お早ようございます。主の平和。『藝人春秋』を続読。言葉の魔術師・古館伊知郎論が面白い。聖霊について考え、まとめる。私の内にあって私を超える者。聖霊については体験的にしか語れない。久しぶりに釣川土手を散歩。「刑事110キロ」に続いて「ダブルス」を見始めたがダウン。9時過ぎに就寝、3時半起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 04:44:40
Yasuo Hirose おはようございます。今、20年振りの再会を目的に川崎に向かっています。マックに寄ってモーニングコーヒーをのんびり飲んでいます。今日は一日、晴れそうです。
今日の名言:RT @wisesaw:
大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。 日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。(ジョン・パウル)
<一言>パウルさんがどなたか存じませんが、今朝一番に飛び込んできた名言です。今、私は日曜日ばかりの人生を送っています。だから曜日を忘れないように毎日テレビを見て曜日を確認しています。
posted at 05:42:58
「昨日のツイート 05/02」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/65af05891c0501c2eafd751d0aaed60…
posted at 06:29:28
日々の聖句2013 05月03日(金)
主よ、あなたの慈しみが、とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。(詩138:8)
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェ2:10)
私の黙想:
言葉とは面白いものである。「御手の業」(新共同訳)というのも「あなたの手の業」(フランシスコ会訳)というのも訳語としては意味の違いはない。ところが印象的には前者は今も継続している神の創造の業をイメージし、後者は「わたし」をイメージする。何故だろうと考える。「あなた」という語が入るか入らないかの違いである。おそらく「あなた」という語が「わたし」を引き出しているのか。「御手」という敬語が関係を疎遠にしているのか。「あなたの手」という言葉にはぬくもりを感じる。「御手」という言葉には神の偉大さを感じる。この詩においては「聖なる神殿」、「地上の王は皆」、「大いなる栄光」が高らかに歌われると共に、小さいわたしに「あなたは手を伸ばし」「あなたの右の手」が救ってくださると歌う。神の偉大さは偉大さの故に、小さいわたしには遠くに感じるが、その関係を「放さない」で下さいという祈りである。漫才での相方がどんどん有名になっていくとき、それを眺めている残された相方の寂しさに通じる。敬語の使い方は難しい。
お目覚めの花。「バラはいろいろあるけれど」「バラの中のバラは」「それは赤いバラ」。(家内の一番好きな花がバラで、その中でも赤いバラがベスト。というわけで100万本は無理なので3本だけ。このバラの名前は「熱情」、家内は「情熱」www) (写真4枚)
小泉 麻子さん、野間 悦三さん、鎌野 健一さん、他38人が「いいね!」と言っています。
水草 修治 アツアツですかWW
細野 清明 まるで、私の心のようだぁ~! 目がシャキ…\(^o^)/ 今日は、祝うぉ~たぁ~!!!
文屋 知明 「〽百万本のバラの花を~・・〽」この歌久しぶりですね~!
