原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

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【フクシマ見聞録】3・11「実は、関東圏からご契約される方が最近増えてるんです。空いてる物件がすぐ埋まってしまう状況で」 ※86回目の紹介

2017-02-28 00:26:27 | 【フクシマ見聞録】

読者の皆様へ 

【フクシマ見聞録】の紹介を暫く休みます。

「つぶやき」の記事についても、暫くの間は、

毎日ではなく不定期になると思いますが、宜しくお願いします。

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1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。86回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「実は、関東圏からご契約される方が最近増えてるんです。

空いてる物件がすぐ埋まってしまう状況で

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月27日のツイートから

 

福島行-生活するためには部屋ばかりあっても意味はなくて、
冷蔵庫、洗濯機、レンジ、布団、コンロなど要る。

加えて水道、電気、ガスの手続きもしなければならない。

もろもろ一切を含めて考えると、月ごとに契約してゆく式の
マンスリーアパート以外、払える金はなかった。
そうした生活調度品が-

 

-あらかじめ備えてあった。ネットもつながる環境だった。
その契約する際の受付をしたのはつい最近大学を卒業したような感じの若い男で、
差し向かいになると言った。

「-実は、関東圏からご契約される方が最近増えているんです。
以前ならもっと条件の良いお部屋をご紹介できたんですが、-

 

-「空いている物件がすぐ埋まっていってしまうような状況で、
ご紹介できるのはもうここしかございません。」

そう言って駅周辺の繁華街から自転車でおよそ30分ほどかかる
川原端の物件を自分に示した。物件の査定が定期的に変わるらしく、
ちょうどかなり低い賃料が設定されているとのことだった。-

 

-7万ほど。それを払うと、残りは食費としての微々たるものしか残らない。
迷わずに決めた。そうした人間の移動は福岡一帯に起こり始めていたようで、
おそらく私ども以外の場所に行っても空きを探すのはかなり難しいだろう、
そんなことを男は言った。「布団はいくつにしますか」-

 

-そう問われて”二組で。”自分は答えた。
契約後そのままその男の運転する車に乗り、那珂川の土手からすぐのところにある
白い二階建ての建物の一室に荷を運び入れた。

周囲は典型的な地方の国道沿いの風景で、いくつかの工場があり、
人家があり、小さな畑があった。東京にある量販店があった。-

 

-夕刻には介護施設から連絡があり、自分の採用を告げ、4月1日から勤務することになった。
紹介していただいたホテルの最後の晩、女から電話があった。

女は中継地のドバイから一度メールをよこし、無事大阪に入っていた。
「-アキラ、ZDfノ方カラアキラの身分紹介ヲ求メラレテイル。」女は言った-

 

-「ZDfの仕事ヲ出来ルカモシレナイヨ。ドウスル-」(ああ、やばいな-)自分は思った。
タイミングがずれている。これまで意図せずに動いていたお互いの動きを突き合わせると、
ふしぎな具合にうまくお互いを補完し、相乗するような状態になっていることが多かった。
それが意図外であったから、-

 

-自分と女は言葉にしないでもなにか特別なものを感じていたふしがあった。それがずれている。
”、、、それはとてもうれしいオファーなんだが”自分は言った。

”実は今日、紹介してもらった介護の職場で採用が決まってしまったんだ。
このことにはやはり自分のために動いてくださった方がいる。-

 

-”顔をつぶすわけにはちょっといかないよ”「『顔ヲツブス』?」”断れない、
ということだよ”「、、、コレはトクベツナ事ダヨ。ZDfと働ケルチャンスは、
フツウはアマリ得ラレナイ。、、、断ルノカ」”ドイツには本当にお世話になった。
なにか返さなければいけないとは思っている。-

 

-”だけれど、かけあってくださった方も、昔からの知り合いの縁がある。
苦しいが、むずかしい”女は声の調子を固くして「二人デ居ルコトがデキルノニ-。」
”それも、前話し合った福岡の物件を調べていて今日、マンスリーアパートの契約をしてしまった。
”「私ガコノ前、送ッタ物件ハ?」-

 

-”見てみたが、二人で分けるにしても、今の俺には金が無さすぎた-”
「、、、ソウカ。デハ、ZDfの方にはソウ伝エルガ、本当二イインダナ。メッタニ無イチャンスナノニ」
なにか高圧的なものを感じ、自分も意固地になり始めながら言った。
”ああ、伝えてくれ。”どうしても噛み合わないものを-

 

-苦く抱えながら言った。仕事がそうして大阪で見つかった以上、
しばらく大阪へ留まることにした、女は言った。事態が流動的な以上、仕方がない。
電話を切るとメールが入り、大阪のホテルの住所が書いてあった。
仕事がはじまるまで、こちらに来ないか、そう書いてあった。-

 

-自分はこれからの食費分の金を崩して、翌日、大阪へ向かうことにした。-

※次回に続く

投稿予定は、現在未定です。


【フクシマ見聞録】3・11「原発の事故が起きて、なにがおそろしいのか。被曝するから」 ※85回目の紹介

2017-02-23 22:00:16 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。85回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「原発の事故が起きて、なにがおそろしいのか。被曝するから

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月26日のツイートから

 

福島行-その頃、自分がミクシィの場所でまとめていた情報は
こんなものだった。3月25日「(テレビ非公開)録画 
3/24 原子力資料情報室会見 文科省管轄の高精度放射能飛散予測システム
「スピーディ」、このシステムはヨウ素剤配布の基準になる。
文科省、政府はこのシステムをどう使ったか」-

 

-3月26日「(テレビ非公開)録画 原子力資料情報室 
外国人特派員記者クラブ会見 フランス人記者による質問から。

「IAEA(国連原子力査察委員)は、チェルノブイリの事故を当初
「認めなかった」。認めたのは相当後のこと、
原子力推進企業の献金により事実隠蔽した」-

 

-3月27日「(転載) 厚生労働省3/17飲食物摂取制限に関する指標 
厚生労働省は3/17に、総理発布の原子力非常事態宣言に従い、
すでにこれまでの水道水放射能基準値を「ひそかに『30倍に』」に
変更している。

平常時での安全基準値を30倍したものが、現在での「安全基準値」。-

 

-「国が定めた。つまり、「国が定めた基準値内ですから。」と言った場合、
それは「いつもの基準値の30倍。」を意味する。悪質な詐術に注意。 」。

同日「(テレビ非公開)録画 原子力資料情報室会見 3/26状況について 
「1号炉3号炉で原発事故のなかで最も恐れられる『冷却材喪失事故』が-

 

-「起きた可能性があります。」(3/1 6:00あたりから)田中三彦氏
(サイエンスライター)福島第1原発事故:冷却剤喪失事故について」
同日「風向きの予想図を載せる。ノルウェー気象予報研究室」。
3月29日「(テレビ非公開)録画 3.28 原子力資料情報室対邦人会見-

 

-「この話ともう一つ、保安院が発表していた情報があった。昨日午前三時、
東電が保安院に、「1,2,3号炉のすべての圧力容器の底に穴が空いている。」
との報告をしていた。(7;00あたりから)

この事故の核心ともいえるその発表は、保安院によりただこの文言のみで処理され、-

 

-「それ以外のデータ、詳細を語られることはなかった。

元東芝の原子炉設計者が「驚愕」ということばで現状を語る。」

憑かれたようにこんなことを書いていた。
テレビではみな報じないことばかりだった。

それぞれに省略してあるが動画のリンクが書き込んである。
おそらく1時間ほどの動画の全てを見る-

 

-者は限られているだろうと思い、象徴するような部分を短く書き添えて
伝わるように願っていた。こんな情報を、アイドルがどうしたとか、
野球の結果を伝えるニュースのコメント欄に流れを無視して差し入れる。
当然、毀誉褒貶が自分に向かって飛んでくるのだが、
いずれにしろ、相手にしなかった。-

 

-(あぶねえぞ-)書き込む自分はそんな思いに憑かれていた。
(あぶねえ。みんな、このこと気づいてるのか。)気づいて欲しい-。
原発や、政治とはもっとも離れたようなスポーツ、芸能のニュースに
(実はそれは表裏のものとして一体なのだが)
なかば強引にこんな書き込みをねじこんでいた。-

 

-原発の状態に焦点が向かっていた不透明さは、形をかえはじめていた。
被曝-。原発の事故が起きて、なにがおそろしいのか。
被曝するから。この事態に際して、挙げたような対応がひそかに、
迅速に敷かれていた。その対応を敷くのは、
東京電力ではなかった。国だった。-

 

-28日に自分はそんな書き込みを行わなかった。福岡の女性に紹介された
介護の職場での面接があったのだった。桜が咲きはじめていた。
自分はそれまで使っていた携帯を新しくしていた。
肌寒さの残る外気の中、職場のすぐ近くの公園で咲き始めたその桜を
はじめて携帯の写真で収めてみた。-

 

-眼鏡をかけた女性の上司にお会いし、状況を説明した。介護での経験の有無、
その形態そんなことを聞かれた。夜勤はできるか、と聞かれ、
内側で逡巡した末に、「できますが、すこし様子を見させてください」と言った。
状況が不透明すぎた。その施設は前述したように公や社会福祉団体の運営による-

 

-ものではなくて、福岡駅周辺の土地開発会社系列の特養だった。
福岡の女性が社長を通じてかけあってくださって面通しの意味合いの強い面接だったが、
それでも採用は確かなものではないと感じていた。

採用の可否を後日連絡すると言われた。
持ち金の底がいよいよ見えてきていた。-

 

-女との件がある限り、福岡で生活の拠点を作らなければならない。
面接の際に提示された金は、時給850円。持ち金と入り金、
流出してゆく金を考えると、紹介していただいていたホテルから
出る以外なかった。

いつも食っていた駅の地下にある名代ラーメンという450円ほどのものを食うと、-

 

-自分は不動産屋をめぐった。福岡も繁華な場所から離れなければ、
家賃は東京のものとそう変わらないのが痛く思えた。
(移動手段を持っていなかった)自分の現実的に払える金で借りられる
物件があることはあったが、それらはみな寒々しい部屋ばかりだった。
女が調べるように送ってきた-

 

-外国人向けの格安(と書いてあったが)の物件の間取りの広さ、
清潔感、安定感とはくらべようもなかった。畳敷、1間、風呂なし、
築30年以上の日陰の部屋の写真。自分ひとりならば気にも留めないのだが。
結局、探し回った末に勤め人向けの貸し部屋を借りることにした。
査定が安かったのだった。-

※次回に続く

 2017/2/27(月)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3・11「日本に行く事が怖い。何を持って行けばいいですか」「雨に濡れないための服を」 ※84回目の紹介

2017-02-22 22:00:26 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。84回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「日本に行く事が怖い。何を持って行けばいいですか」

「雨に濡れないための服を」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月25日のツイートから

 

福島行-そんな自分の気持ちを察したのか、諍いが消耗してゆくと
女は一拍間を置いて言った。

「-アキラ。私タチはナゼコノヨウナ喧嘩をシテイルノカ-」
”、、、。”「アノタイヘンな状況の後、私ハ眠レナクナッタ。
コノ先、ドウナッテユクノカ、ワカラナイ。
私タチは、ハナレバナレにナッテシマッタ-

 

-「アキラを喪イタクナクナイ。」電話口で泣く音が聞こえた。
「今ノ私ニハ、誰ニモ味方ガイナイ-」慰めるほかなかった。
”-私は$$$の味方。できることはなんでもするよ。心配しないで”
そんなやりとりを終えて電話を切ると午前3時だった。
翌日にメールが届き、外国人向けの格安の物件一覧を-

 


-を扱う賃貸アパートの情報が載っていた。その一つ一つを見ていったが、
自分の払底しかけてきた金では払えぬものばかりだった。
その日の昼、世話をしてくれた福岡の女性から連絡があり、
彼女の仕事明けにお宅にお邪魔することになった。天神の近くのマンションに
住んでいた彼女に向かうと、-

 

-自分の絵のポストカードが幾枚か部屋に飾られていた。
「ギターを習いはじめたんです」女性は言って、アコースティックギターをすこし弾いた。
「-なかなかうまくならない。」女性は言って、福岡にあるギターショップと
ライブハウスの話を自分にした。”弾いてみてもいいですか”自分が言うと、-

 

-ギターを差し出す。それまで毎日のように弾いていたギターを手に取りネックを握ると、
手からギターとの間にあった水のような肌なじみの感覚が薄れているのを感じた。
「これからどうされるんですか-」女性は言った。”-先が見えません”
自分は言った。女性との知り合いは、二年ほど前からで-

 

-下北沢の一角で絵を見せていると入ってきてくださったことから始まっていた。
自分はその頃、食う、ということを絵のテーマにしていて、
早朝の築地にゆき魚を買い求め、描き写し、神のようなものにかたちを
変えるという作業を繰り返していた。魚類は無数にいて、長い時間をかけて連作してゆく-

 

-その過程にあった。ずっと、描いてゆく。死ぬまで-。それが頓挫したように
思われていた。海が、汚されていた。連作を言い出す物造りは、
おおむね肉体の力が減衰してきたと見てもいい。

30半ばを越えて、20代の頃のようにそれが無意味であれ、
体から湧き出してくれるものの枯渇を感じていた。-

 

-ほっておいても湧き出してくるものがなくなり、しかし磔刑のように
何かを造ってゆくことを自分で決めた以上、
良くも悪くも理性的な概念をひねりだして
それに寄って制作を続けなければならない。

その衰えのようなものは、職を探す上でも自分に
懸念としていつも浮上してくるのだった。-

 

-その制作上の頓挫も自分に重くのしかかるのだが、それ以上に、
自分が無防備に自分が居る場所が無制限にあり続けるということを
前提としていたということが、自分の致命的な甘さとして突きつけられていた。
自分の判断に致命的な甘さがある。そのことに気づきもしなかった-。-

 

-一人頼らなければならない自分そのものに信が置けない。それは
これからの現実と向かいあってゆく上で、なによりも大きな重しと
なって自分の中にあった。作っていただいたカレーを食うと、
福岡の女性はノートパソコンを貸してくれた。ホテルのロビーに
毎晩を金を投じて情報を拡散していることを-

 

-話すと、貸してくださったのだった。「-パソコンを買ッタヨ。」
その晩電話で女は言った。自分は、福岡に自分の絵を観てくださっていた
知り合いがいて今日パソコンを借してくれた、
もう電話じゃなくてもよくなった、そう伝えると、
一転して硬い調子で女は言った。「知リ合イ、、。ソレは女カ。」-

 

-自分は口調におどろいて言った。”誤解しないでほしい。
昔からの知り合いなんだ。”「アキラハ私ノイナイウチに他ノ女ト
会ッテイルノカ。信ジラレナイ-。」自分は弁明逐われ、
一応の納得を得たのちにパソコンの通信に切り替えた。
「ヤハリ、私ハ日本二戻ル。ドバイ経由で大阪二行ク-

 

-「仕事ガモラエルと思ウ。ドバイに行キ、大阪へ行くチケットヲ取ッタ。
-日本二行ク事ガ怖イ気持チガアル。アキラ、私ハ何ヲ持ッテユケバイイデスカ。」
ふいに聞かれ、自分は迷った末に言った。”雨に濡れないようにしたほうがいい。
雨に濡れないための服を-”-

 

-2011年3月20日すぎの大阪に向かう上で、それが果たして正解なのか。
高規格マスクだったのか。その時の自分は確たるきもちを持てないまま答えた。
その頃付け焼刃のように仕入れていた被曝に関する情報からは、
そんな答え方しかできなかった。苦いものを感じた。-

※次回に続く

 2017/2/23(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】「釈放指揮書がまだ届いてないですが、まもなく保釈されますよ」 ※74回目の紹介

2017-02-22 22:00:00 | 【フクシマ見聞録】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。74回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P204~

 午後5時前、保釈。拘置所には弁護人が迎えに来てくれた。正面門には報道陣が約50人詰めかけていて、一斉にフラッシュがたかれた。来る前に乗るのが困難なほどだった。

 長い勾留から解放され、外の空気を吸ったときは、なんともいえない喜びがあった。弁護人に合わせて歩くと、足元がフラフラして足が弱っていることに気づいた。それから車に乗って弁護士事務所へ向かった。

 久しぶりに見る大阪の街だった。事務所では、綱と娘が待っていた。勾留生活で私は少し細かくなったが、妻も同じく細かくなったようだった。

 その後、司法クラブで消え記者会見し、この理不尽な口封じ逮捕と調査活動費におる裏ガネ問題を、公判を通じて徹底的に追及していく決意を述べた。

 保釈後の4月2日、「週刊朝日」編集部の依頼でジャーナリストの立花隆氏と対談した。立花氏は私の話をほぼ全面的に受け入れてくれた。そして、

「第1次逮捕時の新聞記事を見ただけで、法曹界のことを少しでも知っている人なら『これはおかしい』と思うはずです。裁判は実質無罪の可能性が高いとおもうんですが、裁判官もどういう表現でそこにもっていくのか、すごく興味があります」

と語った。まさにそうだ。問題は裁判体がどう処理するかにかかっている。

 真実がシロであることは、渡眞利の証人尋問を見ればいくらなんでも理解してもらえたと思う。あとは贈賄側の渡眞利の証人尋問を見ればいくらなんでも理解してもらえたと思う。あとは贈賄側の渡眞利を有罪にした裁判対が、収賄側の私を無罪にするかどうか。私としては、この裁判対を全面的に信頼するしか方法はない。

 第1次逮捕の電磁的公正証書原本実記録、不実記録電磁的公正証書原本共用、詐欺については、これまでくりかえし説明してきたように法的にも実態的にも罪が成立しない。検察が主張する犯罪構成は、すでに崩壊している。

 第2次逮捕の収賄については、私が渡眞利から数次にわたる飲食などの接待を受けたのは事実だが、いずれも懸案のマンション買戻し契約に関する接待であり、衛星放送事業のスポンサー探しに関する接待である。少なくとも私の職務とはいっさい関係ないものだった。しかも、起訴状によれば、私が計28万円相当の接待を受けたとされているが、私は渡眞利に対し無利子無担保で200万円貸付ており、84万円しか返済されていない。残債116万円から28万円を弾いても、まだお釣りがくるような話である。

 これが、偽りのない真実だ。

 裁判は4月4日で渡眞利の証人尋問が終わった。後は弁護側から無実のための反証を開始する。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/23(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【フクシマ見聞録】3・11「女はドイツ国営放送が事務所を大阪に移したと。”東京には戻りたくない”」 ※82回目の紹介

2017-02-21 22:00:21 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。82回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「女はドイツ国営放送が事務所を大阪に移したと。

”東京には戻りたくない”」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月24日のツイートから

 

福島行-「アキラ。フクシマフィフティ、の方タチの名前が分カリマスカ-」
そうして福岡駅の南側の角にあるホテルに移らさせてもらった晩、女が電話口で言った。
”なんだって-?”「フクシマ、フィフティ。」”何だよそれは”
「今ノタイヘンな状況のゲンパツの中二入ッテイッタ方タチがイル。-

 

-「50ニン、と言ワレテイル。今、コノ方タチの名前と、ドンナ方タチナノカ、
ドイツで調ベヨウとシテイルが、ドウシテモ分カラナクテ、困ッテイル-。

ドイツだけデハナクテ、アメリカ、ヨーロッパのメーディア、ミナ、
ソノコトを調ベヨウトシテイル。分カリマスカ」舌を巻くような思いだった。-

 

-福岡へやってきてまだ二週もたっていない状況で、事故の状況はごく大まかな解説、
専門家の予断をゆるさない予想、そんなものばかりだった。

やがて明らかになってくる(と言っても部分的なものだが)
当時の原発内での状況、周囲の動き、そんなものはほとんど情報として欠けていた。
知る術がなかった-

 

-その向こうで、海外のメディアは彼らの存在を知り、その名前の特定を急いでいた。
「今、コノ方タチは、ヒーローのヨウニ伝エラレテイル。」女が言う。”、、、分かった。

調べてみるよ。ただ、力になれるかはわからない。なにしろ、何も分からないんだ。
”ヒーロー。女の言葉に自分は自分の服の匂い-

 

-を嗅いだ。肌着や靴下、ズボンなど詰め込んでリュックに入れていたが、
一番上に来ているパーカーは一着しかなかった。福岡へやってきてから
一度も洗濯もしていなかった。逃

げるためにやってきた福岡で、自分は体臭の移った藍色のパーカーを着、
先の展望もなく、無為にうろうろしているばかりだった-

 

-惨めものだった。避難するうえで多大な力となった女に、どうにかして
何かを返したい。しかし”調べてみるよ”とは言ったものの、
当然、自分の辿れる情報の範囲ではその福一にとどまった
50人の男たちの名前は分かりはしなかった。
名もわからない男達が、修羅場で作業をしている。-

 

-電話を切り、午前2時を回った暗がりの中で一人彼らのことを
想像してみるが、防護服、全面マスク、暗がり、究極の修羅場、
そんなことしか分からない。電源の落ちた場所で何かを
しているマスクの男たちの手元は、
想像のフレームから切れた場所にある。
自分は寝てしまった。-

 

-ホテルのフロントに、美貌の若い女がいた。自分、父と母
(兄は、あらかじめ取っていた連休が終わると「進めているプロジェクトがある。
自分だけ逃げて潰すことはできないよ」と言い、一人東京へ戻っていた。)が
移ってきた当初は愛想よく笑みを返していたが、
日数がすぎると硬い表情を向けるように-

 

-なっていた。両親の部屋へ海苔を取りにいくとユニットバスの
いたるところに洗濯した衣類が下がっている。

ロビーの清掃の時間だったが、部屋から出てゆかず、
皆で海苔のパックをあけて飲み下している。奇妙な家族と映っていたのだろう。
夕刻になるとロビーへ自分はやってきて、-

 

-5分間100円のパソコンの前に座り、原子力資料情報室の後藤将志氏が
伝える解説を文字おこしし、要約してミクシィで誰彼となく伝えていた。
詳細は省くが、依然として福一の危機的な状況を伝えていた。
再臨界に達する可能性が依然としてあり、そうなった場合には誰も近づけなくなる。-

 

-そうなったら最後、全てが制御不能に陥る。ドイツの気象台が、
放射性物質拡散の予報図を公表していた。濃度によって色が塗り分けられた
炎のようなものが、日本列島の福一のあるあたりに食いついて、
海の方へ尾をひいて揺れている。
風の向きによって、その尾が内陸へまわってゆく時があった。-


-その情報の時差を直すことを書き添えて、連日書き広めていた。
”眠れるようになったのか-”自分は電話口で女に聞いた。

「マダ、アマリ眠レナイ。少シは良クナッテキタガ。」女は言った。
「ヤハリ、ドイツにハ仕事がナイ。私ガヤッテキタ日本デノ仕事は、
ドイツデハモウ書イテイル人がイテ-

 

-「私ノ入ル場所ガナイ-。日本ノ仕事で得ラレル様ナコネクションは、
ドイツデハ無理カナ、、、。日本二戻ルコトヲ考エ始メタヨ。」

女はドイツ国営放送が事務所を大阪に移したことを言った。
「東京ニハ戻リタクナイ-。福岡デ二人デ住ンデ、
大阪二通ウスタイルナライイカと思ウ。-

 

-「アキラハドウ思ウカ。」”、、、今の生活は、$$$(女の名)
に救ってもらった命だと思っている。そうするなら全力で協力するよ。

ただ、たいしたこともできないけど。
-情けないね”「コレカラ福岡ノ物件ヲコチラで少し調ベテミル。
後デ送ルカラ調ベテクダサイ」そう言って電話を切ると、-

 

-まもなくしてメールが届き、ある画像が添付されてあった。
枝野幸男がパジャマ姿でくまのぬいぐるみを枕元に寝入っている写真だった。
『Edano nero』という字が入っていたように記憶している。
睡眠の話からそうしたようだった。

そこにはもう一つ、何かのアドレスが書き添えてあった。-

 

-それは以前のつぶやきに書いた原発事故を下痢をかかえた
キャラクターに例えたテアニメだった。

「-ゲンパツくんのおなかの調子がわるくなっちゃった。

でもだいじょうぶ。お医者さんがちゃんときくおクスリをあげてる」
そんなナレーションが付けられていた。そこに-

 

-女の「Akira,what do you think aout this?(明、これをどう思う)」
と書き添えられている。

ユーモアなものとして並べたつもりらしかったが、
不快以外のなにものでもなかった。

”おもしろくないよ-”自分は返信した。
”下痢便でこどもが癌になると思ってるのか-

 

-”人が、白血病になると思ってるのか。
”自分は不快感をそのままに書き送った。ふいの自分の瞋恚にぶつかり、
女は再度電話をかけてきた。「ナゼ、ソンナニ怒ルノカ。
私が作ッタンジャナイヨ。日本人ダロウ、コレを作ッタノハ。」自分は言った。
「いいか。こやって本当のことを隠してるんだ。-

 

-”やわらかい形にして。嘘ばっかりじゃないか。放射能が行った場所から
ほとんどの日本人は逃げてない。

情報も与えられてないで被曝したんだ。やがて病気になることを知っていながら、
そうしたんだ。これから子供に病気が出てくるはずだ。
おとなにもな。そのこと全然このアニメは伝えてないだろう。-

 

-”事故が起きて、いまだにこんなものばっかり表に出てくる。
こうやって、日本人は騙されてきたんだ。甘く、
やわらかいかたちでごまかされて、忘れさせられてな。

日本人の俺にこんなものを送ってきて、
いったいどういうつもりなんだ”ひどい喧嘩になっていった。
それは決定的なもののように思われた-

※次回に続く

 2017/2/22(水)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3・11「ああ、。こういう事態の時って、一番はじめの会見とかって重要なんだよ」 ※81回目の紹介

2017-02-20 22:30:40 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。81回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11「ああ、。こういう事態の時って、

一番はじめの会見とかって重要なんだよ」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月23日のツイートから

 

福島行-「炉心溶融の話をした人、出てこなくなったな-」父が言った。
父と母の取った部屋にホテルが貸し出すパソコンを運び、
連日繰り返される東京電力の状況説明のお会見を見ていた。

父は例によって小さな手帳を脇に置いて言った。
「書いておいたんだよ。-


-「12日の会見で中村幸一郎ってひとが『炉心溶融の可能性がある』ってさ。
炉心溶融ってメルトダウンのことだろう。あそこで一度あのひとが言ったきり、
この話しなくなったな。」”書き留めてるの?”

「ああ、。こういう事態の時って、一番はじめの会見とかって重要なんだよ。-

 

-「混乱してるそのままで情報を出すからね。整理されてない本当のことが
ぽろっと出てくることがある。後々でしまいこまれちゃうような情報が、
ぽろっと出てくることがある。」

画面には、中年のにやつきが顔に張りついてしまったような男が
曖昧な答弁を繰り返している。フリージャーナリスト達が-

 

-その曖昧な答弁に切り込んでいる。むき出しの応酬だった。
やがて公表されるメルトダウンについて、その頃の世の中はひたすら
人々の関心の遡上に上げないようにしているのが目に見えるようだった。

”時間だよ、行こう”自分は言った。
家族皆を連れて、ある女性にあう時間が来ていた。-

 

-福岡へついたすぐ、フェイスブックを通じてメッセージが届いていた。
見ると、下北沢で絵を見せていた頃に、福岡からやってきてくださっていた
同年の女性だった。書いてあった。

「ツボイさん、おひさしぶりです。大変な事態になりましたね。
こちら福岡はいたってふつうで、東京がどうなっているのか-

 

-「心配しております。ツボイさんはだいじょうぶですか-」
自分は返信で福岡に数日前に来たこと、福岡駅近くのホテルに
とりあえず部屋を取ったことを伝えた。返信が来る。

「え?私の職場は、福岡駅からすぐ近くのところなんです。」
電話番号を伝え合い、すぐ会うことになった。-

 

-自分のとっていたホテルは中洲へ向かう大通りに面し、
裏手はうす暗い住宅街になっていた。落ちあい、
邂逅した状況をお互いふしぎに思って話しながら、ぶらついた。

ぶらつくと、福岡の女性がある店を自分に紹介し、二人でそこへ入った。
地の酒地の魚を出す年季の入った店だった。-

 

-自分のゆきさつを話すと福岡の女性は言った。「こっちは11日がちょうど
九州新幹線開通の大きなイベントの日だったんですよ。
前の日には歌手とかバンドとか出てきた予行練習やって、設備を作ってた。

それが、流れちゃった。わたしの働いてる職場は
このあたりの開発事業をやってるんです。-

 

-「新幹線が開通して、それに合わせて駅も新装して、、。
そこにうちもかなり深く噛んでたものだから、もう、なんというか
がっかりですね。」九州の甘口の醤油で魚を食う。

いくら注ぎ込んでも物足りない。きっかりとした醤油が欲しい。
福岡の女性は言った。「でもひどいもんですよ-

 

-「あれだけの事故が起こったのに、12日の(と記憶している)夜に
また強行工事をしようとしてたんです。考えられますか。

私の友人が祝島のことをずっと追ってるんですけど、上関は中電で、
抗議する住民を規制しようとして警備員をやとった。アルソックですよ。
みな20代そこそこの若いごつい子-

 

-「ひどいもんです-」福岡の街には落ち着きのようなものがある。
切り取ってそのわかりやすい断片を差し出すことはできないが、
ひとの表情やしぐさ、街の感じにそれは感じられ、
古くあっても厳然として動かない秩序のようなものが土地の背骨として
揺るがなく存在しているように感じていた。-

 

-その秩序は反面、周りがどう言おうが、どうあろうが、
やることはやる者がやってしまう、というようなかたちになるのではないかと思った。
その日はそうしてただ話して別れ、自分が苦境になったら連絡をする話になっていた。
3.11後の自分の混乱の中に現れた、唯一の力となってくれた日本人だった-

 

-苦境-。ホテル住まいの日々に、自分の蓄えも先が見えてきていた。
ただ金が流逸してゆく。自分はパスポートができるまでに金を得なければならなかった。
自分は警固町にあるハローワークに向かい、そこにいる人間にまぎれて職の口を探し始めた。
『金属加工職人 住み込み 時給800円』-

 

-『西洋家具の見習い』。新装なった福岡駅は大規模な駅ビルになって、
そこに集積している飲食店のアルバイトが多くあった。介護。

3.11まで働いていた特別養護老人ホームで自分の肉体は限界に
ちかい状態になっていた。(すべてゼロからはじめようか-)
そう思って今までしたことのない-

 

-印刷業の会社ででも働こうかとも思う。だが、自分が惹かれるのは
金属加工の住み込み、西洋家具制作の見習い、そんなものばかりだった。
(絵はどうするんだ-)東京の自分の部屋に詰め込まれてある絵のことを思う。
音楽であれ、絵であれ、自分は自分の中に耕作地を抱えているように思っていた。-

 

-長い時間はかかるだろうが、内側の耕作地の土地を耕し、できた上質の物が
増えてゆけば、それは自分の理想だった。内側と言っているものの、
それは闇市の跡をとどめていた下北沢という街と不可分のもので、
それら一切が頓挫したことに、解決しようのない喪失感を感じる。(ゼロ。すかんぴんだ-)-

 

-金属加工と西洋家具の募集の紙を窓口にもってゆく。窓口は中年の男で、
紹介状を出す間にじぶんの仔細を聞いてきた。状況を話すと言った。
「そうですか。実は私も東京にいたんです。下北にもいました。
学校の教師をしてたんです-。すこしずつ増えてますねえ。昨日今日、-

 

-「関東から避難されてきた方の相談を受けました。」紹介状を受け取ると、
街をぶらついた。博多の、すこし文化的な店がほどなくしてあった。

『オマエが買う本はここにはない』という少し狂気がかった看板をかかげる
昭和戦前の絵本ばかりを扱う店にいると、件の福岡の女性から連絡があった。-

 

-近況を聞いてきた。自分は職を探している、金属加工の職人に
なろうかと思っている、そう話すと「-そうですか。前にも話したけど、
うちの会社けっこう手広くやってるんで相談に乗れるかもしれませんね。」
福岡の女性は言った。そこから話は進んで、
系列のやはり特別養護老人ホームの面接を受ける-

 

-になった。社長に掛け合ってくださったという。面接は顔通しのようなもので、
ほぼそこで決まれば決まってしまうことになるが良いか、
福岡の女性は自分に言った。選んでいる余裕はなかった。

”かまいません、”自分はできるかぎりのかたちで謝意を伝え、家族に伝えた。-

 

-3.11で流れた福岡駅新装の催しが後日にずれこんで、
それを見越したのかホテルに予約が埋まり、自分および家族は数日で
そのホテルを出なければいけない状況にもあった。

次のホテルも手配してくれる話になった。そのことを家族に伝えると、
お礼をしなければ、という具合に話は進展したのだった。-

 

-やはりホテルの裏手からほど近い場所にあった水炊きの店にゆき、
家族と金を出し合って福岡の女性に食べてもらった。-

 

※次回に続く

 2017/2/21(火)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】渡眞利との飲食は私の公務員としての職務とはいっさい関係ないことが裏付けられる ※72回目の紹介

2017-02-20 22:00:00 | 【フクシマ見聞録】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。72回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

14 崩れた検察側のシナリオ P199~

 証拠関係を見ると、まず「北山」というデート嬢は派遣会社の裏付けはなかった。渡眞利が料金を支払ったという「グランドカーム」の従業員の証言もない。伝票類もいっさいない。私が「グランドカーム」に入ったという証拠もない。伝票類もいっさいない。私が「グランドカーム」に入ったという証拠もない。きわめつきが私と”情交”したとされるデート嬢だ。すでに書いている通り検察側が示唆する女性は強盗殺人事件の被害者で証言できないのだ。(中略)

 渡眞利への反対尋問が進む一方、弁護団は独自の調査により、検察が渡眞利の会社の従業員から、デジタル衛星放送事業に関する業務委託契約書などの関係書類や、従業員の携帯電話の通話明細書、運転手の運転日報などの重要書類の宝の山を発見した。

 いずれも検察側にとって都合の悪い資料である。例えば、渡眞利は私に対する接待の趣旨を、当初は事業のスポンサーにと考えていたが、途中から私の検事としての力を借りようとしたと説明している。ところが、デジタル衛星放送事業に関する書類を見れば一目瞭然、渡眞利が私を接待していた時期は、終始一貫、スポンサー探しをしていた時期とピタリと一致する。

 さらに従業員の携帯電話記録から、「四国タイムズ」の川上道大社長や住宅販売会社の社長に対する出資金勧誘、大手食品会社社長への紹介依頼、テレビコマーシャル契約の勧誘状況などが明らかとなり、私が当初から主張していたように、渡眞利との飲食は私の公務員としての職務とはいっさい関係ないことが裏付けられる。

 

※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(崩れた検察側のシナリオ)は、

2017/2/21(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


【フクシマ見聞録】3・11放射能が来てるのにも関わらず、東北の人達は水を貰う為に列を作って並んでいた ※80回目の紹介

2017-02-16 22:18:20 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。80回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11放射能が来てるのにも関わらず、

東北の人達は水を貰う為に列を作って並んでいた

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月22日のツイートから

 

福島行-”%%%(中国人女性の名)さんはこれからどうされるんですか”
自分は聞いた。女性は言った。「一旦ドイツへ行ッテ、ソレカラスウェーデンへ行クノ。
-ドイツだと差別がアルカラ、って&&&(ドイツ人の夫)ガ言ウノヨネ。」
自分の絵を見に来たことのあるそのドイツ人の夫は-

 

-小柄な男はソニーエリクソンで携帯のデザインを行っていた。
彼と、中国人の妻、自分、ドイツ人の女。四人で時折あっては飯を食っていた。
自由が丘で一度そうして会食した時のことを自分は思い出していた。
”自由が丘みたいな街は好きじゃないよ。ただ綺麗なだけで、つるつるしてる。-

 

-”昔とつながっている物を片付けて片付けて、それで澄ましてるようでさ-”
そんなことを言っていた自分をその自由が丘での会食に誘った女は
「アキラ、ゴメンナサイ。明のキライな街に呼ンデ」と言った。
四人、飯を食い街をぶらついていると、イタリアをイメージした一画が瀟洒な町外れにあった。-

 

-冠婚のための店が詰まっていたように思う。さほど広くもない
その一画にはやはりベネツィアの運河をイメージしたような水路が造ってあり、
白い石で造られた建物の下から伸び、直角にまがってこちら側にある。
水は最後時計のある塔の下を入ってゆく。「アキラ、コレ」ドイツ人の夫が嗤って言った。-

 

-塔の足元、流れもない黒い水の上に一艘の白い手漕ぎ船が浮いている。
塔にくり抜かれたアーチが低すぎ、船の舳先がつかえてそこに浮いているのだった。

「コレ、通レナイヨ。」船を通過させるためのアーチが低すぎ、
現実には船を塞き止めてしまっている。ただ、形ばかりがある。
それも見せかけの-。-

 

-そしてしごく真面目に雰囲気を出そうとしているのが象徴的だった。
”これだよ-。”自分は言った。”おもちゃでしかない。こんなものが多すぎるんだ-”
異国の三人の中でひとり自分は憂いて言った。

そうして中国人の女性からもらった書類を手に翌日件のパスポート申請の窓口にゆくと、-

 

-二週ほどかかるとのことだった。「私ハ失敗シタカナ-」
その二週の間にドイツからホテルへ頻々と電話をかけてくる女は言った。
”どうしたんだ”「日本二ツイテの記事を書ク仕事ヲシタ。
ソノ記事の内容デ、タクサン批判ヲ受ケテイル。」”何を書いたんだ”
「日本人ハ、アレホドノ事故がアッテ、-

 

-「ホウシャノーが来テルノニも関ワラズ、トーホクの人タチは水を
モラウ為二列を作ッテ並ンデイタ。決メラレタ量の水でガマンシテ。
店カラ物ヲ盗ムコトもシナカッタ。ドイツ人ダッタラ考エラレナイ。
パニックにナッテイタと思ウヨ。ダカラ、
『私タチドイツ人は日本人ヲ見習ワナクチャ行ケナイ』-

 

-「ト書イタ-」”、、、、。”たしかに、その後たまたま
運転免許取得合宿で出会った男の話にもその点のおどろきは感じていた。

いわきの呉羽化学工業で3.11時土壌測量にあたっていた彼は、
近在の店員のいなくなったコンビ二エンスストアのレジに、
自発的に何を持っていったのか記帳するノートが-

 

-作られ、その物品の対価をレジに置いてゆく人々の様子を話していた。
その頃にはそんなことは知らず、物品が盗まれたかどうかの
たしかな情報もなくその点に関して何を言うこともなかった。

だが、被災地の外気の中、列を作って並んでいた人々が
被爆することを知らされた上でそうしたはずはなかった。-


-”きびしいことを言いたくはないんだが-”自分は言った。”
東北の、外で列を作って水をもらいに並んでいた日本人は、
被爆することを伝えられていないよ。

どれだけの放射能がどこへ向かっていったのか国は伝えないでいるから、
彼らは無防備にそうしただけだよ。これは美談にしちゃいけない-”-

 

-”知らされずにいる、そして被曝してしまった、そのことのほうが問題なんだ”
「ビダン、とはナンデスカ。」”見習うべき話、ということだよ”

「、、、。ドイツ人タチもミナ、アキラと同ジ事ヲ言ウ。
インターネットで、ソノ私の記事へノ批判的ナ書キ込ミがトテモ多イ-。」”、、、。”-

 

-これまで、どちらかというと疑念を軸にしなくとも書ける記事を
書いてきた感性では通用しない事態に、日本は堕ちていた。
自分と女の感性は、すこしづつ、別れはじめていた。-

 

絵に書き加え、修正を施し続けている。マグロの位置を変え、書き直した。
2012年ウォールストリートジャーナルはカルフォルニアでとれる
マグロの放射能汚染を伝えた。1954年の第五福竜丸事故で汚染されたマグロ457トンは、
- http://twitpic.com/dszcqu

 

-『原爆マグロ』と呼ばれ、築地市場の土のしたに埋められたという。
矢ヶ崎克馬氏は、当時のマグロの汚染程度を10から100ベクレルであろうと発言している。
WSJの記事は2012年5月29日。毎日新聞がそのことを伝えた
ウェブ上にも掲載していたが、今ではたどることができなくなっている。

 

※次回に続く

 2017/2/20(月)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3・11直後、住民票が無い場所でのパスポート申請で困った「第三者証明を添えて下さい」 ※79回目の紹介

2017-02-15 22:31:51 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。79回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11直後、住民票が無い場所での

パスポート申請で困った「第三者証明を添えて下さい」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月21日のツイートから

 

福島行-地味な男は言った。「ただ申請を受けるにあたりまして、一点。

ご自身の身分を証明する書類、それと福岡に五年以上住まれている方の
第三者証明を添えてください。その方の住民票でもなんでも構いません-」
ここで困じてしまった。福岡へ来たのははじめてだった。
音楽をともにしていた-

 

-若い知り合いは、依然東京に残っていた。彼の友人で家に
泊めたことのある青年は福岡へやってきてすぐに連絡をくれたのだが、
日銀への就職が決まったんです、明日から東京へ行きます、
と電話で自分に伝え、3月16、7日あたりに上京していた。
思いあたる知り合いがいない。-

 

-ホテルへもどり、パスポートの申請が特例対応になっていることを
やはりミクシィで書いて拡散した。その晩に女とやりとりし状況を伝えると、
ひとりの女性が福岡へ来ていると言った。

少し年上の中国人の女性だった。ドイツの男性と結婚しており、
横浜のマンションで暮らしていた。彼女の部屋にゆき、-

 

-四人で餃子を作って食ったりするような仲だった。
彼女に連絡してみることになった。電話をすると、いつもの快活さで
その中国の女性は言った。

「アア、明サン。福岡二来タンダッテ?ソレはヨカッタね。」
事情を説明する。
「-私ノ姉がネ、ズット福岡で生活シテル。ソコに私モ居ルンダケドネ、-

 

-「彼女二相談シテミルネ。デ、何ガ必要ナノ?」
結局、その中国人女性の姉が住民票と外国人登録証を印刷して
渡してくれることになった。

またしても、自分に力となってくれたのは異国の人間だった。
翌日、晴れた駅前の喫茶店でお会いすると言った。
彼女は身重だった。-

 

-”妊娠されたと$$$から聞きました。、、おめでとうございます”
自分が言うと「ソウナノヨ。アリガトウ、、。###(彼の夫の名)ガネ、
事故が起キタラ会社カラすっ飛ンデ帰ッテキテネ、
モウ凄イ勢イでアタッシュケースに荷物を突ッ混ンデ、
『福岡へ行くチケットヲ取ッタカラ明日スグ行ケ』-

 

-「テ言ウワケ。私ハ、全然ノンビリシテテ、『何ソンナニ急イデンノ』
ナンテ言ッテタンダケドネ、今デハ感謝シテルヨ-」
自分のことを聞かれ仔細を話す。件の書類を鞄から出して自分に渡す。
外国人証明書に、お会いしたのことない中国人女性の写真が写っている。
”ありがとうございます-”-

 

-「気ニシナイデ。コウイウ時ハ、助ケアワナキャネ。
デモ、今度何かアッタラ、助ケテヨ。」いくぶん茶かすように笑った。
笑ってから真面目な顔になり「$$$を大切二シナサイヨ。
彼女ハ強イヨウニ見エルケレド、彼女ハ彼女デ繊細ダカラ-」言われた。-

 

※次回に続く

 2017/2/16(木)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3・11日本政府から緊急事態特例で、住民票のない場所でもパスポートの申請を受付ける通達が出ていた ※78回目の紹介

2017-02-14 22:02:02 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。78回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3・11日本政府から緊急事態特例で、

住民票のない場所でもパスポートの申請を受付ける通達が出ていた

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月20日のツイートから

 

福島行-2011年3月14日午後の羽田空港は、やはり平静とかわらなかった。
とくに外国人が多いということもなく、少なくも多くもない人間たちが
あたりをうろついていた。兄は運転してきた車を空港の駐車場に置いてきていた。

自分と同じく兄もたまたま連休を取っていたのでそうして動けたのだった-

 

-が、いずれ、進めている仕事のために戻ってくるつもりらしかった。
窓口で事情を伝え、ドイツという異国の政府発行の書類を手渡し、
通常の手続きを飛ばして旅客券を受け取る。福岡へむかう旅客権を
求める人間の列に連なりながらも、ひとり奇妙なものを感じざるを得なかった。-

 

-チケットを受け取り、新大阪ゆきの旅客券を受け取ってきた両親、
兄と別れることになった。「-じゃあ、元気でね」母が言い、
自分は月並みな言葉を返した。

自分は傍らに立つ父の、背広の背にまばらに落ちていたふけを
払ったことを覚えている。福岡への便には勤め人が多くを占めていた。-

 

-「-壷井さん、こちらへ-。」地味な中年の男が一室の扉から
顔を覗かせて言った。そこは福岡の、中洲と天神の間にある
パスポート申請の窓口だった。

以前書いたように、福岡へ着いた自分は三日間の休日を
ホテル暮らしに費やし、逡巡の末に福岡へ留まることを選び職場を馘首されていた。-

 

-東京へ戻るか。福岡にとどまるか。さらにそこから出てゆくのか。
動乱のときには、そんな行く末をめぐる分岐がつぎつぎに自分に突きつけられてくる。

戻らぬことを選択した以上、出てゆくことの可能性への準備をするのは
必然として感じられた。バイエルン州のある街、女の生まれた故郷へ戻った-

 

-女は、地元のメディアに請われて動乱のさなかにある日本人の心情を
聞き集めるように言われ、ホテルが貸し出すパソコンを使って家族
(空港経由のほうがホテル代安くあがるので、
同じホテルへ数日後にはやってきたのだった)の話を聞いていた。
ドイツで仕事を探してゆくという。-

 

-職も喪い、一人これまでずっと進めていた(自分なりに全霊をかけていた)
表現活動も先が見えなくなっていた。ただ残されたのは女とのつながりと、
無為に空いた時間-。

その空いた時間には、その頃には依然として
予断をゆるさなかった福一の情報、
これまでの原発をすすめる上でなされてきた操作-

 

-の悪質さ、被曝に対してまるで機能しない日本の惨状をめぐる
情報が埋めるようになっていた。

思えば、この選択を機に、自分をそれまで成してきたものの
要素のバランスが変わったのだと思う。

住民票のない福岡でのパスポート申請を相談すると、
一般の窓口の女に理由を聞かれ、仔細を説明した。-

 

-しばらくするとそうして地味な男が自分を呼び、
二人で個室に差し向かいになった。責任者らしかった。男は言った。

「いま、確認しました。確認しましたところ、
現在日本政府から緊急事態特例ということで、
住民票のない場所でもパスポートの申請を受け付けるよう通達が出ております-」

 

-おどろく以外なかった。(そんなこと、テレビで言ってなかったじゃないか-)
ホテル住まいをするようになり、家族も結局またひとところに
まとまる状態になっていた。

ホテルのテレビでは、ワイドショーが原発の状態、
そしてそこからもたらされる被曝程度を、レントゲンやCTと比べて軽微なもの-

 

-として解説する専門家が続々と出てきて話していた。
洪水のようにそんな情報を流していた一方で、政府はそんな
逃げるための緊急対応をおこなっていたのだった。

テレビからの情報量からすると、”ひそかに”と
言ってさしつかないと思われた。-

 

-として解説する専門家が続々と出てきて話していた。

(全国的な放送と比べて福岡の地元の放送局は危険性を危険なものとして論じていた)

。番組の合間には、公共広告機構の二つか三つほどしかないパターンの
映像が刷り込まれるようにして繰り返されていた。-


-幼児向けの絵本のようなアニメが、あえて作られた幼さと、
やわらかい甘さを前面に出してこちらの時間を埋めてゆく。

一言挨拶の言葉を発することの重要さを、ことここにいたって説いている。
洪水のようにそんな情報を流していた一方で、
政府はそんな緊急対応を敷いていたのだった。-

 

-圧倒的多数に向けて積極的に流される装われた、現実には意味をなさない、
むしろ当時の状況では肉体的な意味でも人をスポイルする以外の
なにものでもない稚気と、知る人間に向け、
ひそかに危機的な現実に即して対応するひどく具体的な対応。
この二面対応を行うにあたっての国の処理速度の迅速さに-

 

-禍々しさのまじった驚きをあらためて感じた。
(-すくなくとも、役人はこのことを知っているはず-)この選別。

これまで自分が外から問題にしていたその選別の、ふとした縁のかさなりで
少数の中へ、自分はいつの間にか紛れ込んでいた。
紛れ込み、特例的にパスポートを発行してもらおうとしている。-

 

※次回に続く

 2017/2/15(水)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】「アキラ、日本政府が言ってる事が全く分からない。”爆発的事象”とは何ですか。酷すぎる」 ※77回目の紹介

2017-02-13 22:01:47 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。77回目の紹介

【フクシマ見聞録】

「アキラ、日本政府が言ってる事が全く分からない。

”爆発的事象”とは何ですか。酷すぎる」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月19日のツイートから

 

福島行-なにか沈没してゆく船から脱出してゆくような気持ちだった。
ただそうして自分を含めた家族が切迫して車を飛ばしているのとは
無関係に、空は青く、地震の影響から抜け切らぬ街はいつもより身を
小さくしているように見えた。空がいつもより澄んで見えていたのは、-

 

-逼塞を余儀なくされた人間が多いためだったのかもしれない。
自分たちが只中にいる動乱と街の静けさとの差が、
透明な恐怖としてかつてない現実さ迫ってきたことを覚えている。

女が出国してゆく前の日に、政府の会見に出ていた。
その会見が終わるとドイツ人たちの国外退避の話が急遽決まったようで-

 

-やはり急遽パスポートが必要になった女を車で迎え、再度赤坂へ送った。

女の家に着くと、地震のせいで散乱した物が床に散らばっていた。
必要な物を物色しながら女が言った。

「アキラ、日本ノ政府ガ言ッテイル事ガマッタク分カラナイ-」
苛立ちをこらえきれず、両手に持った不可解な物体を-

 

-ゆすぶるようにして言った。「”バクハツテキジショウ”ハ、バクハツナノカ。

違ウノカ。辞書ヲ見テモ分カラナイ。アキラ、”ジショウ”
とは何デスカ。ヒドスギル-。」”『事象』という言葉に意味はないよ。
意味があるとしたら、現実をなるべく曖昧なものにしたい、そんなところだな-”-

 

-自分が言うと「ナゼ、コトバヲ急二作リダスノカ。信ジラレナイヨ。」
女は再度、両手を揺すって言った。それまで割合と日本という社会、
人間に信をおいていた女がはじめて日本人の抱えてきた
裏側にぶつかった瞬間だった。

現実を解釈の問題にすりかえ処理してしまう。それは不遜さだった。-

 

-これ以降、ただちに健康被害はないと繰り返し、ひたすら
解釈上の操作を展開してゆく日本の政府とドイツ人たちの
共有する認識は決定的にわかれてゆく。「行キマショウ。」

めぼしい物を集め終え、そうして赤坂へもどり別れた後、
女は電話口で言った。-

 

-「アキラ。怖イヨ-。ZDFの同僚二科学二詳シイ方がイル。
彼ガ言ッテイル。カクバクハツ、が起キルカモシレナイ-」
核爆発が起きるかもしれない-。

家を立つ前に爆発する3号機の映像を見て母が言った
「今までの爆発とちがう。横じゃなくて、縦に、爆発してる-。」
その言葉にも思い出した女の話-

 

-を、やはり思わずにいられなかった。荷はリュックが二つだった。
そのほとんどが服で占められていた。肌着。靴下。
トレーナー。みな、買うときには選ぶものがなくて仕方なく
買い求めた物ばかりだった。62年製のジャズマスターも、
これまで描いてきた絵も、およそ自分というものを注ぎ自分そのもの-

 

-のように思いなしてきたたいせつな物は、およそ持ってゆくことが
できない物ばかりだった。たいして思い入れのない、平凡で、
実用的な衣類ばかりの詰まったリュック二つ。
どうやらそれが自分そのものらしかった。-

 

※次回に続く

 2017/2/14(火)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3.11直後「これ見て-」母が言った。「今までの爆発とちがう。横じゃなくて、縦に、爆発してる」 ※76回目の紹介

2017-02-09 22:21:44 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。76回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3.11直後「これ見て-」母が言った。

「今までの爆発とちがう。横じゃなくて、縦に、爆発してる」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月18日のツイートから

 

福島行-書類を手に家へ戻ると、出発の準備をあらかたまとめた
父と母が居間におりテレビを凝視していた。

画面には、原発が爆発する瞬間の映像が映し出されていた。
「また爆発したよ-」母が振り返って言った。「三号機。爆発。」
”さっき区役所でともだちから電話があった。知ってるよ”-

 

-「これ見て-」母が言った。「今までの爆発とちがう。
横じゃなくて、縦に、爆発してる-。」テレビの前には父もいて、
あぐらをかいて画面を見ている。脇に小さな手帳が置いてあった。

読売新聞の記者を退職してしばらく経っていた。
テレビが流し続けるうすく無為な情報の受け口のようになって、-

 

-まるでその相方を務めるようにやはり無為にテレビをつける。
それが習慣になっているようだった。退職してからは趣味の書道を再開し、
部屋に一人こもって般若心経の同じ字の並びを
ひたすら克明に書き写すことをしていた。

合間の時間に韓国の歴史ドラマを見る。テレビを見ている。-

 

-そんな毎日を送っていた。それが事故が起こると、
以前使っていた取材用の手帳が放り込まれている棚から小さな手帳を取り出し、
時系列に事態を記録し始めたのだった。

自分が戻ると、出発することになった。
その時にはまだ生きていた二匹の猫たちに挨拶して車に乗りこんだ。-

 

-道は空いていた。晴天で、空が青かった。田町をぬけてゆくところで兄が言った。
「曲がってる-」東京タワーのほうをハンドルを手に指差す。
見ると、青空を後景に見える東京タワーの頂点、
避雷針かなにかの細い棒が、わずかに傾いていた。-

 

※次回に続く

 2017/2/13(月)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3.11直後「また原発、爆発したよ-。3号機、爆発だって。本当は仕事だけれど行ってない」 ※75回目の紹介

2017-02-08 22:17:00 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。75回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3.11直後「また原発、爆発したよ-。3号機、爆発だって。

本当は仕事だけれど行ってない

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月16日のツイートから

 

福島行-14日午後、兄の車に乗り、羽田空港へ向かった。

被曝から避難する人間がスリーマイルの時に殺到して混乱したことを考えると、
果たしてすんなりと空港へたどり着けるのかどうか不安な気持ちをもっていた。
ドイツ政府が取ったチケットの時間に間に合うのかどうか。-

 

-チケット受け取りのために発行されたドイツ政府の書類をプリントアウトした。
その前の時間に役所に向かい、戸籍謄本、身分証明書、めぼしい個人証明と
なる書類をまとめて出してもらっていた。
東京に戻れない場合のことを、かなり現実的に想定してそうしたのだった。-

 

-渋谷の区役所で書類の発行を待っていると(役所は平静を保っていた)、
着信があった。音楽をやっていたころの知り合いだった。

理系の男で、ホテルマンをしている男だった。
譜面があれば音は出せるが、何もない状態では自分から
音を出せぬ男だった。ずいぶん久しぶりの連絡だった。-

 

-「明。どうしてる」自分は状況を説明した。
「また原発、爆発したよ-。」理系の男は言った。”ほんとうか”
「ああ、、。3号機、爆発だって。今、テレビで映像が流れてる。」
”、、、”「こわいよ-」男は言った。
「本当は仕事なんだけれどもう12日から行ってない。
外へでることができない-

 

-男はつづけた。「今、迷ってるんだよね。台湾にともだちがいる。
彼のもとに行こうか-」自分は言った。

”お前はめぐまれてるよ。外国に友人がいるんだろ。
そんなやつばかりじゃない。

逃げるつてがあるんなら、避難したほうがいい。
”自分は言った。「-そうか、、。こわいよ。」男は繰り返した。-

 

-持っていた番号札で呼ばれる。”すまない書類があがってきた”
言って電話を切った。彼は結局、一週間家の中で過ごし、
仕事に穴をあけ、そして逃げることもなく職場復帰した。
職場に戻ると、叱責されたと後日言っていた。-

 

※次回に続く

 2017/2/9(木)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3.11直後「アキラ。家族扱いで、ドイツ政府から飛行機のチケットがもらえる。南へ逃げて」 ※74回目の紹介

2017-02-07 22:31:21 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。74回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3.11直後「アキラ。家族扱いで、

ドイツ政府から飛行機のチケットがもらえる。南へ逃げて」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月16日のツイートから

 

福島行-その電話は実のところ、意外なものと自分は捉えていた。
ドイツ人たちを逃すためにチャーターされたはずの飛行機が台湾で
そうして予定外に来ないこととなり、彼らは各々、
出国を自ら調整しなければならなかった。

それは、日本出国のために早い者勝ちの競争が
はじまったことを意味にしていた。-

 

-「アキラ。怖イヨ-。チケット、私ハ取レルノダロウカ。」
女は電話口で言った。
パスポートもない自分にはどうすることもできなかった。

”だいじょうぶだろう、きっと。”無力感を感じながら自分は言うほかなかった。
そのことを察したのか、女は言った。
「-アキラ、私ノタメ二、祈ッテクダサイ。」-

 

-祈るほかなかった。海苔を買ってくると、ドイツ人たちの行動を
登録しているミクシィで書き込み続けることをはじめた。

海苔を食べていること。風向きを気にして身重の中国人の妻を
福岡へ飛ばした者がいること。海外のサーフィンのサイトに、
世界の詳細な風向きを予想するものがあり、URLを書いた-

 

-翌日の早朝に女から連絡があり、無事旅客権を確保したと言った。
それからすこし遅れて中国人達が出国を図り大挙して詰めかけていた。

そのわずか一足先に出国の手配を済ませたことになる。
自分は仕事場へ向かう前で布団に寝ていて、寝たまま、
その連絡を受けた。女は言った。「アキラはドウスル-」-

 

-”逃げられないよ。パスポートもない。今日は仕事。仕方がない-”
「-私ハ、アキラを置イテユクノカ、。迷ウ気持ちがアル、。

私ハ一人デ逃ゲテ良イノカ、」女が迷いはじめたので言った。

”$$$、逃げな-。”さめざめと、
受話器の向こうで女が嗚咽するのが聞こえた。-

 

-自分はこれまで自分がドメスティックな生き方しか
してこなかったことを伝え、謝った。縁があればまた会えるだろう、
今までのことを感謝すると「-ワカリマシタ。」女はようやく言い、
通話を切った。(これで、終わり-。)
前日の12日の夜には、フランスのメディアがネット伝えていた。-

 

-『福島の事故は最低でもスリーマイルと同等の規模になる可能性がつよい-』。
原子力災害の国際基準でスリーマイルはレベル5だった。

日本のテレビも騒乱の中にあったが、そうしたことを伝える報道はなかった。
かなり近い距離で、外側からもたらされる死というものを意識した。-

 

-こんなことがあるのか、とも思い、その反面やがて訪れるはずだった
事態が現実としてやってきたとも思った。自分がその事態に
何の準備すらもしていなかったことが、決定打として自分の前に露出した。

飯舘村には多くのフィリピン人女性が働いていた。
農家の男と結ばれて工場勤務などをしていた。-

 

-『原発さえなければ』と厩舎に字を残して縊死した男性は、
やはり事故後フィリピンへ急遽戻ってしまった若い妻のことを大きな喪失として抱え、
その他の傷もあり、克服できなかった。空港でのようなやりとりは、
日本のあちこちで起きたはずだった。縁があれば会えるだろう-。-

 

-自分は言ったが、もう女とは終わったと感じていた。そんな気持ちから、
仕事場で受けた電話に意外な気持ちを持ったのだった。

「アキラ。家族扱イで、ドイツ政府カラチケットがモラエル。
南へ逃ゲテクダサイ。沖縄カ、福岡、ドチラカ選ンデクダサイ。」
翌日から三日間休みを取っていた。-

 

-「福岡。」急な展開で狼狽しながら、自分は言った。帰宅して
この話を家族に伝えると、家族も縁故をつたって南へ逃げることになった。

自分以外の三人の家族は奈良へ。母は二匹の飼い猫のため、
ダンボールに餌を大量に注ぎ、バケツに水を張っていた。-

 

-自分のもとに取り残さた側のドイツ人の女からメールが入っていた。
多くのひとに状況を聞いたが判断がつかない、混乱している、アキラはどう思う、
私たちはどうしたらいいか。英語で書いてあった。

三日間の休みというのは、以前の呟きに書いたことだが、
彼らからの取材を受ける予定だった。-

 

-彼らはフランスドイツ合弁の先端的なアート系を扱う番組制作チームで、
自分は下北沢という街で活動するひとりの絵描きとして取材を受けていた。

下北沢の街の中での映像収録の最後の三日間が、その休日だった。
それが3.11で頓挫し、そんなメールをよこしていた。自分は書いた。-

 

-「逃げろ、可能な限り速く。この国のメディアは何も言わないが
もうすでにメルトダウンしてる可能性が高い。

君に見せた絵のテーマ、隠蔽が、今動きだすぞ。君は日本人じゃない。
チケットさえ取れればすべては解決する。この国から離れろ-」
英語でそう書くと、その言葉を受けて二人はタイへ向かった-

 

-クアラルンプールにいる女の方の親を頼って向かったと言っていた。
結局、一貫して自分を被曝から避けるために力となったのは、
ドイツという国、その国の人だった。日本国政府ではなかった。
タイへ出国していった二人とのやりとりから、
自分とドイツという国の奇妙な縁を感じざるを得なかった。-

 

-友人は米軍のラジオ放送で艦隊が持ち場を離れて南下することを聞き、
福島での事故の程度を図っていた。岐路と、縁-。
これまでの自分の一切が凝縮して露出してきた時だったと思う。-

 

※次回に続く

 2017/2/8(水)22:00に投稿予定です。 


【フクシマ見聞録】3.11直後、赤坂にあったドイツ中央テレビ(ZDF)のスタッフのほとんどは海外へ脱出 ※73回目の紹介

2017-02-06 22:02:16 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。73回目の紹介

【フクシマ見聞録】

3.11直後、赤坂にあったドイツ中央テレビ(ZDF)の

スタッフのほとんどは海外へ脱出していた。

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2014年1月15日のツイートから

 

福島行-3.11直後、赤坂にあったドイツ中央テレビ(ZDf)の
スタッフのほとんどは精鋭のみだけを残し海外へ脱出していた。

ドイツ政府がチャーターした飛行機でめぼしいドイツ人達
(大きな企業に属していないわずかな者は混乱の中で日本国内に留め置かれた)
はとり急ぎピックアップされ、-

 

-帰独する予定になったと女は電話口で言った。赤坂にいたドイツ人たちは
一旦赤坂界隈のホテルに集合し、その便を待っている状態だった。

女が部屋に置き忘れていたパスポートと当座必要な物を届け、
赤坂TBSの裏手で別れた後、女はドイツ人たちのとった行動を逐次自分に伝えてきた。-

 

-「アキラ、今コッチデ、ミンナ海苔(ノーリ、と発音していた)食ベテルヨ。

詳シクハ分カラナイガ、ヨードを、ホウシャノーが来ル前に入レテオケバ、
カラダに入ラナクナルラシイ。スーパーで売ッテルノーリのパック、一ツがチョウド、
一日分ラシイ。アキラ、ノーリを食ベルヨウニシテ下サイ-」-

 

-思えば、被曝を避けるために具体的に何をすべきか聞いたのは、
このドイツルートからの情報だけだった。自分と兄は空気を吸わぬように
ごく近いスーパーへ車で向かい、自分が言われたように海苔を探しに向かった。

(もう無くなっちまってるんじゃねえか-)
自分は不安に駆られながらスーパーの棚を-

 

-見ると、なんのことはない。棚に溢れるようにしてあった。

(ああ)(だれも、何も、わかっていないんだ-)目の前にある
日常そのままの海苔の棚を見てまず思ったことを覚えている。

周りにいるスーパーの客たちには無言で、がさがさ、
とまとめて海苔をかごに入れてゆく。-

 

-われがちに生存を図る、その気持ちに染まりきっていた。
帰宅すると女が電話で言った。「アキラ、ドイツカラの飛行機が来ナクナッタヨ。
台湾マデ来タガ、パイロットが日本に来ルコトヲ拒否シタ。

ホウシャノーが怖イカラ来ルコトヲ止メタラシイ。
私タチは自分で飛行機に乗ラナケレバ行ケナクナッタ」-

 

-なにか動乱のような状態になっていたのだった。翌日、
自分は介護の仕事だった。9時からの出勤で、濡れタオルを顔に巻いて
(水を含んだタオルではほとんど呼吸できなかったのだが)、
職場へ向かった。仕事場は地震の影響の話でもちきりだった。
埼玉に家のある若い化粧の濃い娘の職員は-

 

-6時間ほど歩いて帰ったなどと言い、次に言った。

「$$$さん、だいじょうぶかなあ。昨日電話してもぜんぜんつながらなかった-。」

3.11のひと月ほど前に、福島のいわき、それも海に近い場所へ
家族の都合で越していった職員のことを口にした。音大出身の職員で、
さばけた小柄な男だった。-

 

-老人たちのいならぶ前で、まずゲゲゲの鬼太郎の主題歌をピアノで
弾き場を和ませると、顔を変えてピアノに向き直り、クロード・ドビュッシーの
月の光を静謐に弾いて聞かせていた姿が記憶に残っている。

他の職員も彼と連絡がとれずにいた。
ひとしきり働いていると女から着信が入っていた。-

 

-昼休み、荒れた四階で一室で他の職員と飯を食っているとまた電話が鳴り、
自分は晴れきった青空の下、屋上へ出た。自分と家族を、
家族扱いで日本から逃がせるかもしれない、という内容だった。-

 

※次回に続く

 2017/2/7(火)22:00に投稿予定です。