原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『原発ゼロ』<猛烈にエネルギーを使って、それで人間は生きられるのでしょうか。> ※32回目の紹介

2016-01-25 22:10:15 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。32回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 4 エネルギー消費の歴史 P260

太陽は永遠のエネルギー、でも・・・

 では、これからのエネルギー政策をどうすればいいか?私は太陽だと思います。地球上にあるエネルギー資源の埋蔵量を示した図を前に掲載しましたが(191ページ)、太陽は石炭、天然ガス、石油、オイルシェール、タールサンド、ウランの究極埋蔵量を合計したものの14倍を超えるようなエネルギーを1年ごとに地球にくれています。

地球が46億年という長い歴史の中でつくり上げてくれた資源、そのすべてを合計したものと比較にならないほどのエネルギーを、太陽は送り続けてくれているのです。もう、原子力なんていうエネルギーにいつまでも酔っていてはいけません。さっさと原子力から足を洗って、どうすれば環境を破壊しないように太陽のエネルギーを利用できるかという方向に向かわなければいけない。

 ただし、その太陽エネルギーも無制限に使っていいわけではありません。図26は、日本がこれまで、どんなふうにエネルギーを使ってきたかという実績を表したものです。横軸が西暦で1マス50年、縦がエネルギー量で一段上がると10倍増えるようになっています。太いグレーの線が実績値で1880年から始まっています。明治13年、ようやく近代国家の体裁をなしてきた頃で、エネルギーを使えば豊かな国になれる、ヨーロッパや米国に追いつけ追い越せを標語に、どんどん近代化を進めてエネルギーを厖大に使い始める時代に入りました。

 猛烈にエネルギーを使っていって、1950年の手前で太平洋戦争になった。それでエネルギーを使えなくなりましたが、戦後はまた高度成長期に入ります。そしてやがてバブルを迎え、それがはじけて今、横ばいになっている状態です。

 私は縦軸の「100」の少し下のところに点線を引きました(図27)。これは37万8000平方キロメートルある日本という国に、太陽が1年間にくれているエネルギー量です。ここが100パーセントで、一段下がると10パーセント、もう一段下がると1パーセントです。その下にさらに0.2パーセントというラインがありますが、これは何かというと、太陽がくれているエネルギーのうちで、風とか波とか空気の対流とかいった自然現象を起こすために使われているエネルギー量です。

 私たちはいま2000年を過ぎたところにいるわけですが、太陽がくれているエネルギーに換算すれば、約0.6パーセント使っています。自然現象を起こしているエネルギーの何と3倍ものエネルギーを人工的に使って、私たちはこういう贅沢な暮らしをしているのです・これほどのことをやっても、自然というものはまだ持ちこたえてくれていることを、私はありがたいと思います。

 さて、このままエネルギーを使えば使うほど豊かになれるという考え方を維持するとどうなるでしょうか? 予測できる3つの傾向を点線の矢印で示しました(図27=263ページ)。真ん中の線でいけば、いま現在から横軸を約1マス分いった2050年のころには、太陽エネルギーの10パーセントを人為的に使いたいという時代になってしまいます。そしてさらに50年経つと、100パーセント、目一杯の量を人為的に使いたくなる。そのまた50年先の2150年には、太陽が日本にくれているエネルギーの10倍を人為的に使いたいという時代になってしまいます。それで人間は生きられるのでしょうか。

※『原発ゼロ』著書の紹介は、今回で終了します。

※引き続き、『死の淵を見た男』吉田昌郎と福島第一原発の500日~の紹介を始めます。

2016/1/27(水)22:00に投稿予定です。

====『死の淵を見た男』著書から一部紹介====

「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」

それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)

吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日


『原発ゼロ』<人間が厖大にエネルギーを使い始めたのは、200年前だった(2)> ※31回目の紹介

2016-01-21 22:00:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。31回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 4 エネルギー消費の歴史 P255~

 人間が厖大にエネルギーを使い始めたのは、200年前だった

 (前回からの続き)

 ここで、46億年という地球の歴史の中で、200年というのはどういう長さなのかを考えてみましょう。最近は、マラソンが一つのブームになっているようで、一般の人たちが参加できる大会が日本の各地で開かれています。

フルマラソンで走るのは42・195キロですが、これを計算しやすいように少し距離を伸ばして46キロとします。それで割り算をしてみますと、100年にあたるのは1ミリメートルです。200年ならば2ミリメートルです。そしてこのところは、水分を補給するだけでなく、デザートも食べながらフルマラソンの半分の距離を走るスイーツマラソンというのもあるそうですが、仮にこれに出場して23キロを走ったとすれば、200年前というのは、ゴールの1ミリメートル手前になります。この最後の1ミリメートルで猛烈にデザートを食べる、というようなエネルギーの使い方を人間はしてきたわけです。

 では、次に図25を見てください。これは絶滅した生物種の数を表したものです。横軸は西暦ですが、これもある時から急激に増えていますね。産業革命が起こってからです。この地球上では、いろいろな生物が生まれては絶滅を繰り返してきました。これは生物として仕方のないことです。ですが、一気に絶滅し始めたのは、人間が厖大にエネルギーを使うようになったのと軌を一にしているのです。

 たくさんの命がお互いに支え合いながらバランスを保っている、それが生態系です。この生態系に地球の歴史から見れば明らかに新参者の生物である人間が割り込んできて、わずか200年という年月で、周囲の生物をどんどん絶滅に追いやっているということになります。科学というものは、自然に対する知識を蓄積して進歩してきましたし、その知識を、技術が社会的な営為として実現してきました。

その知識が産業革命となり、厖大なエネルギーを使用せざるを得ない人間の暮らしを生み出したわけですが、このままそれをやり続ければ、自分が息をするのにも必要な生態系を自ら破壊して、人間も絶滅にいたるということになってしまうでしょう。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/25(月)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<人間が厖大にエネルギーを使い始めたのは、200年前だった(1)> ※30回目の紹介

