断想:降臨節前主日(T29)の福音書
ロバに乗った王 ルカ19:29-38
1. 王の主日
森紀旦主教は『主日の御言葉──教会暦・聖餐式聖書日課・特祷──』で、この主日について次のように述べている。
<降臨節前主曰(特定29)はローマ・カトリック教会では「王であるキリスト」の主日と呼ばれています。この主日は1925年12月11日の回勅によってビウス11世(1857-1939)が制定した祝日です。当初は10月最後の主日でしたが、1970年からは1年最後の主日すなわち降臨節直前の主日に守られるようになりました。この祝日は、キリストが王としてあまねく支配していること、それが目に見えるかたちで実現し、全人類がその王国で平和の内に生きることを望むようにと、世界の歴史の最終的な目的の日の実現を、祝い願う日です。いくつかの聖公会では以前から非公式に守られていましたが、近年の祈祷書改正の動向の中で公式に「王であるキリスト」「キリストの支配」の主日と明示して、大切に守る教会が増えてきました。>(152頁)
日本聖公会の祈祷書では1年の最後の主日を「王の主日」というように名付けてはいないが、聖書日課や特祷などはその主旨に従っている。ということは、つまり日本聖公会ではこの主日は必ずしも「王であるキリストの主日」ではないが、この日に読まれる聖書日課はカトリック教会の日課に従っているという意味である。日本聖公会の祈祷書を改正した委員の人たちは明らかにカトリックよりの立場で改正作業を行ったのだと思われる。ちなみに、古い祈祷書では「王なる主日」というような位置づけはしていない。
しかし、聖書日課がそういう位置づけであるので、1年の最後の主日にキリストが王であるという意味はどういう意味なのか、考えることも意味があると思う。
2. 資料と語義
ここの段落は28節から40節までが一塊であり、29節から38節までが物語の中心となるいわゆるイエスの「エルサレム入城」の記事である。28節はその出来事を予感させる「序」の言葉である。「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上っていかれた」。イエスと弟子たちは今までにも何度もエルサレムに来られているが、この言葉によって今までのエルサレム旅行とは違うということを感じさせる言葉である。「このように話してから」という言葉は非常に重要なことを示唆している。つまり、11節から始まる「ムナの譬え」は王位を受けて帰還する王の物語であり、王としてのイエスを暗示する譬えである。従って「先に立って進み、エルサレムに上って行かれた」という言葉も11節の「エルサレムに近づいておられ」ということを受けている。現実的にはイエスはエルサレムに「来た」のではあるが、意味論的にはイエスはエルサレムに帰還したのである。エルサレムこそイエスの出発点であった。その意味でルカがイエスの生涯の始まりをエルサレムの神殿での聖別式(ルカ2:22~38)で始め、12歳の時の出来事を描き、イエスに「わたしが父の家にいるのは当たり前だ」(ルカ12:49)と言わせている。その意味では、ルカは誕生以来エルサレム入城までの期間はいわば王としてのイエスの準備期間であると考えているように思われる。39~40節はその出来事がもたらした「結び」の記事である。
3. マルコとルカとの比較
イエスのエルサレム入城の記事は、4つの福音書全部に出てくる。マタイとルカとはマルコの文章を元にそれぞれ省いたり付け加えたりして独自のメッセージを語っている。ヨハネは明らかに共観福音書とは別の資料によるものである。共観福音書でははっきりしない、今回のエルサレム入りの意味、つまりなぜ「入城」なのか、何故この時エルサレムの人びとはイエスを歓迎したのかということについて、ヨハネは見事に意味付けを行っている。
今回はルカを中心にしてマルコとの資料関係を分析する。
(1) ルカ19:28はマルコにはない。ここでは直前の記事との関係、およびルカ独自の「エルサレムへの旅」の締めくくりとしての位置づけを明確にしている。とくに「先だって進み」および36節の「イエスが進んで行かれると」というマルコにはない言葉を挿入することによってイエスの積極的な行動に注意を向けている。
(2) マルコの「『すぐここにお返しになります』と言いなさい」(11:13)という言葉や、5-6節の会話、「野原から葉の付いた枝」を云々という描写等、ルカの視点からは物語本題に無関係だと思われる言葉を省略し、出来事の中心を明瞭にする。しかし、逆に子ロバに乗る場面については弟子たちの行動(35節)を描き、イエスに仕える弟子たちのかいがいしい姿を強調し、イエスが主役であることを浮き彫りにする。
