原発問題

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【告発!検察「裏ガネ作り」】検察が自らの保身のため、恣意的に人を逮捕、起訴。そんな歴史だけは絶対に繰返してはならない ※75回目の紹介

2017-02-23 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。75回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P206~

 それにしても、渡眞利はなぜあれほどまでにウソをつくのだろう。渡眞利は完全に検察の操り人形になっていた。検察の主張を代弁しているのみだった。ここまでマインドコントロールするのは不可能だ。私に対する敵意に満ちた態度も、恨みだけだとは思えない。何かほかに実利的な動機があるような気がしてならないのだ。

 その謎を解くカギが、平成14年11月25日に東京駅近くで起きた暴力団員射殺事件にあるようだ。殺されたのは山口組系暴力団の組長で、犯人はなんと、亀谷直人組長だった。

 最近、この射殺事件と私の口封じ逮捕を関連づけて報じるメディアが出始めている。月刊誌「創」(15年3月号)に掲載された元公安調査庁職員の野田敬生氏のリポートをはじめ、「テーミス」(同4月号)、「週刊文春」(同4月17日号)などである。

 これらの記事を総合すると、私の事件以降、亀谷組長が山口組関係者らにさかんに「検察とのパイプ」を吹聴するようになったという。渡眞利が贈収賄事件をでっちあげ、服役してまで検察に”恩を売った”というわけだ。確かに渡眞利と亀谷組長がいなければ、検察は私を逮捕でっきなかったことは間違いない。亀谷組長は、私の事件で築いた「検察とのパイプ」を山口組内での影響力拡大に利用しようとしたのである。

 そして、実際に山口組本家サイドから、ある検察工作を依頼され、多額の工作資金を引き出した。この白昼堂々の射殺事件は、その検察工作に関するトラブルの延長に起きたハプニングだったという。殺された組長は、山口組関連の裁判対策担当責任者だった。

 もしこれが本当ならば、検察は自らの犯罪を隠蔽するため、暴力団を利用して私の事件をでっちあげたが、利用された暴力団が反対に検察に恩を売ったことを利用しようとして、多額の現金を動き、殺人事件にまで発展したことになる。この裏事情についても現在、調査中で真偽のほどは定かでないが、いずれにしても本件事件の「闇」があまりに深く、また申告であるのは確かなようだ。

 亀谷組長は殺人で起訴され、2月12日に東京地裁で初公判があったが、検察は亀谷組長の殺人の動機を明らかにしなかった。そこに「闇」が隠されているからだろう。

 一方、渡眞利は表面上、この殺人事件には異常なほど無関心を装っている、だが、実は第9回公判(2月21日)で弁護人が亀谷組長の殺人事件の骨子を尋問したが、それまで饒舌だった渡眞利が急に無口にうつむき、何度もつばを飲み込み喉ぼとけを動かすようすがはっきり観察できた。渡眞利は、この裏の真相を知っているに違いないのである。

 私は、自分の潔白を証明するのはもちろんだが、公判を通じて「裏の真相」を国民の前に明らかにしたいと考えている。それが容易ではないことは覚悟のうえだが、こうなった以上はやり遂げるのが私の使命である。

 闘いは、これからも続く。しかし検察のでっちあげ逮捕、起訴が少しずつ明らかになっている。検察と指定暴力団との裏の実情も、これから明らかとなるであろう。

 検察は逃げないでほしい。私の逮捕、起訴が公訴権濫用でない正当なものであるというなら真正面から取り組んでもらいたい。それが結局は健全な検察となるための試金石なのである。でっちあげ逮捕、起訴の”原田明夫検事総長は近いうちに退官することになろう。次の検事総長は、検察が何をするところなのかをはっきり理解し、真実の追及のみを使命とすることの大切さをわかる人になってほしい。結局、それが国民のためになるのである。

 そして多くの国民、マスコミはどうか、この事件がどういう事件なのか、その真実は何なのか、逮捕、起訴の真の目的はなんであったか、検察と指定暴力団の裏の実情がどういうものであったのか、しっかりとした目で判断してほしい。客観的に冷静な目で見てほしい。それが検察の暴走を抑制する唯一の方法だからである。