2016-01-20 22:11:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。30回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 4 エネルギー消費の歴史 P255~

 人間が厖大にエネルギーを使い始めたのは、200年前だった

  宇宙というものは広大で、その果てがどこにあるのかわかっていません。光の速度で百億年走っても果てまではたどり着けない。そんな広大無辺な空間の中に、青く、美しく浮かび上がるようにしてあるのが、私たちの住む地球です。
  
 宇宙にはたくさんの星々がありますが、地球のように命の根づいた星がほかにあるでしょうか? 人類はそれを長年探し続けていますが、いまだに他の星から明確な生命の痕跡が見つかったことはありません。それほど、地球というのは貴重な星です。 

 この地球という星は、約46億年前にできたと言われています。そしてやがて原始的な命が生まれ、その命が進化して次々といろんな命を生み、私たちが原始人と呼ぶ人たちがこの地球上に姿を現します。約700万年前のことと考えられています。しかし彼らは絶滅し、今の私たち、現生人類の祖先が生まれたのは約20万年前のことでした。

彼らは食べるために道具を使って狩りをすることを覚えます。それは他の動物を殺すということであるのと同時に、人間同士でも殺し合えるということでもありました。これが約10万年前。さらに年月を経て約1万年前になると、農耕を覚えます。そのために集落をつくって定住していく。定住することを覚えた人類は、やがて他の集落を襲い、奪い取るようなことも始めたわけです。

 人類はそうして現代まで脈々と生きてきたのですが、この間、いったいどれだけエネルギーを人間は使ってきたのか、というのを表したのが図24です。縦に伸びる帯は、それぞれの時代の人間が、一人あたりどれだけのエネルギーを使ったのかということを表しています。数百年前の原始人と呼ばれた人類は、ほとんどエネルギーを使っていません。

他の動物たちと同じように自然に溶け込むようにして生きていたからです。それが10万年前ぐらいになると、少しずつエネルギーを使うようになったいきます。それでもまだ大した量ではありません。人間にとってエネルギーが切っても切り離せないものとなっていくのは、集落をつくって定住し、農耕を始めたころからです。農業の高度化に伴い、エネルギーをどんどん必要としてくるようになったのです。
 
  そして左下から右上に向かって伸びている曲線は、それぞれの年に人類が使ったエネルギーの総量を表しています。これを見ると、人類はある時期から急激にエネルギーを使うようになったことがわかります。そのある時期というのはいつか。それまで農業は主に家畜を使っており、裕福な人減は奴隷に労働をさせていました。それが、ジェームズ・ワットたちが蒸気機関というものを発明して一変します。

つまり、18世紀の後半から19世紀にかけて起こった産業革命です。水を沸騰させて蒸気の力で機械を動かす。この機械を動かせば、それだけ生産力が上がるわけですから、家畜や奴隷が不要になり、かわりにエネルギーをたくさん使うようになりました。これがわずか200年前のことなのです。(次回へ続く)

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/21(木)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<~科学者の責任~ 七つの社会的罪> ※29回目の紹介

2016-01-19 22:11:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。29回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 3 科学者の責任 P252~

七つの社会的罪

 科学というものは、未知のものを知りたいという欲求に根ざします。すべての科学はそうやって今日までやってきました。未知のものを一つ知ると、その先にまた十の未知のものが現れる。それをまた知りたいという欲求があって、それを知ると、またその周りにもっとわからないことが広大に広がってくるという、それが科学の歩みでした。わからないものを知りたいと思う欲求は抑えることできないだろうし、これからも、科学は続いていくのだと思います。

 ただ、科学というものはやっていくと、そこから本当に困ることもたくさん発生してしまいます。先ほどのアインシュタインの例がまさにそうですが、大昔は戦争というと、ナイフを持ってお互いを刺して殺しあう、刀を持って斬り合う、そういう戦いでした。

身体に受けた傷の痛みだけでなく、猛烈な心の痛みも伴うわけです。でも、いまの戦争は違います。飛行機で行って爆弾をバラバラと落としてくる。原爆を落としてダーッと殺してしまう。もっと言ってしまえば、テレビを見ながらにして無人戦闘機を飛ばし、地球の裏側で人を殺すということができる。それをみんな、科学が支えてきているわけです。

 科学者は今も昔も、自分のやっていることは「真理の探究だ」と言って、それ以上のことにはかかわりたがりません。確かに科学は真理を知ろうとする試みですが、その結果が原爆になることもあるし、原子力発電になってしまうこともある。

科学や技術は常に社会のあり方と関係しており、どんな技術を開発し利用するかは、どのような社会を求めるかということにつながります。だから、知ってしまった知識をどうやって使うか、あるいは使わないのか、そして、もしそのようにして使った場合、一人一人の生きる人間にとってその影響がどのように現れるのか、それを科学者自身がしっかりと見極めて、抵抗しなければいけない時にはきちんと抵抗する。とても難しいことではありますが、それが科学に携わる者の責任だと私は思います。

 科学が見つけたものが社会で間違った形で使われてしまい、それがコントロール不能に陥った時、科学に携わっているものには、特別重たい責任があると私は思います。その責任をどうやって果たしていくか。それが私にとっての課題ですし、科学に携わっている人たちにもきちんと考えてほしいと思います。
 
  マハトマ・ガンジーの遺訓に「七つの社会的罪」というのがあります。
  
  理念なき政治
  労働なき富
  良心なき快楽
  人格なき知識
  道徳なき商業
  人間性なき科学
  献身なき崇拝
  
 今現在も進行している福島第一原子力発電所の事故は、この七つの罪にすべてが政治、商業、宗教などそれぞれの場で犯され絡み合って、引き起こされたのです。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/20(水)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<~科学者の責任~ アインシュタインの嘆き> ※28回目の紹介

2016-01-18 22:00:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。28回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 3 科学者の責任 P249~

