ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/21 正助ふるさと村の藤を見て来ました

2015-04-23 09:09:57 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、次の日曜日の聖研の原稿の仕上げ。午後、家内を病院へエスコート。原ヨハネ福音書の超々訳、第5章。夕食後、「ようこそ、わがやへ」、報ステを見て10時半に就寝、5時半起床。体調・快調、チュン、チュン。

佐々木 弘幸さん、健一 松浦さん、Satoshi Mizotaさん、他25人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 体調を崩している方が目立ちます。
先生ご夫妻が守られて、穏やかな愉しい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。曇りです。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:42:58


文屋 善明
4月21日 6:36 ·
今日の名言:
表面をつくるということは、内部を改良する一種の方法である。 (夏目漱石)
<一言>人は「上っ面だけ」と言うことを馬鹿にする。しかし、上っ面をよくすること、良い格好をすること、身だしなみを整えること、それはその人の内面を磨くことでもある。

金井 由嗣さん、松井 理直さん、佐々木 弘幸さん、他20人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 そうです。同感です。
posted at 06:35:51


文屋 善明
4月21日 7:59 ·
NHKこころ旅。掛川から、掛川に城がある。横山から眺める天竜川、支流のけた川が目的地。天竜浜名湖鉄道で天竜二俣まで輪行。遠州森の石松の看板。横山を目指して出発。天竜川に沿って走る。美しい橋。今朝はここまで。

北村 良輔さん、川染 三郎さん、松井 理直さん、他17人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:09


新しい写真2枚を追加しました。
4月21日 6:22 ·
お目覚めの花。「暑いの、寒いのと言っている内にも季節はどんどん進みますね。桜の季節の最後を飾る私たち(八重)も、もう終わりですね」「これからはどんどん若い花が咲き、人々を慰めてくれることでしょうね」。
文屋 善明さんの写真

竹本 耕造さん、安永 玲子さん、Yutaka Tanabeさん、他29人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
4月21日 6:17 ·
2015日々の聖句 04月21日(火)
ヨブは主に答えて言った。「わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。」(ヨブ40:3~4)
主よ、わたしたちにも祈りを教えてください。(ルカ11:1)
私の黙想:
ヨブ記のクライマックス、ヨブが神に対して人生苦、万物の謎等々様々な疑問を神に直接ぶちまける。それを聞いていたこの世の知恵者エリフが人間の知恵(哲学)を述べることによってヨブをたしなめる。しかしヨブはそんなものでは満足できない。ヨブは黙っている。それを見て、遂に神が登場し、神の圧倒的な力と万物に対する配慮を語る。それが38章、39章である。真打ち登場によってヨブの疑問が解けたわけではない。しかし神ご自身の登場によりヨブは打ちのめされる。今日の聖句はヨブがその時発した言葉である。ヨブは人生の対する疑問の深さにおいて友人たちに対しても又この世の知者の誰に対しても負けていない。その意味では、疑問の深さそのものがヨブの誇りであったのかも知れない。しばしば人間は知っている知識の量よりも知らないことについての疑問の深さが誇りになる。人間の学問とは「知っていることの量」ではなく、「問いの深さ」であると言われる。その意味でヨブは「問う者」つまり「学者」の典型であろう。しかし、ヨブのメッセージは神の前における人間の「問い」の軽々しさである。

松井 理直さん、佐々木 弘幸さん、水草 修治さん、他22人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 難しい~(@_@)
4月21日 7:43 · いいね!