 検察が自らの保身のため、恣意的に人を逮捕、起訴するような、そんな歴史だけは絶対に繰り返してはならないのだ。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』の紹介は今回で終了します。

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】「釈放指揮書がまだ届いてないですが、まもなく保釈されますよ」 ※73回目の紹介

2017-02-21 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。73回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P202~

 しかし、さらに重要なのが渡眞利の運転手の運転日報である。検察側は、勤務時間中にデート嬢と情交したと主張する「グランドカーム」での接待があったのは、7月18日だと特定してきた。そこで、この日の運転日報を見てみると、午前8時40分渡眞利社長宅着→9時10分発→9時30分弥生ヶ丘墓地で墓参り→13時長田警察署で差し入れ→15時元町の宮内弁護士事務所着→16時15分発→17時二ノ宮(風呂屋)着となっている。

 渡眞利はこの日、午後1時半に私と待ち合わせて、ホテルへ行ったと供述、証言している。それが、私が勤務中にデート嬢の接待を受けたという唯一の根拠だ。しかし、その運転日報をみれば渡眞利がその時間、大阪にいなかったことが読み取れる。明らかに逆アリバイが成立しているのである。

 もちろんこの事実を適示されても、渡眞利が素直に認めるわけがない。第8回公判で弁護人から追及されると、

「それは運転手(公判では実名)の行動はわかるけれども、私が一緒に行動していたかどうかはわからんね」

 などと言い訳し、最後は突然、その日の記憶がよみがえったようで、

「その日は、運転手と別行動だったね」

と、きっぱり断定してしまった。大丈夫だろうか。

 ちなみに弥生ヶ丘の墓地には渡眞利家の墓地があり、二ノ宮にhs渡眞利の行き付けの風呂屋がある。

 以上が、私が勾留中に書いたいわゆる「獄中手記」である。

 ここから先は、保釈後、新たに付け足したものである。

 第10回公判(3月7日)後に弁護団が出した保釈申請が、11日にようやく認められた。ところが12日に面会に来た知人から、午前10時20分より大阪高等裁判所で抗告審が始まると聞かされた。検察官が地裁の保釈決定に対して抗告していたのだ。あくまでも私を「外」へ出したくないということらしい。

 午後3時過ぎ、拘置所の看守より抗告棄却されたと聞かされ、正直、ホッとした。

「釈放指揮書がまだ届いてないですが、まもなく保釈されますよ」

 そう聞くや、気の早い私はさっさと荷物を片付け始めた。裁判記録、本、衣類など、ダンボールで7~8箱になった。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/22(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】第5回公判の検察側主尋問で渡眞利が証言したストーリー ※71回目の紹介

2017-02-16 22:00:56 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。71回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P197~

 この事件、渡誠利の捜査段階の供述では、平成13年7月中旬に大阪市天王寺区にある「チャペルシンデレラ」というホテルで、私が、渡眞利が接待用に用意したデート嬢と勤務時間中に情交したことになっている。接待後は車で渡眞利と神戸市三宮へ行き、「北野亭」という炉ばた焼き屋で飲食した後、西宮市の私の自宅へ送ってもらったという。再逮捕直後の渡眞利の弁録調書にも、勾留質問調書にもそう書かれていた。そして、この事実で私は逮捕、勾留された。

 ところが起訴前になって、ホテルが「チャペルシンデレラ」からまったく邦楽の違う大阪市北区の「グランドカーム」に変わった。当初から「チャペルシンデレラ」か「グランドカーム」のどちらか迷っていたが「急に思い出した」と公判では説明している。本当だろうか。

 これが真実ならば、渡眞利は接待した当時はもちろん「グランドカーム」での接待状況を記憶していたに間違いない。その記憶がいつなくなり、「チャペルシンデレラ」に記憶変更されたのだろうか。「チャペルシンデレラ」では接待後、三宮で飲食したことになっているのに対して、「グランドカーム」では接待後、大阪地裁の西側まで車まで送って別れたという。ホテルが違うだけでなく、状況もまったく異なるのだ。こんな記憶違いがあるだろうか。