(3) この場面で最も重要な付加は、「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた」(37節)という言葉で、ルカはこの言葉を付加することによって、イエスを迎える「弟子の群れ」の喜びの理由を強調する。明らかにこの「弟子の群れ」とは教会成立後の信徒たちであり、その喜びの賛美は教会の賛美を反映している。
(4) 弟子の群れが歌う歌詞においてマルコ福音書にある「ホサナ」というユダヤ人特有の賛美の言葉を2つとも省き、「主の名によって来られる方に」を「主の名によって来られる方、王に」と「王に」が付加されてキリストのメシア性を強調する。
(5) 本日のテキストからは外れているが、ルカはこの出来事に39-40節を付加している。「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」。ここでのテキストを学ぶためにはルカが付加した39-40節を無視する訳にはいかない。おそらく、これもルカの時代の教会と社会との関係を反映しているものと思われる。つまり教会は社会にとって「騒がしい集団」(使徒言行録24:5)であったのであろう。
4. 舞台ドラマ
ルカが描くイエス入城のシーンはまるで舞台の上で繰り広げられるドラマ、しかもどちらかというとオペラのようである。いくつかの場面に分けられる。色々な背景があり、ロバが出て来たり、群衆が出て来たりするが、説明はない。それは観る者が感じるべきものなのであろう。
第1場 幕が上がると、場所はエルサレム近郷の村でイエスは弟子たちに「ムナの譬え」を話している。話し終わるとイエスは2人の弟子を選び、「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」。弟子たちは事情がよくのみ込めないようであるが、ともかくイエスの言葉通りに出かける。
第2場 舞台は移り、正面に立派な木が立っており、そこに子ロバが繋がれている。弟子たちは綱をほどいて連れて行こうとする。そこでイエスの言葉通りのことが展開する。ここでは「主がお入り用なのです」という言葉が異常に強調される。
第3場 最初の場面に戻り、イエスと10人の弟子たちが、かの2人の弟子たちが戻ってくるのを待っている。弟子たちが1頭の子ロバを連れて戻ってくる。弟子たちはそれぞれ自分たちの上着を脱ぎ、子ロバに掛けて、イエスを子ロバの背にに乗せる。イエスを乗せた子ロバを先頭に一行は歌を歌いながら、まるで「凱旋軍」のようにエルサレムに向けて出発する。しかし、実際の姿はみすぼらしく、「大将」は貧弱なロバに乗っている。そのアンバランスが滑稽である。
第4場 エルサレムの東側の丘陵地帯が「オリーブ山」と呼ばれる所である。この丘の頂上からはエルサレムの町が一望され、神殿がはっきり見えてくる。おそらく大勢の群衆が一行を出迎えたのはここであろう。村人たちはそれぞれ服を脱いで道に敷き、イエスをあたかも王を迎えるように「王を迎える歌」を歌って歓迎する。
5.ロバに乗った王
本日のテキストにおいて重要な役目を果たしているのは一頭の子ロバである。キリストは子ロバに乗った王である。旧約聖書の預言者ゼカリアは奇妙な預言をしていた。その預言はイスラエルの歴史において長い間謎であった。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ロバに乗って来る」(ゼカリア9:9)。王がロバに乗って来る。これは謎であった。王は戦いに勝ち、多くの兵士に囲まれ、威厳のある軍服を身に纏い立派な馬にまたがり、道路には美しい花がまかれ、エルサレムに入城する。民衆はそれをシュロの小枝を振って歓迎する。それが常識であり、民衆の期待である。まさか、王が子ロバに乗ってエルサレムに入城するとは、期待はずれであり、滑稽以外の何ものでもない。しかし、預言者ゼカリアは既にそれを預言していた。おそらく、ほとんどの人たちはその預言を気にもとめていなかったし、忘れてしまっていたに違いない。
イエスはエルサレムに近づいたとき、弟子たちにロバの準備を命じた。弟子たちは何のことか理解できず、不思議に思ったらしい。イエスもあえて説明しない。ただロバは弟子たちとは関係なく準備されていた。これも謎である。誰が、何の理由でロバを準備したのか、福音書は一切説明していない。誰かがそのために準備をしていた。弟子たちはただそれを連れてくるだけであった。その時の合い言葉が「主のお入り用なのです」であった。
イエス自身の服装もみすぼらしく、これまたみすぼらしい服装の数人の弟子たちとがエルサレムに入るとき、普段と違うことはイエスがロバに乗っていたということだけであった。その時エルサレムの民衆はイエスを大歓迎した、とされる。彼らにとって、ロバなど関係なかった。ロバに乗ろうと、馬に乗ろうと、徒歩であろうと、関係なかったのであろう。民衆はイエスに何かを期待した。現状に希望を持てない民衆はいつも現状を打破する何かを期待している。その意味では、彼らは本当の王を待っていた。これまでにも何度も、繰り返し「王」と称するものがエルサレムに入城してきた。そして民衆は常に裏切られてきた。イエスを歓迎した民衆がどれほど真面目にイエスを歓迎したのかわからない。半分は冗談の積もりだったのかも知れない。しかしユダヤ人の指導者やローマの権力者たちにとっては冗談ではすまされない。エルサレムは常に爆弾を抱える危険な町であった。一寸した冗談が火種になって大爆発を起こすかも知れない。権力者というものは威張り散らしてはいるが、実は常にびくびくしているものである。彼らは常に民衆の動向に過敏である。
私は想像する。おそらく民衆はイエスの一行を見て、一応歓迎したものの、実は幻滅したものと思う。第一印象は、馬も準備できず、その代わりにロバに乗るとは、あまりにもみすぼらしく、弱々しそうである。これでは大きな期待はできっそうもない。
6. ロバである王
これ以上、このことについての考察は止めよう。イエスの弟子たちが、「王はロバに乗ってくる」というゼカリヤの預言を発見するのにはそんなに時間はかからなかったものと思われる。しかし、それを発見したときに、イエスが語ったすべての言葉を理解し始めた。世界を支配する根本的原理は、力ではない。軍事力でも、経済力でもない。ロバに乗る王である。ロバに乗る王とは、ロバのような王と読み替えてもいい。現実の動物としての生物学的特徴ではなく、イメージとしてのロバの特徴は2つある。長い耳と柔和さである。長い耳とは、「聴き従う」という神との密接な関係を意味し、柔和さとは人々に対する働きを示す。ロバは本来「戦う」ための動物ではなく、また「乗る」ための動物でもない。ロバのもっぱらの役割は荷物を運ぶということにある。力は力でも、他人の苦労を自ら担い、仕えるための力である。キリストはまさにロバのような王であった。
キリストによる支配とは先ず第一に「神に聴き従う」ということに基づき、第二にお互いに仕え合うところに実現される。
ロバに乗った王 ルカ19:29-38
1. 王の主日
森紀旦主教は『主日の御言葉──教会暦・聖餐式聖書日課・特祷──』で、この主日について次のように述べている。
<降臨節前主曰(特定29)はローマ・カトリック教会では「王であるキリスト」の主日と呼ばれています。この主日は1925年12月11日の回勅によってビウス11世(1857-1939)が制定した祝日です。当初は10月最後の主日でしたが、1970年からは1年最後の主日すなわち降臨節直前の主日に守られるようになりました。この祝日は、キリストが王としてあまねく支配していること、それが目に見えるかたちで実現し、全人類がその王国で平和の内に生きることを望むようにと、世界の歴史の最終的な目的の日の実現を、祝い願う日です。いくつかの聖公会では以前から非公式に守られていましたが、近年の祈祷書改正の動向の中で公式に「王であるキリスト」「キリストの支配」の主日と明示して、大切に守る教会が増えてきました。>(152頁)
日本聖公会の祈祷書では1年の最後の主日を「王の主日」というように名付けてはいないが、聖書日課や特祷などはその主旨に従っている。ということは、つまり日本聖公会ではこの主日は必ずしも「王であるキリストの主日」ではないが、この日に読まれる聖書日課はカトリック教会の日課に従っているという意味である。日本聖公会の祈祷書を改正した委員の人たちは明らかにカトリックよりの立場で改正作業を行ったのだと思われる。ちなみに、古い祈祷書では「王なる主日」というような位置づけはしていない。
しかし、聖書日課がそういう位置づけであるので、1年の最後の主日にキリストが王であるという意味はどういう意味なのか、考えることも意味があると思う。
2. 資料と語義
