原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

【フクシマ見聞録】3・11「ああ、。こういう事態の時って、一番はじめの会見とかって重要なんだよ」 ※81回目の紹介

2017-02-20 22:30:40 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。81回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「ああ、。こういう事態の時って、

一番はじめの会見とかって重要なんだよ」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月23日のツイートから

 

福島行-「炉心溶融の話をした人、出てこなくなったな-」父が言った。
父と母の取った部屋にホテルが貸し出すパソコンを運び、
連日繰り返される東京電力の状況説明のお会見を見ていた。

父は例によって小さな手帳を脇に置いて言った。
「書いておいたんだよ。-


-「12日の会見で中村幸一郎ってひとが『炉心溶融の可能性がある』ってさ。
炉心溶融ってメルトダウンのことだろう。あそこで一度あのひとが言ったきり、
この話しなくなったな。」”書き留めてるの?”

「ああ、。こういう事態の時って、一番はじめの会見とかって重要なんだよ。-

 

-「混乱してるそのままで情報を出すからね。整理されてない本当のことが
ぽろっと出てくることがある。後々でしまいこまれちゃうような情報が、
ぽろっと出てくることがある。」

画面には、中年のにやつきが顔に張りついてしまったような男が
曖昧な答弁を繰り返している。フリージャーナリスト達が-

 

-その曖昧な答弁に切り込んでいる。むき出しの応酬だった。
やがて公表されるメルトダウンについて、その頃の世の中はひたすら
人々の関心の遡上に上げないようにしているのが目に見えるようだった。

”時間だよ、行こう”自分は言った。
家族皆を連れて、ある女性にあう時間が来ていた。-

 

-福岡へついたすぐ、フェイスブックを通じてメッセージが届いていた。
見ると、下北沢で絵を見せていた頃に、福岡からやってきてくださっていた
同年の女性だった。書いてあった。

「ツボイさん、おひさしぶりです。大変な事態になりましたね。
こちら福岡はいたってふつうで、東京がどうなっているのか-

 

-「心配しております。ツボイさんはだいじょうぶですか-」
自分は返信で福岡に数日前に来たこと、福岡駅近くのホテルに
とりあえず部屋を取ったことを伝えた。返信が来る。

「え?私の職場は、福岡駅からすぐ近くのところなんです。」
電話番号を伝え合い、すぐ会うことになった。-

 

-自分のとっていたホテルは中洲へ向かう大通りに面し、
裏手はうす暗い住宅街になっていた。落ちあい、
邂逅した状況をお互いふしぎに思って話しながら、ぶらついた。

ぶらつくと、福岡の女性がある店を自分に紹介し、二人でそこへ入った。
地の酒地の魚を出す年季の入った店だった。-

 

-自分のゆきさつを話すと福岡の女性は言った。「こっちは11日がちょうど
九州新幹線開通の大きなイベントの日だったんですよ。
前の日には歌手とかバンドとか出てきた予行練習やって、設備を作ってた。

それが、流れちゃった。わたしの働いてる職場は
このあたりの開発事業をやってるんです。-

 

-「新幹線が開通して、それに合わせて駅も新装して、、。
そこにうちもかなり深く噛んでたものだから、もう、なんというか
がっかりですね。」九州の甘口の醤油で魚を食う。

いくら注ぎ込んでも物足りない。きっかりとした醤油が欲しい。
福岡の女性は言った。「でもひどいもんですよ-

 

-「あれだけの事故が起こったのに、12日の(と記憶している)夜に
また強行工事をしようとしてたんです。考えられますか。

私の友人が祝島のことをずっと追ってるんですけど、上関は中電で、
抗議する住民を規制しようとして警備員をやとった。アルソックですよ。
みな20代そこそこの若いごつい子-

 

-「ひどいもんです-」福岡の街には落ち着きのようなものがある。
切り取ってそのわかりやすい断片を差し出すことはできないが、
ひとの表情やしぐさ、街の感じにそれは感じられ、
古くあっても厳然として動かない秩序のようなものが土地の背骨として
揺るがなく存在しているように感じていた。-

 

-その秩序は反面、周りがどう言おうが、どうあろうが、
やることはやる者がやってしまう、というようなかたちになるのではないかと思った。
その日はそうしてただ話して別れ、自分が苦境になったら連絡をする話になっていた。
3.11後の自分の混乱の中に現れた、唯一の力となってくれた日本人だった-

