原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※20回目の紹介

2015-02-02 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。20回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※19回目の紹介

「Kチーム」の草案を作ったY氏は05年に主任研究員に就任するなど、JAEA内でもそのまま出世している。JAEAはしきりに動燃からの「生まれ変わり」を強調するが、とうてい鵜呑みにすることはできない。


 章の冒頭に登場したX氏は、第1章で取り上げた方面地区の残土問題については雄弁に語った。しかし、この章で追求した「Kチーム」については、自ら参加していたことを認め、その決済書類に自ら印鑑を押しているにもかかわらず、その詳細については、

「知らない、本社がやっていた」

と途端に口が重くなった。取材班から資料を受け取ったその手は、小刻みに震えていた。

 取材班は「Kチーム」の分析を進めるなかで、<選挙対応組織表>という驚くべき資料を発見した。

 そこでは、人形峠事業所の幹部K・M氏 (当時)が、総括責任者としてトップに立ち、そしてその下の段、組織のナンバー2である事務局長としてX氏の名前があったのだ。

 資料には<動燃従業員及び配偶者の選挙区別有権者数一覧表><動燃協力業者の選挙区別有権者数一覧表>という書類も添付されていた。これは、動燃や協力会社の従業員の居住地から、岡山県と鳥取県の市町村ごとに「有権者数」として細かくカウントしたものだった。協力会社は具体名まで記述されている。この資料が選挙の票読みに使われるものであるのは一目瞭然だ。

 X氏が、なぜ震えたのか。触れてはいけない「闇」がそこにあるというのか。

 だが、この程度の政治的な「工作」は、動燃にとって序の口だった。「西村ファイル」には、「原子力ムラ」と政界の関係の本質に迫る大量の資料が隠されていたのだ。

※「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」の紹介は、今回で終了します。

※2/3(火)22:00から、「東京ブラックアウト」著者(若杉冽)の「プロローグ」、「第1章 避難計画の罠」の紹介を始めます。

Amazon カスタマーレビュー )から
恐ろしい本です。小説という体裁はとっていますが、帯に「95%ノンフィクション」とあるように、限りなく現実に近い話でしょう。これを読んでも、原発再稼働に賛成と言えるでしょうか。一人でも多くの国民に読んでほしい本です。

作中に登場する資源エネルギー庁次長の日村直史は、経産官僚の今井尚哉氏だと、国会議員の河野太郎氏がTwitterで言及しています。現在、安倍首相の政務秘書官を務めている人物です。

( 「東京ブラックアウト」)から
「バ、バカ野郎!おまえは知っているのか? かつて新潟県の泉田知事が、たった400人を対象に避難訓練をしただけでも、その地域には大渋滞が起こったんだぞ!・・・あと数時間で、東京の都市機能は失われるっ。いいか、これは命令だ・・・」
・・・玲子は絶句した。いつも冷静でクールな夫が、15年の結婚生活で初めて見せる取り乱しぶりだったからだ。

東京ブラックアウト(若杉冽)

原発ホワイトアウト(若杉冽)

過去に紹介した記事(【原発ホワイトアウト】終章 爆弾低気圧(45) )から

救いがあるとすれば著者・若杉冽氏の次の言葉だ。
「まだまだ驚くべき事実はたくさんあるのです。
こうした情報が国民に届けば、きっと世論のうねりが起きる。
私が役所に残り続け、素性を明かさないのは、情報をとり続けるためです。
さらに第二、第三の『若杉冽』を世に送り出すためにも」


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※19回目の紹介

2015-01-30 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。19回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※18回目の紹介

 ーノルマのある「やらせ投書」の指示もあった。

「それは、はっは(笑い)。行き過ぎじゃないかと思う。そんなことあったかな、本当に。してないと思う。どこの地方でも(メディアに反対意見を)投書するのはだいたいマニアで、そういう人達との論戦は必要。職員が一般人として投書することは何もおかしくないし、それなら、このときだけじゃなく、いろんなところでやっていますよ」

 ーつまり、動燃の職員として、堂々と論戦しろという指示だった?

「いや、おかしな投書にたいしては事業者としてちゃんと答えることは必要だし、それ以前に、我々も一般住民だから、市民としてこういう考えだと投稿することは何もおかしいことじゃない」

 ー文書を見る限りでは、職員に一般市民として投書させたと受け取れる。世論操作ではないか。

「それはない。それは全然違う」

 ーKチームとは、結局何のために作ったのか。

「回収ウランのテーマをスムーズに、短期間にやりましょうというチームですよ」

 ーしかし文書には「組織的な挑戦」とも書いてある。秘密チームを作って、反対派に対抗したとしか読めない。

「なんてことはないですよ。足で稼ぐというか、自治体等に『今回運ぶモノはこんなものですよ』と説明に回ることが多かったですね。『反対派のいうことは事実ではありませんよ』と、チームを組んで自治体をグルグル回るのが仕事ですよ」

 ーそういった中で、接待等にお金が必要だった?

「接待なんてありえない。そんなことでできるなら苦労しないですよ」


◎X氏が震えたさらなる深い闇

 本誌が改めてJAEA広報部に事実関係について質問すると、こう文書で回答した。

<原子力機構は、旧動燃が動燃改革を経て旧サイクル機構として生まれ変わり、その後に旧原研と統合した組織であり、基本方針に「社会からの信頼」、行動基準に「社会とのコミュニケーションを通じ、業務の透明性の向上に努めるとともに説明責任を果たす」と定め、徹底的な相互理解のうえでの業務推進を基本としている。なお、旧動燃時代については、現時点ではわからない。また、個別の人事についてはお答えできない>

 実はこの回答、前章で掲載したものとほぼ同一の内容だ。

 人形峠の回収ウラン転換実用化試験は、最終的に計画どおりに行われた。回収ウランが茨城県から岡山県へ輸送された時は、多くの住民が沿道で抗議活動に参加した。しかし、結局、この実用化試験は、動燃が核燃料サイクル開発機構と名を変えた後の2001年まで続いた。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、2/2(月)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※18回目の紹介

2015-01-29 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。18回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※17回目の紹介

 菊池氏は、65年に京都大学工学部原子核工学科を卒業。その後、原子燃料公社(67年の動燃発足に伴い吸収)に入社し、動燃の核燃料部計画課長、企画部調査役、企画部次長、秘書役、企画部長を経て、95年のナトリウム漏れ事故直後から「もんじゅ」の所長を務めた人物だ。

 動燃のスポークスマンとしてメディアにたびたび登場し、”ミスタープルトニウム”とも呼ばれる。約50年もの間、「原子力ムラ」で過ごしてきた”原発推進派”の中核を担ってきた人物である。

 そんな菊池氏は、なんと答えるのか。取材班は、菊池氏にも直撃した。

 ーKチームの最高責任者は菊池市では?

 「誰の発案ってことではなく、何かを短時間に実現するために、ひとつの連帯チームが必要だと私が言った記憶はあります」

 ー菊池氏が一番詳しいと聞いたが。

「え、そうだったかな。Kなんて(イニシャルは)いっぱいいるよ」

 ー(文書をみせながら)「予算をプールする」とは裏ガネの意味か?

「プールっていうか、補正予算みたいなものだからね。年度の最後だから、新規に何かやるなら(各部署からカネを)集めるしかない」

 ー内部でも秘密の組織だからプールしたのか?

「いや、秘密っていうか、皆さんの取材と同じですよ。何かやるならチームを組むでしょ。回収ウランが大きなテーマで、成功させましょうというチームですよ」

 ーではなぜ「プールする」と書いてあるのか。

「それは、書いた人の趣味でしょう。でも、仕組みとしては、そうせざるを得ないじゃないですか。年度の最後だから(各部署からカネを)集めることになるでしょう」

 ー1ヶ月で数千万円も、何に使ったのか。

「回収ウランの輸送の準備とかいろいろかかったんじゃないか。実際にどれくらいかかったかはわかりません。一般的にはそんなにかからないでしょうけど。実際の額はわからない」

 ー岡山市内に事務所を作った?

「それは、県庁との連絡が必要ですから。そんなのどこでもやるでしょう?どこの会社だって官庁対応の営業所とか事業所は作るじゃないですか」

 ータレントを使い「洗脳」するとの記述もあった。

「(資料を書いた)Yがしたいと思ったことを書いただけじゃないか。彼は現地の先鋭部隊ですから。そういうのをコントロールするのが私の役目。やりすぎな部分は止めますよ」

 ー石原慎太郎氏の名前も出てくるが。

「ないですよ。石原さんなんて来るわけないですよ」

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/30(木)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※17回目の紹介

2015-01-28 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。17回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※16回目の紹介

 ー「Kチーム」とは何か。

「(驚いて)どこで調べたの? そんな話。Kチームといっても大したことはしてない。回収ウランは問題ないと、近隣市町村に説明に回っただけ。それだけのことです。資料も見た記憶がない」
 
 ー「Kチーム」の意味はZ氏の頭文字の「K」?

「勝手にそう思ったこともあるが、秘書課の実力者だった『菊池さん』のこと、という話もあった。あと『汚い』のKとか。内部でも何なんだろうね、という話になっていた」

 ー「数千万円程度」の予算は、接待などに使ったのか。

「(声を裏返して)数千万円!? 考えられないな。そんなにかかるはずがない。接待も何もしてないですもん」

 ー「やらせ投書」は?

「いろいろやるんですよ・・・古い話はしたくないのが本音。電力業界はどこの企業も、ほじくり出せばいろんなことがあるかもしれないが」

 ーきちんと説明してほしい。

「そこをほじくり出したって・・・。なんで今、あんな昔のことを金科玉条のごとく報道するのか。なんでいまさら回収ウランの問題を報じるのか。その哲学がわからないですよ。回収ウランなんて全国的な問題じゃなかった。なんにしても、菊池さんが内容は全部知っているはず。菊池さんがすべてに詳しいと思いますよ。力のあった人ですから」

 ー実際に新聞に誰かが投稿したんですか?

「記憶にない。そのへんも菊池さんとか、上の方に聞かないと」

 ー「Kチーム」は社内でも極秘の組織だった?

「みんな知ってると思いますよ。積極的に内部で発表したわけじゃないけど。みんな(Kチームのことを)”人形峠周辺の市町村に説明に行っている人たち”として知っていたからね。役に立たなくてすいません。菊池さんならなんでも知っているでしょう」

 肝心なところは、すべて「菊池さんが知っている」とはぐらかす。この「菊池さん」とは、いったい何者なのかー。取材を進めていくと、Z氏が言う「菊池さん」とは、現在、原子力研究バックエンド推進センターの理事長を務める菊池三郎氏だとわかった。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/29(木)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※16回目の紹介

2015-01-27 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。16回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※15回目の紹介

 前出のT県議との打ち合わせの記録にも、こんな記述があった。

<上斎原村へは、100億円近い交付金が出されているが、周辺市町村とは大きな格差がある。広報費一つをとっても、上斎原村には1500万円/年、鏡野町や奥津町等は315万円、津山市には105万円の交付金が出されている(全体2500万円)>

 上斎原村への「100億円」はこれまでの累計額であろうが、それにしても巨額である。そしてこの記述にあるように、交付金の額に地域間で格差があることが、自治体間の対立の要因になっているのである。こうした電源三法の”甘い蜜”によって地元自治体が籠絡されてきたことは、これまでにも度々指摘されてきた。

 しかし、それ以外にも、この「人形原産」のように、地元村長や有力者が役員を務め、地元住民を雇用する企業を下請けとして使うことで、実質的に利益供与がなされていたのである。カネで横っ面をひっぱたき、黙らせる。原子力ムラの得意技である。

 前出の元役員が続ける。

「昔は津山と上斎原は電話線が一本しかなかったんだ。それが人形峠に事業所ができてから、回線が増えてな。(電源三法)交付金のおかげだよ」


◎「電力業界は、ほじくり返せばいろんなことがある」

 さて、「原子力ムラ」の当事者たちは、一連の資料についてどう説明するのか。

 まずは、「Kチーム」で「本部キャップ」を務めたZ氏に話を聞いた。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/28(水)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※15回目の紹介

2015-01-26 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。15回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※14回目の紹介

 一方、JAEA本体の施設、人形峠環境技術センターは鉄の柵で入り口が閉ざされており、詰め所から警備員が目を光らせていた。ウラン濃縮の試験プラントなどがあるはずだが、外観すら見ることができない。「人形原産」や「アトムサイエンス館」の牧歌的な雰囲気と違い、こちらは「原子力施設」の緊張感が漂っていた。

 人里離れた山奥で、肩を寄せ合うように同じ敷地に建てられたJAEAと「人形原産」の建物。動燃と地元との「一心同体」の関係が、このロケーションからもはっきりとわかる。

 さらに取材を進めていくと、「人形原産」は1978年に地元・上斎原村が出資して設立された第三セクターで、歴代社長には上斎原村長(現在は鏡野町長)が、役員には地元自治会の区長ら有力者が就いていることがわかった。「人形原産」の元役員が語る。

「地元の雇用を生み出すための会社で、東海村に同じような会社ができたときに、こちらでも作ったと聞いた。社員は100人ほどで、給料は役場の職員と同じくらい。役員報酬は月20万~30万円だけど、昔はもっと高かったから『ワシにもさせえ、ワシにもさせえ』と、みんなが役員になりたがった。だから、続けて何十年も(役員)をしたのはおらんですよ」

 X氏も認めたように、まさに「村営企業」である。

 原子力施設の地元には、国の「電源三法交付金」が支払われる。

 電源三法交付金は74年に制定された電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法の三つの法律に基づいて地元自治体に交付されるもの。要は、安全へのリスクがある原子力施設を受け入れる代わりに、地元にお金を落とそうという制度である。その原資は、我々の電力料金に上乗せすることで捻出されている。

 その額は莫大なもので、「もんじゅ」や敦賀原発など14基の原発が集中する福井県には、現在も毎年200億円を超える交付金が支払われている。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/27(火)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※14回目の紹介

2015-01-23 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。14回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※13回目の紹介

 会社は78年5月に設立され、2008年度の売上高は7億6300万円にのぼる。この”村営企業”を、取材班は訪ねてみることにした。

 鳥取県倉吉市の市街地から車で約30分。他にこれといった観光名所もなく、すれ違う車もまばらだ。ただ、”国の研究施設”があるせいなのか、道路の幅は十分で整備が行き届く。「動燃の事業所ができてから、完全舗装された道路や大きな建物が建つようになった」(地元住民)というのは事実のようだ。

 路肩を厚く雪に覆われた山道を人形峠に向けて上った先に、「人形原産」はあった。脇に寄せられた雪が肩の高さまで積もる敷地内に、もとは観光客向けのレストハウスだったという三角形の屋根をした社屋がある。そのすぐ隣には、JAEA人形峠環境技術センターがあった。

 事務所を尋ねると、事務職と思われる中年の女性職員が3人いるだけ。

 普段、部外者が突然訪ねてくることなどめったにないのだろう。取材班の問いかけに、戸惑った様子で、

「責任者が外出していてわからない」

 と答えるばかりだった。事務所の奥には、人1人がやっと入れるような小さなスペースがあり、そこが「責任者」の執務室のようだ。

 敷地に隣接した入場無料の展示館「アトムサイエンス館」にも足を運んでみたが、受付には誰もおらず、館内には観覧者の姿もない。

 原子力関係の”勉強”ができる映像コーナーがあったが、その機器の多くは「調整中」の張り紙があり、作動していない。奥には大きなプラネタリウムのような展示機器もあり、設備自体は人里離れた山奥とは思えないほど豪華なものだった。

 しばらく中をうろついていると、ようやく若い女性係員が一人、展示場に出てきた。傘立てや花壇にさりげなく茶色いレンガが使われていたので「もしや」と思って聞いてみると、やはり、ウラン残土で作ったレンガだという。第一章で取り上げた、あの人形峠で作られたレンガである。引き受け手のないものを、自らの関連施設で使っているのだろう。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/26(月)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※13回目の紹介

2015-01-22 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。13回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※12回目の紹介

◎動燃下請け会社の社長は地元村長

 動燃が仕掛けた地元政財界への”工作”は、これだけではなかった。

 メモの中には、資金を経由させる「トンネル企業」のような役割で「人形原産」という会社が出てくる。

 この「人形原産」とは、いったい何なのだろうか。

 所在地を調べると、旧動燃・人形峠事業所(現・JAEA人形峠環境技術センター)と同じ敷地内にある「人形峠原子力産業株式会社」だということがわかった。

 会社の登記簿を確認すると、その事業内容は、事業所の警備や周辺整備、公用車の管理運営などを行う動燃の”下請け会社”的な性格が強く、「目的」の項目には<建設工事および補修工事(ただし日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターと契約する工事に限定する。)>とまである。

 章の冒頭に登場したX氏は、この謎の会社についてこう説明した。

 「そりゃ、地元で仕事があったほうがいいでしょう。原子力事業の中心的、技術的なことはできないが、清掃業務だとか弁当の手配、車の運転とかをする。実質的に上斎原村の村営企業ではないかって?そうですね。こういう会社があったほうが村も動燃もいろいろな面で助かりますから」

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/23(金)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※12回目の紹介

2015-01-21 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。12回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※11回目の紹介

 そこで、取材班は「動燃安全連絡協議会」初代会長のH氏を訪ねた。85歳になるというH氏は、本誌の取材に対してゆっくりと話し始めた。

「確かに当時、(動燃安全連絡協議会の)会長になりました。協議会は、動燃と地域の取引業者との会で、『我々は動燃を応援します。その代わりうちの商品を使ってくださいよ』という会でした。うちは事務機器を扱う会社でしたが、他にはガソリンスタンドや建設業者とかもいました。すべては自分たちの商売を確保するための団体ですね」

 だが、肝心の「1千万円」について聞くと、

「それは記憶にないな」

 さらに、東海村の視察についても、

「年に1回か2回、関係業者と動燃の人が集まって、懇親を深めるようなことはしたよ。でも、(東海村の視察については)記憶にないなぁ」

 と語るのだった。

 一方、元岡山県議のT氏は、何を聞いても、

「知らない」「わからない」「記憶にない」と繰り返すばかりだった。しかも取材から数日たってから、

「と、とにかく、親族に迷惑がかかるから、先日の取材はいっさい、なかったことにしてくれ。本当に頼むから」

 と記者に電話をかけてきた。「それはできません」と断っても、よほど心配でたまらないのか、何度も何度も繰り返し電話をかけてくる。現役を引退し、地元の有力者として悠々自適の生活を送っているはずのT氏がここまで怯えるのは、なぜなのか。そのT氏の尋常ではない反応に、動燃の「工作」の恐ろしさの一端を垣間見た気がした。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/22(木)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※11回目の紹介

2015-01-20 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。11回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※10回目の紹介

先の動燃関係者が語る。

「やらせ投書のようなことは当たり前にやっていた。国の研究機関である動燃はそういう工作に弱かった。原発建設などでノウハウがある民間の電力会社などから、こうした手法を教えてもらったと聞いたことがあります」

 最近では、福島第一原発事故後の2011年6月、玄海原発の再稼働に向けた地元・佐賀県民への説明会で、九州電力が関係会社の社員らに再稼働を支持する「やらせメール」を送らせていたことが問題になった。「やらせ」は、今も昔も変わらぬ「原子力ムラ」の”得意技”なのだ。


 もっとも、動燃の工作はこの程度ではない。「Kチーム」の資料には、「地元へのカネ」の流れを示す記述もあった。

<T県議(原文は実名)からの要請対応について>と題された文書は、1992年10月7日に行われた原発推進派の岡山県議(当時)T氏と、動燃幹部との打ち合わせ内容をまとめたものだ。その中で、当時の人形峠事業所長はこう発言していた。

<10月16日に津山に「動燃安全連絡協議会」を設置することとし、その会長に津山商工会議所副会頭のH氏(原文は実名)を当てる>

<この協議会に動燃及び村から500万円ずつ人形原産を経由して拠出させる>

 ここに出てくる「人形原産」については後述するが、つまり、地元財界の有力者を会長に据えた動燃支援団体を組織し、そこに計1千万円のカネを流し込むというのだ。しかも、その使途については、

<津山圏域の青年婦人60人程度を対象として東海村視察を考えている>

 と書かれているだけ。視察旅行に1千万円も必要だとはとても思えない。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/21(水)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※10回目の紹介

2015-01-19 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。10回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※9回目の紹介

「アクションプログラム骨子」の中で見過ごせないのは、<新聞の活用>の項目にこんな記述があったことだ。

<意見広告(山陽43万部、津山朝日2万部)ー継続>

<津山朝日記事掲載 現行は事業団作成・・・掲載は記者の取材方式 ー準備中>

<新聞折りこみ 津山朝日のみ実施(山陽新聞系は拒絶)ー準備中>

 そして、驚くべきは次の記述である。

<投書 朝日・・・「論壇」 山陽・・・一般投書(500字)ー準備中>

 なんと、地元紙などに一般市民を装って「やらせ投書」せよ、という指令なのだ。それを裏付けるのが92年3月13日に作成された<投書原稿作成のポイント>と題された、社内への指示文書だ。

<1、立場 ①一般市民の立場で ②人形峠事業所に働く者として ③原子力の開発に携わる者として>

<2、内容 ①身近な出来事について ②エネルギー問題に関して ③その他>

などと、詳細な「投稿マニュアル」まである。さらに、投書は各部署に「ノルマ」が課せられていたようだ。

<3、手順 ①各課3通作成 ②3月18日までに総務課(○○)まで>

 そして、この通達から10日後の3月23日、本社から各課長に送られたファクスでは、

<山陽新聞「ちまた」欄への投書 依頼の各課3通が出ていないところがありますので、総務課○○まで提出願います>

と催促までしていた。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/20(火)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※9回目の紹介

2015-01-16 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。9回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※8回目の紹介

 動燃の性格をよく表しているのは、「留意事項」として、このようなことが書かれていることだ。

<あくまで「正しい理解」を得ることを目的とし、「署名阻止」又は「決議阻止」を全面には出さない>

<刺激的PA活動をすることにより、「寝た子をおこす」事にならないように、冷静な計画を考える>

 表向きは紳士的な態度を装うように指示しておきながら、中では「洗脳」などという言葉を平気で使っているのだから、つくづく信用ならない。

 取引先企業への協力依頼については、他にもさまざまな資料が残されていた。

<業者への協力要請ルート(案)>

 という資料には動燃→業者本社→支社→営業所→従業員→家族・知人・友人と、動燃側の意見を広めていくことを表した樹形図が描かれていた。末端が家族・知人・友人にまで伸びているところがリアルだ。

 こうした協力要請は「説明会」という形をとり、岡山県内のホテルなどで複数の業者を集めて行われたようだ。そこで話された内容は、

<回収ウランとは>

<何故人形峠でやるのか>

<反対派の署名運動がまわってきたら署名しないでほしい>

<併せて家族、友人、知人にも働きかけてほしい>

と露骨なものであった。別の資料には、職員と並んで取引先企業に対しても、

<説明会を開催し、「一人ひとりが広報マン」の実践を要請していく>

などという記述もあった。勝手に「広報マン」にさせられる取引先企業もいい迷惑だろうが、動燃は国の特殊法人として巨額の予算を扱う大事な取引相手。地元業者に、こうした「要請」を断ることができたとは思えない。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/19(月)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※8回目の紹介

2015-01-15 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。8回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※7回目の紹介

◎下請け業者は「動燃広報マン」

 このY氏の「第一案」を、具体的に体系立てて工程表に落とし込んだと見られるのが、「アクションプログラム骨子」と題されたB4用紙7枚に及ぶ一覧表だ。

 そこには、「企画中」「済」「継続」「準備中」「検討中」「未定」などの注釈つきで、計25項目のさまざまな”工作”内容がびっしり並んで書かれていた。

<県内78市町の回収ウラン反対決議阻止ー継続>

<78市町村への試験内容説明と反対派主張の論理の矛盾説明ー済>

<ピンポイント説得・・・各議会自民系オピニオンリーダーへの理解促進策ー企画中>

<市町村からの依頼に対する即応体制ー継続>

<ゼネコン・メーカー大手60社支店長へ協力要請(岡山)ー未>

<岡山に支店を持つ動燃の取引会社へ協力依頼ー済>

<不特定多数へのビラ郵送(ゴルフ会員名簿、業者から入手した名簿、その他ー未定>

 多くは地元政界への”ロビー活動”や取引先企業への協力依頼である。中には、動燃と関係がきわめて深い周辺自治体、たとえば地元の上斎原村の村議会などを通じた<推進決議の依頼>という項目もあった。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/16(金)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※7回目の紹介