ここの段落は28節から40節までが一塊であり、29節から38節までが物語の中心となるいわゆるイエスの「エルサレム入城」の記事である。28節はその出来事を予感させる「序」の言葉である。「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上っていかれた」。イエスと弟子たちは今までにも何度もエルサレムに来られているが、この言葉によって今までのエルサレム旅行とは違うということを感じさせる言葉である。「このように話してから」という言葉は非常に重要なことを示唆している。つまり、11節から始まる「ムナの譬え」は王位を受けて帰還する王の物語であり、王としてのイエスを暗示する譬えである。従って「先に立って進み、エルサレムに上って行かれた」という言葉も11節の「エルサレムに近づいておられ」ということを受けている。現実的にはイエスはエルサレムに「来た」のではあるが、意味論的にはイエスはエルサレムに帰還したのである。エルサレムこそイエスの出発点であった。その意味でルカがイエスの生涯の始まりをエルサレムの神殿での聖別式(ルカ2:22~38)で始め、12歳の時の出来事を描き、イエスに「わたしが父の家にいるのは当たり前だ」(ルカ12:49)と言わせている。その意味では、ルカは誕生以来エルサレム入城までの期間はいわば王としてのイエスの準備期間であると考えているように思われる。39~40節はその出来事がもたらした「結び」の記事である。
3. マルコとルカとの比較
イエスのエルサレム入城の記事は、4つの福音書全部に出てくる。マタイとルカとはマルコの文章を元にそれぞれ省いたり付け加えたりして独自のメッセージを語っている。ヨハネは明らかに共観福音書とは別の資料によるものである。共観福音書でははっきりしない、今回のエルサレム入りの意味、つまりなぜ「入城」なのか、何故この時エルサレムの人びとはイエスを歓迎したのかということについて、ヨハネは見事に意味付けを行っている。
今回はルカを中心にしてマルコとの資料関係を分析する。
(1) ルカ19:28はマルコにはない。ここでは直前の記事との関係、およびルカ独自の「エルサレムへの旅」の締めくくりとしての位置づけを明確にしている。とくに「先だって進み」および36節の「イエスが進んで行かれると」というマルコにはない言葉を挿入することによってイエスの積極的な行動に注意を向けている。
(2) マルコの「『すぐここにお返しになります』と言いなさい」(11:13)という言葉や、5-6節の会話、「野原から葉の付いた枝」を云々という描写等、ルカの視点からは物語本題に無関係だと思われる言葉を省略し、出来事の中心を明瞭にする。しかし、逆に子ロバに乗る場面については弟子たちの行動(35節)を描き、イエスに仕える弟子たちのかいがいしい姿を強調し、イエスが主役であることを浮き彫りにする。
(3) この場面で最も重要な付加は、「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた」(37節)という言葉で、ルカはこの言葉を付加することによって、イエスを迎える「弟子の群れ」の喜びの理由を強調する。明らかにこの「弟子の群れ」とは教会成立後の信徒たちであり、その喜びの賛美は教会の賛美を反映している。
(4) 弟子の群れが歌う歌詞においてマルコ福音書にある「ホサナ」というユダヤ人特有の賛美の言葉を2つとも省き、「主の名によって来られる方に」を「主の名によって来られる方、王に」と「王に」が付加されてキリストのメシア性を強調する。
(5) 本日のテキストからは外れているが、ルカはこの出来事に39-40節を付加している。「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」。ここでのテキストを学ぶためにはルカが付加した39-40節を無視する訳にはいかない。おそらく、これもルカの時代の教会と社会との関係を反映しているものと思われる。つまり教会は社会にとって「騒がしい集団」(使徒言行録24:5)であったのであろう。
4. 舞台ドラマ
ルカが描くイエス入城のシーンはまるで舞台の上で繰り広げられるドラマ、しかもどちらかというとオペラのようである。いくつかの場面に分けられる。色々な背景があり、ロバが出て来たり、群衆が出て来たりするが、説明はない。それは観る者が感じるべきものなのであろう。
第1場 幕が上がると、場所はエルサレム近郷の村でイエスは弟子たちに「ムナの譬え」を話している。話し終わるとイエスは2人の弟子を選び、「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」。弟子たちは事情がよくのみ込めないようであるが、ともかくイエスの言葉通りに出かける。
第2場 舞台は移り、正面に立派な木が立っており、そこに子ロバが繋がれている。弟子たちは綱をほどいて連れて行こうとする。そこでイエスの言葉通りのことが展開する。ここでは「主がお入り用なのです」という言葉が異常に強調される。
