原発問題

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【フクシマ見聞録】3・11「日本に行く事が怖い。何を持って行けばいいですか」「雨に濡れないための服を」 ※84回目の紹介

2017-02-22 22:00:26 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。84回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「日本に行く事が怖い。何を持って行けばいいですか」

「雨に濡れないための服を」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月25日のツイートから

 

福島行-そんな自分の気持ちを察したのか、諍いが消耗してゆくと
女は一拍間を置いて言った。

「-アキラ。私タチはナゼコノヨウナ喧嘩をシテイルノカ-」
”、、、。”「アノタイヘンな状況の後、私ハ眠レナクナッタ。
コノ先、ドウナッテユクノカ、ワカラナイ。
私タチは、ハナレバナレにナッテシマッタ-

 

-「アキラを喪イタクナクナイ。」電話口で泣く音が聞こえた。
「今ノ私ニハ、誰ニモ味方ガイナイ-」慰めるほかなかった。
”-私は$$$の味方。できることはなんでもするよ。心配しないで”
そんなやりとりを終えて電話を切ると午前3時だった。
翌日にメールが届き、外国人向けの格安の物件一覧を-

 


-を扱う賃貸アパートの情報が載っていた。その一つ一つを見ていったが、
自分の払底しかけてきた金では払えぬものばかりだった。
その日の昼、世話をしてくれた福岡の女性から連絡があり、
彼女の仕事明けにお宅にお邪魔することになった。天神の近くのマンションに
住んでいた彼女に向かうと、-

 

-自分の絵のポストカードが幾枚か部屋に飾られていた。
「ギターを習いはじめたんです」女性は言って、アコースティックギターをすこし弾いた。
「-なかなかうまくならない。」女性は言って、福岡にあるギターショップと
ライブハウスの話を自分にした。”弾いてみてもいいですか”自分が言うと、-

 

-ギターを差し出す。それまで毎日のように弾いていたギターを手に取りネックを握ると、
手からギターとの間にあった水のような肌なじみの感覚が薄れているのを感じた。
「これからどうされるんですか-」女性は言った。”-先が見えません”
自分は言った。女性との知り合いは、二年ほど前からで-

 

-下北沢の一角で絵を見せていると入ってきてくださったことから始まっていた。
自分はその頃、食う、ということを絵のテーマにしていて、
早朝の築地にゆき魚を買い求め、描き写し、神のようなものにかたちを
変えるという作業を繰り返していた。魚類は無数にいて、長い時間をかけて連作してゆく-

 

-その過程にあった。ずっと、描いてゆく。死ぬまで-。それが頓挫したように
思われていた。海が、汚されていた。連作を言い出す物造りは、
おおむね肉体の力が減衰してきたと見てもいい。

30半ばを越えて、20代の頃のようにそれが無意味であれ、
体から湧き出してくれるものの枯渇を感じていた。-

 

-ほっておいても湧き出してくるものがなくなり、しかし磔刑のように
何かを造ってゆくことを自分で決めた以上、
良くも悪くも理性的な概念をひねりだして
それに寄って制作を続けなければならない。

その衰えのようなものは、職を探す上でも自分に
懸念としていつも浮上してくるのだった。-

 

-その制作上の頓挫も自分に重くのしかかるのだが、それ以上に、
自分が無防備に自分が居る場所が無制限にあり続けるということを
前提としていたということが、自分の致命的な甘さとして突きつけられていた。
自分の判断に致命的な甘さがある。そのことに気づきもしなかった-。-

 

-一人頼らなければならない自分そのものに信が置けない。それは
これからの現実と向かいあってゆく上で、なによりも大きな重しと
なって自分の中にあった。作っていただいたカレーを食うと、
福岡の女性はノートパソコンを貸してくれた。ホテルのロビーに
毎晩を金を投じて情報を拡散していることを-

 

-話すと、貸してくださったのだった。「-パソコンを買ッタヨ。」
その晩電話で女は言った。自分は、福岡に自分の絵を観てくださっていた
知り合いがいて今日パソコンを借してくれた、
もう電話じゃなくてもよくなった、そう伝えると、
一転して硬い調子で女は言った。「知リ合イ、、。ソレは女カ。」-