 さらに詳しく検証しよう。

 第5回公判の検察側主尋問で渡眞利が証言したストーリーはー。

 平成13年7月中旬、渡眞利は私からの電話でデート嬢接待を要求され、午後1時ごろ自分の運転する車で北区にある大阪市役所の横まで迎えに行った。私から「今日はまた役所にもどらなあかんから近くにしてくれ」と言われたので、大融寺のほうにある「グランドカーム」というラブホテルに向かった。途中で、デートクラブ「北山」に連絡を入れ、デート嬢派遣を依頼した。車の中で情交代金2時間分4万円とチップ1万円の計5万円を私に渡した。私は、「これ(女の子に)渡したらええんやな、ありがとう」と言って受け取った。ホテルに着くと渡眞利は私と一緒に車を降りてロビーに入り、部屋を選んで受付で料金を払ってから、表に出た。その後、私が出てくるまでホテルの前で1時間半ほど待って、車で裁判所の西側まで送った。

ーというものだ。検察官はこの接待の日付を7月18日と特定してきた。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/20(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】検察官が証人と綿密にすり合わせをしても「作り話」だから必ずボロが出る ※70回目の紹介

2017-02-15 22:00:42 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。70回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P196~

 当時、渡眞利は実刑服役中で、私と同じ大阪拘置所に収監されていたのである。

 本来なら懲役確定囚は拘置所で分類の後、他の刑務所に移送される。渡眞利の場合、通常なら累犯刑務所の京都、大阪、神戸のいずれかの刑務所に移送して「定役(作業)に復せしめる(監獄法)」のだ。しかし検察は彼の証人出廷を理由に、刑務当局に引き続き拘置所内で刑の執行を行うよう命じたのだ。従って、渡眞利は検事調べ(実際は証言レクだが)の都度、ある程度の自由を与えられながら、服役者の間で言われている「右を向いて、左を向いて、小便すれば終わり」の短期計(懲役5月)を終えたのだった。

 第8回公判(2月7日)の冒頭では、弁護人が聞いた。

 前回の証人尋問の後、本日までの間に検察官と打ち合わせをされましたか。

「はい」

 何回くらいされてますか。

「6、7回いうところですか」

ー検察官は左横に座っている大島検察官、大仲検察官、相馬検察官の3人ですね。

「そうです」

ー趣旨としては、結局、反対尋問対策と、こういうことになるんでしょうか。
「趣旨はちょっとわからんですけど、聞かれたことだけに応える感じですね」

 渡眞利は2月22日に出所したが、その後も、検察庁で打ち合わせは繰り返された。渡眞利の証言によれば、1回につき1時間から長いときでは3、4時間にも及んだという。証人尋問は7回行われたので、合計すると40回~50回もの接触があったことになる。
しかし、いくら綿密にすり合わせをしても、渡眞利の供述は実体験に基づいていない「作り話」だから必ずボロが出る。ひとつの矛盾をウソで埋め合わせると、別のところのつじつまが合わなくなる。

 その最たるものが、私が勤務時間中に抜け出しデート嬢と情交したとして大々的に報道された事件である。もし本当ならば、私は恥ずかしくてこのような本は書けないだろう。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/16(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】「獄中打ち合わせ」の事実:証人が検察官と事前に打合せ。こんなに頻繁に接触というのは異常 ※69回目の紹介

2017-02-14 22:00:34 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。69回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P195~

 ところが、検察側はウソの供述を繕うため、常識では考えられない工作をしていた。第7回公判の冒頭で、弁護人の追及に渡眞利はあっさりと白状した。

 あなたは証人に出るにあたって、(検察官と)打ち合わせをしましたね。

「打ち合わせは、やりました」

ー12月27日から1月21日までの1か月の間に、何回くらい打ち合わせされたんでしょうか。

「5、6回と思いますけどね」

ーちなみに、いちばん初めの第5回公判の前にはどれぐらい回数があったんですか。

「10回ぐらいですか」

驚いた。証人が検察官と事前に打ち合わせをしてはいけないという法律はどこにもないが、こんなに頻繁に接触するというのは異常である。

 われわれが、この「獄中打ち合わせ」の事実をつかんだのは、ひょんなことがきっかけだった。大阪拘置所にたびたび接見にきてくれていた私の知人が、接見のたびにどこかで見たことのある「3人組」がいることに気づいたのだ。知人は法廷にも毎回、傍聴に来てくれていた。見覚えのある3人組は誰だろうと考え、はたと思いついた。傍聴のたびに見ている顔だ。傍聴席から向かって左側、検察官席にいる3人ではないか。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/15(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】検察は、元のウソがばれないように検面調書のウソを、別のウソに修正 ※68回目の紹介