 

-苦境-。ホテル住まいの日々に、自分の蓄えも先が見えてきていた。
ただ金が流逸してゆく。自分はパスポートができるまでに金を得なければならなかった。
自分は警固町にあるハローワークに向かい、そこにいる人間にまぎれて職の口を探し始めた。
『金属加工職人 住み込み 時給800円』-

 

-『西洋家具の見習い』。新装なった福岡駅は大規模な駅ビルになって、
そこに集積している飲食店のアルバイトが多くあった。介護。

3.11まで働いていた特別養護老人ホームで自分の肉体は限界に
ちかい状態になっていた。(すべてゼロからはじめようか-)
そう思って今までしたことのない-

 

-印刷業の会社ででも働こうかとも思う。だが、自分が惹かれるのは
金属加工の住み込み、西洋家具制作の見習い、そんなものばかりだった。
(絵はどうするんだ-)東京の自分の部屋に詰め込まれてある絵のことを思う。
音楽であれ、絵であれ、自分は自分の中に耕作地を抱えているように思っていた。-

 

-長い時間はかかるだろうが、内側の耕作地の土地を耕し、できた上質の物が
増えてゆけば、それは自分の理想だった。内側と言っているものの、
それは闇市の跡をとどめていた下北沢という街と不可分のもので、
それら一切が頓挫したことに、解決しようのない喪失感を感じる。(ゼロ。すかんぴんだ-)-

 

-金属加工と西洋家具の募集の紙を窓口にもってゆく。窓口は中年の男で、
紹介状を出す間にじぶんの仔細を聞いてきた。状況を話すと言った。
「そうですか。実は私も東京にいたんです。下北にもいました。
学校の教師をしてたんです-。すこしずつ増えてますねえ。昨日今日、-

 

-「関東から避難されてきた方の相談を受けました。」紹介状を受け取ると、
街をぶらついた。博多の、すこし文化的な店がほどなくしてあった。

『オマエが買う本はここにはない』という少し狂気がかった看板をかかげる
昭和戦前の絵本ばかりを扱う店にいると、件の福岡の女性から連絡があった。-

 

-近況を聞いてきた。自分は職を探している、金属加工の職人に
なろうかと思っている、そう話すと「-そうですか。前にも話したけど、
うちの会社けっこう手広くやってるんで相談に乗れるかもしれませんね。」
福岡の女性は言った。そこから話は進んで、
系列のやはり特別養護老人ホームの面接を受ける-

 

-になった。社長に掛け合ってくださったという。面接は顔通しのようなもので、
ほぼそこで決まれば決まってしまうことになるが良いか、
福岡の女性は自分に言った。選んでいる余裕はなかった。

”かまいません、”自分はできるかぎりのかたちで謝意を伝え、家族に伝えた。-

 

-3.11で流れた福岡駅新装の催しが後日にずれこんで、
それを見越したのかホテルに予約が埋まり、自分および家族は数日で
そのホテルを出なければいけない状況にもあった。

次のホテルも手配してくれる話になった。そのことを家族に伝えると、
お礼をしなければ、という具合に話は進展したのだった。-

 

-やはりホテルの裏手からほど近い場所にあった水炊きの店にゆき、
家族と金を出し合って福岡の女性に食べてもらった。-

 

※次回に続く

 2017/2/21(火)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】渡眞利との飲食は私の公務員としての職務とはいっさい関係ないことが裏付けられる ※72回目の紹介

2017-02-20 22:00:00 | 【フクシマ見聞録】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。72回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P199~

 証拠関係を見ると、まず「北山」というデート嬢は派遣会社の裏付けはなかった。渡眞利が料金を支払ったという「グランドカーム」の従業員の証言もない。伝票類もいっさいない。私が「グランドカーム」に入ったという証拠もない。伝票類もいっさいない。私が「グランドカーム」に入ったという証拠もない。きわめつきが私と”情交”したとされるデート嬢だ。すでに書いている通り検察側が示唆する女性は強盗殺人事件の被害者で証言できないのだ。(中略)

 渡眞利への反対尋問が進む一方、弁護団は独自の調査により、検察が渡眞利の会社の従業員から、デジタル衛星放送事業に関する業務委託契約書などの関係書類や、従業員の携帯電話の通話明細書、運転手の運転日報などの重要書類の宝の山を発見した。