文屋 善明
5月3日(1728年)はローズンゲンが発足した記念日です。ということで、簡単に紹介しておきます。(詳細は私のFBノートに掲載されています)
1.ローズンゲンとは
「ローズンゲン(日々の聖句)」はドイツのヘルンフート兄弟団が1728年から発行している聖書日課です。旧約聖書の中から、短い聖句を選び出し、断片化し、混ぜ合わせ、そこから籤(くじ)で、一日一句の聖句を選び出します。その聖句は「人間の思いを超える神意として、わたしたちに与えられるものです。その上で、その聖句に見合う新約聖書の言葉を、今度は聖書の専門家たちが協議して選び出して付け加えます。従ってあくまでも籤によって選び出された旧約聖書の言葉が中心です。なぜ旧約聖書なのか何の説明もありませんが、わたしは旧約聖書だからとても良いと思っています。新約聖書の言葉はそれを補うものですが、決して解説や説明を加えていません。なぜ、そんな言葉が選ばれたのかということも黙想のヒントになります。考え、理解し、納得するのはあくまでも日毎にそれを読む者の課題です。この方法は1728年以来、280年以上変わっていません。現在ドイツ語圏では毎年100万部以上が発行され、ドイツ語以外では43の言語に翻訳されていると言われています。おそらく全世界では200万人の愛読者がいると推測されています。
ドイツ語の「ローズンゲン」という言葉は「合言葉」という意味です。これを日毎に読むことによって一つの共同体に属していることを確認するという意味もあるのかもしれません。
2.ヘルンフート兄弟団とは
これを発行しているヘルンフート兄弟団は、ドイツ敬虔主義の伝統を受け継ぐプロテスタントの共同体で、1727年にニコラオス・L・ツィンツェンドルフ伯(Zinzendorf 1700-1760)によって設立されました。伯爵が設立したというよりも、宗教改革と反宗教改革のうねりの中で、祖国を追われたモラヴィア(ドイツ語ではメーレン、現チェコの中部)から国境を越えてドイツのザクセン地方へと逃れてきたプロテスタントの人々に、伯爵が領土の中で保護し、住む場所と働き場所を提供したのが始まりです。「ヘルンフート"Herrnhut"」という言葉は「主の守り」を意味いたします。もちろん、この場合のヘルン(主人)とは伯爵ではなく「主イエス・キリスト」です。日本語では「同胞教会」と訳され場合もあります。この団体はメソジスト教会の創立者ウェスレーにも大きな影響を与えました。
日本語のローズンゲン2010年版の「あとがき」によりますと、ドイツ語版では新約聖書の後に、祈りや瞑想のために役立つ賛美歌の一節やいろいろな人の祈りなどが第3のテキストとして続いているとのことですが、日本語版ではそれは省略されている。わたしは省略されて正解だと思っています。
3.ローズンゲン論
ローズンゲンについての日本語の文献としては、宮田光雄先生の『御言葉はわたしの道の光――ローズンゲン物語』(新教出版社)がありますが、現在のところ版元切れになっており古本屋を探すしかありません。宮田先生は政治思想史の専門で、とくにドイツにおける政治思想について『西ドイツの精神構造』で学士院賞を受けられた方です。先生がキリスト教に始めて接せられたのは旧制第三高校1年生の時で、その翌年1946年12月に「郷里の小さな伝道所」で洗礼を受けられたとのこと。三高を卒業し東大法学部に進み、南原繁先生と出会い、「国家と宗教」を専攻することとなります。先生が著された著作としては『権威と服従――近代日本におけるローマ書十三章』という名著があります。先生がローズンゲンと出会ったのは1960年代の初め頃ドイツに留学されたときのことで、「それ以後40年近く、毎日、それを用いている」(85頁)とのことです。
宮田先生はこの著書の中で「『日々の聖句(ローズンゲン)』の精神史」と題して、ローズンゲンが生まれた事情、聖句の選び方、読まれてきた歴史、現代の証言、正しく読むためのサジェスチョンを分かりやすく書いておられます。
この書が現在絶版ということなので少し詳しくご紹介したいと思います。
4.現在、どのようにしてローズンゲンは作られているのでしょうか。
現在ローズンゲンはどのようにして作られているのかということについて、宮田先生は次のように述べておられます。私は、ヘルンフート兄弟団を訪ねたとき、本部管理棟に案内され、その特別の会議室で行なわれる慣行について説明してもらいました。ローズンゲンのため集成された膨大な数の旧約聖書の聖句カードが、たくさんのボックスに収納されていました。これらの聖句集成は、折にふれて再検討されるとのことでした。兄弟団指導部のメンバー、ヘルンフートの教会牧師、さらにローズンゲン作成担当者などによる特別の会合がもたれ、祈りののちに、来たるべき三年後の日毎のローズンゲンが、順次、ボックスから引き出されて確定されるのです。世界の各地でなされる多くの翻訳に備えるためにも、すでにそんなに早い時点でローズンゲンの編集作業がなされねばならないのです。
この会議の議事録は慎重に記録にとどめられ、引き出されたローズンゲンの聖句は一つ一つその本文が読み上げられます。旧約聖書から引き出されたローズンゲンの聖句にたいして新約聖書からの《教えのテキスト》がつけ加えられます。その選定には、ヘルンフート兄弟団の指導部から特別に選ばれた兄弟団のメンバーが当たります。その衝に当たる責任者によれば、第一に、ローズンゲンと「教えのテキスト」は、その日の合言葉になるように考慮されなければなりません。そのためには、いずれも余り長すぎてはならないでしょう。第二に、「教えのテキスト」はローズンゲンの聖句に並べられて、その新約聖書的解釈となるものでなければならないでしょう。この関連づけは平行法や対照法、さらに継続法といった仕方で展開されています。>(28頁)
野間 悦三さん、小野 周一さん、篠崎 悟さん、他23人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明
朝から取り組んだ「体験的聖霊(論)」も一応まとまったし、と思っていたところに、昨日注文した小室直樹さんの『日本人のための憲法原論」(集英社)がタイミング良く届いたの読み始める。『藝人春秋』の方はしばらく中断。今日は憲法記念日なので御免なさいね。
Yasuo Hiroseさん、野間 悦三さん、長倉 崇宣さん、他20人が「いいね!」と言っています。
齋藤 篤に投稿しました文屋 善明
どうぞよろしくお願いいたします!!