2017-02-13 22:00:32 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。68回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P194~

 検察はいまさらながら、頭を抱えていることだろう。それは1月21日の第7回公判から始まった弁護側の反対尋問で、渡眞利証言の矛盾が次々と露呈し始めたからである。他の事件と違う本件の特色は、検察の「起訴事実」イコール「渡眞利供述」だということだ。したがって渡眞利供述のウソがばれれば、事件そのものがおしまいになる。

 検察は、元のウソがばれないように検面調書のウソを、別のウソに修正しながら法廷で証言させているようだ。渡眞利は元のウソと新しいウソの矛盾を突かれ、さらにウソを重ねてつじつま合わせをしようとしている。渡眞利は言い訳の天才である。弁護人に矛盾を突かれても、その場で瞬間的にウソで言い繕う。平然と、表情に出さずに。しかし、それには限界がある。詐欺師としての渡眞利の長所は、ウソのストーリーを平気でとうとうと述べられることだ。しかし、それは弱点にもなる。ウソをつける自信が逆に矛盾を生み出す。上手の手からどんどん水がこぼれていく。

 検察は、渡眞利のウソがあまりにも多いので苦労しているようだった。捜査段階で出ていなかった話が尋問で初めて出てくる。それが1度や2度ではない。しかし、それは自業自得だ。検察は渡眞利の騙され、渡眞利の供述の真実を思い込んで起訴したのか。いや、そうではない。ウソと知りつつ、起訴したのだ。

 並みの検事であれば、取り調べの段階で渡眞利のウソに気づくはずだ。これは私の経験からも言える。1日に仮に7時間調べるとすると、第1時勾留で140時間、第2次勾留も合わせると240時間、拘置所の狭い部屋の中で相対する。取り調べ官の裏も表も、被疑者の裏も表も、隠しようがないのである。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/14(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】私の逮捕を事前に知っているかのようだった「先生、助けてくれと連絡があると思ってましたよ・・」 ※67回目の紹介

2017-02-09 22:00:40 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。67回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P190~

 逮捕直後の検察の悪質なリークは、私が指定暴力団と癒着した悪徳検事であるとのストーリーだったが、真実は検察こそが大物OBを使って現役の指定暴力団組長と接触をはかっていたわけだ。しかも、そこで何らかの裏取引があった疑いが濃厚なのだ。

 亀谷組長は私の”詐欺の共犯”として逮捕されていながら、自宅も車もガサ入れ(家宅捜索)されていないことが判明している。前出の大仲検事の捜査報告書には、捜索差し押さえの必要性として、「5月24日付の不動産売買契約書が存在しないのでその発見等を目的に捜索する」という趣旨のことが書かれているのに、肝心の買主である亀谷組長宅を捜索しないとはどういうことか。

 一方、自らの公判では検察側の主張をすべて認め、収賄罪で懲役5か月の実刑判決を受けた渡眞利は、過去複製の検事弁護人と知り合っている。だが、第10回公判で渡眞利は、谷弁護士とは「接見室で初めて会った」ことを認めた。では、いったいだれが紹介したのだろう。弁護人の追及に、渡眞利は「まあ、いい先生だったんで、家族に(言って)入れてもらいました」と、家族を通じての依頼だったと答えた。

 ところが、逮捕直後の渡眞利は私と同じ接見禁止で、家族にどの弁護士を依頼してほしいと頼める状況ではなかったのだ。

 実は渡眞利の弁護人を引き受けた谷弁護士は、関西大学法学部出身で昭和50年に司法試験に合格し、同53年に検事に任官した経歴のヤメ検弁護士の1人だった。そして、私の逮捕を指揮した高田明夫特捜部長はこの谷弁護士と同期(30期)で、初任地も同じ大阪地検だったことが、弁護団の調べでわかっている。これは偶然だろうか。話はまだある。