 いずれも検察側にとって都合の悪い資料である。例えば、渡眞利は私に対する接待の趣旨を、当初は事業のスポンサーにと考えていたが、途中から私の検事としての力を借りようとしたと説明している。ところが、デジタル衛星放送事業に関する書類を見れば一目瞭然、渡眞利が私を接待していた時期は、終始一貫、スポンサー探しをしていた時期とピタリと一致する。

 さらに従業員の携帯電話記録から、「四国タイムズ」の川上道大社長や住宅販売会社の社長に対する出資金勧誘、大手食品会社社長への紹介依頼、テレビコマーシャル契約の勧誘状況などが明らかとなり、私が当初から主張していたように、渡眞利との飲食は私の公務員としての職務とはいっさい関係ないことが裏付けられる。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/21(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


2月19日(日)のつぶやき

2017-02-20 02:21:48 | つぶやき

2月18日(土)のつぶやき

2017-02-19 02:20:57 | つぶやき

2月17日(金)のつぶやき

2017-02-18 02:22:09 | つぶやき

2月16日(木)のつぶやき

2017-02-17 02:17:35 | つぶやき

【フクシマ見聞録】3・11放射能が来てるのにも関わらず、東北の人達は水を貰う為に列を作って並んでいた ※80回目の紹介

2017-02-16 22:18:20 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。80回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11放射能が来てるのにも関わらず、

東北の人達は水を貰う為に列を作って並んでいた

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月22日のツイートから

 

福島行-”%%%(中国人女性の名)さんはこれからどうされるんですか”
自分は聞いた。女性は言った。「一旦ドイツへ行ッテ、ソレカラスウェーデンへ行クノ。
-ドイツだと差別がアルカラ、って&&&(ドイツ人の夫)ガ言ウノヨネ。」
自分の絵を見に来たことのあるそのドイツ人の夫は-

 

-小柄な男はソニーエリクソンで携帯のデザインを行っていた。
彼と、中国人の妻、自分、ドイツ人の女。四人で時折あっては飯を食っていた。
自由が丘で一度そうして会食した時のことを自分は思い出していた。
”自由が丘みたいな街は好きじゃないよ。ただ綺麗なだけで、つるつるしてる。-

 

-”昔とつながっている物を片付けて片付けて、それで澄ましてるようでさ-”
そんなことを言っていた自分をその自由が丘での会食に誘った女は
「アキラ、ゴメンナサイ。明のキライな街に呼ンデ」と言った。
四人、飯を食い街をぶらついていると、イタリアをイメージした一画が瀟洒な町外れにあった。-

 

-冠婚のための店が詰まっていたように思う。さほど広くもない
その一画にはやはりベネツィアの運河をイメージしたような水路が造ってあり、
白い石で造られた建物の下から伸び、直角にまがってこちら側にある。
水は最後時計のある塔の下を入ってゆく。「アキラ、コレ」ドイツ人の夫が嗤って言った。-

 

-塔の足元、流れもない黒い水の上に一艘の白い手漕ぎ船が浮いている。
塔にくり抜かれたアーチが低すぎ、船の舳先がつかえてそこに浮いているのだった。

「コレ、通レナイヨ。」船を通過させるためのアーチが低すぎ、
現実には船を塞き止めてしまっている。ただ、形ばかりがある。
それも見せかけの-。-

 

-そしてしごく真面目に雰囲気を出そうとしているのが象徴的だった。
”これだよ-。”自分は言った。”おもちゃでしかない。こんなものが多すぎるんだ-”
異国の三人の中でひとり自分は憂いて言った。

そうして中国人の女性からもらった書類を手に翌日件のパスポート申請の窓口にゆくと、-

 

-二週ほどかかるとのことだった。「私ハ失敗シタカナ-」
その二週の間にドイツからホテルへ頻々と電話をかけてくる女は言った。
”どうしたんだ”「日本二ツイテの記事を書ク仕事ヲシタ。
ソノ記事の内容デ、タクサン批判ヲ受ケテイル。」”何を書いたんだ”
「日本人ハ、アレホドノ事故がアッテ、-

 

-「ホウシャノーが来テルノニも関ワラズ、トーホクの人タチは水を
モラウ為二列を作ッテ並ンデイタ。決メラレタ量の水でガマンシテ。
店カラ物ヲ盗ムコトもシナカッタ。ドイツ人ダッタラ考エラレナイ。
パニックにナッテイタと思ウヨ。ダカラ、
『私タチドイツ人は日本人ヲ見習ワナクチャ行ケナイ』-