2015-01-14 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。7回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※6回目の紹介

 また、この「第一案」には<大希釈剤の投入>と題して、

<以下の研究を鳴物入りで開始 ①超電導エレベータ ②防雷研究 ③地中スーパーバグ(微生物)の活用>

 と、なにやら仰々しい計画が並んでいる。続いて、

<風評は出ればかえって好都合 本件に問題が移れば必勝パターンあり また多大な人脈が動く>

 と書かれているところを見ると、これはつまり、問題を”希釈”させるために動燃の新たな研究事業を地元に誘致することをぶち上げ、マスコミや地元反対派の目先を変えることを意味しているのだ。

 このような動燃の<必勝パターン>について、作家の広瀬隆氏は「同じような手法を聞いたことがある」と振り返る。

「たとえば岐阜県では、宇宙飛行士を連れてきて、『宇宙空間を感じる施設』をつくるなどと言って、東濃鉱山近くで穴を掘り始めるわけです。この『穴を掘る』という行為が危険で、最後は”高レベル放射性廃棄物の最終処分場”にしようという魂胆なわけです。あるいは核融合研究所も設立してカネを落とす。このように文科省も一体となって研究費用をつけ、さまざまな形で地元にカネを落としていく。そして、カネに慣らしていくんですね」

 さらに、資料には、見るからに怪しげな”プラン”の数々が踊っていた。

<(仮称)人形将来構想検討委員会を発足させ、県下有識者の人脈形成を図る>

<現在進行中の人形委託「超電導エレベータ応用研究会」のバージョンアップとし、岡山市内で開催を図る>

<「極秘ライン:K機関ー?商事>を活用して、県南ネットのアクションプログラムを策成>

 こういった記述があるかと思えば、

<「ジェネコン(原文ママ)より協力隊を出してもらう」大成OR清水より選出>

 と、大手建設会社の名前が挙がっているものもあった。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/15(木)22:00に投稿予定です。


動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※6回目の紹介

2015-01-13 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。6回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

----------------

**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介

前回の話:動燃裏工作部隊「K機関」を暴く ※5回目の紹介

◎”洗脳工作”には「石原慎太郎を活用」

 さて、「Kチーム」は具体的にどんな工作をしたのか。先のY氏が92年2月20日に作成した「第一案」は、実に過激だ。

<JC(青年会議所)ラインの利用 K機関で確保しているタレントとの会談を企画し、洗脳する>

<マスコミ対応 ①K機関タレントの利用 K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳>

「洗脳」とは穏やかでないが、どうやら「タレントとの会食」というおいしい”エサ”で、動燃シンパを増やそうとしていたようだ。

 別の資料では、こんな名前が挙がっていた。

<竹村健一郎 石原慎太郎の活用>

<石原氏へは、アプローチの仕方について要検討>

 ここに書かれている「竹村健一郎」とは、政治評論家の竹村健一氏のことだろう。この竹村氏と日本維新の会共同代表の石原氏は、ともに原発推進派であり、保守派の論客としても共通している。

 なお石原氏は、都知事時代の2012年9月6日に「もんじゅ」の原子炉上部や中央制御室を約1時間半かけて視察し、

「廃炉ははとんでもない話。絶対にしちゃいけない」

と発言している。福島第一原発事故の発生からおよそ1年半、事故収束へのメドも立たず、国民の多くが「脱原発」の意識を高め、国のエネルギー政策の転換を求めていた時期である。

 このとき石原氏は、初めて参院選に出馬したとき(1968年)から「もんじゅ」に関心があったことも明かし、

「あれから数十年、半ば挫折に近くなってきて残念」

とも語っている。これら一連の言動を見ればわかるとおり、動燃側が石原氏に白羽の矢を立てようとしたのもうなずける。

※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/14(水)22:00に投稿予定です。