【転勤族】日本全国津々浦々、社命で転勤させられるサラリーマンを言う。
以前に勤めていた会社では13年間のうちに5回の転勤。ひとつの場所での平均勤務年数は2.6年。慣れた頃には次の場所に移るっていう感じでした。
最初の勤務地は花の東京本社。独身寮の関係で国分寺→世田谷と一回引越をしていますが、あのときは仕事覚えるのや勉強に忙しくて、あまり生活を楽しむことは出来なかったかな。金曜日は新宿や銀座、六本木やお台場のディスコ(懐かしい呼び名だこと)で朝まで踊り狂ったり社外の女性とお酒を飲みに行ったりと、バブリーな時代の社会人の典型的な行動をしていましたね。週末にドライブしたり買い物したり、なんとなく過ごした3年間でした。まさか、自分に転勤があるなんて思いもしなかった、現実を全く捕らえていないノーテンキな私でした。
最初の転勤は三重県。「津」という場所でした。一応県庁所在地。でも人口は18万。県下で一番の大都市は四日市、その次は鈴鹿で、津は三番目でした。あの時は東京を離れるのがものすごくイヤで「都落ちだぁ~・・」などと悲観しながらの転勤でした。実家には近くなるのですが、大都市で7年暮らした人間にとって、地方都市はものすごく退屈に映ったのでした・・・・・(続く)
以前に勤めていた会社では13年間のうちに5回の転勤。ひとつの場所での平均勤務年数は2.6年。慣れた頃には次の場所に移るっていう感じでした。
最初の勤務地は花の東京本社。独身寮の関係で国分寺→世田谷と一回引越をしていますが、あのときは仕事覚えるのや勉強に忙しくて、あまり生活を楽しむことは出来なかったかな。金曜日は新宿や銀座、六本木やお台場のディスコ(懐かしい呼び名だこと)で朝まで踊り狂ったり社外の女性とお酒を飲みに行ったりと、バブリーな時代の社会人の典型的な行動をしていましたね。週末にドライブしたり買い物したり、なんとなく過ごした3年間でした。まさか、自分に転勤があるなんて思いもしなかった、現実を全く捕らえていないノーテンキな私でした。
最初の転勤は三重県。「津」という場所でした。一応県庁所在地。でも人口は18万。県下で一番の大都市は四日市、その次は鈴鹿で、津は三番目でした。あの時は東京を離れるのがものすごくイヤで「都落ちだぁ~・・」などと悲観しながらの転勤でした。実家には近くなるのですが、大都市で7年暮らした人間にとって、地方都市はものすごく退屈に映ったのでした・・・・・(続く)