古都探索日記

奈良や京都の散策日記

メンデルスゾーンの宗教音楽 Ⅱー3 エリヤ 2

2024-09-20 08:59:54 | 音楽
 9月18日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。画像はテキストの一頁目。

 前回に続いて、エリヤの第二部をスコアを追いながら全曲を視聴。劇的な力強いソプラノのアリアから始まる。バッハ・マタイ受難曲第二部冒頭のアルトアリアとの類似点がある。またヨハネ受難曲のバスのアリオーソに似た部分も他にみられることから、バッハの影響が推測される。第一部に較べて聴きがいのあるように感じられた。

 次に晩年の未完成の「キリスト・クリストゥス」を視聴。パウルス(新約聖書キリスト後)、エリアス(旧約聖書)、に続くキリスト本人をテーマにした三作目のオラトリオになる予定だったが、完成前に死去。

 次回からはフランツ・リストの宗教音楽が予定されている。楽しみにしております。ありがとうございました。
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メンデルスゾーンの宗教音楽 Ⅱ-2 エリヤ

2024-08-08 13:35:36 | 音楽
 8月7日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。画像はテキストの作品概要の頁。

 1 エリヤ(日本語)について講義内容 (タイトルはElias)
 エリヤは旧約聖書「列王記」の預言者。イスラエル王国はその時代ダビデ王からの栄華は終わり、邪悪の王アハブによって滅亡の危機にあった。エリヤとエリシャは神の代弁者となり、神の力は彼らの行った多くの奇跡によつて現された。

 2 作品概要 1836年オラトリオ「パウロ」(新約聖書)の初演後、メンデルスゾーンはすぐに二作目のオラトリオの計画を始めた。しかし多忙などの理由から中断、1845年に再開、1846年8月26日、バーミンガムのタウンホールにて自身の指揮で初演(英語版)。1847年ハンブルクにて作者不在でドイツ語版を初演、この日メンデルスゾーンはライプツィヒで脳卒中で倒れる。11月4日、永眠。メンデルスゾーンがエリヤを選んだ理由は不明。
 作品はバッハのオラトリオのように聖句を福音史家が朗唱するのではなく、オペラのように対話形式で進められる。また序曲の前にエリヤの言葉が歌われるのも特徴の一つ。

 以上の講義の後、エリヤ(ドイツ語版)の前半部分を対訳を見ながら視聴。全体に暗い印象を受けた。

 自分では絶対に聴けない作品に接することができました。ありがとうございました。

 
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バッハの宇宙をこころゆくまで

2024-07-26 12:33:05 | 音楽
 7月23日、愛知県芸文センターコンサートホールでのパイプオルガンブランチコンサート バッハ万華鏡partⅡ はバッハの名作品4曲が演奏された。ブログのタイトルはコンサートの副題。

 演奏は吉田文先生とトマス・マイヤー=フィービッヒ先生。画像はプログラム。

 前半は 1 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第二番ニ短調BWV1004 よりシャコンヌ
     2 カンタータ147番よりコラール「主よ、人の望みの喜びよ」
     3 シュープラーコラール集より「目覚めよと呼ぶ声あり」BWV645
 後半は 4 パッサカリア ハ短調 BWV582

 前半のあとに、フィービッヒ先生のドイツロマン派のハンス・フェアマン(1860-1940)についてのミニ講座と二曲のオルガンコラールの演奏があった。

 バッハ作品について私なりの解説

 1 シャコンヌはこの作品だけでもよく演奏される無伴奏ヴァイオリン曲のなかでも一番有名。マイヤーフィービッヒ先生のオルガン編曲による。
 2 このコラールの旋律を聴いたことがない人はいないと思うほど、TVなどでよく耳にする。バッハ自身はオルガン用に編曲はしておらずモーリス・デュルフレの編曲による。
 3 原曲はカンタータ140番のコラール。この曲も超有名、コラールの王様と呼ばれる。バッハ自身がオルガン曲に編曲し、シュープラーコラール集の1曲として出版された。
 4 パッサカリアはバッハが若い時代のオルガン自由曲。バッソ・オスティナート(執拗な低音)が繰り返されていく上にバッハの複雑な対位法音楽が展開されていく。 聴いているとバッソ・オスティナートの宇宙船に乗って深淵なバッハの宇宙を探求していくような気持ちになる。冒頭、先生はチェンバロ奏者の小林道夫さんの言葉「バッハって本当に人間だったのだろうか?」を引用されたがその疑問を具現化する曲で今回のコンサートにぴったり。

 素晴らしい演奏ありがとうございました。バッハの宇宙にどっぷりと浸かることができました。

 
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メンデルスゾーンの宗教音楽 Ⅱ-1 オルガンソナタを中心に

2024-07-05 08:28:18 | 音楽
 7月3日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。 画像はテキストの一頁目。受講内容を要約。

 本題に入る前、先生はキリスト教音楽の分類について述べられた。ミサ曲:典礼で使われる音楽 教会音楽:教会内で演奏される他の曲、モテットや受難曲など 宗教音楽:さらにジャンルが広く、教会の外でも演奏される。