 

-「ト書イタ-」”、、、、。”たしかに、その後たまたま
運転免許取得合宿で出会った男の話にもその点のおどろきは感じていた。

いわきの呉羽化学工業で3.11時土壌測量にあたっていた彼は、
近在の店員のいなくなったコンビ二エンスストアのレジに、
自発的に何を持っていったのか記帳するノートが-

 

-作られ、その物品の対価をレジに置いてゆく人々の様子を話していた。
その頃にはそんなことは知らず、物品が盗まれたかどうかの
たしかな情報もなくその点に関して何を言うこともなかった。

だが、被災地の外気の中、列を作って並んでいた人々が
被爆することを知らされた上でそうしたはずはなかった。-


-”きびしいことを言いたくはないんだが-”自分は言った。”
東北の、外で列を作って水をもらいに並んでいた日本人は、
被爆することを伝えられていないよ。

どれだけの放射能がどこへ向かっていったのか国は伝えないでいるから、
彼らは無防備にそうしただけだよ。これは美談にしちゃいけない-”-

 

-”知らされずにいる、そして被曝してしまった、そのことのほうが問題なんだ”
「ビダン、とはナンデスカ。」”見習うべき話、ということだよ”

「、、、。ドイツ人タチもミナ、アキラと同ジ事ヲ言ウ。
インターネットで、ソノ私の記事へノ批判的ナ書キ込ミがトテモ多イ-。」”、、、。”-

 

-これまで、どちらかというと疑念を軸にしなくとも書ける記事を
書いてきた感性では通用しない事態に、日本は堕ちていた。
自分と女の感性は、すこしづつ、別れはじめていた。-

 

絵に書き加え、修正を施し続けている。マグロの位置を変え、書き直した。
2012年ウォールストリートジャーナルはカルフォルニアでとれる
マグロの放射能汚染を伝えた。1954年の第五福竜丸事故で汚染されたマグロ457トンは、
- http://twitpic.com/dszcqu

 

-『原爆マグロ』と呼ばれ、築地市場の土のしたに埋められたという。
矢ヶ崎克馬氏は、当時のマグロの汚染程度を10から100ベクレルであろうと発言している。
WSJの記事は2012年5月29日。毎日新聞がそのことを伝えた
ウェブ上にも掲載していたが、今ではたどることができなくなっている。

 

※次回に続く

 2017/2/20(月)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】第5回公判の検察側主尋問で渡眞利が証言したストーリー ※71回目の紹介

2017-02-16 22:00:56 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。71回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P197~

 この事件、渡誠利の捜査段階の供述では、平成13年7月中旬に大阪市天王寺区にある「チャペルシンデレラ」というホテルで、私が、渡眞利が接待用に用意したデート嬢と勤務時間中に情交したことになっている。接待後は車で渡眞利と神戸市三宮へ行き、「北野亭」という炉ばた焼き屋で飲食した後、西宮市の私の自宅へ送ってもらったという。再逮捕直後の渡眞利の弁録調書にも、勾留質問調書にもそう書かれていた。そして、この事実で私は逮捕、勾留された。

 ところが起訴前になって、ホテルが「チャペルシンデレラ」からまったく邦楽の違う大阪市北区の「グランドカーム」に変わった。当初から「チャペルシンデレラ」か「グランドカーム」のどちらか迷っていたが「急に思い出した」と公判では説明している。本当だろうか。

 これが真実ならば、渡眞利は接待した当時はもちろん「グランドカーム」での接待状況を記憶していたに間違いない。その記憶がいつなくなり、「チャペルシンデレラ」に記憶変更されたのだろうか。「チャペルシンデレラ」では接待後、三宮で飲食したことになっているのに対して、「グランドカーム」では接待後、大阪地裁の西側まで車まで送って別れたという。ホテルが違うだけでなく、状況もまったく異なるのだ。こんな記憶違いがあるだろうか。