アインシュタインの嘆き

 人類が初めて手にした技術は、狩りをするために使用した石器でした。それはやがて青銅器、鉄器となっていきます。槍や刀といった人殺しの兵器もどんどん生み出されていきました。

 人類の科学の進歩の過程で忘れてはならないのが、中世の錬金術です。錫を銀にできないかとか、亜鉛を金にできないだろうかといった試みです。金属を酸で溶かしてみたり、アルカリで溶かしてみたり、さまざまな原子を結合させて化合物をつくってみたりすることで、現在の科学のすべての基礎をつくるぐらい、科学が発展していきました。しかし、元素をお互いに変換することはできない。金は金、銀は銀である。それが結論だということがわかり、中世の錬金術は敗退したのです。

 しかしこれにめげることなく、科学は自然がどうやってできているかということを探り続けます。そしてある時、アインシュタインという一人の天才が現れます。彼は相対性理論というものを発見しました。すべての物質とエネルギーは等価だということを見つけたのです。

 アインシュタインは、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、米国に亡命していた科学者です。1938年の暮れにはドイツのオットー・ハーンがウランの核分裂反応を発見し、それが原爆になる可能性が多くの科学者にわかりました。

やはりナチスの手を逃れて米国に亡命していたシラードは、ナチス・ドイツが原爆の製造に着手しており、ナチスがもし原爆を完成させてしまうと世界は破滅する、何としても米国が先につくらなければならないと考えました。

そしてアインシュタインに当時の米国大統領であるルーズベルトに手紙を書かせ、原爆製造を検討するよう進言します。これを受けてルーズベルトは、原爆製造計画である「マンハッタン計画」を立ち上げました。5万人とも10万人ともいわれる人々が、あるいは労働者として、あるいは科学者として原爆の製造に携わることになりました。

大変に優秀な科学者が大勢集まったこの計画は何年にもわたり、当時の日本の国家予算を注ぎ込んでも足りないぐらいの巨額のお金が動きました。こうして出来上がったのが、トリニティ実験で炸裂させた原子爆弾でした。

 実験はニューメキシコ州の砂漠で1945年に行われて成功を収めます。そしてこのことが米国のトルーマン、英国のチャーチル、ソ連のスターリンという三国の首脳が協議のために集まっていたドイツのベルリン郊外にある小さな街、ポツダムに打電されると、トルーマンは、隣に座っていたチャーチルに、「とうとう原爆の製造に成功した。これで戦後の世界は我々のものだ」と耳打ちしたという逸話が残っています。1945年7月16日のことでした。

 しかし、1945年の初頭には戦争の帰趨は決しており、シラードは、原爆の実践使用をやめるよう、学者仲間で署名を集め、アインシュタインもルーズベルト宛に第二の手紙を書きました。しかし、ルーズベルトは4月に急死してしまい、手紙は届きませんでした。

ナチス・ドイツも5月に崩壊しました。原爆製造の意味はすでに失われていたのです。しかし、厖大な国家予算を注ぎ込んでいるため、原爆開発は止められませんでした。そしてその原爆は、日本の広島に落とされました。

 原爆投下の知らせを受けたアインシュタインは、「もし生まれ変わることができるなら、もう自分は科学者にはならない」と言って嘆いたと言います。

 科学というものは、学者の意図しないところでこんな恐ろしいことも引き起こすのだ、ということの一つの例です。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/19(火)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<~記憶の消去と情報の隠蔽~ 成立してしまった特定秘密保護法> ※27回目の紹介

2016-01-14 22:20:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。27回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 2 記憶の消去と情報の隠蔽 P244~

成立してしまった特定秘密保護法

 日本には、原子力基本法という法律があります。1955年に制定されました。この法律の基本方針にはどんなことが書いてあるのかというと、「原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」ということです。「平和の目的に限り」とありますが、実質的には核兵器をつくれる潜在的な力を持つのが狙いで、日本は今日まで大量のプルトニウムを貯め込んできていることはすでに書きました。念のため書いておきますが、これは、私が勝手に思っていることではありません。次の文章を見てください。

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 核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘を受けないよう配慮する。又核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する。
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  これは1969年につくられた「わが国の外交政策大綱」に書かれた一節ですが、日本はすでに45年前に、こういう方針を立てて原子力を進めてきたのです。

 また、あくまでも個人の見解としたうえで外務省の幹部が、日本の外交力の裏付けとして、「核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい」、「核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい」、「保有能力は持つが、当面政策として持たないという形でいく」、そのためにも「プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」という趣旨のことを新聞のインタビューで答えています。(『朝日新聞』1992年1月19日)。

 私は原子力の世界にいる人間として、原子力は徹底的に危険なものであり、しかもこんな危険な思惑が日本政府にあるのであればなおさら、しっかりと監視していかなければならないと思います。私だけでなく、約7割の国民が原子力に反対しています。そして、それをさらに上回る約8割の国民が反対する特定秘密保護法案を、2013年11月26日、自民党は衆議院本会議で強行採決しました。前日に開かれた福島での公聴会では、自民党の推進者を含む意見陳述者全員がこの法案に反対していました。ほかにも国連の人権専門家をはじめとする国際的機関・団体からも声明がたくさん上がっていました。原子力についても、特定秘密保護法案についても、これだけ多くの人が反対の声を上げているのに、その民意と世論にまったく耳を貸そうとしないのが自民党です。こういうような人たちに政治を任せてはいけないと強く思います。

 それで、この特定秘密保護法案が可決したことにより心配されるのが、原子力に関する情報が閉ざされてしまうことです。というのは、実はこの前年の2012年6月には原子力基本法が改定されています。先に紹介した基本方針に、第二項として次のような文章が付け加えられたのです。

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 前項の安全の確保については、確率された交際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康および財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

