Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

思い出とフィーリング

2016-08-26 18:33:02 | 日記

 フィーリングの合う相手との思い出は美しく、同じ言葉を言われても相手によって感じ方は違うものです。

先のおーちゃんに段々と嫌気がさして行ったのとは逆に、えーちゃんは就学以前の付き合いしかなかったせいか、以降クラスも何度か一緒になり、教室ではクラスメートと話す話なども聞こえて来る時があり、中には賛成できない意見もあったものです。

それでも、直接会話することがなかったので、思い出は昔のまま幼いイメージで過ぎました。時を同じくしながら平行線、時には意外に感じても、時が過ぎる内にまた良いお友達の思い出のままになる。そんなフィーリングの合う?関係。去る者は日々にとなりつつありますが、やはり自分史の中では当たりのお友達だったなと思うのです。金紙銀紙の思い出です。

 その後、進学した私は下宿生活をはじめました。学校では何かサークルに入ろうと考えていました。

そんな頃、下宿に帰ると同期生と先輩が自分達のサークルに入らないかと誘います。

写真部でした。

もう、今日顔合わせ会があるから、即入って、夕方から一緒に出かけよう。その方が良いと再三二人に勧誘されて、急だからと一旦は断りましたが、どうせどこかのサークルに入ろうと思っていたし、同じ下宿なら心丈夫だと考え、今日は都合も良いとの勧めでもあったしと、急に気が変わり入部しました。

 さて、次はどんな話になるのでしょうね。


依頼されてもね

2016-08-26 08:20:53 | 日記

「明日の卒業式、行きたくないから卒業証書貰ってきてくれないかな。」

電話で頼むと、私もそう、という返事です。

向こうも休むつもりでこちらに同じ内容の電話をするところだったとか。

試験ならば今日の日家に居るはずは無いのですが、念のため入試なのと聞くと違うという返事です。

私に行って卒業証書を貰ってきて欲しい、それじゃね。というとガチャリと電話は切れてしまいました。

私も勝手だけど向こうも随分だなと思います。

じゃあとさっさと電話が切れては取り付く島もないというものです。私は入試予定の無い他の友人に電話します。

同じ内容の話をすると、そちらの友人も私も行きたくないからjunさん証書お願いねと頼まれてしまいました。

早い者勝ちどころか、発端、掛け始めの私にお鉢が回って来るなんて、行かなければ済む話ですが、頼まれた以上私には行って証書を貰って来るという使命ができてしまいました。

『馬鹿みたい』と我ながら思いました。最初から電話しなければよかったのですが、元々先に入試予定の他の友人の証書を一人頼まれていたので、私が行かない以上はその友人の分も誰かに頼まない訳に行きませんでした。

嫌な気分でした。が友達の為という友情と依頼された責任感で、卒業式当日登校する元気を奮い立たせました。

出席するのも友の為。

  さて、特に何事も無く無事に式は終わり、教室での担任の先生の挨拶も終わり、頃合いを見て友人の証書を預かりたいと依頼された旨を申し出ました。

「入試かね?」

一人はそうです。それは先生も把握しておられました。

もう一人はと聞かれて、具合が悪いとでも言えば良かったのですが、ここ此の時に至って、ついに私も感情の堰が切れました。

「来たくないと言うんです、私も来たくなかったんです。でも、別のクラスの友人にも頼んだんですが、その友人も来たくないと言って、やはり証書を頼まれたんです。三人から頼まれたので、しょうがなく来たんです。入試じゃない二人には私の方から電話したんです、休みたいのは私だったのに。

一気に意味不明にならないよう気を付けて話して、ちょっと気が引けた私でした。 

先生に失礼かなと思ったからでした。てっきりその態度は何だねとお叱りを受けるかと思いましたが、先生は慣れておられたのか微笑して穏やかに

「二人に後日取りに来るよう言っておきなさい。

と証書を渡せないことや、別のクラスの一人は担任の先生に言っておくと仰った事でした。

 こうなると、何だか友人達が可愛そうな気がします。先生に八つ当たりしたような気もしました。

自宅に帰ると早速友人達に電話です。

ごめんね、これこれかくかく云々、当然えーっと言う友人達の声に

じゃあね、後日取に行ってね。と一人には冷たくガチャリ。

私もあっさりしたものでした。うふふ、一寸いい気味です。言いたいことは言いました。

あとの二人には私の力が及ばずごめんなさいでした。

思いだしてみると、高校の卒業式には結構出たくない人がいたのかもしれません。

例の最低記事の彼も、ハンサム君も、達かな、もいたし、えーちゃんもいたような気がしました。長い付き合いでしたね。

高校が最後となりました。他にも園児時代からの長い付き合いの同級生がいましたが、同じ学び舎はこれが最後となりました。