 さらに詳しく検証しよう。

 第5回公判の検察側主尋問で渡眞利が証言したストーリーはー。

 平成13年7月中旬、渡眞利は私からの電話でデート嬢接待を要求され、午後1時ごろ自分の運転する車で北区にある大阪市役所の横まで迎えに行った。私から「今日はまた役所にもどらなあかんから近くにしてくれ」と言われたので、大融寺のほうにある「グランドカーム」というラブホテルに向かった。途中で、デートクラブ「北山」に連絡を入れ、デート嬢派遣を依頼した。車の中で情交代金2時間分4万円とチップ1万円の計5万円を私に渡した。私は、「これ(女の子に)渡したらええんやな、ありがとう」と言って受け取った。ホテルに着くと渡眞利は私と一緒に車を降りてロビーに入り、部屋を選んで受付で料金を払ってから、表に出た。その後、私が出てくるまでホテルの前で1時間半ほど待って、車で裁判所の西側まで送った。

ーというものだ。検察官はこの接待の日付を7月18日と特定してきた。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/20(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


2月15日(水)のつぶやき

2017-02-16 02:19:45 | つぶやき

【フクシマ見聞録】3・11直後、住民票が無い場所でのパスポート申請で困った「第三者証明を添えて下さい」 ※79回目の紹介

2017-02-15 22:31:51 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。79回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11直後、住民票が無い場所での

パスポート申請で困った「第三者証明を添えて下さい」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月21日のツイートから

 

福島行-地味な男は言った。「ただ申請を受けるにあたりまして、一点。

ご自身の身分を証明する書類、それと福岡に五年以上住まれている方の
第三者証明を添えてください。その方の住民票でもなんでも構いません-」
ここで困じてしまった。福岡へ来たのははじめてだった。
音楽をともにしていた-

 

-若い知り合いは、依然東京に残っていた。彼の友人で家に
泊めたことのある青年は福岡へやってきてすぐに連絡をくれたのだが、
日銀への就職が決まったんです、明日から東京へ行きます、
と電話で自分に伝え、3月16、7日あたりに上京していた。
思いあたる知り合いがいない。-

 

-ホテルへもどり、パスポートの申請が特例対応になっていることを
やはりミクシィで書いて拡散した。その晩に女とやりとりし状況を伝えると、
ひとりの女性が福岡へ来ていると言った。

少し年上の中国人の女性だった。ドイツの男性と結婚しており、
横浜のマンションで暮らしていた。彼女の部屋にゆき、-

 

-四人で餃子を作って食ったりするような仲だった。
彼女に連絡してみることになった。電話をすると、いつもの快活さで
その中国の女性は言った。

「アア、明サン。福岡二来タンダッテ?ソレはヨカッタね。」
事情を説明する。
「-私ノ姉がネ、ズット福岡で生活シテル。ソコに私モ居ルンダケドネ、-

 

-「彼女二相談シテミルネ。デ、何ガ必要ナノ?」
結局、その中国人女性の姉が住民票と外国人登録証を印刷して
渡してくれることになった。

またしても、自分に力となってくれたのは異国の人間だった。
翌日、晴れた駅前の喫茶店でお会いすると言った。
彼女は身重だった。-

 

-”妊娠されたと$$$から聞きました。、、おめでとうございます”
自分が言うと「ソウナノヨ。アリガトウ、、。###(彼の夫の名)ガネ、
事故が起キタラ会社カラすっ飛ンデ帰ッテキテネ、
モウ凄イ勢イでアタッシュケースに荷物を突ッ混ンデ、
『福岡へ行くチケットヲ取ッタカラ明日スグ行ケ』-

 

-「テ言ウワケ。私ハ、全然ノンビリシテテ、『何ソンナニ急イデンノ』
ナンテ言ッテタンダケドネ、今デハ感謝シテルヨ-」
自分のことを聞かれ仔細を話す。件の書類を鞄から出して自分に渡す。
外国人証明書に、お会いしたのことない中国人女性の写真が写っている。
”ありがとうございます-”-

 

-「気ニシナイデ。コウイウ時ハ、助ケアワナキャネ。
デモ、今度何かアッタラ、助ケテヨ。」いくぶん茶かすように笑った。
笑ってから真面目な顔になり「$$$を大切二シナサイヨ。
彼女ハ強イヨウニ見エルケレド、彼女ハ彼女デ繊細ダカラ-」言われた。-

 

※次回に続く

 2017/2/16(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】検察官が証人と綿密にすり合わせをしても「作り話」だから必ずボロが出る ※70回目の紹介

2017-02-15 22:00:42 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。70回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P196~

