愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

レンゲショウマと赤のバラ

2015-08-03 21:09:57 | 四季折々の花々

 レンゲショウマという珍しい花を新潟の写真家が紹介されていました。

 こちらでは見たことのない花で、私の手持ちの花図鑑にも

 紹介されていない珍しい花です。

 暑さの中、白の慎ましさが際立っています。

 今日はレンゲショウマと赤のバラを紹介致します。

               新潟の写真家の提供の珍しい「レンゲショウマ」

                            裏庭の「バラ」

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あなたは「謙遜」な特質を培っていますか(ヤコブ4:10)

2015-08-03 20:47:07 | 神の言葉・聖書

 現在社会は対処しにくい危機の時代であり、かつ何事も競争社会・効率や金銭第一主義となり、多くの人は自己中心です。それゆえ多くの人は利他的な生き方をすることを学びません。日常会話に「利他的」という言葉も上って来ません。そうした風潮の現在の社会の中でも、「謙遜な人として職場や地域や学校で知られている方は幸いです(テモテ第二3:1~5.ヤコブ4:10)。私の知る限り、日本人も昭和40年代前半までは、謙遜や慎み深さは美徳とされていましたが、昭和40年代半ばからの日本列島改造論を経て、第一次、第二次オイルショック以降に急速に謙遜や慎みの特質に変わって「我も、我も」と自己主張の社会に変化したと感じています。一般社会で急速に失われた謙遜」という特質はどのようにすれば培うことが出来るでしょうか。

 み言葉・聖書は謙遜という特質が極めて重要であることを次のように記しています。

 謙遜とエホバへの恐れからもたらされる結果は、

           富と栄光と命である」(箴言22:4)

 「エホバのみ前にあって謙遜になりなさい。そうすれば、

       あなた方を高めてくださるでしょう」(ヤコブ4:10)

 私たちが幸福な人生を歩み、命に至るには謙遜という特質が不可欠であることが分かります。ではその重要な謙遜という特質をどうすれば培うことが出来るでしょうか。それは、み言葉・聖書に記されている偉大な創造者エホバ神とそのみ子エスが示された手本に見倣うことです。聖書には次のように記されています。

 「そして、あなた(エホバ)はその救いの盾をわたし(ダビデ)に下さり、

     あなたの右手がわたしを支え、あなたの謙遜さ

        わたしを大いなるものとするのです」(詩編18:35)

 神エホバの謙遜さが、ご自身が身を低くして助けて下さることが分かります。さらに、私たち不完全な人間に「我子よ」と呼びかけて、謙遜を表しています(箴言2:1;3:1;5:1;6:1;7:1)。そればかりか、神エホバは身を低くしてご自分の僕の懇願を受け入れられました。例えばソドムとゴモラの滅びの時に、ロトはみ使いの指示の場所ではなく、もっと近い所に変更してほしいことを緊迫した中で懇願しました。そのロトの懇願に対して神エホバはみ使いを通して「わたし(エホバ)はあなたに配慮を示して、あなたの話した都市(ゾアル)は覆さないことにする」と、約束し、神エホバが自ら懇願に応じ謙遜さを示された事例です(創世記19:20,21)。神エホバの子イエスはどのように謙遜さの模範を手本として残されているでしょうか。次のように記されています。

 「彼(イエス)は神(エホバ)の形で存在していましたが、強いて取ること、つまり自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。いいえ、むしろ自分を無にして奴隷の形を取り、人のような様になりました。それだけではなく、人の姿でいた時、彼(イエス)は自分を低くして、死、それも苦しみの杭の上での死に至るまでも従順になりました」(フィリピ2:6~8)。

 イエス・キリストは神エホバの独り子でありながら、贖いの死を遂げるまで、謙遜であり従順でした。

 み言葉・聖書は私たちが謙遜であるように次のように勧めています。「むしろ、他の人が自分より上であると考えて、へりくだった思いを持ち、自分の益を図って自分の事だけに目を留めず、人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」(フィリピ2:3,4)。何事も、他の人の益を図って、他の人が自分より上、と考えて他の人に接するならば謙遜な特質を表していることになります。

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    西日差す 犬小屋犬の 静かなり 日の一句 

                         庭に来る「黒アゲハ蝶」

 

      

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リコリスと檜扇の花

2015-08-03 01:56:54 | 四季折々の花々

 庭にリコリスの花が咲いています。

 リコリスは切り花として道の駅にも出荷されています。

 リコリスの花期は7月~10月です。

 用途は切り花、庭植へです。

 花言葉は「感傷に浸る」と紹介されています。

 今日はリコリスと檜扇の花を紹介致します。

                    庭に咲いている「リコリスの花」

                      庭に咲いている「檜扇の花」

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あなたは「決して絶えることのない愛」を培い続けていますか(コリント第一13:8)

2015-08-03 01:39:37 | 神の言葉・聖書

 1914年以降の終わりの日の対処しにくい危機の時代に生活しながらも、「決して絶えることのない愛」を培い続けていらっしゃる方々は幸いです。そのような方々は、唯一真の神エホバとその神エホバがお遣わしになったみ子イエスに関する正確な知識を身に着けていらっしゃる方に違いありません(ヨハネ17:3)。しかしながら、皆様方の中には、今日の紹介記事に初めて接する方もいらっしゃるかも知れません。み言葉・聖書に初めて接する方も、私たちは皆、「神の像(かたち)」に創造されていますので、神エホバが教えられる愛の特質を培うことが出来るのです(創世記1:26,27.コリント第一13:4~8)。聖書の愛についての説明の中で、「愛は決して絶えませんと記されています(コリント第一13:8)。この決して絶えることのない愛を私たちはどのようにして培い続けることが出来るのでしょうか。

 聖書のローマ人への手紙の中には、次のように記されています。「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すでしょうか。患難、あるいは苦難、迫害、飢え、裸、危険、剣でしょうか。「あなた(イエス)のためにわたしたちはひねもす死に渡されており、ほふられる羊のようにみなされた」と書かれているからです。しかし、その逆に、わたしたちは、わたしたちを愛してくださった方(エホバ)によって、これらのすべての事に全く勝利を収めているのです。死も、生も、み使いも、政府も、今あるものも、来るべきものも、力も、高さも、深さも、またほかのどんな創造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神(エホバ)の愛からわたしたちを引き離し得ないことを、わたしは確信しているからです」(ローマ8:35~39)。この聖句に示されている神(エホバ)の愛」を祈りのうちに学び、学んだ事柄を黙想し、適用するなら「決して絶えることのない愛」を培ってゆくことが出来ます。

 では、なぜ、神エホバの愛は「決して絶えることのない愛」なのでしょうか。み言葉・聖書は神(エホバ)は愛だからです」と述べています(ヨハネ第一4:8)。神エホバは活動する力に愛と公正(義)と知恵を調和させ、この宇宙を始動させ、秩序正しく創造されました(創世記1:1,2.イザヤ45:18.啓示4:11)。その偉大な創造者エホバ神には始まりも、終わりもない方です(啓示15:3;21:6)。神エホバはさだめのない時から、さだめのない時に至る」神なのです(詩編90:2)。ですから神エホバの愛は「決して絶えることのない愛」なのです。み言葉・聖書を通して唯一真の神エホバとそのみ子イエスについての正確な知識を取り入れ続けることは「決して絶えることのない愛」を培い続けていることになります(ヨハネ17:3)。

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      初物の ブルーベリーの ジャム美味し 今日の一句

                     庭に咲いている「イチゴミルク」

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