SNOW WIND blog

我が愛車“PEUGEOT307SW”を中心に、日々のくらしを綴った日記です。

地べたを這うような生活(バイト編)

2009-03-20 12:22:58 | 想い出
続編です。
そんな生活でしたが、なぜか体育会の弓道部に入部してしまった私。毎日の練習でバイトが出来る時間がありませんでした。そうなると、バイトは深夜になります。
ミスタードーナツ、マックの深夜お掃除なんかをやりながら水商売へ。と言ってもショットバーの注文取りと皿洗いです。カウンターに出るようになったのは半年くらい経ってから。ビールの注ぎ方やカクテルの作り方を覚えたのがこのとき。当然、早朝までの勤務ですので講義中は睡眠時間。講義に出てはいたもののスヤスヤと眠るばかりで勉強とは無縁の学生でした(笑)お蔭様で大学1年のときの取得単位数は28単位。さすがにヤバイと思い深夜バイトからは足を洗いました。このほかにやっていたのが中元と歳暮の繁忙期のみの百貨店バイト。横浜高島屋の地下「新潟加島屋」で珍味販売のバイトでした。これはよく続いたバイトで結局4年間。レジ打ちもできる社員並みのバイトでした。
2年生になってから始めたのは火葬場でのバイトでした。焼き場でご遺族の方々が骨を拾った後の残りを焼き場の完全焼却する機械に集めるのと、焼き場の清掃でした。さすがに3Kで応募する人が少ないのか、時給は高かったです。骨を焼く独特の臭いはありましたが、清掃工場の臭いに比べたら全然気にならないバイトでした。
3年生からは家庭教師。私立小学校を目指す5年生と中学2年を教えました。私立中の入試問題に思わず悶絶。「全然ワカンネ~」と久し振りの勉強(笑)まずまずのバイト料で生活も安定してきたのと、2年生で取得単位を挽回して余裕もできたので、深夜バイトを再開。今度はラブホテルの受付でした。いろいろな人間模様を垣間見たバイトでした。「あいつ、いっつも相手がちがうなぁ」とか、いきなり内線で「助けて~」とか、自動ロックなのに通路に出てきて合体しているヤツラもいて「お客様、困りますねぇ」とマスターキー持ってドア前に行ったり。ルームクリーニングのオバサマたちもいろいろなものを背負っている人が多くて、いろんな意味で勉強になりましたね。
4年生になって就職が決まり、部活も引退してからは日産の本牧埠頭で輸出用の車を船に載せるバイトをしました。左ハンドルの運転はこのときに習得。
今、思い出しても変なバイトが多いですが、なかなか楽しいバイトでした。そんなこんなで生活費と交際費と部活に掛かる費用を稼いでいたわけですね。地べたを這いながら、光輝く未来を夢見てたあの頃のお話でした。
続きはそのうちに・・・・。

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4 コメント

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Unknown (Skier)
2009-03-20 16:27:29
昔の話をありがとうございます。自分の学生時代は自宅通いでしたので、旅行の費用を稼ぐのみでした。4年間で北海道8往復。すべて青函連絡船利用です。
 さて、札幌にいます。狸小路近くのホテルにいます。暗くなったら、お勧めの「彩未」へ行こうと思います。入れるかな?
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経験豊富とはこのこと!! (ぷじょーる)
2009-03-21 01:12:54
様々なバイトを経験していらっしゃって
こんなバイトもあるんだーとか興味深く
読ませていただきました!!

私は大学4年間で一つのバイトしか経験していないので、じゅんさんのバイトの話を読んでいると、もっと色々なバイト(職種)に挑戦して色々な経験をすれば良かったかなぁ…と、ちょっぴり後悔です。苦笑
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人生。勉強ですね。 ()
2009-03-22 22:03:30
面白い!です。
ボクは高卒なので、大学生活というものに、
今でも憧れてます(笑)

就職する前にいろいろ自分で経験するってのは
すごく良いですよね。
だって世の中にこんないろいろな仕事があるなんて
誰も教えてくれませんから。

人生、いろ~んな経験した人って
やっぱり尊敬できますよ。
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Unknown (じゅん@管理人)
2009-03-22 22:24:49
笑える昔話にコメントありがとうございます。

他にも日雇いさんと一緒にバスに乗せられて行った工場のバイトとか、飯場のバイト(これは一歩間違うと命を落としそうなヤツでした)なんかもあったんですけど、あまり思い出したくないので割愛しました(笑)
世の中、いろんなバイトがありましたけど、ものすごく好景気だったんだなーと思います。求人誌が少年マガジンくらい分厚かったですもん。
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