 私の逮捕直前の平成14年4月中旬、しばらく音信不通だった渡眞利から久しぶりに電話があった。渡眞利はろくに挨拶もせず、やぶからぼうに、

「先生、助けてくれという連絡があると思っていましたよ・・」

 と言ってきた。それはまるで、私の逮捕を事前に知っているかのようだった。

 もはやこれ以上、何も言うことはないあろう。私の逮捕、起訴の背後にある謀略の構図がかなり明確に像を結び始めた。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/13(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】検察は大物OBを使って、現役暴力団員と接触し、私のアラ探しをしていた ※66回目の紹介

2017-02-08 22:00:14 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。66回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P188~

 平成15年3月7日の第10回公判で、弁護人らの渡眞利の対する反対尋問によって、渡眞利が荒川洋二弁護士を訪ねたときの様子が一部、明らかになった。

 同行したのは渡眞利と亀谷組長のほか、荒川氏を紹介した”組長の知人”2人の計4人である。事務所にはなぜか検察の裏ガネ疑惑を扱った週刊誌のコピーが用意されていたという。面会時間はわずか10分で、その短い時間に荒川氏は渡眞利のメモを見ながら、なぜか私の知人で、私に代わって検察の裏ガネ作りを刑事告発してくれた川上道大氏のことを聞いてきたという。次のセリフは同日の渡眞利の証言である。

「何か四国タイムズか何かいう新聞屋がいてると。まあここ(渡眞利メモ・筆者注)に書いてあるのと合うなと、ああそうですかと、そんなようなことやったと思うんです」

 荒川氏は渡眞利の話を聞きながら、渡されたメモの余白に何かを書きこんでいた。渡眞利のメモには川上氏のことが「三井の情報提供者」と記されていた。

 公判では、渡眞利は訪問の目的はマンション買戻し交渉の依頼だったとあくまで主張していたが、メモの内容はどう見ても買戻しとは関係のない、私に関するスキャンダルめいた虚偽の記述で埋められていた(荒川氏は買戻し交渉の代理人を引き受けていない)。

 荒川氏がメモをただちに大阪高検側に渡したことを考えると、初めから検察側の意を受けて、渡眞利・亀谷側と接触したことが推測できる。検察は大物OBを使って、現役暴力団員の亀谷組長や渡眞利らと接触し、私のアラ探しをしていたことになる。そうなると、キーマンはこの会談をセットした”組長の知人”の紹介者ということになるが、渡眞利は弁護団の執拗な尋問にも、また裁判長の「裁判所のその人物が誰なのかを知りたいので答えてくれませんか」との問いにも首を横に振り、この紹介者ついては最後まで口を割ろうとしなかった。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/9(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】法務・検察の首脳が集まり会議が開かれ、私を逮捕する大方針が決定された ※65回目の紹介

2017-02-07 22:00:58 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。65回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P187~

 2日後の4月20日、原田総長、但木敬一法務事務次官をはじめとする法務・検察の首脳が法務省三田分室内にある料亭「かつら」に集まって午前会議が開かれた。ここで私を22日の早朝に逮捕する大方針が決定されたというのである。

 月刊誌「噂の真相」の報道によると、私の容疑はあまりに根拠が希薄で逮捕したときのリスクが大きすぎるとの異論も出たが、原田総長と但木時間が押し切ったという。

 なるほど、これでは証拠固めも内偵捜査もあったものではない。しかしすごい話ではないか。

 謀略にかかわった検事たちは、その後、次々と人事で手当てされた。まず主任検事だった大阪地検の大仲検事は特捜部副部長に昇進、捜査を指揮した高田特捜部長は大阪高検の総務部長になり、高検総務部長だった落合氏は刑事部長を経て、仙台高検の次席検事にまで出世した。だが、もっとも驚くべきは大塚清明氏だ。