ちなみに、来週ヘルンフートへまいります。レポートできたらいたしますね。
安部 勉さんが「いいね!」と言っています。
文屋 善明 リクエストをご承認頂き感謝です。これから、良きお交わりをお願いいたします。ヘルンフート・レポート楽しみにしています。
文屋 善明さんが牛島 幹夫さんの近況をシェアしました。
対馬伝道の貴重な資料です。由木康先生のご父君、由木虎松先生の姿が見えます。由木虎松先生は松江の聖者バックストン司祭の弟子でした。由木康先生は若い頃この教会(聖公会)で過ごされました。
対馬の宣教は1900年頃に始まったと言われています。複数の宣教師達が対馬を繰り返し訪問し無教派の家庭集会を持っていたそうです。私の曾祖父牛島惣太郎もその一人です。1905年7月に初めてエビントン監督(主教)が対馬を訪れたといますので、それまでに信徒が生まれていたということだと思います。聖公会厳原聖ヨハネ教会では、この1905年を聖公会宣教開始の区切りの年として覚えています。1911年秋にはついに最初の定住教役者が与えられます。神戸から当地に着任したのは由木虎松伝道師でした。由...もっと見る (写真2枚)
こーる のりこさん、上野 博志さん、大野 泰男さん、他13人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明 私のタイムラインでは見られるようです。
文屋 知明 「由木 康」・・、教会音楽、特に日本の「讃美歌」に触れる者にとっては、忘れてはならない「名前」、「人物」です。
牛島 幹夫 文屋先生シェア感謝です。厳原聖ヨハネ教会に関わるものとして、由木康先生がここ対馬におられたことを誇りに思っています。
文屋 善明 鶴良雄司祭が編集された『厳原聖ヨハネ教会95年史には、由木康先生の中学生頃のことがかなり詳しく記録されています。
牛島 幹夫
11時間前
対馬の宣教は1900年頃に始まったと言われています。複数の宣教師達が対馬を繰り返し訪問し無教派の家庭集会を持っていたそうです。私の曾祖父牛島惣太郎もその一人です。1905年7月に初めてエビントン監督(主教)が対馬を訪れたといますので、それまでに信徒が生まれていたということだと思います。聖公会厳原聖ヨハネ教会では、この1905年を聖公会宣教開始の区切りの年として覚えています。1911年秋にはついに最初の定住教役者が与えられます。神戸から当地に着任したのは由木虎松伝道師でした。由木虎松伝道師は賛美歌作家としてまた礼拝学者として著名であった由木康牧師(日本基督教団東中野教会の牧師を長く務められた)の御尊父であります。由木康牧師も青年時代をこの対馬で過ごされました。由木伝道師は着任後数年で亡くなられてしまい、ご家族は神戸へと帰られました。
さて、写真は明治45年6月6日に厳原町中村の国分写真館で撮られたものです。国分写真館は10年ほど前まで厳原で営業していました。写真前列右端が牛島惣太郎長老(司祭)。中央のひげを生やした人が由木虎松伝道師(推定)です。他の方の名前は分からないのですが、ここに写されている人の名前が分かると、いろいろなことが見えてくるに違いないと思います。
この写真は私が引き継いだ牛島惣太郎司祭の遺品の中にありました。ひいお爺さんの遺品は今は桃山学院の歴史資料室に預かってもらっているのですが、この写真だけは厳原聖ヨハネ教会に関係するものとして、こちらの教会に置いています。
正直なところ、由木先生に連なる方を知っていたら見ていただくのに、と思うこともあります。
あなたと岸本 望さん、臼田 宣弘さん、前田 良彦さん、他27人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明 関学関係の人たちにも見せたいのでシェアします。
原田 佳城 由木先生は由木康先生(きよしこのよる訳者)のお父上ですか?