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 「安全保障」という言葉はみなさんよくご存知だと思いますけれど、「日本安全保障条約」と言うように、軍事的な専門用語です。つまり日本は、原子力をやるにあたって、「安全保障を目的としてやるんだ」というところにまで踏み込んできている。おそらく、1969年の「わが国の外交政策大綱」の、「核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」、すなわち、日本というこの国が核兵器を持つか持たないかということは、政策の問題だし、利害得失に基づいて決定されるのだということを国民にちゃんと知らせよう、ということをいよいよやり始めたのだと思いますが、「我が国の安全保障に資する」という言葉が入れば、特定秘密にすることが可能なわけです。原子力の情報というのはこれまでも出なかったけれども、この法律が施行されることになれば、ますます出なくなるでしょう。

 戦前の治安維持法の下では、たくさんの人々が殺され、ついに戦争を止めることもできませんでした。その反省を受けて、日本の憲法が作られました。その前文に書かれていることを、ここで改めて確認しておきます。

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 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
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 国家の行き過ぎた権力行使を監視するのが国民の役目であって、公民の自由、人権を侵害してはいけないという大きなルールの下、個人のプライバシーを国家が保護するのは当然のこととしてあっても、国家が国民の知らないところで秘密をつくり、個人を罰するというのは最低、最悪のことです。本当にひどい国だと思います。でも私は、それでも萎縮せずに生きようと思います。たった一度の人生ですから、歴史と事実をしっかりと見つめて、騙されないようにする。脅しに屈しないようにする。そして自分のやりたいことの思いに忠実に生きていきたいと願います。これからも、私は私らしく生きようと思います。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/18(月)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<たくさんの命が福島の事故で奪われた> ※26回目の紹介

2016-01-13 22:00:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 *『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。26回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より

 

たくさんの命が福島の事故で奪われた

「そんなことを言って、福島の事故で死んだ人などいないじゃないか」という人が、原子力を進めている人たちの中にはいるのだそうです。私はそれを聞いてずいぶん驚きました。死んだ人は山ほどいます。

 例えば、福島第一原子力発電所が立地している大熊町には、双葉病院という大きな病院がありました。発電所から4キロほど離れたところです。その病院と関連施設に早く440人の患者が入院していました。そして原発で次々と爆発が起こり始め、放射能が噴き出して線量計の値がどんどん上がっていく。そのうち警察官すらが、もう逃げるしかないと言い出した。入院患者を動かすのは大変なリスクが伴いますから、病院の関係者は本当に困ったと思います。

でも放射能が襲ってくるので、逃げないわけにはいきません。ストレッチャーに乗せて下に下ろす、そして車に乗せて逃がそうとする。猛烈な苦労をしながらやりました。しかし移動中に次々と患者が死んでいく。そうして45人が亡くなってしまいました。(『毎日新聞』2011年4月26日)。

 こういうことが起きたのは病院だけではありませんでした。一般の民家でも、自分で動くことのできない人たちは、そのまま誰の助けも得られないまま、そこで死んでいきました。避難しろといわれて避難所に送られた人たちの中でも、お年寄りを中心にしてたくさんの人が命を落とすということになりました。

 それからこんな人もいます。原発周辺で酪農をやっていた人ですが、牛舎の壁に「原発さえなければ」と書き遺して首を吊って死にました。また自分が育てたキャベツ畑で放射能まみれになったキャベツを見ながら、その場で縊死した人もいました。

 死んだのは人間だけではありません。酪農家にとっては家族も同様の牛や馬や豚、それに犬や猫といったペットまでもが置き去りにされて次々と斃れていったのです。中には囲ったまま死なせるわけにはいかないということで解き放った人もいて、人がいなくなった町に動物たちがさまよっています。これを政府は、汚染地から外に出てきたら大変だといって殺戮するのだそうです。いったい、この動物たちにどんな罪があったのだろうかと思いますけれども、人間の手で次々と殺されていくということが、今現在も進行しているのです。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/14(木)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<「原子力ムラ」は犯罪者集団である> ※25回目の紹介

2016-01-12 22:14:31 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。25回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」

 1 原子力マフィア P234~ より


「原子力ムラ」は犯罪者集団である

 みなさん、すでにお気づきだと思いますが、本書において私は、原子力を推進する大きな権力組織に対し、これまで使ってきた「原子力ムラ」という言い方をやめて、かわりに「原子力マフィア」という表現を使っています。最近「原子力ムラ」と呼ぶことが正しくないと思うようになったからです。というのも、村というのは、いろいろな人が詰まって、いわゆる共同体をつくる組織ですけれども、これまで私が「原子力村」と読んできた組織は、確かにその一面はあるのですが、単なる共同体というよりは犯罪者集団だと思うようになったのです。

 日本で原子力は、国がまずやると決めました。そして電気事業法を定めて、原子力発電をやればやるだけ電力会社が儲かる仕組みをつくって、電力会社を引き込んだ。日立、三菱、東芝という日本を代表する巨大産業も、原子力から儲けを得ようとし、その周辺にはゼネコンをはじめ、さまざまな企業が群がった。マスコミも、学者も、裁判所も、それに労働組合までもが一体となって原子力を進めてきた。

そしてその誰もが、原子力が巨大な危険を抱えていることは知っていたー。その証拠として、彼らは原子力発電所だけは都会に建てずに、財政が困窮した地方の町や村に押しつけてきたのでした。にもかかわらず、誰も原子力の暴走を止めようとしなかった。そして福島第一原子力発電所で取り返しのつかない事故が起きてしまいました。

 この、原子力をめぐる動きは、先の戦争とそっくりだと思います。かつての戦争の時も、軍部の中にさえ、その戦争が決して勝てないものであることを知っていた人がいたのに、誰もそれを口にできませんでした。ほとんどの人は大きい流れに呑まれて流されてしまったわけです。

 同じように、権力と金にものをいわせて弱者の口をふさぎ、原子力推進の旗を振ってきた「原子力ムラ」は、犯罪者集団以外の何者でもありません。まさに「原子力マフィア」と呼ぶにふさわしいものだと私は思います。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/13(水)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<~原発は差別の象徴~ 無責任な原発> ※24回目の紹介

