愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

赤のカンナの花とメドウセージに白い小さな蜘蛛

2015-08-26 08:56:50 | 四季折々の花々

 近くの道端に赤のカンナの花が咲いています。

 カンナの花弁の色は赤や黄色があり、馴染みの深い花です。

 花期は6月~9月です。

 用途は切り花、花壇、鉢植えです。

 花言葉は「美涙沙女」と紹介されています。

 今日は赤のカンナの花とメドウセージに白い小さな蜘蛛を紹介致します。

                    近くの道端に咲いている「カンナ」

                  庭の「メドウセージに小さな白い蜘蛛」

                                         (この小さな蜘蛛は初めて見ました)

 

 

 

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「何であれ、人は自分のまいているもの、それをまた刈り取る」(ガラテア6:7)

2015-08-26 08:49:07 | 神の言葉・聖書

 愛の神エホバは、心が広く心から悔い改めをした人の「罪をもはや思い出さない」と明言されました(エレミヤ31:34)。この言葉の意味は先に述べた通りです。また、神エホバが進んで許してくださるということは、悔い改めた罪人は自分の悪い歩みの結果を全く身に受けずに済むという事でしょうか(詩編86:5)。そうではありません。ご承知の通りに罪を犯した人が何事もなく済む、ということはありません。使徒パウロは霊感を受けて、「何であれ、人は自分のまいているもの、それをまた刈り取ることになるのです」と書いています(ガラテア6:7)。これは絶対の法則です。私たちは、自分の行動のなんらかの結果に直面します。これは、神が許しを差し伸べていながら、私たちを逆境に陥れるという意味ではありません。問題が生じる時、「過去の罪のために神エホバから処罰を受けている」と考えたり、感じたりすべきで張りません(ヤコブ1:13)。神エホバは上記の聖句に示されている通りに、人間の悪行の影響のすべてから、その人を守る、つまり影響をうけなくするということはありません。例えば、離婚、望まない妊娠、性感染症、信頼や敬意の喪失 - これらはいずれも、人間の犯す罪の結果であるかも知れません。み言葉を学ばれた方は分かりますが、ダビデ王がバテ・シバとウリヤに関する罪を許された後も、結果として生じる災難からダビデを保護することは去れず、ダビデは罪の報いを受けたのです(サムエル第二12:9~12)。

 人間の犯す罪には、他の結果をもたらすこともあります。とりわけ、自分の行動によって他の人を傷つけた場合はそうです。一例として聖書のレビ記6章の記述があります。モーセの律法はそこで、人が強奪、強要、詐欺などによって仲間のイスラエル人の財産を奪うという重大な悪行を犯す状況を取り上げています。そのような罪人は罪科のあることを否認し、ふてぶてしくも偽りの誓いをしています。そのようにして当事者双方の言い分が対立します。しかし後に加害者は良心の痛みを覚え、罪を告白します。それでも、神エホバの許しを得るのは次の三つの事項を行わなければなりませんでした。罪を犯した人は、奪った物を返還し、盗んだ品物の価値の20%に相当する科料を被害者に支払い、罪科の捧げ物の雄羊を準備するのです。次いで律法はこのように述べています。「祭司は彼(罪を犯した人)のためにエホバの前で贖罪を行なわなければならない。こうして、・・・彼はそれ(罪)を許されることになる」(レビ記6:1~7)。

 この律法は神エホバが設けてくださった憐れみ深い備えでした。当時の被害者は益をうけることができました。被害者の所有物が戻って来ました。現在の法律の場合は、被害者が救われるケースは少ないかもしれませんが、神の律法は優れたものでした。加害者がついに罪を認めて告白した時には、被害者は大いにほっとすることができたに違いありません。同時に、加害者も最終的に良心に促されて罪科を告白し、自分の悪行を正した人も、神エホバの律法から益を得ました。祭司の執り成しによって、神エホバから許しを得ることができたのです。

 私たちはモーセの律法下(現在はイエスを通した新しい契約下)にはいませんが、その神エホバの許しから、許しに関するお考えを含む、神エホバの思いに対する洞察を得ることが出来ます(コロサイ2:13,14)。何かのことで罪を犯して、他の人を傷つけた場合、悪行をただすためにできる限りのことをするなら、神エホバを喜ばせることが出来ます(マタイ5:23,24)。それには、進んで自分の犯した罪を認めること、罪科を告白すること、心から悔い改め被害者に謝罪をすることも含まれます。その後イエスの贖いの死に信仰を働かせ、神エホバに許しを請願し、神エホバに許していただいたという安堵感を得ることが出来るでしょう(ヨハネ3:16.ヘブライ10:21,22)。日々み言葉を学び、神エホバの教えを黙想し、生活に適用するなら、快い道、平安の道、命の道に導かれます(詩編1:1,2.箴言3:17,18)。良いことを行い続けるなら、良い結果を刈り取ることになるのです(ガラテア6:7)。

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