第3場 最初の場面に戻り、イエスと10人の弟子たちが、かの2人の弟子たちが戻ってくるのを待っている。弟子たちが1頭の子ロバを連れて戻ってくる。弟子たちはそれぞれ自分たちの上着を脱ぎ、子ロバに掛けて、イエスを子ロバの背にに乗せる。イエスを乗せた子ロバを先頭に一行は歌を歌いながら、まるで「凱旋軍」のようにエルサレムに向けて出発する。しかし、実際の姿はみすぼらしく、「大将」は貧弱なロバに乗っている。そのアンバランスが滑稽である。
第4場 エルサレムの東側の丘陵地帯が「オリーブ山」と呼ばれる所である。この丘の頂上からはエルサレムの町が一望され、神殿がはっきり見えてくる。おそらく大勢の群衆が一行を出迎えたのはここであろう。村人たちはそれぞれ服を脱いで道に敷き、イエスをあたかも王を迎えるように「王を迎える歌」を歌って歓迎する。
5.ロバに乗った王
本日のテキストにおいて重要な役目を果たしているのは一頭の子ロバである。キリストは子ロバに乗った王である。旧約聖書の預言者ゼカリアは奇妙な預言をしていた。その預言はイスラエルの歴史において長い間謎であった。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ロバに乗って来る」(ゼカリア9:9)。王がロバに乗って来る。これは謎であった。王は戦いに勝ち、多くの兵士に囲まれ、威厳のある軍服を身に纏い立派な馬にまたがり、道路には美しい花がまかれ、エルサレムに入城する。民衆はそれをシュロの小枝を振って歓迎する。それが常識であり、民衆の期待である。まさか、王が子ロバに乗ってエルサレムに入城するとは、期待はずれであり、滑稽以外の何ものでもない。しかし、預言者ゼカリアは既にそれを預言していた。おそらく、ほとんどの人たちはその預言を気にもとめていなかったし、忘れてしまっていたに違いない。
イエスはエルサレムに近づいたとき、弟子たちにロバの準備を命じた。弟子たちは何のことか理解できず、不思議に思ったらしい。イエスもあえて説明しない。ただロバは弟子たちとは関係なく準備されていた。これも謎である。誰が、何の理由でロバを準備したのか、福音書は一切説明していない。誰かがそのために準備をしていた。弟子たちはただそれを連れてくるだけであった。その時の合い言葉が「主のお入り用なのです」であった。
イエス自身の服装もみすぼらしく、これまたみすぼらしい服装の数人の弟子たちとがエルサレムに入るとき、普段と違うことはイエスがロバに乗っていたということだけであった。その時エルサレムの民衆はイエスを大歓迎した、とされる。彼らにとって、ロバなど関係なかった。ロバに乗ろうと、馬に乗ろうと、徒歩であろうと、関係なかったのであろう。民衆はイエスに何かを期待した。現状に希望を持てない民衆はいつも現状を打破する何かを期待している。その意味では、彼らは本当の王を待っていた。これまでにも何度も、繰り返し「王」と称するものがエルサレムに入城してきた。そして民衆は常に裏切られてきた。イエスを歓迎した民衆がどれほど真面目にイエスを歓迎したのかわからない。半分は冗談の積もりだったのかも知れない。しかしユダヤ人の指導者やローマの権力者たちにとっては冗談ではすまされない。エルサレムは常に爆弾を抱える危険な町であった。一寸した冗談が火種になって大爆発を起こすかも知れない。権力者というものは威張り散らしてはいるが、実は常にびくびくしているものである。彼らは常に民衆の動向に過敏である。
私は想像する。おそらく民衆はイエスの一行を見て、一応歓迎したものの、実は幻滅したものと思う。第一印象は、馬も準備できず、その代わりにロバに乗るとは、あまりにもみすぼらしく、弱々しそうである。これでは大きな期待はできっそうもない。
6. ロバである王
これ以上、このことについての考察は止めよう。イエスの弟子たちが、「王はロバに乗ってくる」というゼカリヤの預言を発見するのにはそんなに時間はかからなかったものと思われる。しかし、それを発見したときに、イエスが語ったすべての言葉を理解し始めた。世界を支配する根本的原理は、力ではない。軍事力でも、経済力でもない。ロバに乗る王である。ロバに乗る王とは、ロバのような王と読み替えてもいい。現実の動物としての生物学的特徴ではなく、イメージとしてのロバの特徴は2つある。長い耳と柔和さである。長い耳とは、「聴き従う」という神との密接な関係を意味し、柔和さとは人々に対する働きを示す。ロバは本来「戦う」ための動物ではなく、また「乗る」ための動物でもない。ロバのもっぱらの役割は荷物を運ぶということにある。力は力でも、他人の苦労を自ら担い、仕えるための力である。キリストはまさにロバのような王であった。
キリストによる支配とは先ず第一に「神に聴き従う」ということに基づき、第二にお互いに仕え合うところに実現される。