2016-01-07 22:06:15 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。24回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 8 原発は差別の象徴 P229~ より


無責任な原発

 原発は、圧倒的に危険で破壊的な機械です。そのことが、残念ながら福島第一原子力発電所事故で実証されてしまいました。しかし、私が原発に反対するのは単に危険だからではなく、原発が徹頭徹尾、無責任で社会的弱者に犠牲を強いるからです。他者の犠牲の上にしか成り立たない、差別に基づかなければできないという、そういうものに私は反対しています。

 ①平常運転時での95パーセント以上の被曝は、下請け・孫受け労働者に負わされる。電力会社のエリート社員は、被曝労働を下請けに押しつける。
 
 ②原子力発電所や核燃料サイクル施設は、掛かる危険が大きすぎるため、電力の恩恵を受ける都会にはつくることができず、過疎地にしわ寄せした。

 ③事故が起きてしまえば、今、福島の被害者が経験しているように、広大な土地が失われ、故郷を奪われた人々は、生活を根こそぎ破壊されて流浪化してしまう。その周辺の人々も汚染地に棄てられ、被曝を強いられる。

 ④仮に事故が起きなくても、ウランを核分裂させてしまえば、核分裂生成物と呼ばれる放射性物質が大量に生み出される。いつか何とかなるだろうと期待されたが、人類はいまだにその無毒化の手段を持っていない。その毒物は百万年にわたって生命環境から隔離しておかなければならず、今はこの世になく、選択権もない未来の人々に押しつけることになる。「未来犯罪」と呼ぶべきだろう。

 私たちが自らの責任をきちんと取ろうとするなら、そして未来の子供達にツケを回さないと思うのであれば、私たちは他の人々を犠牲にするという、そういう差別を生む原子力、原子力的なものは棄てるということが必要なのだと思います。電気が足りようと足りなかろうと、経済が発展できようとできなかろうと、原子力などやってはいけないのです。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/12(火)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<~原発は差別の象徴~ 電気の恩恵を受けない人が犠牲を強いられる> ※23回目の紹介

2016-01-06 22:01:07 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。23回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 8 原発は差別の象徴 P225~ より


 電気の恩恵を受けない人が犠牲を強いられる

 小泉純一郎元首相が「原発即時ゼロ」と発言したことで、日本国内に波紋が広がっています。私は、人が人を差別することは許せないと思って生きてきましたので、弱者を切り捨てる小泉構造改革を断行した小泉さんは嫌いです。ですが、「最終処分場の目処がつかないのだから原発は止めるべきだ」という論理が正しいのは明らかです。自民党もしくは自民党を支持する政財界、電力業界の人々はこの発言を無責任だと言っていますが、処分場の問題を先送りにして、目先の利欲を満足させようということのほうが、よっぽど無責任だと私は思います。

 それで、国会議員は最終処分場についてどのように考えているのかということですが、2013年12月20日号の『週刊朝日』に、原発政策について全衆議院議員に行ったアンケート調査の結果が掲載されており、これを見ると、アンケートを送った480人中きちんと回答して送り返してきたのが110人、そのうち「高レベル放射性廃棄物の地層処分」という項目に答えていたのは58人で、その回答内容は、「日本では無理」が28人、「必ず日本に建設」が21人、「日本に建設しなくても解決方法は存在する」が9人となっていました。

回答した半分以上の方が、日本ではないところに放射能のゴミを棄てようというのです。どこでしょうか? 海はダメです。 宇宙もダメです。 となれば、どこかよその国の土地、ということになります。

 実は原発の海外セールスで日本は、ロシアや韓国との競争に負けないように、原発から出た核のゴミを引き取ることをセールスポイントにしています。自分の国で出たゴミも棄てる場所がないのに、どうするつもりなのかと思ったら、もともとウランを掘り出したその場所に送り返すというのです。

 大変不思議だと私はいつも思うのですが、ウランが出る場所というのは、米国の場合もそうですし、オーストラリアの場合も、インドでもモンゴルでも、ほとんどが、いわゆる先住民と言われる人たちの住んでいるところなのです。この人たちは、もちろん電気の恩恵はほとんど受けていないわけですが、労働者として駆り出されて働いて被曝をし、使い終わったウランのゴミを投棄されてまた被曝をするという、そういう歴史がずっと続いています。

 日本は一時、具体的な核のゴミ棄て場の候補地としてモンゴルを挙げており、モンゴルが拒否したためにその話はなくなったようですが、日本という国は、本当に恥ずかしい国だと思います。

 先のアンケート結果と併せて、福島県の被災地から選出された自民党の坂本剛ニ議員による次のようなコメントが載っていました。

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 私は「オンカロ」のような最終処分場を国内に作らなければならないと考えていますし、その際は首都機能移転とリンクさせるべきだと以前から訴えてきました。残念ながら、なかなか反響を呼びません。

 最終処分場が作られるのは最も地盤の安定した場所です。つまり首都機能を移転させるのにも理想的なのです。新しい国会の真下の廃棄物を馳走処分し、その上で国会議員が働く。

 国民に「安全である」とわかってもらうためには、それぐらいの覚悟を議員が示す必要があるのでないでしょうか。

『週刊朝日』(2013年12月20日号)掲載記事「国会真下にオンカロを」より
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 まったく、私もそのとおりだと思います。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/7(木)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<日本は原発後進国> ※22回目の紹介

2016-01-05 22:18:16 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。22回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 7 日本の原子力技術はあてにならない P220~ より


日本は原発後進国

 それから、「日本の高い原子力技術が海外に流出する」と心配する記事を時々新聞などで読みます。誤解している方が多いようなので言いますと、日本の原子力技術は決して高くありません。日本の人たちは、日本が科学技術先進国だと思っていて、原子力の世界でも日本が世界の最先端を走っていると思い込まされているわけですけれども、決してそんなことはないのです。原子力技術ということでは、むしろ日本は後進国です。