 当時、渡眞利は実刑服役中で、私と同じ大阪拘置所に収監されていたのである。

 本来なら懲役確定囚は拘置所で分類の後、他の刑務所に移送される。渡眞利の場合、通常なら累犯刑務所の京都、大阪、神戸のいずれかの刑務所に移送して「定役(作業)に復せしめる(監獄法)」のだ。しかし検察は彼の証人出廷を理由に、刑務当局に引き続き拘置所内で刑の執行を行うよう命じたのだ。従って、渡眞利は検事調べ(実際は証言レクだが)の都度、ある程度の自由を与えられながら、服役者の間で言われている「右を向いて、左を向いて、小便すれば終わり」の短期計(懲役5月)を終えたのだった。

 第8回公判(2月7日)の冒頭では、弁護人が聞いた。

 前回の証人尋問の後、本日までの間に検察官と打ち合わせをされましたか。

「はい」

 何回くらいされてますか。

「6、7回いうところですか」

ー検察官は左横に座っている大島検察官、大仲検察官、相馬検察官の3人ですね。

「そうです」

ー趣旨としては、結局、反対尋問対策と、こういうことになるんでしょうか。
「趣旨はちょっとわからんですけど、聞かれたことだけに応える感じですね」

 渡眞利は2月22日に出所したが、その後も、検察庁で打ち合わせは繰り返された。渡眞利の証言によれば、1回につき1時間から長いときでは3、4時間にも及んだという。証人尋問は7回行われたので、合計すると40回~50回もの接触があったことになる。
しかし、いくら綿密にすり合わせをしても、渡眞利の供述は実体験に基づいていない「作り話」だから必ずボロが出る。ひとつの矛盾をウソで埋め合わせると、別のところのつじつまが合わなくなる。

 その最たるものが、私が勤務時間中に抜け出しデート嬢と情交したとして大々的に報道された事件である。もし本当ならば、私は恥ずかしくてこのような本は書けないだろう。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/16(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


2月14日(火)のつぶやき

2017-02-15 02:22:39 | つぶやき

【フクシマ見聞録】3・11日本政府から緊急事態特例で、住民票のない場所でもパスポートの申請を受付ける通達が出ていた ※78回目の紹介

2017-02-14 22:02:02 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。78回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11日本政府から緊急事態特例で、

住民票のない場所でもパスポートの申請を受付ける通達が出ていた

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月20日のツイートから

 

福島行-2011年3月14日午後の羽田空港は、やはり平静とかわらなかった。
とくに外国人が多いということもなく、少なくも多くもない人間たちが
あたりをうろついていた。兄は運転してきた車を空港の駐車場に置いてきていた。

自分と同じく兄もたまたま連休を取っていたのでそうして動けたのだった-

 

-が、いずれ、進めている仕事のために戻ってくるつもりらしかった。
窓口で事情を伝え、ドイツという異国の政府発行の書類を手渡し、
通常の手続きを飛ばして旅客券を受け取る。福岡へむかう旅客権を
求める人間の列に連なりながらも、ひとり奇妙なものを感じざるを得なかった。-

 

-チケットを受け取り、新大阪ゆきの旅客券を受け取ってきた両親、
兄と別れることになった。「-じゃあ、元気でね」母が言い、
自分は月並みな言葉を返した。

自分は傍らに立つ父の、背広の背にまばらに落ちていたふけを
払ったことを覚えている。福岡への便には勤め人が多くを占めていた。-

 

-「-壷井さん、こちらへ-。」地味な中年の男が一室の扉から
顔を覗かせて言った。そこは福岡の、中洲と天神の間にある
パスポート申請の窓口だった。

以前書いたように、福岡へ着いた自分は三日間の休日を
ホテル暮らしに費やし、逡巡の末に福岡へ留まることを選び職場を馘首されていた。-

 

-東京へ戻るか。福岡にとどまるか。さらにそこから出てゆくのか。
動乱のときには、そんな行く末をめぐる分岐がつぎつぎに自分に突きつけられてくる。

戻らぬことを選択した以上、出てゆくことの可能性への準備をするのは
必然として感じられた。バイエルン州のある街、女の生まれた故郷へ戻った-

 

-女は、地元のメディアに請われて動乱のさなかにある日本人の心情を
聞き集めるように言われ、ホテルが貸し出すパソコンを使って家族
(空港経由のほうがホテル代安くあがるので、
同じホテルへ数日後にはやってきたのだった)の話を聞いていた。
ドイツで仕事を探してゆくという。-

 

-職も喪い、一人これまでずっと進めていた(自分なりに全霊をかけていた)
表現活動も先が見えなくなっていた。ただ残されたのは女とのつながりと、
無為に空いた時間-。

