高砂百合があちこちで咲き、暑さ厳しい中で
爽やかさを与えてくれます。
高砂百合は8月になると咲き、百合の仲間では
開花時期が遅い方です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
今日は高砂百合とイチゴミルクに蜜蜂を紹介致します。
柿畑に咲いている「高砂百合」
吸蜜に夢中な「イチゴミルクに蜜蜂」
高砂百合があちこちで咲き、暑さ厳しい中で
爽やかさを与えてくれます。
高砂百合は8月になると咲き、百合の仲間では
開花時期が遅い方です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
今日は高砂百合とイチゴミルクに蜜蜂を紹介致します。
柿畑に咲いている「高砂百合」
吸蜜に夢中な「イチゴミルクに蜜蜂」
現在は、一般の人々の会話に「善良」という言葉がほとんど用いられないのは、「善良さ」という特質を培っていないのかも知れません。先に紹介致しましたが、神エホバの愛の際立った一面の「善良さ」について次のように書き記しています。「神の善良さは何と大きいのであろう」(ゼカリヤ9:17)。私たちは人間は男性も女性も「神の像(かたち)」に創造されていますので、神エホバの示されている「善良さ」を学び、その特質を培うことが出来ます(創世記1:27)。今日は神エホバは永遠の益をもたらす「善良さ」を示していることについて、紹介致します。
私たちは、神エホバの善良さの恩恵を受けています。次のように聖書には記されています。「エホバはすべてのものに対して善良である」と述べています(詩編145:9)。この聖句の証拠については昨日紹介致しました。神エホバの示しておられる「善良さ」は、わたしたちに永遠の益をもたらすのです。イエス・キリストは次のように述べました。「人は、パンだけによらず、エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」(マタイ4:4)。「エホバの口から出るすべてのことば」は聖書に書き記されています。実際のところ、神エホバの霊的な備えは、物質的な備え以上に良いものをもたらします。それは「永遠の命」に通じるからです(ヨハネ17:3.ローマ6:23)。この終わりの日の対処しにくい危機の時代に神エホバは、ご自分の回復させる力を用いて、霊的パラダイスを生み出してこられました(テモテ第二3:1)。その霊的パラダイスの主要な特徴となっているのは、忠実で思慮深い奴隷を通した時宜にかなった霊的食物です(マタイ24:45,46)。
神エホバへの清い崇拝の回復に関する重要な預言の中で、預言者エゼキエルは、栄光を帯びるようになった神殿の幻を見ました。その神殿から水が流れ出、幅と深さは徐々に増してゆき、ついには「二倍の大きさの奔流」となります。その川は流れて行く先々で祝福をもたらします。川の寮岸には、食物といやしを提供する木々が茂っています。そしてその川は、塩分が多くて生物のいない死海にも命と生命力を与えます(エゼキエル47:1~12)では、このすべては何を意味しているのでしょうか。
このエゼキエルの幻は、清い崇拝のためのご自分の取決めを回復されることを意味しています。その取決めは、エゼキエルの見た神殿によって表わされています。命を与える神エホバの備えは、幻の中の川のように、しだいに豊かな神の民へと流れてゆくのです。清い崇拝が回復した1919年以来、神エホバは、命を与える供えをもってご自分の民・真のクリスチャンを祝福して来られました。どのようにでしょうか。忠実で思慮深い奴隷を通して、聖書、聖書文書、集会、大会、霊的な教育の学校などが、世界中の人々に証のために真理を伝える点で大いに役立って来ました(マタイ24:14、45,46)。神エホバはそれらを用いて、命を与えるご自分の備えのうちで最も重要なもの、つまりキリストの贖いの死の犠牲について人々を教えて来られました(ヨハネ3:16)。そのイエス・キリストの贖いの死の犠牲により、神エホバを真に愛して恐れる人々は、神エホバの御前における清い立場と永遠の命の希望を得ることが出来るのです。それゆえ、この終わりの日の対処しにくい危機の時代に、多くの人々が霊的な飢きんに苦しんでいるにも関わらず、神エホバの民・真のクリスチャンたちは霊的な宴を楽しんでいるのです(テモテ第二3:1.イザヤ65:13)。
とはいえ、エゼキエルの見た幻の川は、この事物の体制が終わりを迎えたら流れなくなる、というものではありません。それどころか、イエス・キリストの千年統治の期間中、一層豊かに流れます(啓示22:1,2)。神エホバは約束通り、神の王国を用いて、イエスの贖いの死の犠牲の価値を全面的に適用し、忠実な人類を徐々に完全に引き上げられるのです。その時、私たちは神エホバの善良さのゆえに大いに歓喜することになるのです。それは、神エホバの永遠の益・永遠の命をもたらす善良さなのです。
気品添え 爽やかに咲く 立葵 今日の一句
ご近所の庭の「ジニア」