 1977年に東海再処理工場をフランスにつくってもらいましたが、その時点では英国とフランスの再処理工場に頼っていることはすでに書きました。そして、東海再処理工場で少しずつ技術を学び、六ケ所処理工場こそは独自の力でつくろうとしたのですが、結局つくれずに、またフランスに頼んでつくってもらいました。しかしそれではあまりに格好がつかないということで、再処理をした時に出てくる高レベルの放射性廃液をガラス状に固めるその部分だけでもなんとか日本の技術でやろうとしたのですが、それが上手くいかずに現在は停止したままという状態になっています。

 それから、1999年に茨城県東海村の核燃料加工施設で臨界事故が起こりました。「東海村JCO臨界事故」と呼ばれるものです。(中略)

 事故の原因は、現場の作業員がマニュアル通りにやらなかったからだとされていますが、原子力を推進してきた人たちは、原子力の現場というのは、フェイルセーフ、フールプルーフ、つまり、何か故障が起きても安全だし、作業員が馬鹿なことをしても大丈夫なんだと言ってきたのです。

作業員がマニュアルと違うことをやったのは事実ですが、そのようなことがあったとしても臨界などにはならないように、もともと工場をつくらなければならなかった。私は、そんな工場にお墨付きを与えた学者、あるいは、政府に責任があると思います。しかし彼らは一切の責任をとらないまま、作業員にすべての責任を押し付けて、この事故に幕を引いてしまいました。ともあれ、日本が世界の常識であるウランの基本的な管理さえできない国だということです。

 そして日本はこれまで58基の原子炉をつくってきました。どれも絶対に安全ですと自民党がお墨付きを与えたものですが、その原子炉で大小含めてたくさん事故が起こりました。そして2011年3月、本当に残念なことに、福島第一原子力発電所で過酷事故が起こってしまいました。以来3年近く経った今でも、収束の方策すらわからないまま、たくさんの作業員たちが被曝をし続けてしまっていますし、放射能が環境に流出することを止めることもできない、という現実が目の前にあるのです。(中略)

 原発の海外輸出は、企業が巨額なリスクを背負うことにもなります。例えば三菱重工業は、米国カルフォルニア周のサンオノフレ原発に納入した蒸気発生器の配管から放射性物質を含む冷却水が漏れて廃炉となり、2013年10月に発注元の南カルフォルニア・エジソン社から廃炉費用を含む40億ドル(訳4100億円)の損害賠償を請求され、裁判で争うことになりました。これは、三菱重工業の2012年度の経常利益の3倍近い額だそうです。また、原発先進国であるフランスのアレバ社(三菱重工業と提携)でも、2009年にフィンランドで新型原子炉を受注したものの、工事の遅れや安全性を高めるための費用がかさんで賠償請求を起こされてしまい、資金を工面するための部門の一つを売却したという事です(『朝日新聞』2013年12月2日)。

 賠償にリスクだけではありません。同じ記事によれば、最初の受注の仮約束のようなもので、大枠で合意してから地質などの自然条件や経済性の調査を数年かけて行うといいます。そこで万一、その建設予定地に活断層でも見つかれば、本契約には至らないこともある。それなりに企業体力がなければ、できるものではありません。

 安倍首相は満面の笑みを浮かべてセールス活動に励んでいるようですが、原発を海外に売るということは、売れば売っただけ、地球上に原発事故が起きる可能性を広げることになります。また、同時に核兵器を拡散し、世界に平和を脅かすことにもなりかねません。そしてさらに、原子力メーカーが抱えることになる大変なリスク。これらの事の重大さをどれだけわかっているのか疑問ですが、表層的な儲け話を進める前に、まずは日本の原子力技術の対して検挙な目を向けること、そして海外に原発を輸出するとはどういうことなのか、それが何を導くことになるのか、常識的な視点で捉え直し、想像力を働かせるべきだと思います。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/6(水)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<核技術の輸出に奔走する日本> ※21回目の紹介

2016-01-04 22:00:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。21回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 7 日本の原子力技術はあてにならない P218~ より


 核技術の輸出に奔走する日本

 日本は今、安倍首相をトップセールスマンとして、海外に原発を売り込むことに躍起になっています。すべての原発が止まったまま再稼働の見通しが立たず、新しい原発も立てられそうにないことから、日本の原子力産業は、生き残りを海外輸出にかけざるを得ない状況に追い込まれているのです。

しかし、原発というものは自分の国では引き受けることができなほどの危険を抱えていることをわかっているわけです。それを、こともあろうに世界の平和を心から願う憲法を持つ日本人が外国に押し付けるということは、やってはいけないことだと思います。

 東欧や新興国では原発の需要が特に高まっていて、2030年までに90~370基をつくる見込みだといいます。なぜ、こんなに原発を欲しがるのでしょう?

>私には純粋に電気を起こすことだけが目的であるとは思えません。前にも書きましたが、やはり核兵器を持ちたいということだと思います。

 原子力と核という言葉が日本では使い分けられていて、原子力は平和利用、核は軍事利用という響きがありますが、これらは同じものなのです。日本が原発を始めたのも、表向きは平和利用と言いながら、本当の狙いは核兵器の材料であるプルトニウムを得ることでした。

 原子力というのは核です。

 核兵器そのものなのです。

 ですから、原子力技術を輸出するということは、各技術を輸出するのと同じなわけです。大変遅ろ押しいことに日本は手を染めているのです。さらに、原発の燃料には濃縮ウランが使われますが、この濃縮ウランを取り出した後の劣化ウランで、米国は戦争の道具をつくりました。それを実際にイラク戦争で使用しました。劣化ウラン弾です。

日本は米国にウランの濃縮を依頼していますので、日本のウランが戦争で多くの人々を殺めるのに加担した可能性は十分あり得ます。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/5(火)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』<日本政府の野望と米国の思惑> ※20回目の紹介

2015-12-29 22:00:00 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。20回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 6 力の論理で平和は築けない P211~ より


 日本政府の野望と米国の思惑

 今、世界を支配しているのは国連です。国連というのは英語で言えば「ユナイテッド・ネイションズ(United Nations)」です。これを正しく和訳し直せば「連合国」となり、つまり、先の戦争で、ドイツ、イタリア、日本を相手に戦っていた国々の連合国が今の国連なのです。国連憲章の中には敵国条項というものが存在しています。これは、ドイツ、イタリア、日本という国は敵国なので、それぞれの連合国側の国がどう対応しても構わないという内容です。

そんなものがいまだに残ってるのです。連合国には約50ヶ国が参加していましたが、その中でなぜ米国、ロイア、英国、フランス、中国が常任理事国になれたかといえば、彼らが核兵器を持っていたからです。核兵器を持つことが現在の世界を支配するための決定的な条件になってしまっているということになります。核兵器を持つことが、世界で力を持つためにはどうしても必要だと考えるのは、あたりまえのことです。

 これらの常任理事国は、核兵器を自分たちは持っているけれども他の国には持たせないというので核不拡散条約をつくって、自分たちだけが独占できるようにしました。そしてIAEA(国際原子力機関)という国際的な”原子力マフィア”をつくって、他の国を監視する体制をずっとつくってきました。そうすると、他の国は面白くありません。

何としても核兵器を持って、自分も世界を支配する国々の仲間入りを果たしたいと思うのは当然の成り行きです。ゆえに、「世界を支配するためには核兵器が欠かせない」という考えにとらわれてしまっていて、世界の国々の指導者の多くが、核兵器を持ちたいと願っているのだと思います。

 この考えにはもちろん、日本の政府自民党もとらわれていて、実際、米国と日米原子力協定(原子力の平和的利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」)を結び、平和利用の名目でウラン濃縮、原子炉、再処理という核兵器を製造するための3つの技術を手に入れてしまいました。日本という国は世界で唯一、核兵器保有国ではないのに実質的な核保有国になったという、非常に特殊な国なのです。

米国がなぜこんなことを認めたかといえば、この日米原子力協定は、そもそも日本が米国のいわば属国になっていくという、日米安全保障条約と日米地位協定の流れをひくものであり、米国にしてみれば、日本が属国である限り、ある程度の自由は認めておいてやろう、と、そういう枠組み内での協定だからです。

 ただ米国も、さすがに3つの技術のうちの再処理については、日本にやらせるのはまずいと反対していました。なぜなら再処理というのは核兵器の材料であるプルトニウムを取り出す技術ですので、この技術を持てば、いつでも核兵器をつくれるようになるからです。一方、日本は、だからこそなんとしても再処理をやりたかった。

それで、1977年当時は、米国が核兵器の拡散防止策として使用済み核燃料の再処理を行わないことを全世界に呼びかけようとしていたところで、かなりきわどい争いになりましたが、最終的に日本は、一度分離したプルトニウムをウランと混合させるという条件をつけて、米国の了承をとりつけたのです。つまるところ、「日本ならいいだろう」ということです。そうしてようやく、フランスの支援で東海再処理工場が動き出した、と、こういうことなのです。フランスの支援を受けたのは、米国が先の防止策を率先してすでに商業用の再処理から手を引いていたためです。

 そして現在に至っても再処理技術は確立しておらず、高速増殖炉も完成しておらずといった状況ですが、日本とすれば、たとえ上手くいっていなくても、やっと手に入れたものを、そう簡単に諦め、手放すことができないわけです。それで、ひとまず再処理だけは英国とフランスの工場に依頼してずるずるときた結果、長崎原爆を4000発も作れるほどのプルトニウムを貯めこむことになった。

これを世界が容認するはずもなく、なんとしてもプルトニウムを燃やすしかないということで、無理に無理を重ねてプルサーマルという何のメリットもないことをやらざるを得ないところまで追い詰められてしまったことは、すでに説明したとおりです。

 世界の国々、特に韓国やイランといった国々は、米国に対し、日本だけを特別扱いしていることをダブルスタンダードだと言って、非難しています。それでも米国が表立って日本に原子力から撤退させようとしないのは、属国である日本を利用したいと思っているからです。何に利用したいのかといえば、金儲けです。

 米国は、1974年に原子力から撤退を始めており、すでに原子炉を生産するラインを失っています。ですが、原子炉のパテント(特許、特許権)は持っているわけです。

 それから、ウラン濃縮工場をたくさんつくりすぎてしまったために、濃縮ウランも山ほど余っています。だから、とにかく原子炉を売りつけて、ついでに核燃料も売りつけて、と、売れば売るほど儲かる。日本を原子力という、そういう世界につなぎ止めておくことによって、日本の生産ラインを動かし、アジアの国々にも販売して、それでまた金儲けをしようと企んでいるのです。また、中国への牽制になるということも計算に入れているでしょう。

それで日本はどうかというと、日本も世界を牛耳る米国の属国という枠組みから出たくないわけです。原子力メーカーも、すでにつくってしまった生産ラインがあるので、もうこうれ以上は原子炉を日本でつくれないとなっても、もやは原子炉をつくることから脱けられない。だから海外へ売ろうとする。このように、国家としての思惑、企業としても思惑とが複雑に絡み合って、日米両国ともに原発から離れられずにきているのです。

 日米原子力協定は2018年に期限が切れますが、これは破棄するべきだと思います。また原子力協定だけでなく、地位協定だって破棄するべきですし、日米安保条約だって破棄するべきだと思います。こんなことを続けていては、かえって国力を衰退させてしまいます。日本は米国から、本当の意味で独立していかなければいけません。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/4(月)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』< ~しわ寄せを受けるのは国民~  反省しない人々> ※19回目の紹介