 彼は私が逮捕、起訴されたことの監督責任を問われ、平成14年5月に減給処分を受けた。にもかかわらず、高検次席としての謀略の中心的役割を担った論功行賞からか、同年8月には最高検検事、10月には最高検公判部長、そして12月には名古屋地検検事正と3段飛びでの出世を果たした。減点主義の官僚社会において、処分の”キズ”は決して小さくない。それが異例の出世を遂げている。この事実をどう受け止めるか。読者のみなさんの冷静な頭で判断してほしい。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/8(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】いっさいの内定捜査もなく私の逮捕の根拠となった捜査報告書が作文された ※64回目の紹介

2017-02-06 22:00:29 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。64回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P186~

 そうして迎えた4月18日。月刊誌「テーミス」(15年4月号)はこう書いている。

<4月18日になって、大塚次席検事のもとに耳を疑う情報がもたらされた。階下にある大阪地検の広報担当者が血相を変えて次席室に飛び込んできて、「三井氏が4月22日午後にテレビ出演し、実名で調活費疑惑を暴露するらしい。番組はテレビ朝日の『ザ・スクープ』で、インタビュアーは鳥越俊太郎キャスターのようだ」と知らせたのである>

 私が鳥越氏のインタビューを受ける決意をし、最終的な日程の打ち合わせをしたのは17日だった。この記事が正確ならば翌日には検察は情報をつかんでいたことになる。ただ実際には、この日は録画撮りだけで放送は連休明けになる予定だった。あわてて逮捕したところをみると、検察は生放送だと勘違いしたのかもしれない。

 それはともなく、大塚次席はこの情報とそれまでの調査状況をただちに高検トップである東條伸一郎検事長に報告した。すぐに大阪地検の佐々木茂夫検事正、特捜部長から上がった小林敬次席検事、転任したばかりの高田明夫特捜部長がよばれ、前出の落合高検総務部長らをまじえて、地検・高検合同の緊急対策会議が開かれた。

 鳥越キャスターのインタビューを阻止するには、私の身柄を取るしかない。高検・地検の幹部検事は、特捜部の大仲土和検事に渡眞利の「情報メモ」と「民事記録」を使って早急に「捜査報告書」を作成するよう命じる一方、原田検事総長ら東京の法務・検察首脳に報告を入れた。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/7(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】いっさいの内定捜査もなく私の逮捕の根拠となった捜査報告書が作文された ※63回目の紹介

2017-02-02 22:00:44 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。63回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P185~

 一方、検察側の動きがにわかに活発化してきたのは私の知る限りでは平成14年4月に入ってからだった。

 4月3日に「四国タイムズ」社長の川上道大氏が、加納氏の起訴処分に対する不服申立をした高松検察審査会に私の実名入りの証人申請をしたことが直接のきっかけだったようだ。その日、さっそく私の実名証言の情報を得た前での大塚次席検事は、前掲の記事が指摘する大阪高検総務部の落合俊和部長に命じ、大阪高裁を通じて私に関する「民事記録」を取り寄せさせた。

 民事記録とは、問題のマンションの落札や、亀谷組長側から申し立てられた執行抗告、特別執行抗告など、この間の私と亀谷川とのやりとりに関する記録で、私と亀谷組長の親族が結んだ買戻し契約書なども含まれていた(この民事記録と渡眞利のメモを元に、いっさいの内定捜査もなく私の逮捕の根拠となった捜査報告書が作文されたことは前述のとおりである)。

 5日から9日にかけては、大阪高検総務部の落合部長が頻繁に大阪国税局に足を運んで、私の税務申告について何か不正がないか調べていることも分かった。

 15日には、最高検に情報収集のための危機管理チームが編成されたという。いま振り返ってみればの話だが、私の行動は、マスコミ関係者らとの接触も含め、すべて検察の監視下にあったのである。ちなみに公安部長室にかかってくる外部電話は直通だが、私から外部にかける電話は、検事長秘書室を経由していたことが分かった。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/6(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】”何か弱みがないか内偵を始める”同じビルに勤務する同僚を罠にはめる計画が進められた ※62回目の紹介

2017-02-01 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。62回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P183~