天婦羅 日之出 勉強になります。どこかで繋がりが芽生えるかもしれません、シェアします。
牛島 幹夫 文屋先生>ありがとうございます。由木康先生を直接ご存知の方やご親族の方がこの写真を見たらなにか分かるのではないかと期待してしまいます。
原田先生>はい、由木虎松伝道師は由木康先生のお父上です。由木康先生はご著書の中で御自身が対馬で生活したころの思い出を書いておられるそうです。(残念ながら私はその本を持ってないのですが。)ちなみに由木虎松伝道師はバックストン宣教師から教育を受けた伝道者の一人です。
天婦羅さん>シェア感謝です。繋がりに期待いたします。
原田 佳城 神戸教区でバックストンを支持しているのは僕だけです。由木先生は確か鳥取県境港の教会にもいらっしゃたのでは
牛島 幹夫 原田先生>えっ?そうなんですか(^^;)
まあ、バックストン師は聖公会という枠にとらわれてない方だったようですから想像できないでもないですが。キリスト教年鑑でいろんな教派の説明を見ると、日本のプロテスタント教派の中でバックストン師の影響を受けたものがあまりにも多くて驚きますよね。由木虎松伝道師は境港にもおられたと思います。記憶は曖昧ですが、、
文屋 善明 バックストン司祭の影響によって「日本伝道隊」という伝道団体が形成され、日本イエス・キリスト教団が生まれ、神戸・塩屋に関西聖書神学校が出来ました。
文屋 善明 日本聖公会の内部からのバックストン研究がもっとなされるべきだと思う。何故、彼は聖公会の外に伝道団体を作ったのか。彼の霊的影響が何故聖公会の中で受け継がれなかったのだろうか。原田司祭、お願いしますよ。
<補遺>バックストン司祭のことが話題になった。
posted at 04:44:40
Yasuo Hirose おはようございます。今、20年振りの再会を目的に川崎に向かっています。マックに寄ってモーニングコーヒーをのんびり飲んでいます。今日は一日、晴れそうです。
今日の名言:RT @wisesaw:
大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。 日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。(ジョン・パウル)
<一言>パウルさんがどなたか存じませんが、今朝一番に飛び込んできた名言です。今、私は日曜日ばかりの人生を送っています。だから曜日を忘れないように毎日テレビを見て曜日を確認しています。
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「昨日のツイート 05/02」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/65af05891c0501c2eafd751d0aaed60…
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日々の聖句2013 05月03日(金)
主よ、あなたの慈しみが、とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。(詩138:8)
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェ2:10)
私の黙想:
言葉とは面白いものである。「御手の業」(新共同訳)というのも「あなたの手の業」(フランシスコ会訳)というのも訳語としては意味の違いはない。ところが印象的には前者は今も継続している神の創造の業をイメージし、後者は「わたし」をイメージする。何故だろうと考える。「あなた」という語が入るか入らないかの違いである。おそらく「あなた」という語が「わたし」を引き出しているのか。「御手」という敬語が関係を疎遠にしているのか。「あなたの手」という言葉にはぬくもりを感じる。「御手」という言葉には神の偉大さを感じる。この詩においては「聖なる神殿」、「地上の王は皆」、「大いなる栄光」が高らかに歌われると共に、小さいわたしに「あなたは手を伸ばし」「あなたの右の手」が救ってくださると歌う。神の偉大さは偉大さの故に、小さいわたしには遠くに感じるが、その関係を「放さない」で下さいという祈りである。漫才での相方がどんどん有名になっていくとき、それを眺めている残された相方の寂しさに通じる。敬語の使い方は難しい。
お目覚めの花。「バラはいろいろあるけれど」「バラの中のバラは」「それは赤いバラ」。(家内の一番好きな花がバラで、その中でも赤いバラがベスト。というわけで100万本は無理なので3本だけ。このバラの名前は「熱情」、家内は「情熱」www) (写真4枚)
小泉 麻子さん、野間 悦三さん、鎌野 健一さん、他38人が「いいね!」と言っています。
水草 修治 アツアツですかWW
細野 清明 まるで、私の心のようだぁ~! 目がシャキ…\(^o^)/ 今日は、祝うぉ~たぁ~!!!
文屋 知明 「〽百万本のバラの花を~・・〽」この歌久しぶりですね~!
文屋 善明
5月3日(1728年)はローズンゲンが発足した記念日です。ということで、簡単に紹介しておきます。(詳細は私のFBノートに掲載されています)
1.ローズンゲンとは
「ローズンゲン(日々の聖句)」はドイツのヘルンフート兄弟団が1728年から発行している聖書日課です。旧約聖書の中から、短い聖句を選び出し、断片化し、混ぜ合わせ、そこから籤(くじ)で、一日一句の聖句を選び出します。その聖句は「人間の思いを超える神意として、わたしたちに与えられるものです。その上で、その聖句に見合う新約聖書の言葉を、今度は聖書の専門家たちが協議して選び出して付け加えます。従ってあくまでも籤によって選び出された旧約聖書の言葉が中心です。なぜ旧約聖書なのか何の説明もありませんが、わたしは旧約聖書だからとても良いと思っています。新約聖書の言葉はそれを補うものですが、決して解説や説明を加えていません。なぜ、そんな言葉が選ばれたのかということも黙想のヒントになります。考え、理解し、納得するのはあくまでも日毎にそれを読む者の課題です。この方法は1728年以来、280年以上変わっていません。現在ドイツ語圏では毎年100万部以上が発行され、ドイツ語以外では43の言語に翻訳されていると言われています。おそらく全世界では200万人の愛読者がいると推測されています。
ドイツ語の「ローズンゲン」という言葉は「合言葉」という意味です。これを日毎に読むことによって一つの共同体に属していることを確認するという意味もあるのかもしれません。
2.ヘルンフート兄弟団とは
これを発行しているヘルンフート兄弟団は、ドイツ敬虔主義の伝統を受け継ぐプロテスタントの共同体で、1727年にニコラオス・L・ツィンツェンドルフ伯(Zinzendorf 1700-1760)によって設立されました。伯爵が設立したというよりも、宗教改革と反宗教改革のうねりの中で、祖国を追われたモラヴィア(ドイツ語ではメーレン、現チェコの中部)から国境を越えてドイツのザクセン地方へと逃れてきたプロテスタントの人々に、伯爵が領土の中で保護し、住む場所と働き場所を提供したのが始まりです。「ヘルンフート"Herrnhut"」という言葉は「主の守り」を意味いたします。もちろん、この場合のヘルン(主人)とは伯爵ではなく「主イエス・キリスト」です。日本語では「同胞教会」と訳され場合もあります。この団体はメソジスト教会の創立者ウェスレーにも大きな影響を与えました。
日本語のローズンゲン2010年版の「あとがき」によりますと、ドイツ語版では新約聖書の後に、祈りや瞑想のために役立つ賛美歌の一節やいろいろな人の祈りなどが第3のテキストとして続いているとのことですが、日本語版ではそれは省略されている。わたしは省略されて正解だと思っています。
3.ローズンゲン論
ローズンゲンについての日本語の文献としては、宮田光雄先生の『御言葉はわたしの道の光――ローズンゲン物語』(新教出版社)がありますが、現在のところ版元切れになっており古本屋を探すしかありません。宮田先生は政治思想史の専門で、とくにドイツにおける政治思想について『西ドイツの精神構造』で学士院賞を受けられた方です。先生がキリスト教に始めて接せられたのは旧制第三高校1年生の時で、その翌年1946年12月に「郷里の小さな伝道所」で洗礼を受けられたとのこと。三高を卒業し東大法学部に進み、南原繁先生と出会い、「国家と宗教」を専攻することとなります。先生が著された著作としては『権威と服従――近代日本におけるローマ書十三章』という名著があります。先生がローズンゲンと出会ったのは1960年代の初め頃ドイツに留学されたときのことで、「それ以後40年近く、毎日、それを用いている」(85頁)とのことです。
宮田先生はこの著書の中で「『日々の聖句(ローズンゲン)』の精神史」と題して、ローズンゲンが生まれた事情、聖句の選び方、読まれてきた歴史、現代の証言、正しく読むためのサジェスチョンを分かりやすく書いておられます。