2015-12-28 22:18:41 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。19回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 4 しわ寄せを受けるのは国民 P195~ より


 反省しない人々

 福島第一原子力発電所の事故を引き起こした一番の直接的な責任は、東京電力にあります。そして、この事故を収束させる、あるいは今現在、苦難のどん底に落とされている人々にきちんと賠償しようと思うのであれば、東京電力が何十回倒産しても足りない被害が出ていると私は思います。その東京電力を、今、政府は国のお金を注ぎこんで生き延びさせようとしているわけですけれども、まずはそんなことはしてはいけない。

東京電力にはきちんと責任をとらせて倒産させるべきだと思います。そのうえで、もともと福島第一原子力発電所が安全だとお墨付きを与えて、原子力を進めてきた最大の犯罪者である政府自民党が責任を取り、間違いを謝罪して、どういう組織をつくって事故の収束にあたるのかを真剣に考えて国民を納得させ、それから国費を投入するというのが筋だと思います。

 そういう順番を踏まないどころか、東京電力は会長、社長以下、重役も現思慮億を推進してきた責任のある人たちもまったく責任をとらないまま、生き延びてしまっている。そしてまた自民党も、まったく無傷で生き延びてしまっている。経済産業省の役人たちも、原子力の旗を振ってきた学者たちも、まったく誰も責任をとらないまま生き延びている。

それでいて、汚染水対策でも除染でも、何か偉そうに国の責任でやるということを言っているわですね。責任をとるといってどういう責任をとるのかといえば、国のお金を使う、つまり、私たちの税金をことわりなしに使うと言うのです。何を言っているのか? いい加減にしてほしい、と私は思います。

 さらに驚いたことには、2011年3月、福島第一原子力発電所事故が起きた直後に、経済産業省が原発推進案をつくり、それがエネルギー政策にかかわる幹部級に配られていたことが明るみに出ました(『朝日新聞』2013年12月2日)。しかもその内容が、「原子力の再生」、「原発輸出の再構築」を目指すというもので、自民党が政権を奪還して以来、安倍首相がとってきた政策と重なります。

そしてつい先日、東京都知事選の選挙活動期間中には、電気事業連合会が原発推進派の自民党議員に、原発増設、および原発事故の際の賠償責任を電力会社ではなく国が負うよう促す文書を配っていたことも発覚しました(『朝日新聞』2014年1月31日)。これだけの事故が起きているにもかかわらず、まったく反省する態度を見せないどころか、事故を横目に原子力をやるという方針をますます強めようとしているのです。呆れた話です。

 まずは、自分達のやってきたことについて、きっちりと責任を明らかにして、それを精算するのが初めだと思います。そうでなければ、どうせ今の国のシステムー経済産業省とか、原子力規制委員会というものもできましたけれどー、そんなところに任せていたら、どちらにしても事故の収束はできません。ただ、ただ、私たち国民の税金が無駄に捨てられることになると思います。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、12/29(火)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)

 


『原発ゼロ』< 原発は発電時もCO2を放出している> ※18回目の紹介

2015-12-24 22:04:41 | 【原発ゼロ】著者:小出裕章

 『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。18回目の紹介

『原発ゼロ』著者小出裕章

原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。

  原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。

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**『原発ゼロ』著書の紹介

 「第5章 これでも原発を続けるのですか」

 3 原発はクリーンなエネルギーではない P186~ より


 原発は発電時もCO2を放出している

 原発は二酸化炭素を放出しないクリーンなエネルギーだと信じて疑わない方が今もいらっしゃるようです。でも、本当は原発を稼働させる時に、大量の二酸化炭素(CO2)を放出しています。

 核分裂反応は、確かにCO2を生みません。しかし、核分裂をするウラン燃料をつくるためには、ウラン鉱山でウランを掘り、それを精錬、濃縮して核分裂性のウランを集め、原子炉の中で燃えるように加工しなければなりません。それから発電するための施設もつくらなければなりませんし、その出来上がった施設に燃料を運ぶこともしなければなりません。

さらに使用済みの核燃料は、中間貯蔵施設から、まだ場所は決まっていませんが、どこかの最終処分場へ輸送しなければなりません。そしてその使用済み核燃料は1000万年間保管しなければなりませんが、保管する間は化石燃料を使用して空冷することになります。このすべての過程で厖大なエネルギーが消費され、大量のCO2を放出します。

 原発推進派の人たちもこのことは十分に知っており、日本広告審査機構(JARO)も、2008年に「原子力発電は、(中略)発電の際にCO2を出さない”クリーンな電気の作り方”です」という広告表現が不適切であるという裁定を下してします。

そのため最近は、「原発は、発電時には二酸化炭素を放出しない」と表現を変えています。しかし、実はこれもウソだということがわかりました。自治労大阪府職員関係労働組合環境農林水産支部の末田一秀さんという方が、温暖化対策推進法に基づく「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」により集計公表されている2006年度から2008年度の全データの開示を求め、解析して、原発が発電時にもCO2を排出していることを数値で示してくれました。

 表8(188~189ページ)を見て下さい。これは末田さんが論文に発表した数値を表にしたもので、「発電所等配分前」の欄に示されたのが発電時のCO2排出量です。沸騰水型原子炉に限ってCO2を排出しているのは主要設備である補助ボイラーが、燃料の重油を常時燃やしているからだとしています。

また同じ論文には「核燃料施設等からの温室効果ガス排出実績」(表9)も掲載されており、この表を見ると、2003年に運転を終了して廃炉作業中の「ふげん」からも、CO2がコンスタントに排出されているのがわかります。そして、これら2つの表の2008年度のCO2総排出量を合計すると約116万トンになるのですが、この値が、山梨県の全事業所が1年間に排出するCO2量(都道府県別で下から3番目)と、ほぼ同じだということです。

続き『原発ゼロ』著書の紹介は、12/28(月)22:00に投稿予定です。

原発ゼロ (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-3)