 1 バッハ以降、パイプオルガン作品は少なくなり、演奏される機会も少なくなった。例えば、ハイドンやモーツアルトにはオルガン作品はほとんど無い。

 2 オルガン奏者としてのメンデルスゾーン
 1820年、アウグスト・ヴィルヘルム・バッハ(バッハ家とは無関係)より11歳でオルガンのレッスンを受ける。
 1829年、初めてイギリスを訪れた、セントポール大聖堂で演奏する機会を得る。
 1832年、2度目の訪問の時はセントポール大聖堂のほかでも演奏するがセントポール大聖堂以外イギリスにはバッハの作品を演奏するにはペダルが完全なオルガンは無かった。
 1837年、再びセントポール大聖堂でバッハ作品を演奏、大賞賛される。
 1842年、ヴィクトリア女王と夫君の臨席のもとでのコンサート。このようにイギリスでの演奏が多かった。

 1840年、8月6日、ライプツィヒのバッハ記念碑を記念しての聖トマス教会でのコンサートは大成功。パッハカリアBWV582、トッカータニ短調BWV565などを演奏。余談として聖トマス教会のオルガンのメーカーは名古屋の五反城教会のと同じ。

 3 メンデルスゾーンのオルガン作品
 1833-7年頃の中期の作品からオルガンソナタ2曲を視聴。
 1844年、イギリスの出版社から6曲のソナタとバッハのオルガン小本の出版を依頼された。旧作の24曲から組み合わせて6曲のソナタを完成、1845年9月15日、出版。
 6曲の中からコラール旋律を含む2曲を視聴。このようにしてメンデルスゾーンはオルガンソナタというジャンルを確立していった。出版以後、他の作曲家も創作しだした。

 キリスト教音楽が教会を離れ、コンサートホールなどで演奏されるようになったのもこの時代であり、その状況は今の日本に通じるものがある。

 メンデルスゾーンはマタイ受難曲だけではなく、バッハのオルガン作品の復活と保存にも大きな功績があったことが解りました。ありがとうございました。
 


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女性作曲家たちと珠玉のオルガン作品

2024-06-06 13:13:06 | 音楽
 6月5日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。画像はテキストの一頁目。講義内容を要約。

 まず、吉田先生はヨーロッパの各地域での女性と教会音楽の関係と、女性音楽家の立場の弱さを解説された。

 1 ドイツ語圏 カトリック教会では女性はシャットアウト。プロテスタント教会でも1706年に若きバッハがのちに妻となるマリア・バルバラを教会内で歌わせたとして問題となったが、18世紀に独唱歌手として存在が認められるようになった。1800年頃にはオペラのプリマドンナが教会音楽に参加するようになった。

 2 英語圏 ドイツとくらべて開放的。1837年18歳のエリザベス・スターリングがリサイタルを開催、女性として初めてバッハを演奏した。彼女はのちに教会のオルガニストを務めた。また詩篇に基づき、合唱とオーケストラ作品を作曲してオックスフォード大学の音楽学士の合格したが、女性ゆえに学士号はえられなかった。 詩編104に基づくコラールとフーガを視聴。 

 3 イタリア・フランス 18世紀より女性オルガニストが確認できる。フランソワ・クープランの家系の女性2名がパリの教会の正規のオルガニストを務めた。

 次に、職業としての女性オルガニストについて

 ドイツ語圏では19世紀シューベルトの親友のフランツ・ラハナーの二人の姉妹が教会の専属オルガニストを務めた。
 フランスでは1819年にパリ音楽院にピアノより先にオルガンのクラスが新設され、女性学生も受け入れた。

 最後に5人のフランスの女性の作曲家兼オルガニストを紹介された。

 1 セシル・シャミナード (1857-1944) 200のピアノ作品、137の歌曲などを残す。作曲家としての職業にこだわった。オルガン作品の4つの牧歌より視聴。

 2 ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1983) エリック・サティに見いだされ、「6人組」の一人。父親の反対を押し切ってパリ音楽院に入学。
唯一のオルガン作品 ノクターンを視聴。

 3 クレール・デルボス(1906-1959) メシアンの最初の妻。

 4 ロランデ・ファルチネリ(1920-2006) 1932年よりパリ音楽院に学ぶ。マルセル・デュプレに学ぶ。1942年にローマ大賞を受賞。諧謔的ソナチネより3曲視聴。
 
 5 ジャンヌ・ドゥメッシー(1921-1968) 1928年モンペリエ音楽院、1933年パリ音楽院に学ぶ。マルセル・デュプレに師事。1941年、オルガン演奏と即興演奏の両方で首席。驚異的な記憶力の持主で2500曲を暗譜で演奏、バッハの全作品も含まれる。精霊のための7つの瞑想曲より光、テ・デウムを視聴。

 この二人の次の世代の有名なマリ・クレール・アランは(1926生まれ)作曲はしなかった。余談としてクレール・アランはハイヒールを履いて足鍵盤を演奏した。

 今回も自分だけでは到底知りえない知識を得ることができました。ありがとうございました。

  

 
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