その空いた時間には、その頃には依然として
予断をゆるさなかった福一の情報、
これまでの原発をすすめる上でなされてきた操作-

 

-の悪質さ、被曝に対してまるで機能しない日本の惨状をめぐる
情報が埋めるようになっていた。

思えば、この選択を機に、自分をそれまで成してきたものの
要素のバランスが変わったのだと思う。

住民票のない福岡でのパスポート申請を相談すると、
一般の窓口の女に理由を聞かれ、仔細を説明した。-

 

-しばらくするとそうして地味な男が自分を呼び、
二人で個室に差し向かいになった。責任者らしかった。男は言った。

「いま、確認しました。確認しましたところ、
現在日本政府から緊急事態特例ということで、
住民票のない場所でもパスポートの申請を受け付けるよう通達が出ております-」

 

-おどろく以外なかった。(そんなこと、テレビで言ってなかったじゃないか-)
ホテル住まいをするようになり、家族も結局またひとところに
まとまる状態になっていた。

ホテルのテレビでは、ワイドショーが原発の状態、
そしてそこからもたらされる被曝程度を、レントゲンやCTと比べて軽微なもの-

 

-として解説する専門家が続々と出てきて話していた。
洪水のようにそんな情報を流していた一方で、政府はそんな
逃げるための緊急対応をおこなっていたのだった。

テレビからの情報量からすると、”ひそかに”と
言ってさしつかないと思われた。-

 

-として解説する専門家が続々と出てきて話していた。

(全国的な放送と比べて福岡の地元の放送局は危険性を危険なものとして論じていた)

。番組の合間には、公共広告機構の二つか三つほどしかないパターンの
映像が刷り込まれるようにして繰り返されていた。-


-幼児向けの絵本のようなアニメが、あえて作られた幼さと、
やわらかい甘さを前面に出してこちらの時間を埋めてゆく。

一言挨拶の言葉を発することの重要さを、ことここにいたって説いている。
洪水のようにそんな情報を流していた一方で、
政府はそんな緊急対応を敷いていたのだった。-

 

-圧倒的多数に向けて積極的に流される装われた、現実には意味をなさない、
むしろ当時の状況では肉体的な意味でも人をスポイルする以外の
なにものでもない稚気と、知る人間に向け、
ひそかに危機的な現実に即して対応するひどく具体的な対応。
この二面対応を行うにあたっての国の処理速度の迅速さに-

 

-禍々しさのまじった驚きをあらためて感じた。
(-すくなくとも、役人はこのことを知っているはず-)この選別。

これまで自分が外から問題にしていたその選別の、ふとした縁のかさなりで
少数の中へ、自分はいつの間にか紛れ込んでいた。
紛れ込み、特例的にパスポートを発行してもらおうとしている。-

 

※次回に続く

 2017/2/15(水)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】「獄中打ち合わせ」の事実:証人が検察官と事前に打合せ。こんなに頻繁に接触というのは異常 ※69回目の紹介

2017-02-14 22:00:34 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。69回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P195~

 ところが、検察側はウソの供述を繕うため、常識では考えられない工作をしていた。第7回公判の冒頭で、弁護人の追及に渡眞利はあっさりと白状した。

 あなたは証人に出るにあたって、(検察官と)打ち合わせをしましたね。

「打ち合わせは、やりました」

ー12月27日から1月21日までの1か月の間に、何回くらい打ち合わせされたんでしょうか。

「5、6回と思いますけどね」

ーちなみに、いちばん初めの第5回公判の前にはどれぐらい回数があったんですか。

「10回ぐらいですか」

驚いた。証人が検察官と事前に打ち合わせをしてはいけないという法律はどこにもないが、こんなに頻繁に接触するというのは異常である。

 われわれが、この「獄中打ち合わせ」の事実をつかんだのは、ひょんなことがきっかけだった。大阪拘置所にたびたび接見にきてくれていた私の知人が、接見のたびにどこかで見たことのある「3人組」がいることに気づいたのだ。知人は法廷にも毎回、傍聴に来てくれていた。見覚えのある3人組は誰だろうと考え、はたと思いついた。傍聴のたびに見ている顔だ。傍聴席から向かって左側、検察官席にいる3人ではないか。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/15(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


2月13日(月)のつぶやき

2017-02-14 02:17:25 | つぶやき