愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

黄色のアブチロンとピンクの蕾のバラ

2015-08-29 21:58:44 | 四季折々の花々

 黄色のとても可憐なアブチロンを

 新潟の写真家が紹介されていました。

 黄色のアブチロンはあまり見る機会がありませんでしたが、

 優しい愛情をも感じる花です。

 アブチロンの花の色は赤、ピンク系、黄色、白があるようです。

 花期は花図鑑では11月~5月と紹介されています。

 用途は鉢植えです。

 花言葉は「恋の病」と紹介されています。

 きゅは黄色のアブチロンとピンクのバラの蕾を紹介致します。

                   新潟の写真家の提供「アブチロン」

                台風15号が過ぎ咲き始めた「バラの蕾」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イエスは大群衆をご覧になったが、彼らを哀れに思われた」(その2)(マルコ6:34)

2015-08-29 21:39:28 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはご自身の言動は、独自の考えではなく、すべてみ父エホバの言われる通りに教え行なっていることを明らかにされています(ヨハネ8:28,29;12:50)。イエスは贖いの死に至るまで、謙遜であり、従順でした(フィリピ2:5~8)。ですから、イエスの足跡はみ父エホバを描出しており、神エホバがどのような方かを示しておられるのです。ですから、み父エホバと同様に、イエスも同情心に富んでいましたイエスが深い同情心に動かされた状況を引き続き紹介致します。

イエスは「哀れに思われ」、苦しみを和らげるように動かされた。様々な疾患を抱える人々は、イエスがみ父エホバからすべての権威を委ねられ、同情心に富む方であることを感じ、イエスに引き付けられました。その点が顕著だったのは、大群衆がイエスの後について来ているところに、「体じゅうらい病の」の人が近づいた時のことです(ルカ5:12)。当時の人々は、他の人にうつらないように、そのような人は隔離されていました(民数記5:1~4)。しかし、後にラビと呼ばれる宗教指導者たちは、その病気に関する心無い見方を助長し、独自の過酷な規制を設けていました。では、イエスはそうした人々の見方の中で、らい病人にどのように応じたかに注目してください。このように記録されています。「また、ひとりのらい病人が彼(イエス)のもとに来て、ひざまでついて懇願し、「あなたは、ただそうお望みになるだけで、私を清くすることがおできになります」と言った。そこでイエスは哀れに思い、手を伸ばして彼に触り、「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と言われた。すると、すぐにらい病は消え・・・たのである」(マルコ1:40~42)。イエスは当時の宗教指導者たちとは異なり、その人を遠ざけたりすることはなく、むしろ強く心を動かされ当時の人々には考えられない行動、つまりその「体じゅうらい病の」の人に手を伸ばし、触れて即座に治すことによって、その人の長い間の心身の苦しみを取り去られたのです。イエスは、その病気の人に触らないでも治すことができたのですがあえて触って治されたのです。

 このらい病の人がイエスに触ってもらってどう感じたかを想像することが出来るでしょうか。一つの例で考えてみましょう。ハンセン病の専門家ポール・ブランド博士は、インドで治療したある患者の事を語っています。診察の際、博士はその患者の肩に手を置き、通訳を介して、その人が受けなければならない治療を説明していました。すると突然、その人が泣き始めました博士はその患者に「何か、悪いことを言ったのかな」と尋ねます。通訳は、その若い患者にその人の言語で質問し、こう答えました。「いいえ、先生。この人が泣いているのは、先生がこの人の肩の上に手をおかけになったからです。ここに来るまでの何年もの間、だれも触れてくれなかったそうです」。この患者は、博士に触ってもらっただけで、感極まって突然に泣きました。この事から何が分かるでしょうか。イエスに近づいた人にとって、イエスに触ってもらった事にはもっと大きな意味がありました。イエスがその人に触り、「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と言われただけで、社会から疎外される原因となっていた病気が即座に消え、清くなったのです。その人は肉体上の苦しみと、社会から疎外されて来た精神上の苦しみから解放されたのです。イエスは哀れに思い、苦しみを和らげられたのです。このことから、間もなく回復される地上の楽園では、病気の人がいなくなる、という神エホバの約束が真実であることの証拠ともなっているのです(イザヤ33:24.啓示21:3,4)。

                WWW.JW.ORG

     凶悪な ニュース流れし 残暑かな 今日の一句

                     庭の「姫ヒマワリにシジミ蝶」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シオカラトンボとイチゴミルク

