ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 8/20

2011-08-21 06:30:06 | ツイッター
お早うございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。11:30就寝。6:00起床。鎌野君との議論ら面白くなってきた。保守陣営での聖書解釈学もかなり変わってきているようだ。当然だろう。今日から孫息子が来る。しばらく滞在の予定。体調快調。チュンチュン。
posted at 06:11:15

#losungenj 今日のローズンゲン 8月20日(土)
あなたは地の深い淵から、再びわたしを引き上げてくださるでしょう。ひるがえって、わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。(詩71:20-21)
posted at 06:15:29

#losungenj NT
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。(ロマ6:8)
posted at 06:16:59

#losungenj 私の黙想 
死と再生の物語は旧新約聖書を通して繰り返えされる。民族物語としては敗北とリベンジ、神殿の破壊と再建。神殿宗教から言葉の宗教へ。その意味ではユダヤ教からキリスト教への連続性を保ちながらの展開の秘密もそこにあるのか。キリスト教は新生ユダヤ教か。
posted at 06:32:46

今日の名言: RT @meigenbot: 人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。 (福沢諭吉)  
<一言>これをいっているのが福沢諭吉だから面白い。福沢は一貫して「観客」に徹し、幕末から明治にかけてのドラマを冷徹に観ていた。
posted at 06:38:18

昨夜は済みませんでした。議論の途中で寝てしまいました。今の私にとって聖書正典論は過去の議論です。正典論は「神の言葉論」とは異なる次元もテーマです。そこに渡辺正典論の限界がある。RT @nkamano: @ybunya (承前)こんな時間にする議論ではないようです。
posted at 06:47:42

福沢諭吉の言葉がいい。RT @takeharasinichi: 「官を慕い官を頼み、官を恐れ官にへつらい、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜態見るに忍びざることなり。  あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客(居そうろう)たるが如し」『学問のススメ』福沢諭吉
posted at 09:03:54

日本において『聖書外典偽典』(教文館)と呼ばれる文書集が初めて出版されたのは。1975年のことである。1巻約420頁前後で、旧新約聖書に補遺を含めて全9巻である。あれ以後約30年経つ。この書を手にするまで、聖書(正典)は「神の言葉で特別なプロセスで書かれた」と思い込んでいた。続く
posted at 09:20:49

(承前)ところが私たちが聖書として読んでいる文書はそれらの文書群のごく一部で、それ自体人間の手によって選択されたものであり、聖書(66巻)に類似し、ひょっとしたら正典とされたかも知れない文書が殆ど無限にあったということは驚きであり、私の聖書観を革命的に覆させる経験であった。続2
posted at 09:28:01

続3 確かに正典に選ばれた文書と外された文書との間にはかなり明瞭な溝(差)がある。しかし、その境界線はかなり曖昧であることも否めない。人間の読解能力は馬鹿にはできない。そこに「聖霊の働き」を持ち込むほどのことではない。しかし彼らにはそれらの分を識別する基準が必要だった。(続4)
posted at 09:38:01

続4 ということは、この基準(「正典」の語彙は「物差し」)に照らして、これは正典に勝るとも劣らないという文書もあったものと推測される。ただし彼らが正典を決定した目的は混乱を避けるためであり、その意味からも「正典」を特定し、限定し、付加を禁じ、正統主義を確立した。(一旦休止)
posted at 09:46:09

いい句です。愛の壁を経験した者だけが愛の橋を知る、とも読めるし、愛には壁もあれば橋もある、とも読める。愛は分離であると共に結合でもある。愛は壁(困難)を乗り越えるとも読める。 RT @tart_k: 愛の壁知り愛の橋知る #mutamagawa
posted at 16:55:21

@chohsuke 三沢教会の上中牧師夫人と私の家内とは聖書学院時代同級生でした。
posted at 19:26:47

「同級生」というのは間違いで2年先輩でした。上中牧師は私より1年下でした。 RT @ybunya: @chohsuke 三沢教会の上中牧師夫人と私の家内とは聖書学院時代同級生でした。
posted at 19:32:34

猛烈な雨の中孫息子が赤間駅に到着。帰宅ナウ。
posted at 20:19:03

孫息子が来たのを機に『ワンピース』への挑戦を諦めました。やはりカルチャーギャップは大きく、その淵を乗り越えることはできませんでした。潔く撤退します。昨日は息子(社会学者)から「マンガ文化について」のレクチャーを受けましたが、やはり難しすぎて理解不能です。まぁ、仕方がないでしょう。
posted at 22:29:15

<補遺>ワンピースを巡って3つの世代がある。ワンピースを毎月購入し続け、それを大切に保存している世代、62巻まとめて読み理解できる世代、全巻を手にしても読めない世代。まぁ、いいか。私には「のらくろ」と「鉄腕アトム」とがいる。すまんが、あんたら「三ちゃん」って知ってるか。ちゃうちゃ、その「三ちゃん」と違うねん。あの頃、町中どこ歩いても「三ちゃん食堂」ばっかりやった。そういえや、近頃三ちゃん見いへんようなったな。元気にしているやろうか。あの頃既にいい兄ちゃんやったから、まだ生きてれば、85,6歳ぐらいかな。

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