この書が現在絶版ということなので少し詳しくご紹介したいと思います。
4.現在、どのようにしてローズンゲンは作られているのでしょうか。
現在ローズンゲンはどのようにして作られているのかということについて、宮田先生は次のように述べておられます。私は、ヘルンフート兄弟団を訪ねたとき、本部管理棟に案内され、その特別の会議室で行なわれる慣行について説明してもらいました。ローズンゲンのため集成された膨大な数の旧約聖書の聖句カードが、たくさんのボックスに収納されていました。これらの聖句集成は、折にふれて再検討されるとのことでした。兄弟団指導部のメンバー、ヘルンフートの教会牧師、さらにローズンゲン作成担当者などによる特別の会合がもたれ、祈りののちに、来たるべき三年後の日毎のローズンゲンが、順次、ボックスから引き出されて確定されるのです。世界の各地でなされる多くの翻訳に備えるためにも、すでにそんなに早い時点でローズンゲンの編集作業がなされねばならないのです。
この会議の議事録は慎重に記録にとどめられ、引き出されたローズンゲンの聖句は一つ一つその本文が読み上げられます。旧約聖書から引き出されたローズンゲンの聖句にたいして新約聖書からの《教えのテキスト》がつけ加えられます。その選定には、ヘルンフート兄弟団の指導部から特別に選ばれた兄弟団のメンバーが当たります。その衝に当たる責任者によれば、第一に、ローズンゲンと「教えのテキスト」は、その日の合言葉になるように考慮されなければなりません。そのためには、いずれも余り長すぎてはならないでしょう。第二に、「教えのテキスト」はローズンゲンの聖句に並べられて、その新約聖書的解釈となるものでなければならないでしょう。この関連づけは平行法や対照法、さらに継続法といった仕方で展開されています。>(28頁)
野間 悦三さん、小野 周一さん、篠崎 悟さん、他23人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明
朝から取り組んだ「体験的聖霊(論)」も一応まとまったし、と思っていたところに、昨日注文した小室直樹さんの『日本人のための憲法原論」(集英社)がタイミング良く届いたの読み始める。『藝人春秋』の方はしばらく中断。今日は憲法記念日なので御免なさいね。
Yasuo Hiroseさん、野間 悦三さん、長倉 崇宣さん、他20人が「いいね!」と言っています。
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ちなみに、来週ヘルンフートへまいります。レポートできたらいたしますね。
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文屋 善明 リクエストをご承認頂き感謝です。これから、良きお交わりをお願いいたします。ヘルンフート・レポート楽しみにしています。
文屋 善明さんが牛島 幹夫さんの近況をシェアしました。
対馬伝道の貴重な資料です。由木康先生のご父君、由木虎松先生の姿が見えます。由木虎松先生は松江の聖者バックストン司祭の弟子でした。由木康先生は若い頃この教会(聖公会)で過ごされました。
対馬の宣教は1900年頃に始まったと言われています。複数の宣教師達が対馬を繰り返し訪問し無教派の家庭集会を持っていたそうです。私の曾祖父牛島惣太郎もその一人です。1905年7月に初めてエビントン監督(主教)が対馬を訪れたといますので、それまでに信徒が生まれていたということだと思います。聖公会厳原聖ヨハネ教会では、この1905年を聖公会宣教開始の区切りの年として覚えています。1911年秋にはついに最初の定住教役者が与えられます。神戸から当地に着任したのは由木虎松伝道師でした。由...もっと見る (写真2枚)
こーる のりこさん、上野 博志さん、大野 泰男さん、他13人が「いいね!」と言っています。
文屋 善明 私のタイムラインでは見られるようです。