 私は荒川氏から過去に1人だけある検事正が「私は裏ガネはいらない」と言って、その庁に示達された調査活動費の予算をすべて法務省に返上したという話を聞かされた。そのとき荒川氏は、「その検事正は偉かった。裏ガネ作りは反省しなければならない」と語ったが、自らが費消した裏ガネを返納したという話は聞いていない。検察の裏ガネ作りが公表されれば、現職幹部だけでなくOBたちの犯罪まで暴かれる。この問題に関しては、現職とOBは運命共同体なのである。

 その大物OBの1人、荒川氏は渡眞利から受け取った「情報メモ」を1月30日付でなぜか当時大阪高検次席検事だった大塚清明氏に手渡した。だがそのときはあまりに根拠薄弱だったため、メモは怪文書の類いとして扱われ、しばらくお蔵入りになったという。
 一方、検察首脳は平成13年の暮れことから私の周辺を洗い始めたといわれている。その年の11月に「週刊文春」「週刊朝日」が相次いで調活費疑惑を取り上げ、検察人事にまで影響を与えるようになっていた。そのため、原田検事総長自らが「もはや大阪だけの問題ではない」と号令をかけ、週刊誌の”ネタ元”(情報源)と目される私に狙いを定めたというのである。

 この間の事情については、私の弁護団も調査中だが、前掲の別冊宝島『暴走する「検察」』には、こう書かれている。

 <まずは2001年暮れ、最高検の大阪担当検事が大阪市福島区の検察新庁社ビルを訪れ、高検や地検の幹部と極秘会談を開いた。そこで、高検と地検が、三井に何か弱みがないか内偵を始めることが決定された。同じビルに勤務する同僚を罠にはめる計画が進められることになったわけである。最高検の命令で三井の身辺調査を担当したのは、大阪高検の総務部と大阪地検の特捜部だった。(中略)ところが目ぼしい材料がみつからず、いったんは三井が『週刊文春』で「調活マニュアル」を公開したことについて、国家公務員法の守秘義務違反に問えるのではないか、なども検討したようだ。(中略)もっとも、マニュアルの存在は、逆に不正流用の実態を認める結果につながってしまう危険性もあった。裏返せば、そのような”両刃の剣”である国公法違反を検討せざるをえなかったほど、検察庁サイドには手持ちのカードがなかたっということである>

 この記事はなかなか正鵠を射ている。

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/2(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】驚くなかれ、これだけの裏ガネがほとんど遊興飲食費に使われていたのである ※61回目の紹介

2017-01-30 22:00:30 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。61回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P181~

 その荒川氏が、私が逮捕される約3か月前に渡眞利らと会い、マンションの交渉経過などを描いたメモを受け取っていたというのである。これが、後に大仲検事の捜査報告書の元になる渡眞利の「情報メモ」なのだ。この”接触”の背景については、後の公判でさらに詳しい事情が明らかになるが、そのメモは「マンションの買戻し交渉」を依頼するためにまとめられたもののはずなのに、なぜか私の人脈関係や、私に対する渡眞利の飲食接待の実態などが虚偽・虚構をまじえた情報として記されていた。

 いずれにしても、これは重大発言だ。原田明夫検事総長は私の逮捕直後の会見で、事件の端緒は外部からの「匿名の投書」だったと話していた。その”匿名”の投書の主が、詐欺師で、元暴力団員の渡眞利忠光だったことがわかったのだ。しかも、この事件の出発点で、関西検察の大物OBが直接関与していたことが暴かれた。このことの意味は非常に大きなことだった。

 私は当初から、本件謀略の背後に関西検察の大物OB人脈の関与を疑っていた。なぜなら、私と”敵対”していた加納駿介氏の福岡高検検事長就任をゴリ押ししたといわれる土肥元検事総長、私の内部告発の動きを察知して圧力をかけてきた逢坂元大阪高検検事長、そしてこの荒川元大阪高検検事長ら大物OBはすべて、現役の法務・検察首脳と同じく調査活動費名目の裏ガネの恩恵にどっぷり浸かっていたからだ。