植村 光郎 疑問の深さが、文明を輝かしいもにも、悲惨なものにもした。文明がはかなく消えていくのか?残るのか。


新しい写真3枚を追加しました。
4月21日 6:46 ·
昨日の朝日の夕刊に出ていました。(多分、九州版だけ)非常に喜ばしいニュースなので皆さんにお知らせします。秋頃には熊本市内でこのピアノの披露をかねたコンサートが開催されるかも知れません。その時には、また、お知らせいたします。 
国立療養所菊池恵楓(けいふう)園(合志市)にハンセン病患者らの楽団で使われてきた1台のピアノがあった。いつ、どういう経緯で園に置かれたかは不明だったが、今年に入り、戦前に熊本市にあったハンセン病患者専用の「回春病院」にあったものだとわかった。病院の閉鎖に伴い、外部に持ち出され、同園に持ち込まれたという。楽団解散後は倉庫の片隅に置かれていたが、70年以上の時を経て、回春病院の跡地に立つ礼拝堂に戻されようとしている。
 恵楓園に楽団ができたのは1949年。海軍軍楽隊に所属していた職員の塚本章氏(故人)が楽団を結成した。20~30人の入所者が所属し、バイオリンやサックス、ピアノなどによる定期演奏会を開いていたという。
 娯楽の少ない園内で、音楽は入所者の大きな楽しみだった。元楽団員の杉野芳武さん(84)は「今みたいにテレビもなくて、晩飯を食べてから練習に行くのが楽しみでね」と話す。
 元楽団員の間ではこんな話も伝わる。塚本氏はある日、クラリネットをうまく吹けない入所者から取り上げ、そのま口をつけて吹き出した。隔離政策下の当時は、まだ偏見や差別が強かった。「塚本先生は病気への偏見が全くない人で。家にもしょっちゅう遊びに行っていましたよ」。楽団でトランペットを担当していた工藤昌敏さん(84)は懐かしそうに語る。
 塚本氏は毎日のように熱心に指導を続け、楽団員の中には、退所後にプロを目指したり、熊本市内にあったキャバレーで給料をもらって演奏したりする人もいたという。
 楽団は塚本氏の退職を機に1960年ごろに自然消滅。70年ごろに一度は再結成されたが、80年前後には再びなくなった。その後、ピアノは園内で保管され、一時期は園の社会交流会館で展示されていた。ただ、ピアノがどういう経緯で園に置かれたのかは不明だった。そこで、同館の原田寿真学芸員(29)が今年1月から、入所者への聞き取りや文献などで調査を始め、最近、回春病院で使われていたことがわかった。
 回春病院は、キリスト教の布教のために熊本を訪れた英国人女性のハンナ・リデル(1855~1932)が1895年に創設し、太平洋戦争開戦直前に患者が九州療養所(現・菊池恵楓園)に強制収容されたのを機に閉鎖された。
 リデルの伝記によると、病院には患者のバンドがあり、ピアノも使われていた。ただ、病院の施設を資料館にした「リデル、ライト両女史記念館」(熊本市中央区)には写真が1枚残るだけで、その後の行方はよくわかっていなかった。
 ピアノは傷みが激しく、現在、熊本市内の楽器店が引き取り、修理に向けて調べている。ドイツ製とみられ、うまくいけば秋ごろには音色が戻るという。楽器店の古城康洋社長(44)は「できるだけオリジナルに近い感じに戻したい。修理の過程でピアノの歴史を調べていきたい」と話す。
 修理後は回春病院の跡地で老人ホームを運営するリデルライトホームの礼拝堂に置く予定で、演奏会も計画しているという。
 同記念館の緒方晶子館長(40)は「回春病院が閉鎖された後もすごく大事にされて、楽器として幸せだったと思う。貴重な品で、歴史をつなぐという重みを感じる」と話している。(森田岳穂)
文屋 善明さんの写真

竹本 耕造さん、Yutaka Tanabeさん、嶋津 雅彦さん、他36人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 このピアノ本来の音が蘇えります様にm(__)m


新しい写真15枚を追加しました。
4月21日 16:17 ·
春の暖かい空気に後押しされて、正助村の藤棚の様子を見てきました。藤はまだまだでしたが、筍は育ちすぎの様子でした。誰も採らないのだろうか。もう採った跡か?
文屋 善明さんの写真

Richard Bakerさん、金丸 勝彦さん、石松 周さん、他68人が「いいね!」と言っています。

加藤 佑三 咲き始めも充分綺麗で、香りも丁度良かったのでは?
4月21日 17:28 · いいね! · 1

新島広治 · 共通の友達: 三浦 三千春さん、他48人
藤の花 いずれ劣らぬ
春の香 四季の趣 にほい香草わし

嬉々感謝

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