文屋 知明 「由木 康」・・、教会音楽、特に日本の「讃美歌」に触れる者にとっては、忘れてはならない「名前」、「人物」です。
牛島 幹夫 文屋先生シェア感謝です。厳原聖ヨハネ教会に関わるものとして、由木康先生がここ対馬におられたことを誇りに思っています。
文屋 善明 鶴良雄司祭が編集された『厳原聖ヨハネ教会95年史には、由木康先生の中学生頃のことがかなり詳しく記録されています。
牛島 幹夫
11時間前
対馬の宣教は1900年頃に始まったと言われています。複数の宣教師達が対馬を繰り返し訪問し無教派の家庭集会を持っていたそうです。私の曾祖父牛島惣太郎もその一人です。1905年7月に初めてエビントン監督(主教)が対馬を訪れたといますので、それまでに信徒が生まれていたということだと思います。聖公会厳原聖ヨハネ教会では、この1905年を聖公会宣教開始の区切りの年として覚えています。1911年秋にはついに最初の定住教役者が与えられます。神戸から当地に着任したのは由木虎松伝道師でした。由木虎松伝道師は賛美歌作家としてまた礼拝学者として著名であった由木康牧師(日本基督教団東中野教会の牧師を長く務められた)の御尊父であります。由木康牧師も青年時代をこの対馬で過ごされました。由木伝道師は着任後数年で亡くなられてしまい、ご家族は神戸へと帰られました。
さて、写真は明治45年6月6日に厳原町中村の国分写真館で撮られたものです。国分写真館は10年ほど前まで厳原で営業していました。写真前列右端が牛島惣太郎長老(司祭)。中央のひげを生やした人が由木虎松伝道師(推定)です。他の方の名前は分からないのですが、ここに写されている人の名前が分かると、いろいろなことが見えてくるに違いないと思います。
この写真は私が引き継いだ牛島惣太郎司祭の遺品の中にありました。ひいお爺さんの遺品は今は桃山学院の歴史資料室に預かってもらっているのですが、この写真だけは厳原聖ヨハネ教会に関係するものとして、こちらの教会に置いています。
正直なところ、由木先生に連なる方を知っていたら見ていただくのに、と思うこともあります。
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原田 佳城 由木先生は由木康先生(きよしこのよる訳者)のお父上ですか?
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牛島 幹夫 文屋先生>ありがとうございます。由木康先生を直接ご存知の方やご親族の方がこの写真を見たらなにか分かるのではないかと期待してしまいます。
原田先生>はい、由木虎松伝道師は由木康先生のお父上です。由木康先生はご著書の中で御自身が対馬で生活したころの思い出を書いておられるそうです。(残念ながら私はその本を持ってないのですが。)ちなみに由木虎松伝道師はバックストン宣教師から教育を受けた伝道者の一人です。
天婦羅さん>シェア感謝です。繋がりに期待いたします。
原田 佳城 神戸教区でバックストンを支持しているのは僕だけです。由木先生は確か鳥取県境港の教会にもいらっしゃたのでは
牛島 幹夫 原田先生>えっ?そうなんですか(^^;)
まあ、バックストン師は聖公会という枠にとらわれてない方だったようですから想像できないでもないですが。キリスト教年鑑でいろんな教派の説明を見ると、日本のプロテスタント教派の中でバックストン師の影響を受けたものがあまりにも多くて驚きますよね。由木虎松伝道師は境港にもおられたと思います。記憶は曖昧ですが、、
文屋 善明 バックストン司祭の影響によって「日本伝道隊」という伝道団体が形成され、日本イエス・キリスト教団が生まれ、神戸・塩屋に関西聖書神学校が出来ました。
文屋 善明 日本聖公会の内部からのバックストン研究がもっとなされるべきだと思う。何故、彼は聖公会の外に伝道団体を作ったのか。彼の霊的影響が何故聖公会の中で受け継がれなかったのだろうか。原田司祭、お願いしますよ。
<補遺>バックストン司祭のことが話題になった。