 私が掌握しているだけでも、土肥元総長の裏ガネの推移は、平成5年度が596万円(大阪高検検事長)、同7年度1023万6000円(東京高検検事長)、同8年度3599万6000円、同9年度3431万7000円、同10年度3940万円(検事総長)で合計1億2590万9000円。(中略)驚くなかれ、これだけの裏ガネがほとんど遊興飲食費に使われていたのである。荒川氏はアルコールは飲まないが、他の2人の豪遊ぶりは有名だ。1週間に4~5日は夜の帝王さまである。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/2/1(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】正直あきれた。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである ※60回目の紹介

2017-01-26 22:00:06 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。60回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P180~

 最初の重大証言が飛び出したのは、12月6日の検察側尋問のときだった。同日の公判は朝10時から始まり、途中休憩をはさんで午後4時30分まで続けられた。その後半、午後4時を過ぎたころ渡眞利は立会主任である大島健司の尋問にこう答えたのだ。

 -君は亀谷(直人)組長のマンション買戻し交渉で弁護士を通そうとしたことはなかったのかね。

「ええ、今年(平成14年)の1月下旬ごろ、亀谷会長のある知人の紹介で、その知人と会長と私とが大阪のアラカワ先生をお尋ねしたことがあります」

 -それからどうしたのかね。

「私が知り合いに頼んで清書してもらった交渉経過などを記したメモを、アラカワ先生にお渡ししました」

 -それで、アラカワ弁護士はなんと言われたのかね。

「『まあ三井さんとは、一応、プライベートのような形で話してはみるが…』と言われ、それで終わりです」

 ここで登場する「アラカワ」とは、大阪弁護士会に所属する荒川洋二弁護士である。大阪高検検事長を最後に退官した、いわゆるヤメ検弁護士の大物だ。関西検察OBでは、土肥孝治元検事総長、逢坂貞夫大阪高検検事長らと並ぶ実力者の一人で、私も、荒川氏が大阪地検検事正、高松高検検事長、大阪高検検事長のときに部下といて仕えた。そういえば、私が加納峻亮氏との確執から人事的に冷遇されたときに相談した相手でもあった。

 

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/1/30(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【告発!検察「裏ガネ作り」】正直あきれた。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである ※59回目の紹介

2017-01-25 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。59回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

13 暴かれた「謀略」の構図 P179~

 通常の検事事件は、まず捜査機関が端緒をつかみ、内偵捜査を進め、関係者の任意の事情聴取などからある程度の証拠固めを終えて初めて、身柄を取る(逮捕する)などの強制捜査に着手するものである。その際、刑事訴訟法に定める令状主義にのっとり、それまでの捜査結果をまとめた報告書を添えて、裁判所に逮捕令状を請求し、「被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がある」と判断されると、ようやく逮捕状が発付されるのである。

 ところが、私の”事件”は「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由どころか、詐欺師渡眞利の”与太ばなし”以外、正真正銘、何の証拠もなかったのだ。内偵もなし。調書もなし。検察官の憶測だけで被疑事実が構成されていたのである。しかし大阪地裁の令状担当判事は、よくもまあこんな報告書で逮捕状を出せたものだと正直あきれた。

 私が現職検事ならこんな危ない操作は絶対にしない。いや、まともな検事だったら私でなくてもしないだろう。しかし大仲健司は無理を承知で逮捕状を請求した。なぜか。

 その日(平成14年4月22日)、どうしても私の身柄を拘束しなければならない理由が検察側にあったのだろう。内偵や証拠固めをする暇もなく、とにかく「はじめに逮捕ありき」の捜査だったということだろう。

 しかし、検察が私を逮捕したことは明らかに失敗だった。一時的な口封じはできても、私を一生勾留することはできない。しかも反対尋問が始まれば、渡眞利証言がボロボロになるのは火を見るより明らかだった。そのとき検察が負う傷の大きさを考えれば、素直に裏ガネ作りを認めたほうがよかったのだ。しかし、もう遅い。

 すでに私は逮捕、起訴され公判も始まっている。そして、公判を重ねるたびに「謀略の構図」が次々と明白になる。公判の中身を知ったら世間も驚くであろう。これからそれをじっくり説明することにする。

 

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(暴かれた「謀略」の構図)は、

2017/1/26(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」