古都探索日記

奈良や京都の散策日記

女性作曲家たちと珠玉のオルガン作品

2024-06-06 13:13:06 | 音楽
 6月5日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。画像はテキストの一頁目。講義内容を要約。

 まず、吉田先生はヨーロッパの各地域での女性と教会音楽の関係と、女性音楽家の立場の弱さを解説された。

 1 ドイツ語圏 カトリック教会では女性はシャットアウト。プロテスタント教会でも1706年に若きバッハがのちに妻となるマリア・バルバラを教会内で歌わせたとして問題となったが、18世紀に独唱歌手として存在が認められるようになった。1800年頃にはオペラのプリマドンナが教会音楽に参加するようになった。

 2 英語圏 ドイツとくらべて開放的。1837年18歳のエリザベス・スターリングがリサイタルを開催、女性として初めてバッハを演奏した。彼女はのちに教会のオルガニストを務めた。また詩篇に基づき、合唱とオーケストラ作品を作曲してオックスフォード大学の音楽学士の合格したが、女性ゆえに学士号はえられなかった。 詩編104に基づくコラールとフーガを視聴。 

 3 イタリア・フランス 18世紀より女性オルガニストが確認できる。フランソワ・クープランの家系の女性2名がパリの教会の正規のオルガニストを務めた。

 次に、職業としての女性オルガニストについて

 ドイツ語圏では19世紀シューベルトの親友のフランツ・ラハナーの二人の姉妹が教会の専属オルガニストを務めた。
 フランスでは1819年にパリ音楽院にピアノより先にオルガンのクラスが新設され、女性学生も受け入れた。

 最後に5人のフランスの女性の作曲家兼オルガニストを紹介された。

 1 セシル・シャミナード (1857-1944) 200のピアノ作品、137の歌曲などを残す。作曲家としての職業にこだわった。オルガン作品の4つの牧歌より視聴。

 2 ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1983) エリック・サティに見いだされ、「6人組」の一人。父親の反対を押し切ってパリ音楽院に入学。
唯一のオルガン作品 ノクターンを視聴。

 3 クレール・デルボス(1906-1959) メシアンの最初の妻。

 4 ロランデ・ファルチネリ(1920-2006) 1932年よりパリ音楽院に学ぶ。マルセル・デュプレに学ぶ。1942年にローマ大賞を受賞。諧謔的ソナチネより3曲視聴。
 
 5 ジャンヌ・ドゥメッシー(1921-1968) 1928年モンペリエ音楽院、1933年パリ音楽院に学ぶ。マルセル・デュプレに師事。1941年、オルガン演奏と即興演奏の両方で首席。驚異的な記憶力の持主で2500曲を暗譜で演奏、バッハの全作品も含まれる。精霊のための7つの瞑想曲より光、テ・デウムを視聴。

 この二人の次の世代の有名なマリ・クレール・アランは(1926生まれ)作曲はしなかった。余談としてクレール・アランはハイヒールを履いて足鍵盤を演奏した。

 今回も自分だけでは到底知りえない知識を得ることができました。ありがとうございました。

  

 
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