 

-自分は口調におどろいて言った。”誤解しないでほしい。
昔からの知り合いなんだ。”「アキラハ私ノイナイウチに他ノ女ト
会ッテイルノカ。信ジラレナイ-。」自分は弁明逐われ、
一応の納得を得たのちにパソコンの通信に切り替えた。
「ヤハリ、私ハ日本二戻ル。ドバイ経由で大阪二行ク-

 

-「仕事ガモラエルと思ウ。ドバイに行キ、大阪へ行くチケットヲ取ッタ。
-日本二行ク事ガ怖イ気持チガアル。アキラ、私ハ何ヲ持ッテユケバイイデスカ。」
ふいに聞かれ、自分は迷った末に言った。”雨に濡れないようにしたほうがいい。
雨に濡れないための服を-”-

 

-2011年3月20日すぎの大阪に向かう上で、それが果たして正解なのか。
高規格マスクだったのか。その時の自分は確たるきもちを持てないまま答えた。
その頃付け焼刃のように仕入れていた被曝に関する情報からは、
そんな答え方しかできなかった。苦いものを感じた。-

※次回に続く

 2017/2/23(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】「釈放指揮書がまだ届いてないですが、まもなく保釈されますよ」 ※74回目の紹介

2017-02-22 22:00:00 | 【フクシマ見聞録】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。74回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P204~

 午後5時前、保釈。拘置所には弁護人が迎えに来てくれた。正面門には報道陣が約50人詰めかけていて、一斉にフラッシュがたかれた。来る前に乗るのが困難なほどだった。

 長い勾留から解放され、外の空気を吸ったときは、なんともいえない喜びがあった。弁護人に合わせて歩くと、足元がフラフラして足が弱っていることに気づいた。それから車に乗って弁護士事務所へ向かった。

 久しぶりに見る大阪の街だった。事務所では、綱と娘が待っていた。勾留生活で私は少し細かくなったが、妻も同じく細かくなったようだった。

 その後、司法クラブで消え記者会見し、この理不尽な口封じ逮捕と調査活動費におる裏ガネ問題を、公判を通じて徹底的に追及していく決意を述べた。

 保釈後の4月2日、「週刊朝日」編集部の依頼でジャーナリストの立花隆氏と対談した。立花氏は私の話をほぼ全面的に受け入れてくれた。そして、

「第1次逮捕時の新聞記事を見ただけで、法曹界のことを少しでも知っている人なら『これはおかしい』と思うはずです。裁判は実質無罪の可能性が高いとおもうんですが、裁判官もどういう表現でそこにもっていくのか、すごく興味があります」

と語った。まさにそうだ。問題は裁判体がどう処理するかにかかっている。

 真実がシロであることは、渡眞利の証人尋問を見ればいくらなんでも理解してもらえたと思う。あとは贈賄側の渡眞利の証人尋問を見ればいくらなんでも理解してもらえたと思う。あとは贈賄側の渡眞利を有罪にした裁判対が、収賄側の私を無罪にするかどうか。私としては、この裁判対を全面的に信頼するしか方法はない。

 第1次逮捕の電磁的公正証書原本実記録、不実記録電磁的公正証書原本共用、詐欺については、これまでくりかえし説明してきたように法的にも実態的にも罪が成立しない。検察が主張する犯罪構成は、すでに崩壊している。

 第2次逮捕の収賄については、私が渡眞利から数次にわたる飲食などの接待を受けたのは事実だが、いずれも懸案のマンション買戻し契約に関する接待であり、衛星放送事業のスポンサー探しに関する接待である。少なくとも私の職務とはいっさい関係ないものだった。しかも、起訴状によれば、私が計28万円相当の接待を受けたとされているが、私は渡眞利に対し無利子無担保で200万円貸付ており、84万円しか返済されていない。残債116万円から28万円を弾いても、まだお釣りがくるような話である。

 これが、偽りのない真実だ。

 裁判は4月4日で渡眞利の証人尋問が終わった。後は弁護側から無実のための反証を開始する。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/23(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


2月21日(火)のつぶやき

2017-02-22 02:18:10 | つぶやき