしました。 http://t.co/QUxo7CUl
posted at 06:26:59
久留米聖公教会での礼拝奉仕を終えて帰宅。これでA年の詩編からの説教は終わった。さて、次はマルコ福音書からの説教だ。
posted at 16:29:14
琴奨菊の対戦相手は好調の鶴竜、すごい、すごい、がぶりも出たし、最後は上手投げ。中日での勝ち越しは素晴らしい。
posted at 17:50:22
<FBより>
門叶 国泰
日々の聖句(今日のローズンゲン 2011-11-20)
今日のローズンゲンは、詩編105:7です。新共同訳「主はわたしたちの神、主の裁き(ミシュパート)は全地に及ぶ。」各種の訳は:RSV(=マソラ原文)「He is the Lord,our God;」フランシスコ会訳「主こそわたしたちの神。」新改訳「この方こそ、われらの神、主。」
この詩は選民イスラエルの、「この方は、わたしたちの神だ。わたしたちは選ばれている。神の律法を守って来た。だから、わたしたちは裁かれない。神はわたしたちに抵抗する諸国民を裁かれる」との強烈な「信仰告白(祝福と呪い)」である。新共同訳は表現が少し弱いのではないか。
対する新約はロマ14:13「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずき(πρόσκομμα)となるものや、妨げ(σκανδαλον)になるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。」
「裁くな(κρίνω)」と勧めるパウロは、同じ用語を用いて「決心しなさい(κρίνω)」と言う。ここでパウロは、「κρίνω:裁き」を「極め付けてしまう」と言う程度の意味で用いている。同じ用語だが、「神の裁き:κρίνω(ヨハネ3:17)」とは根本的に異なる。
新共同訳が「つまずき(πρόσκομμα)」「妨げ(σκανδαλον)」と訳した言葉を、口語訳・新改訳・フランシスコ会訳は反対に「妨げ」「つまづき」と訳している。「πρόσκομμα」は「つまずきの石(ロマ9:32)」とも訳されるから、「道端の石」のようなものだろうか?「σκανδαλον」は、「わな」とも訳されるから、「石」とは異なる何か「意図的なもの」だろうか? ただしロマ9:32,33ではイザヤ8:14を引用して「つまずき(πρόσκομμα)の石」「妨げ(σκανδαλον)の岩」と並べてある。あまり違いはないのだろうか? 新共同訳が「つまづき」と訳したヘブル語「ネゲフ」の原意は「blow,striking」、「妨げ」と訳した「ミフショール」の原意は「stumbling」(BDB)。イザヤ書から読む限りは、口語訳・新改訳・フランシスコ会の方がより原文に近い訳のようだが、良くは分からない。
今朝も、原典講読で時間切れ! 主の日、教会へ。この世の様々な御事情により礼拝に集えない兄弟姉妹を覚える。主の祝福が豊かにありますように!
文屋 善明 確かに、この段階では「未だ」普遍性は確保されていませんが、ヤハウェの「世界支配」を視野に入れるということは、その芽生えだとみなすことができる。その際に常に「自分たち」を神の世界支配の奉仕者として特別な地位(「祭司の国」等)を確保することによって、自分たちを納得させている。
門叶 国泰 良く分かりました。感謝!