2015-08-29 10:31:17 | 四季折々の花々

 シオカラトンボが裏の畑で休んでいました。

 シオカラトンボは子供の頃には個体数が多く

 あちこちで見かけ、かつ群れで飛んでいました。

 しかし、残念なことに、現在は個体数が少なくなり

 時々、見かける程度になりました。

 今日はシオカラトンボにイチゴミルクを紹介致します。

                     裏の畑で休む「シオカラトンボ」

                     庭に咲いている「イチゴミルク」

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イエスは大群衆をご覧になったが、彼らを哀れに思われた」(その1)(マルコ6:34)

2015-08-29 10:29:07 | 神の言葉・聖書

 皆様方も哀れみ深い方として知られる方々であれば幸いです。ご承知の通りに現在の社会は、金銭第一主義であり、自己中心の考えや行動の人たちで満ち溢れてい対処しにくい危機の時代です(テモテ第二3:1~5)。ですから深い同情心に富む哀れみ深い方は少なくなりました。どうすれば私たちも哀れみ深い人、つまり深い同情心を表すことが出来るでしょうか。聖書の福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書)を通してイエスの足跡を調べると、イエスはみ父エホバ神と同様に、同情心に富んでいました。聖書の記述によると、イエスは、苦難に遭っている人々を助けるために力を尽くしました。イエスは同人に富んでいましたので強く心を動かされたです。聖書がイエスの深い同情心を描写するために用いているギリシャ語は、哀れに思ったと訳されています。ある学者は、そのギリシャ語が「人をその存在のままに最奥まで動かす感情を描写している。ギリシャ語で、同情心を意味する最も強い言葉である」と述べています。では、イエスが深い同情心に動かされた行動について、三つの状況を3回のシリーズで紹介致しますので、イエスの模範をご自身の生き方に活かしてくだされば幸いです。

イエスは「哀れに思い」、霊的な必要にこたえるように動かされた。福音書のマルコ6章30~34節の記述を読むと、イエスが特に何に動かされて哀れみを表されたかが分かります。その時の情景を思い浮かべてみましょう。使徒たちは興奮しています。広範囲に及ぶ神の王国の良いたよりの伝道旅行を終え帰って来たばかりです。イエスのところに戻り、見聞きしたことを熱意を込めて報告します。ところが、大勢の人々が集まり、イエスと使徒たちは食事をする時間もありません。常に気配りをするイエスは、使徒たちが疲れているのが分かり、「さあ、あなた方は自分たちだけで寂しい場所に行き、少し休みなさい」と言われました(マルコ6:31)。一行は小舟に乗り、がリラヤ湖の北部を渡って、静かな場所に向かいます。しかし、群衆はそれを見つけ、それを聞きつけた人々も含めて、みんなで北海岸伝いに走り、イエスや弟子たちの小舟より先に対岸に着きます。

 イエスは、そのような状況下でも、プライバシーを侵されて気を悪くされるようなことは一切ありませんでした。イエスは、自分が到着するのを待っているその幾千人もの群衆を見て心が動かされました。マルコはこのように記しています。「イエスは大群衆をご覧になったが、彼らを哀れに思われた。彼らが羊飼いのいない羊のようであったからである。そして、彼らに多くのことを教え始められた(マルコ6:34)。イエスは大群衆の一人一人を、神エホバから出る教え・霊的な事柄を必要とする人とみなしました。その人々は、保護や導きを与えてくれる羊飼いがいないためにさまよう羊のようだったのです。思いやり深い牧者であるべき当時の宗教指導者が無情にも一般の人々をなおざりにしていることを、イエスはご存知でした(ヨハネ7:47~49)。イエスはそうした人々を哀れに思い、「神の王国について」教え始められました(ルカ9:11)。ここで注目すべきことは、イエスが大群衆を見て哀れに思ったのは、イエスの神の王国の良いたよりの教えに対する人々の反応を見る前であったという点です。言い換えると、イエスが哀れに思ったのは、イエスが群衆を教えた結果として生まれたものではなく、教える動機は愛の優しい同情心であったのですイエスは弟子たちと休息を取るのを後回しにし、人々を哀れに思い、深い同情心によって人々の霊的必要を顧みられたのです。現在のエホバの証人のクリスチャンたちは、イエスの模範の手本に見倣っています(ペテロ第一2:21)。

           WWW.JW.ORG

    満面の 笑みを並べし ヒマワリよ 今日の一句

          鉢植えの木の花「ネムノキ エバーフレッシュ」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする