*『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。65回目の紹介
『死の淵を見た男』著者 門田隆将
「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」
それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)
吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。
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**『死の淵を見た男』著書の紹介
第22章 運命を背負った男
大声をあげて泣いた P341~
「もしもし、俺だ、俺だ」
受話器の向こうから聞こえてくる夫の声に吉田洋子(55)は、思わずこう応えた。
「パパ? 生きてた? 大丈夫?」
生きてた? - 夫の置かれていた状況をこれほど的確に表す言葉は、ほかになかっただろう。福島第一原発所長の吉田正郎が、東京の自宅に電話をかけることができた時、家族は、
「パパが生きているかどうか」
ということが最大の関心となるほど、重い空気の中にいた。すでに地震から1週間近くが軽過。プラントは冷却の報告に向かってはいるが、もちろん予断は許さない。ふと自分が「生きている」ことだけは、家族に伝えておこうと思い立った吉田は、やっと架かり始めたPHSを使い、本店の回線を経由する形で自宅に電話を入れたのだ。
水素爆発や格納容器の圧力上昇など、連日の報道でいやというほど危機的な状況が伝えられていた家族にとっては、テレビが報じる福島第一原発の深刻な情報は、そのまま夫の「命」にかかわるものだった。妻に「生きてたの?」と聞かれた吉田は、
「とりあえず、今は生きてるよ」
と応じた。それは、吉田らしいひと事だった。大げさにも言いはしないが、それでも、状況を過小につたえることはしない。そして、吉田は、こうもつけ加えていた。
「どうなるかわからんけど、しょうがねぇから、今、生きてることだけ伝えておく」
部下が近くにいる中で所長たる吉田が家族としんみり話すわけにはいかなかった。
「女房は、その時は泣いてなかったですね。泣く余裕もない状態だったんじゃないですか。あの時どうだったの?って聞いたことがあるんだけど、なんせ、次から次といろんなことが起こるじゃないですか。旦那がいるところが地震と津波に襲われて、もう大騒ぎになってるわ、一号機は爆発するわ、3号機は爆発するわって、派手なシーンをテレビで見てるわけでね。想像をはるかに超えた大変なことの連続だから、もう泣くとかそんな状態じゃなかったみたいですよ」
吉田は、そう言った。一方、洋子夫人はこう語る。
「報道があまりに深刻なものばかりなので、その頃の記憶が欠落しているんです。次男から急に電話がかかってきて、テレビをつけてみて! と言われてスイッチを入れた時、(原子炉建屋が)爆発しているのだ映し出されて、頭が真っ白になってしまったんです。自分は何をやったらいいのかわからず、テレビを見てるしかなくて・・・ただ、主人が無事でいて欲しいとそればかり祈っていました」
2人の間には、30歳、27歳、24歳の3人の息子がいる。それからというもの、洋子には、夫の命を心配するだけの日々が続いたのである。夫がやっと「3日間」だけ家に帰ってくることができたのは、それから1か月以上経ってからのことだった。
「あれは、4月だったと思いますが、事故後、初めて家に帰ってくることができたんです。マンションのドアが開いて、顔を見た途端に、ああ、生きて戻ってくることができたんだ、と思いました」
地獄の現場から帰還した夫は、痩せて、髪も伸び、やつれていた。
(「第22章 運命を背負った男 大声をあげて泣いた」は、次回に続く)
※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、
2016/6/1(水)22:00に投稿予定です。