1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。74回目の紹介
【フクシマ見聞録】
3.11直後「アキラ。家族扱いで、
ドイツ政府から飛行機のチケットがもらえる。南へ逃げて」
Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月16日のツイートから
福島行-その電話は実のところ、意外なものと自分は捉えていた。
ドイツ人たちを逃すためにチャーターされたはずの飛行機が台湾で
そうして予定外に来ないこととなり、彼らは各々、
出国を自ら調整しなければならなかった。
それは、日本出国のために早い者勝ちの競争が
はじまったことを意味にしていた。-
-「アキラ。怖イヨ-。チケット、私ハ取レルノダロウカ。」
女は電話口で言った。
パスポートもない自分にはどうすることもできなかった。
”だいじょうぶだろう、きっと。”無力感を感じながら自分は言うほかなかった。
そのことを察したのか、女は言った。
「-アキラ、私ノタメ二、祈ッテクダサイ。」-
-祈るほかなかった。海苔を買ってくると、ドイツ人たちの行動を
登録しているミクシィで書き込み続けることをはじめた。
海苔を食べていること。風向きを気にして身重の中国人の妻を
福岡へ飛ばした者がいること。海外のサーフィンのサイトに、
世界の詳細な風向きを予想するものがあり、URLを書いた-
-翌日の早朝に女から連絡があり、無事旅客権を確保したと言った。
それからすこし遅れて中国人達が出国を図り大挙して詰めかけていた。
そのわずか一足先に出国の手配を済ませたことになる。
自分は仕事場へ向かう前で布団に寝ていて、寝たまま、
その連絡を受けた。女は言った。「アキラはドウスル-」-
-”逃げられないよ。パスポートもない。今日は仕事。仕方がない-”
「-私ハ、アキラを置イテユクノカ、。迷ウ気持ちがアル、。
私ハ一人デ逃ゲテ良イノカ、」女が迷いはじめたので言った。
”$$$、逃げな-。”さめざめと、
受話器の向こうで女が嗚咽するのが聞こえた。-
-自分はこれまで自分がドメスティックな生き方しか
してこなかったことを伝え、謝った。縁があればまた会えるだろう、
今までのことを感謝すると「-ワカリマシタ。」女はようやく言い、
通話を切った。(これで、終わり-。)
前日の12日の夜には、フランスのメディアがネット伝えていた。-
-『福島の事故は最低でもスリーマイルと同等の規模になる可能性がつよい-』。
原子力災害の国際基準でスリーマイルはレベル5だった。
日本のテレビも騒乱の中にあったが、そうしたことを伝える報道はなかった。
かなり近い距離で、外側からもたらされる死というものを意識した。-
-こんなことがあるのか、とも思い、その反面やがて訪れるはずだった
事態が現実としてやってきたとも思った。自分がその事態に
何の準備すらもしていなかったことが、決定打として自分の前に露出した。
飯舘村には多くのフィリピン人女性が働いていた。
農家の男と結ばれて工場勤務などをしていた。-
-『原発さえなければ』と厩舎に字を残して縊死した男性は、
やはり事故後フィリピンへ急遽戻ってしまった若い妻のことを大きな喪失として抱え、
その他の傷もあり、克服できなかった。空港でのようなやりとりは、
日本のあちこちで起きたはずだった。縁があれば会えるだろう-。-
-自分は言ったが、もう女とは終わったと感じていた。そんな気持ちから、
仕事場で受けた電話に意外な気持ちを持ったのだった。
「アキラ。家族扱イで、ドイツ政府カラチケットがモラエル。
南へ逃ゲテクダサイ。沖縄カ、福岡、ドチラカ選ンデクダサイ。」
翌日から三日間休みを取っていた。-
-「福岡。」急な展開で狼狽しながら、自分は言った。帰宅して
この話を家族に伝えると、家族も縁故をつたって南へ逃げることになった。
自分以外の三人の家族は奈良へ。母は二匹の飼い猫のため、
ダンボールに餌を大量に注ぎ、バケツに水を張っていた。-
-自分のもとに取り残さた側のドイツ人の女からメールが入っていた。
多くのひとに状況を聞いたが判断がつかない、混乱している、アキラはどう思う、
私たちはどうしたらいいか。英語で書いてあった。
三日間の休みというのは、以前の呟きに書いたことだが、
彼らからの取材を受ける予定だった。-
-彼らはフランスドイツ合弁の先端的なアート系を扱う番組制作チームで、
自分は下北沢という街で活動するひとりの絵描きとして取材を受けていた。
下北沢の街の中での映像収録の最後の三日間が、その休日だった。
それが3.11で頓挫し、そんなメールをよこしていた。自分は書いた。-
-「逃げろ、可能な限り速く。この国のメディアは何も言わないが
もうすでにメルトダウンしてる可能性が高い。
君に見せた絵のテーマ、隠蔽が、今動きだすぞ。君は日本人じゃない。
チケットさえ取れればすべては解決する。この国から離れろ-」
英語でそう書くと、その言葉を受けて二人はタイへ向かった-
-クアラルンプールにいる女の方の親を頼って向かったと言っていた。
結局、一貫して自分を被曝から避けるために力となったのは、
ドイツという国、その国の人だった。日本国政府ではなかった。
タイへ出国していった二人とのやりとりから、
自分とドイツという国の奇妙な縁を感じざるを得なかった。-
-友人は米軍のラジオ放送で艦隊が持ち場を離れて南下することを聞き、
福島での事故の程度を図っていた。岐路と、縁-。
これまでの自分の一切が凝縮して露出してきた時だったと思う。-
※次回に続く
2017/2/8(水)22:00に投稿予定です。