<補遺>マック用のソフト「宛名職人」の使い方がわからず、マニュアルを読んでもなかなか理解できなかったが、あれこれ試みている内にやっと使えるようになった。しつこく、ゴチャゴチャやっていると出来るようになるものだ。これでマックのアドレスブックも自由に使えるようになり、iPot touchとの相性も良くなった。
posted at 05:46:02
#losungenj 今日のローズンゲン 11月20日(日): 主はわたしたちの神、主の裁きは全地に及ぶ。(詩105:7) 従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。(ロマ14:13)
posted at 05:50:55
#losungenj 私の黙想:
ここで「裁き」という言葉に拘ってはならない。それは単に「支配」ということを意味している。ここで重要な点は、私たちのヤハウェが全世界の神であるという点にある。もしヤハウェが全世界の神、普遍的な神だとすると、ヤハウェと私たちとの特別な関係(契約)は解消されてしまうではないか。私たちがヤハウェなる神を信じるということにどんな意味があるのだろうか。イスラエルの民はこの根源的な問いの前に立たされている。ユダヤ教の民族主義を克服するまで後一歩。ここを打ち破ったとき、キリスト教が生まれる。
posted at 06:02:18
今日の名言: RT @wisesaw:
結婚は夫、または妻によって創り出されるものではなく、 逆に夫と妻とが結婚によって創られるのだ。 (マックス・ピカート)
<一言>そうなんだ。確かにそうなんだ。親子関係も同じだ。親になり、子になることによって親子関係が成立するのだ。
posted at 06:13:18
「昨日のツイート 11/19」をブログにアップしました。 http://t.co/QUxo7CUl
posted at 06:26:59
久留米聖公教会での礼拝奉仕を終えて帰宅。これでA年の詩編からの説教は終わった。さて、次はマルコ福音書からの説教だ。
posted at 16:29:14
琴奨菊の対戦相手は好調の鶴竜、すごい、すごい、がぶりも出たし、最後は上手投げ。中日での勝ち越しは素晴らしい。
posted at 17:50:22
<FBより>
門叶 国泰
日々の聖句(今日のローズンゲン 2011-11-20)
今日のローズンゲンは、詩編105:7です。新共同訳「主はわたしたちの神、主の裁き(ミシュパート)は全地に及ぶ。」各種の訳は:RSV(=マソラ原文)「He is the Lord,our God;」フランシスコ会訳「主こそわたしたちの神。」新改訳「この方こそ、われらの神、主。」
この詩は選民イスラエルの、「この方は、わたしたちの神だ。わたしたちは選ばれている。神の律法を守って来た。だから、わたしたちは裁かれない。神はわたしたちに抵抗する諸国民を裁かれる」との強烈な「信仰告白(祝福と呪い)」である。新共同訳は表現が少し弱いのではないか。
対する新約はロマ14:13「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずき(πρόσκομμα)となるものや、妨げ(σκανδαλον)になるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。」
「裁くな(κρίνω)」と勧めるパウロは、同じ用語を用いて「決心しなさい(κρίνω)」と言う。ここでパウロは、「κρίνω:裁き」を「極め付けてしまう」と言う程度の意味で用いている。同じ用語だが、「神の裁き:κρίνω(ヨハネ3:17)」とは根本的に異なる。
新共同訳が「つまずき(πρόσκομμα)」「妨げ(σκανδαλον)」と訳した言葉を、口語訳・新改訳・フランシスコ会訳は反対に「妨げ」「つまづき」と訳している。「πρόσκομμα」は「つまずきの石(ロマ9:32)」とも訳されるから、「道端の石」のようなものだろうか?「σκανδαλον」は、「わな」とも訳されるから、「石」とは異なる何か「意図的なもの」だろうか? ただしロマ9:32,33ではイザヤ8:14を引用して「つまずき(πρόσκομμα)の石」「妨げ(σκανδαλον)の岩」と並べてある。あまり違いはないのだろうか? 新共同訳が「つまづき」と訳したヘブル語「ネゲフ」の原意は「blow,striking」、「妨げ」と訳した「ミフショール」の原意は「stumbling」(BDB)。イザヤ書から読む限りは、口語訳・新改訳・フランシスコ会の方がより原文に近い訳のようだが、良くは分からない。
今朝も、原典講読で時間切れ! 主の日、教会へ。この世の様々な御事情により礼拝に集えない兄弟姉妹を覚える。主の祝福が豊かにありますように!
文屋 善明 確かに、この段階では「未だ」普遍性は確保されていませんが、ヤハウェの「世界支配」を視野に入れるということは、その芽生えだとみなすことができる。その際に常に「自分たち」を神の世界支配の奉仕者として特別な地位(「祭司の国」等)を確保することによって、自分たちを納得させている。
門叶 国泰 良く分かりました。感謝!
<補遺>マック用のソフト「宛名職人」の使い方がわからず、マニュアルを読んでもなかなか理解できなかったが、あれこれ試みている内にやっと使えるようになった。しつこく、ゴチャゴチャやっていると出来るようになるものだ。これでマックのアドレスブックも自由に使えるようになり、iPot touchとの相性も良くなった。